思い出の曲があります。
これは私もヨメさんも、そして二人の子供達も大好きな曲。
それはオメガトライブ、君は1000%。
この曲が出たのは1986年。もう26年も前の曲。当時これが好きで、オメガトライブ、カルロストシキの透き通るような声、そして彼らの曲のリズム、メロディが好きで良く聞いていました。
当時、私は結婚し、そして子供が出来、次男坊も1990年に生まれましたがこのオメガトライブは家でいつも掛かっていました。
で、1991年。家族4人でオーストラリアに移民として渡ってきたわけです。私は38歳、ヨメさんは32歳。長男は3歳、次男坊は1歳。
オーストラリアはブリスベンの飛行場に着き、すぐにレンタカーを借りてゴールドコーストへ。ヨメさんと子供達にとってはこれが初めてのオーストラリアでした。
ここで私は一つのいたずらをしました。
ブリスベンからゴールドコーストへ行くにはフリーウェイを通るわけですが、中心のサーファーズパラダイスへ行く降り口ではなくて手前の降り口で降りました。そこには湿地帯が広がり、家らしい家もなく、ユーカリの林が点在するような場所。
「さぁ、ゴールドコーストに着いたぞ!」と私が言うと
「え?ゴールドコーストってこんな場所なの?」とヨメさん。
「そうだよ。どうしたの?」
「ううん、なんでもないけど・・・」
ヨメさんが何を感じているのかはすぐにわかりました。それが私の作戦でしたし。ヨメさんが、まだ1歳の誕生日前の次男坊をしっかり抱きなおして、ふーーと息をもらしたのは見逃しませんでした。
そして走ること30分ぐらい。その道は段々と町らしいところを通り、そしてゴールドコーストの内海にぶつかりました。そこには美しい海が広がり、大小のヨットや大型のクルーザーが点在していました。大きなハーバー、リゾートホテルも見えてきた。そして遠くには多くのコンドミニアムの林。空は雲ひとつ無く抜けるように真っ青。
「うわ~~~、綺麗~~~~~」とヨメさんが言いました。
「あはは、ごめんごめん。これが本当のゴールドコースト。」と私。
みんなが突然ウキウキしだしました。ゴールドコーストを目いっぱい感じるために車の窓を全開にして走りましたが、まだ3歳でわけのわからない長男も窓から外に向かって、大きな声で「ゴールドコースト、ゴールドコースト」と歌を歌うようにはしゃいでいました。
これが私達のゴールドコーストの初日。ここからが全てが始まりました。
で、この時も車の中でずーっと掛かっていたのが日本から持ってきたオメガトライブのテープだったのです。
その後、生活も落ち着き、家も買い、どんどん月日が経っていくわけですが、その生活の中にいつもこのオメガトライブがありました。なんというかなぁ、彼らの曲ってまさにゴールドコーストの雰囲気なんです。これ以上ゴールドコーストに合う曲って我々には考えられません。
子供達ですが、このオメガトライブの全盛時代を全く知りません。でも二人ともオメガトライブの曲を何曲か歌えます。そして彼らも好きだというし、私達夫婦以上にオメガトライブの曲が彼らの身体に染み付いているのだと思います。彼らにとっての子守唄がオメガトライブだったのでしょう。
今、この曲を聴くとあの初めてゴールドコーストに家族で到着したときのことをついこの間のように思い出します。でももう21年前の話。真夏で物凄い日差しなのに窓を開けて走ると冷たい風が入ってきて不思議な場所だと思いましたっけ。そして深呼吸をしてゴールドコーストを胸いっぱい吸い込んだ時の感覚が蘇ります。
オーストラリアには友人、知人、もちろん親戚も、そして我々家族が食っていくための仕事さえ無い状態でした。決してゼロからの出発ではありませんが、人生にリセットが掛かった瞬間でした。
不安と期待が入り混じっていましたが、でもやっぱり若さなんですね。夢の方がはるかに大きく、喜びに満ち溢れていました。
今、あらためてこの曲、オメガトライブの曲を聞いて、あの時の自分を取戻そうと思いますし、なんとなくそれが出来そうな気がしています。そしてその気持ちを持ってマレーシアに渡ろうと思います。
ヨメさん?
うちのヨメさんって変なヤツでこの何十年全く変っていません。この曲がやっぱり好きで、CDを聞きながらニコニコして一人で踊っています。(笑)