本日、日本から帰ってきました。疲れた~~~~~~~~~。
昨日、ホテルを出たのが朝の9時半。福岡ですが、成田へ飛び、また成田でボケーっと時間を潰し、シドニーへ。そしてまたシドニーでボケーっとしブリスベンへ。そこから駐車場に停めといた我がオデッセーでゴールドコースト。着いたのは昼の12時を過ぎていました。
まるまる一日以上だもんなぁ。
でもね、こんなことでブツブツいっていられないなと思ったのは、JAL成田=福岡便の待合室でお友達になったアメリカ在住の日系人夫婦、そしてフロリダから来たアメリカ人夫婦。まぁ、彼らも良い歳かっぱらって半端じゃない長距離を飛んで来てました。そして何度も乗り換え。
ブリスベンで知り合っておしゃべりしていたオージーの老夫婦にはびっくり。シドニーから成田も同じ便。そして彼らは成田からロンドンへ飛ぶそうで・・・。なんで成田経由ロンドンなのか聞きませんでしたが、こういう長距離を平気で飛ぶお年寄りが多いのには正直びっくりです。
いやいや、かつてはもっと恐ろしいほどの時間がかかったのが当たり前で、それから考えれば近くなったもんだ、なんてああいう歳の人は思うのかな?
私としては4時間以上のフライトはかなりキツイと感じます。
今回はですね。成田行きの飛行機はガラガラでした。で、ずーずーしく、インボラの可能性なんかないですかねぇ、なんて聞いてみたのです。いわゆる無料アップグレードですね。すると
「今日はガラガラですから、ないですね」と言いつつモニターを操作してなにやら調べていましたっけ。で、結局駄目。
で、帰りの便ですが、夏休みも始まって、飛行機もほぼ満席。ということはインボラの可能性もありかと、これまたずーずーしく聞いてみたのです。でも「今日はありません」との答え。
そもそもあの無料アップグレードってなんなのかがわかっていないから、狙うにも狙えない。ってそもそも狙うものじゃないのだろうけれど、私の場合、かなりの確率で無料アップグレードしてもらった経験があるので、やっぱりできるならば・・・と期待してしまう。
しかし、今回不思議だったのは「今日はガラガラだから(インボラは)無い」と言ったこと。
つまり無料アップグレードなんて私にしてみれば顧客サービスの一環みたいな気がするんだけれど、実は全く違う、関係ないみたいなんですね。つまり、エコノミー(ビジネスでも同じ)がいっぱいだったとする。でも乗れるなら乗りたい客がいたらどうするのか。飛行機会社はもう一杯ですとは言わない。
で、上のクラスの席が空いていれば、その新規の客にそれをあげるのではなくて、多分顧客(JGCのメンバーとか)に優先的に上の席をアサインし、空いた席を販売するということをする。これがインボランタリーアップグレードの正体ではなかろうか。
また、ああいう大手でもオーバーブッキングしてしまうこともあるのかもしれない。そういう場合は何が何でも席を確保してつじつまを合わせないとならないから、無料アップグレードなんてことが起こるのだろうし、あるいはJALでは聞いたことがないけれど、次の便に変更してもいいですよ、というボランティアを集めることもあるらしいですね。こういうボランティアは飛行機会社にしてみれば有難い存在で、マイルをくれたりキャッシュをくれたりすると聞いたことがあります。でも私はそういう場にいたこともなく、詳しいことはわからず。
ただ、無料アップグレードは決して顧客サービスが目的ではないというのは間違いがなさそう。
でもね、私が一回だけ(もう二度とないだろうけれど)ビジネス席からファーストクラスに無料アップグレードをしてもらったのは成田=香港便だったのですが、その時は飛行機全体がガラガラで、もちろんビジネスも、ファーストもガラガラ。つまり、私に無料アップグレードをしなくちゃならない必然性は全くなかったんです。不思議だ~~。
きっと、私には「この人に尽くさなければならないオーラ」が出ているのだろうと思うことにしましょうか。(爆)
実は、大阪のリッツカールトンに泊まった時ですが、その時はたまたまネットで安いのを見つけたんです。楽天トラベルで取ったはずなんですが、なんとその時にも無料アップグレードしてくれまして、二間続きのそれはそれは広くて立派な和室でした。あのリッツカールトンに和室があることさえびっくりでしたが、なぜその部屋を私にくれたのかが全くわからず。あとで調べてみましたが、和室はスイート扱いとのこと。
そのチェックインの時には半ズボンにTシャツ、スニーカーだったんですよ。私一人でした。こういう変な中年(今よりは若かった)オヤジになぜそういう部屋をアサインするんですかね。
でも泊まったのは一人でしたが、チェックインの際には友人が二人来ていまして(女性)、彼らがきっとお付に見えて、色が黒くてデブで、頭は天然パーマの半ズボンオヤジはどこか外国の酋長にでも見えたのじゃないかとあとで友人たちに言われましたっけ。
でもその和室ですが、広すぎて、そして一人ですのでなんか変な感じでした。私はそもそも和室があまり好きではなくて(一人で寝ているとあの貞子を思い出す)なかなか眠れませんでした。風呂は風呂で大きな石の風呂で、いくらお湯を入れても温まらないというアホな風呂だったし。
ま、無料アップグレードってなんじゃかんじゃ言っても嬉しいし、楽しいし、そして摩訶不思議で、私は大好きです。
今回は納骨のために日本に行ったのですが、東京へは行かず、成田経由で福岡往復でした。
ただし、丁度この時期は九州北部の大雨で大騒ぎをしていたときで、そして行くべきところはまさにその被害があった辺り。でも運よく大雨にやられることもなく、せいぜい小雨でレンタカーで走れない道路も無く(高速は大丈夫だったけれど国道は通れない場所もあった様子)、まぁ、滑り込みセーフって感じでした。
やることをやった後は何もすることがないので、別府へ行きました。それもいつもなら用意周到、ホテルでも旅館でもネットで探しまくってから行くのですが、なんと今回はぶらりととりあえず行くか~みたいな旅でした。で、別府に着いたのも夕方の5時を過ぎていまして、まともな温泉旅館で夕食つきというのは無理な時間。
ということで、生まれて初めて温泉旅館で夕食無しという泊まりかたをしました。でもこれもホテルに泊まるのと同じで結構良いかもですね。京都に行ったとき、これからは気持ちの良いホテルに泊まって食事は行きたいところに行くってのが一番だと思いましたが、別府も美味しいお店がいろいろありまして、それが良いような気がしました。
と思ったのは私だけのようで、乾癬という病気持ちでできるなら人前に出たくないヨメさんにしてみると、部屋食というのが何よりも嬉しいらしい。で、大浴場には行けないから内風呂付きじゃないと駄目。
それを聞いて、フーンじゃ済みませんから、次の日はその条件に合致する宿を探しました。これがまた良い宿で、これほど気持ちよく滞在できた旅館は過去を思い出してもちょっとないくらい。で、お値段ですが、大衆的な別府ですから、京都みたいに目の玉が飛び出るような料金でもなくてよかったです。
今回の旅はあちこちで人情に触れる旅だったような気がします。旅館でもそうだし、福岡で入った店にしても、そこにいる「人間」を感じることが出来て楽しかったし、関心しました。日本ってやっぱり凄いし、それを支える若者が一杯居るってこと。
そして今回一番有難かった、頭が下がる思いをしたのがヨメさんの母方の実家。佐賀の農家ですが、本当に心温まる人たち、生き方、そんなのをしっかり見て、また感じ、その中に居られたことが嬉しかったです。
こんなブログに書くべきことじゃないのですが、ヨメさんの実家は地元ではかなり古く何百年も続いた有名な一族ではありました。ところが女系家族で男性が極端に少なく、たった一人の男性であり大黒柱が若くして逝ってしまった。残された家族はまだ若く、幼く、右往左往するばかりで何年もしない間に、家は没落、ハイエナの餌食にもなり家屋敷は失い、資産も大幅にマイナス(借金を抱えたということ)。今では名を継ぐものもいない。
まぁ、良くある話ですが、家も何ももう残っていないのに、プライドじゃしきたりじゃってのはちゃんと残っていて、ゆかりはあっても今では(苗字も違う)遠い親族が集まってあーじゃこうじゃと口を出し、そして不思議に彼らに決定権がある。で、過去にいろいろあったことが今頃掘り返されてあーじゃこうじゃということになりそれが墓問題にも発展。
死んだものに対してもまだ言う?
そんな時に手を差し伸べてくれたのが母方の実家。プライドもしきたりも横に置いといて、優しく手を差し伸べてくれたことに関しては本当に頭の下がる思いでした。そしてその家で一晩泊めてもらい、心優しい人たちと楽しく話し食べ、飲めた一時を一生忘れることはないと思います。
で、これって私がグアムで感じた人間の優しさと全く同じものであることに気がつきました。当時の私の周りの親族もまた社会そのものも冷たく、くだらない意地やプライドの塊りで、世の中ってそういうものだと若い私は思っていたのですが、グアムで全く違う価値観に触れてびっくりしたわけです。でもやっぱりそういう優しさってあちこちに存在するんですね。
それに触れることが出来たことが今回の旅の一番の収穫でしたし、そういう中で育ったヨメさんのちょっと異常なくらいの生真面目さ、優しさ、ピュアさ、しかし見方によっては馬鹿みたいなところもあるんだけれど、それの原点がどこにあったのかを知ることが出来た旅でもありました。
家って暖かいものであるはずなのに、それが一つの組織になるとややこしいことの固まりになるんでしょうね。そういう意味では個人主義が当たり前で、心底ハッピーなオーストラリア人でくだらないことをグチャグチャ言わない雰囲気の中で我々が半生を生きることが出来たのは幸せだったし、そういう中で育った子供たちは良かったと思います。他人の目を常に意識し、言いたいことも言わず、長いものに巻かれる生き方をしないで今まで生きて来れたことには心底感謝したい気持ちで一杯です。
この生き方は今後も続けていくつもりだし、絶対にそうするべきだと思っているのですが、これこそが日本的日本人には異様に見えるポイントでもあり、それがちょっと心配。私が日本的村社会を嫌うのはこの点でもあります。
村社会も良い方向に動くときは良いんですが、異質なものを排除しようと動き出したときの怖さたるや半端じゃないと思います。今回、九州の実家がらみでそれが起きたということ。
また余談ですが、ちょうどテレビでタモリの27時間テレビをやっていて、お笑い大好きのヨメさんとずーっと見ていたのですが、あの中に私は日本人の怖さを感じました。
あの番組の原点に「団結」という言葉があったのです。
団結って素晴らしいし、それが私は日本の原動力だとは思っているのですが、あのテレビでも参加者全員が同じ目標を持ち、同じように感激し頑張る姿の中にフト怖いものを感じるんです。
これって自分の中でも良くわからないことで、団結とかには程遠い人間性を持っていると思うオーストラリア人ですが、彼らは団体戦が得意なんですね。ラグビーしかり。
皆で何かを成し遂げるときに大事なのは団結だと我々日本人は簡単に考える傾向があると思うのですが、きっとオーストラリア人は違うメンタリティーを持っているはず。この辺が20年以上オーストラリアにいても私にはわからないところ。
単に同じ目標を持っている同士が協力し合うってことだけ?
多分、狩猟民族が彼らの原点だと思えば多分それでうまく行くのだろうけれど、農耕民族の日本人としては、考え方、生き方、こまごまとした言動まで同じになることを強いられるってなんなんだろうか。
私は世界を救うことができる思考は農耕民族的な考え方にあるとは思ってはいるんですが、でもそれは決して日本の村社会ではないはず。
って、またわけのわからんことを書きましてすいませんです。^^