いつものダラダラとした長文です。ご注意を。
世界のどこに住んでもメリットとデメリットはあって、「何を優先するか」でその答えは変わる。
日本の「寿司関連」のニュースを見ると、「日本に住みたい」という気持ちがどんどん強くなる。(笑)
こういうものがこんな値段だなんて信じられない。かつてマレーシアの物価の安さに驚いたのと同じ。
でも毎日、3食、こういうものを食べたいわけじゃなくて、また私が住みたい「日本の地方の魚市場の近く」というのも同じ。「コストコが近い所が良いなぁ」なんてのも同じ。結局「ないものねだり」でしかなくて、そういう世界のど真ん中に生きても「飽きるだけ」かも知れないのは何となく分かる。そして「次なる愚痴が始まる」んでしょう。(笑)
行こうと思えばすぐに行ける距離ってのが重要なのは間違いないと思う。
ところで日本に帰るのを前提として、日本のことを調べると驚愕するのが「居住費の高さ」ですかね。
私は「東京生まれの東京育ち」で地方に住んだことがないから、どうしても調べるのは東京になってしまう。
でも自分がかつて住んでいた地域はもちろんのこと、ちょっと安い地域を調べても「嘘みたいに高い」と感じる。
マレーシアの今のコンドと比べるほうがおかしいわけだけれど、私が感じる「東京の居住費の高さ」は【マレーシアの約4倍】という高さ。それはマンションでも一軒家、買っても借りても同じ。
だからどうしたって日本に住む場合は「安いところ」を探すしか無くて、それでも「こんな狭いマンションなのに借りたら50万円もするのか」と思うし、良さげなところは250万とか、考えられない高さ。
でも「地方の安さ」も衝撃的で、私が住んでみたいと思っている愛知県一色町辺りだと家賃が10万円以上のマンションは「無い」と言っても良いくらいに安い。その代わり、広いユニットも無くて、広いユニットが欲しい人は一軒家にするんでしょう。
仕事もないから東京のど真ん中に住む必要もなければ、僻地でも関係ない。ただ買い物や医療に問題がなければそれでOK。だから温暖な「地方都市」が現実的な選択になるんじゃないかな。
ヨメさんの出身地は福岡県の田舎だけれど、私はそこでも良いと思っているんですよ。まだまだ昔からの親友もいるし、「ターザン」みたいに素のままで生きることしか知らないヨメさんって、「都会の人間づきあいは難しい」のね。それはゴールドコースト時代も同じで、「鼻の高い奥様方」にはバカにされる存在だった。
「空気を読めよ」なんてことを私はいつもヨメさんに言っていたけれど、それってまさに私が嫌う生き方で、日本脱出を決めたのもそれが理由。でもゴールドコーストでは私はヨメさんに「空気を読め」「本音を言うな」と私は言い続けた。
そんなヨメさんだけれど、明るくて面白くて「若者受けは抜群」で、ヨメさんはいつも息子たちの友人の輪の中にいたような人。あるいは「いわゆる庶民、田舎の人」とは相性が良くて、「素を出すタイプの人達」の友人は多かった。
だからヨメさんの田舎に住めば「水を得た魚」になるんじゃないかと思ったわけですよ。
ところがヨメさんは「冗談じゃない。絶対に嫌」だという。
ヨメさんはその田舎の旧家の生まれ育ちなんだけれど、いろいろあってその家も断絶、崩壊したし、両親も兄妹も失い「嫌な思い出、悲しい思い出がいっぱい詰まった場所」でしか無いのね。そして私に「あんたは田舎で住んだことがないから田舎の怖さを知らない」という。
「じゃぁ、どこが良いんだ?」と聞くと「私はゴールドコーストが世界で一番好き」だという。私にしてみればヨメさんに取ってゴールドコーストも幸せいっぱいでは無かった土地だと思うのに、そんなゴールドコーストが一番好きだという。
それを聞くと、可哀想な人だと思うし、どうにか笑いに溢れた生活が出来る土地に晩年は住まわせてあげたいと思うのだけれど、私にはそれがどこだかわからないし、ヨメさんは「どこでもどうにかなるわよ、日本なら」という。ちなみにヨメさんの血液型はO型で私はA型。(笑)
かと言って、私がいなくなった後に、ましてや子どもたちは世界を自由に生きる子どもたちで「それが出来るように育てた」にしても、私達夫婦の「晩年の寂しさ」を考えると気が滅入ってしまう。
そういう意味では私の両親は幸せで、姉や私が「マレーシアに住む」と聞いたらさっさと自分たちもMM2Hを取り、自宅は売却してマレーシアに移住。そして結局は「姉が同居して最後まで面倒を見る」ことになったけれど、「姉が同居できなかったらどうするつもりだったのか」と思う。
私達がマレーシアに渡ったのは2016年で、姉や両親にはかなり遅れを取ったのだけれど、私が両親の住むサウジャナにマレーシア到着後に行ったときのことが忘れられない。
母だけコンドの入口で私達を待っていて、私の顔を見るとすぐ近くに来て、私を抱きしめながら「マレーシアに来てくれて有難う。これで私も安心して死ねる」と言った。
結局、母がパンタイ病院で亡くなるときには私達家族は会えなくて、ちょうどその時期、次男坊が日本で結婚式を上げたので北海道に行っていた。そして結婚式が終わったその日の夜中に姉から「お母さんが死んだ」という連絡。
その結婚式の当日は「初雪が降った日」で、朝起きると世界が真っ白に変わっていて、ヒラヒラと花びらが舞うような綺麗な雪が降っていたっけ。結婚する当事者の次男坊は「生まれて初めて雪を見た。それも結婚式の日に」と喜んでいたけれど、思い返せばあの雪も母からの贈り物で、結婚式にも来ていたんじゃないかと思う。そしてその日、すでに意識がなかった母は旅立った。
その後、父もパンタイ病院で息を引き取ったけれど、両親は大きな病気に掛かることもなく、長期入院したり寝たきりなんてこともなく、私と姉、そして大好きな孫に囲まれて一生を終えることが出来たのは本当に良かったと思う。
でも時代は進み、次は私やヨメさんの番になるのだけれど、子供や孫たちに囲まれて住むどころか、同じ国に住むことさえきっと無理で、寂しく一生を終えることになるはず。その覚悟は出来ているものの、やっぱり寂しいし、本当にもっと歳を取って終わりが見える頃にどの国のどこに住み、どんな風に旅立つのかの想像もできない。
それはきっと「流される」ことじゃなくて「決めれば決められること」のような気がするけれど、子どもたちに面倒を掛けたくないし、どこかの老人ホームで消えていくのだろうと思う。
ただ6歳年下のヨメさんのほうが長生きすると考えるのが妥当で、私が亡き後、たった一人で10年も20年も生きられるのかどうかが疑問。
ヨメさんは若い頃から「絶対に私より先に死なないでね」と何度も何度も言っていたけれど、その気持はよく分かる。
たまにテレビ番組で、田舎に住む家族が皆で3家族、総勢10数人で上は90歳、下はゼロ歳みたいな大人数で食卓を囲む姿を見ることがある。そんなのを見ると、「私は何か間違えたのかな?」と思うことがある。
我が家は家族を非常に大事にする家族で、それは両親も私達も息子たちも同じ。ましてやオーストラリア時代は今と違って人種差別も露骨で息子たちもどれほど涙を流したか。だからこそ「家族の絆」が重要で、息子たちも差別から逃げること無く立ち向かえたのも「家族という絶対の味方」がいたからだと思う。
そんな生き方をしてきたのに、最後はバラバラで死んでいくってやっぱり寂しいと思う。
でもネットの発達って素晴らしくて、我が家はいつもDiscordで話をするし、動画や画像の共有もするし、孫たちの顔を見ながら話すことが出来るって凄いと思う。「実際には会っていない、会いたい」という気持ちがかなり緩和されるのね。これって「隣町に住んでいても同じ」だと思っていて、実際に会えば「うるさい、面倒くさい」なんてことが起きるだろうけれど、いつでもネットでお互いを感じられれば「それだけで十分」なのかもしれない。
それこそ「ペットの動き」「子供の動き」を常時観察できるように「カメラを設置する」ケースって多いけれど、それこそ「監視カメラ」みたいに常時、見ようと思えば見れる状態であれば「離れて生きている」のは大きな問題にはならないのかもしれない。
私がどこかの老人ホームのベッドで寝ていても、「お~~い」と声をかければ、「何?おやじどうしたの?」なんてすぐに返事が来る時代にはもうすでになっている。
海外に住むなんてのも、昔は横浜から出港する船に乗り、「今生の別れ」としていつまでも手を振るなんてことがあったけれど、もうそんな時代はとっくのとぉに終わったのと同じかもね。
私みたいに「家族がいるから、彼らのために生きている」と考えるのはあまりにも古くて、かと言って「楽しみを見つけろ」と言われても「自分の楽しみの追求」なんてのは若い頃からやりすぎてきた私だし、今更やりたいことはないぐらい。
でも「オヤジは死ぬまでモニターを見てデイトレをやっていたよ」なんてのも面白いかも知れなくて、そんな生き方ならできるかもしれない。(笑)
最近、良くYahooニュースでも取り上げられる、藤本茂(シゲル)さんが面白いと思う。89歳の現役トレーダーで私より17歳も年上。
最初の頃は「私には関係ない」と思っていたけれど、彼の話す「相場で勝つキモ」の話って、私がいつもブログに書いていることとほぼ同じで、やっぱり何十年もこの世界で生きていると「わかることは同じ」なんだろうと思ったり。そして「年老いてからのトレーダーのあり方」として最近は参考になることが多いと思うようになって、良く見ています。
でもこの動画を見ると、彼が紹介された当時から比べると「かなり年老いた」感じがする。
いつまでも頑張ってほしいなぁ。他人事とは思えない。