前にもこれは書いたような気がするんですが、うちのヨメさんと彼女の親友と、いつかゴールドコーストでB&Bをやろうねという話をしているみたいなのです。
みたいというのは、つまり私の目の前でその話はしないからよくわからないということ。これはきっと親友のご主人も同じ状況ではないかと思います。
つまり、彼女たちはそれぞれが一人になったら一緒に住んでB&Bをやろうねということなんですね。旦那どもがあの世に行ってからの話。(笑)
一つ前の日記に書きましたが、私はヨメさんが一人で海外で生きていけるとは全く考えていません。まず言葉が駄目。19年もオーストラリアにいるのにカタコトのまま。買い物には不自由しないという程度。観光客なら充分かもねって感じ。
ですから、対外的なこと、英語が必要なことは全て私がやるという生活パターンになっています。つまりほとんど全部ってこと。
もし私が倒れたり寝たきりになったらどうするのか。これは年齢的に考えなければならないことで、そのことをヨメさんと話したらちゃんとやっていく自信がないのははっきりわかりました。だったら日本へ帰るしかないね、と言うと、そうなるわねと認めます。
それでいて、友達とはB&Bの話をしている。(笑)
要は、逝くならポックリ逝けということなのね。世話をする必要もなく、残す物だけ残してくれれば後はどうにでもなるという考え方が根底にあるんでしょう。でもまぁ、その考え方って非常に現実的でその通りだと私も思いますもの。
私の友人には親御さんの介護をしている人も中にはいて、歳を取るって本当に大変なことだと話を聞いていても思います。私の両親は健在ですが、来るときは来るし、下手をすればこっちが先に逝ってしまうような年齢になりました。今私がボケたところで別におかしくもなんともないし、実際にボケが始まっているんじゃないかと気になるところもある。
そういうことも含めて、この歳になって友達との話で良く出るのは、ポックリ逝くことの重要性。でもそううまくは行かないね、という話し。
私が重い病気になって動けなくなればヨメさん一人ではどうにもならないから私たちは日本に帰ることになるし、でも私がポックリ逝けばヨメさんは親友とゴールドコーストでB&Bを始めて余生を楽しむことになるのか。
私としてはヨメさんが、我々が将来どこに住むかの鍵を握っていると思っていたのだけれど、事実はそうじゃなくて、私こそが鍵を握っていることに気がついた。
そういえば、もし私がボケたらどうする?と聞いたときに、ああ、何もわからなくなった時はさっさと施設に入れちゃうわよ、という返事。まぁ、ボケの程度の問題だろうけれど家で介護なんかできないのは逆の立場でも同じだし、ヨメさんのその言葉を冷たいと非難することもできない。こちらは社会保障がしっかりしているし、ボケた方も早くちゃんとした施設に入れてくれた方が幸せかも。
さて、ヨメさんの為にポックリ逝ってやるか、それともいつまでも命にしがみついて生き長らえようか。自分でそれは選べないと言うけれど、私はそうでもないんじゃないかと考えています。問題はその時になってもその意志を持ち続けてなんらかの行動が取れるかどうか。で、やっぱりそれはできないってのが現実なんでしょうね。
ま、これからマレーシアへ渡るというのも、我々夫婦にとって仕切り直しでもあるわけで、マレーシアでどう生きるかというのが今後の我々の将来に大きく関係してくると思っています。
お前一人残しても大丈夫だと思えるようになってくれよとヨメさんに言ったことがあります。そうしたらヨメさんは、駄目よ、そんな風になったらあんたはすぐ死んじゃうから、ですと。お前を残して死ねないよというと、大丈夫、絶対にあんたより先に死ぬから、ですと。
ああ言えばこう言う。漫才やってるんじゃないっつーーーのっ!
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B&BとはBedアンドBreakfast、つまり朝ご飯付きの宿のことです。民宿と言ったら良いでしょうか。規模が小さいところが多く、宿泊客の受け容れも1組から3組まで程度のところが多い。未亡人がやっていたり、どちらかというと専業と言うより片手間みたいな感じかな。