次男坊が家族で日本を旅行中に「救急車で入院した」と連絡があった

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この夏にマレーシアの私達夫婦も日本へ行って「シドニーからの次男坊家族と合流」の計画がありましたが、私の具合が芳しくないのと息子たちの予定も詰まっていることから、マレーシアからは長男だけが日本に行って次男坊家族と合流することに。

ところがある日、次男の具合が突然、悪くなって「救急車で入院」との連絡。

これには驚いたわけで一体何があったのかわからないから、私たちは連絡待ちでソワソワしていました。まさか私たちも急遽、日本に行かないとならないかもしれないと思ったり。

でも連絡があって、「アナフィラキシーショック」だったらしく、治療後はすぐに回復したと。抗ヒスタミン剤かアドレナリンかを投与したんですかね。

長男曰く、「俺がアナフィラキシーショックでパンタイ病院の救急に行ったときほど酷くはなかった」と。

兄弟揃ってそういう「体質」ってあるんですかね。

食べたものが悪かったと考えられるわけですが、「カニ」ですかね。こんな写真も送られてきた。

良いもの食べてるな~~~。羨ましい。(-_-;)

長男と後に雑談をしたのですが、次男坊はいつも「生活が厳しい」と愚痴を言うのに、「日本じゃあれじゃこれじゃと結構、贅沢したみたいだな」と、「あいつ、本当に生活が厳しいのか?」と。

長男いわく、「うん、あいつかなり厳しいらしい」と。「それにしては今回の日本旅行は豪勢なものばかり食べまわっているみたいじゃんか」と言ったら、「支払いするのは俺だし・・」と長男。(笑)

いつの頃からか、次男家族がマレーシアに来たりの「旅費、経費」は我が家が負担するのが慣例になっていますが、「贅沢しすぎじゃない?」というのが私の(口には出さない)本音。

この10年、私達夫婦と長男はマレーシアで「楽をして生活している」という負い目があるのは間違いがなくて、だから「次男坊家族の旅費や孫の学費は私たちが負担する」という決め事がいつの間にか出来たのだけれど、それがそのままずーっと「慣例」として続いている状態。

それでも「私が感じる負い目」ってまだまだ強くて、どうにか近い将来、次男も満足が行く「生活」が出来るようにしてやりたいし、それも私の計画の内。

つまり、次男坊も「デイトレーダーとして育て上げる」ということ。「資産を残したい」というより「いつでもどこでも、どんな経済環境でもしっかり稼げる技術を残したい」と考えています。

でも「次男坊にはその時間が取れない」という問題があって、なかなか進まない。

忘れられないのが、次男坊が中学生の頃、ゴールドコースト時代ですがこんな事を言ったんですよ。

「パパ、僕は日本人みたいに、お金持ちになるために家庭を犠牲にしてまで働きたくない」と。私が答えたのは「バーーカ、日本人は【普通に生きるため】にそうやって頑張っているんぞ】と。次男は「うそ~~~~」と驚いていましたっけ。

でも社会に出る時も「9時5時の仕事しかしない。絶対に家庭を最優先する」と何度も言っていた。

オーストラリアってそれが出来る国というか、それが「当たり前の国」。

でも「生活は厳しい」といつもいつも言うし、年収は20万豪ドルを超えているのに、毎月の小遣いは3万円ぐらいで、生活は切り詰めていると。それだけ物価が凄いんでしょうね。

でもオーストラリアって変な国で、次男坊には毎年4週間の「有給休暇がある」し、子どもが生まれると「合計2ヶ月も休める」とか、そして残業も突然の異動、転勤もなく、「仕事を家に持ち帰ることはあって、かなり忙しい」とはいうけれど、それって「オーストラリアの標準で考えると忙しいと思うだけ」じゃないかと思ったり。

それでも「家族の団欒」は間違いなく確保していて、私が覚えている「日本の生活」とはかなり大きな差がある。

だから、まぁ「幸せでいる」のは間違いがないと思うのだけれど、「将来への不安」はやっぱり大きいようで、AIとの相性が非常に良い業界(監査法人勤めの公認会計士)だからヤバいといつも言うし、ある日ある時、「完全なる自由」をどうにか次男も得ることが出来るようにしたいというのが、私の目標の一つ。

あいつも頑張っているし、私もまだまだ頑張ってあいつを助けないと。

でもねぇ、あいつ、いつも良いものばかり食ってるという印象。

20代の頃から、「家でのパーティーはこんな」で、マレーシアの我が家よりはるかに良い生活をしてる。

シドニーの魚市場でこんな魚(キングフィッシュ=ひらまさ)を買って、自分で捌いて友人を呼んだり。それが出来るのも学生時代にゴールドコーストの老舗和食店でアルバイトをしていたからで、ご主人に気に入られていろいろやらせてもらったらしい。あいつ、寿司も握れるのには私も嫉妬するぐらい。

あいつのいう「生活が厳しい」ってどういう意味なのか疑問に持つことも多い。

将来どうなるかなんてわからないけれど、私の夢をどうにか形にしたいし、私の計画も出来ることなら彼らに継いで欲しいし、私もまだまだくたばれない状況。(笑)

ただただ思う幸せなことは、彼らという「素晴らしく代えがたい命」と私の人生で巡り会えたこと。そしてそのチャンスを作ってくれたのはヨメさんで、また「病気が酷くて人生を投げていた私を救ってくれたのもヨメさん」で、本当は我が家の一番の功労者は「ヨメさん」なんだろうと思う。

やっぱり「見えない【何か】に感謝したい」という気持ちはどんどん大きくなるばかり。

私が子どもたちを愛するのと同じ様に、私に愛を注ぎ続けてくれた親やご先祖様の気持ちも今になるとよく分かるし、その「自分もそのとてつもなく長い何十、何百万年の連鎖の中の一人になれる」こともなんとも言えない幸せを感じたり。

この世に生まれて、今、生きているということが「幸せの証拠」なんだろうと思う。小さい頃から青年時代はトラウマに押しつぶされて「生きるのが辛過ぎる、死んでしまいたい」って思っていたのに。

この命、最後の最後まできっちり燃やし続けようと思う。

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