戦後、日本を占領したGHQが焚書(焼き捨てた)した「日本の古い書籍」をこれからいろいろ読んでみようと思う

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日本が戦争に負けて、進駐軍が占領し、日本を根本的に変えてしまうためにGHQが様々なことをしたのは周知の事実。

言論統制、報道の検閲はもちろんのこと、新憲法まで押し付け、それまでの日本の中枢にいた人たちは「彼らが指導を誤ったから」と放逐された。そしてその席に新しく座った人たちは「共産主義者」。

この弊害は戦後もずーっと続いて「教育の世界は完全に左派に乗っ取られたまま」で、【過去の日本を否定する】のが根本にあり、私もそういう教育を受けてきたし、それは今でも同じ。私が大学生時代は「学生運動も下火になってきた」時代でしたが、あの日本中を揺るがした学生運動も「大学の教授たちが先導した」なんてこともあった。

一体、戦争前の日本人ってどんな考え方でどんな生き方をしていたのかを知るのはかなり難しい。

日本の思想や文化はGHQのマッカーサーによって完全にぶち壊されたし、過去の日本人の「良さ」を書いた書籍は数多く焚書(ふんしょ)。つまり集めて燃やされた。

この焚書された多くの書物を「復刻しよう」という運動は前からあったけれど、私はそれにあまり興味がなかったんですよ。

そこに事実があるとしても「現代にも過去にもプロパガンダは存在する」し、「それらの書物から日本の過去の本当の姿がわかるかどうかは疑問だった」から。

ところが歳を取ってくると「真実を知りたい」というより「どんな考え方、見方があるのか」に興味は移っていって、【所詮、真実はそれを観察する人の数だけ存在する】と思うようになったのね。

6人だか7人だかの「目の不自由な人」が【ゾウとはどういう動物であるか】を説明する逸話と一緒で、ゾウの鼻、大きな胴体、大きな耳、太い足など、その人が注目したのが「その人の事実」であって、そこから「真実はわからない」のと一緒。

「立場が変わると見方も考え方も変わる」わけで、「真実を知りたい」という気持ちは横に置いといて、【どんな見方、考え方が存在するのか】に興味は移ってきたし、そして「その中に真実があるかないか」は別にして「そういう多種多様な見方や考え方に【自分がどう反応するか】を知りたい」のね。

若い頃は真実を追求したいと思う気持ちが強いのは昔も今の時代も変わっていないし、それに命をかける若者もいて、かつて「デカンショ節」なる歌を学生たちが歌っていたのを思い出します。

デカンショとは「デカルト、カント、ショーペンハウアーら哲学者」のことで、毎日毎日、それにどっぷり浸かり「真理探求」に明け暮れて、後は「寝て暮らす」みたいな「学生時代を歌った歌」で面白いと思う。

また私も日光華厳の滝に身を投げた「藤村操(ふじむら みさお)」には共感した若い時代もあった。彼は明治時代の人ね。彼は「真理を探求してわかったことは【わからない】ということである」「でもその悲観は楽観でもある」と16歳で自らの命を絶った。これの影響は大きく、多くの若者が彼に共感して彼の後を追った。

彼の遺書はこれ。16歳の若者がこれを書いたのも驚き。

巖頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。

「結局、真実、真理もわからない」という点は、その通りだと今の私も思うし、でも戦前の日本人が一体何を考え、感じ、何を大事にして生きてきたのかを知るのは良いと思うようになったのね。それはもっと昔の武士の時代も同じ。

【良い悪い、正しい正しくないの判断はしない】という前提で、過去の日本人のことを知りたいという願望が非常に強くなっています。

で、GHQが多くの書物を焚書、焼き捨てたのはなぜなのか。そこに何が書かれていたのかはやっぱりかな~~り気になるし、その内容に今の私が感動したり、驚愕するようなこともあるだろうし、「そんな自分の反応を見てみたい」と思う。

たとえばこんな。

興味ある内容の書籍が山のようにある。

YouTube

日本人が失った “日本らしさ” を取り戻す『GHQ焚書アーカイブス』公式YouTubeチャンネルへようこそ。 <チャン…

少しずつ読み進めてみたいと思う。

 

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