引っ越しを来週に控えて、いくらなんでもそろそろ準備をしようと思い、荷物の整理をはじめました。
しかしまぁ、出て来る出て来る、どうでもよいものがごっそり。
着るものは大したことがないのですが、調理実験関係が半端じゃない。調理器具もいろいろだし、こんなに買ったか?と思うのは食材。これもほとんどが「低糖質」の特別なもの。日本から取り寄せたもの、こちらの専門店の通販で買ったものがすごい量。中にはもうすでに賞味期限を過ぎたものもある。こういうのって近所では売っていないものだし、取り寄せるとなるとやっぱりそれなりの量を買うんですね。
調味料も凄い。韓国料理、中華料理、エスニック関係が続々と出て来る。瓶詰め缶詰もぞろぞろ出てきました。これらも低糖質関連で、例えばスーパーで「良し、これなら大丈夫だ」なんてインド料理に使うソースとか買うじゃないですか。でもそのうち・・って思うだけで使わずにそのままとか、一度ちょっとだけ使ってそのままとか。どうしてこんなものまで買ったのかと思うものがたくさん出てきました。私が買い物に行く時にはヨメさんが必ず小言をいうのも今になるとよく分かる。(笑)
カメラ関係の機材も凄い。それと家庭菜園(土は使わないハイドロポニックス)関係。
片付けながら頭を過るのは「断捨離」という言葉。これが世間では流行っているようですが、私の場合は全く駄目。なんででしょうねぇ。
そもそも収集癖があるし、子供みたいに何にでも興味を持つし、やるならとことんやろうと思うし、でも飽きるのも早い。物欲が強いのは自分でもわかっていて、でもブランド品、高級品が欲しいとは思わないのだけれど、興味がある分野のものはいろいろ買い込んでしまう。道具から入る性格でもあるし。
と同時に、まさにこのブログが私の性格を示していると思うのだけれど、整理整頓が得意じゃないのね。まとめるということが出来ない。計画性もないってことなんでしょう。なおかつ優柔不断。
この何でも溜め込む性格っていつからそうなったのか、フト考えてみるとやっぱりオーストラリアに来てからだと思うんですよ。
夢と希望に溢れて来たけれど、30代後半で女房と3歳、1歳の子供を抱え、オーストラリアに知り合いもいなければ仕事もないようなところへ来てしまって、やっぱり深層心理としては不安が半端じゃ無いんですね。絶対に失敗してはならないと常に考えていたし、ズボラで浪費癖もあるけれど、それだけに溜め込まないと不安でいてもたってもいられないんですね。
今でもたまに思い出したり夢に出て来ることがあるんですよ。
子供の頃からオヤジに「ダメな人間」「性格破綻者」と言われ続け劣等感を植え付けられて、でも子供だから「自分はそういう人間なんだろう」って思ったし、恐ろしく我儘で怖いオヤジに好かれたいと思って努力するんですね。認められたいという思いが強く働く。でもそれって自分の中では矛盾が拡大するばかりで、ほんものの性格破綻者になっていく。そんな幼い時代を今でも夢に見ます。
大人になってからはなぜか水を得た魚みたいになって紆余曲折もありながら、ポルシェを乗り回し夜な夜な六本木赤坂、時々銀座で(自費で)遊びまわる20代後半を経験した。でもある頃から極度の「偏頭痛持ち」になってそういう生活も簡単に崩壊。偏頭痛が出て来ると目は見えなくなるし、頭を抱えて転げまわるほど痛くて、仕事なんか出来ないわけですよ。運転も危なくて出来ない。
だから仕事もやめざるを得なくて、毎日家でコタツに入りながらテレビを見る生活になった。痛み止めの薬も強烈で、それを飲むと朦朧とするんですね。ラリってるみたいで幻覚こそ見えないけれど、何かおかしな精神状態になる。頭もボサボサ、ヒゲも伸び放題でテレビの前に座る生活をしていました。ちょっとでも悲しい映画なんて見ようものなら涙がポロポロ出てきて止まらない。将来の夢も希望もなく、このまま死んでいくんだろうと本当に思っていましたもの。でも若いわけですから、自ら終止符を打つべきかもしれないって真剣に考えたし。この時のことも結構頻繁に夢に出てきます。
偏頭痛が出て来ると痛くてどうにもならず、壁に頭を打ち付けたり、身近にあるもので頭を叩いたり「俺はもうダメだ・・」ってメソメソしていた時に、オフクロが「あんたは絶対に大丈夫。あたしの子供なんだから。絶対に諦めるな!」って言ってくれたのが引き金になって、どうにか前向きに出直そうと思っていた時に、女房と「再会」しました。どん底の時に突然、偶然かかってきた一本の電話。あの時の驚きも忘れられません。だってその3年前に一目惚れしまして、今で言えばストーカーみたいなことをしていましたがあっけなく振られてしまったのですから。でも再会してからはなぜかどんどん進んで、付き合うようになってきたんです。
そうしたらあれだけ悩まされた偏頭痛がピタッと止まってそれ以降、未だに一度も出ていません。女房とはその後トントン拍子で結婚することになったんですが、私は無職のまま。今思えば、女房もどうしてそんな男と結婚しようと思ったんですかね。私が女房の親類縁者だったら絶対にやめろと言いますもの。
結婚はしたもののそうそう儲かる仕事なんかなくて、そして食えなくて、ある時、保険証を持って五反田駅前のサラ金に行きました。その店舗は二階にあったのですが、階段を昇る足が重かったのが忘れられません。30万円借りましたが、将来の見通しもなく、世の中はバブルに入って浮かれているのに、お先真っ暗で今後どうなることかと思いました。あの時の恐怖、挫折感って凄くて、仕事をしていて支払いの金がないとか、手形が不渡りになったとか、売上が上がらない、在庫の山になったとか、そんなのとは比べ様がないくらい落ち込みました。希望も自信もないって本当に怖いことだと思ったし、ヨメさんを働かせたままで、これからどうしようと・・・。これも夢に出て来るんですよ。あの恐怖感、不安がいっぱいになって夜中に目がさめることがあります。
でもそこから復活劇が始まるのですが、今思えば運が良かっただけ、周りに助けられたという思いでいっぱいです。そしてオーストラリアに渡った。これも本当にタイミングが良くて、あのまま日本にいたらバブルの崩壊後の長い不景気の中で自分が生き延びられたとは全く、全然、これっぽっちも思いません。でもうまく日本から逃げて、オーストラリアへ渡れたのも、何か見えない力が私達を救ったとしか思えないんですよ。あまりにもタイミングが良くてトントン拍子に進みましたから。
でもその時にすでに小さな子供が二人いましたし、絶対に失敗は出来ない。日本に帰る場所も無い、それでも帰るってことはまたサラ金に行くようになるだろうと思っていましたので、だから頑張るというより、「危険には近寄らない」という生き方になりました。そもそもわけのわからない外国で、何のとりえもない自分がそう簡単に儲けられるはずがないと思っていましたから。始めた仕事もそうで、120%の力を出し切るというより、のめり込むこと無く、いつでも逃げられるような働き方。子供の遊びみたいな仕事でしたわ。
でもま、その後また運に助けられて、子供もお金のかかる私立の学校、大学、大学院を出せたし、お金がなくて困ることは一度もなかったし、それどころか一般的に言えばそこそこ贅沢な生活も出来た。
本当にラッキーでしたが、昔の恐怖、不安を二度と味わいたくないし、家族への責任もありますから、「余裕」がないと怖いんですよ。常になんでもあり余るほど無いと、無くなった時の不安が押し寄せてくるんですね。だから買い物もそうで、まだ在庫があるのに「その在庫が無くなった時を想定」して買い込んでしまう。自分でも異常だと思いますわ。
マレーシアに行くというのも私の「不安」が原動力で、夢とか希望じゃない。だから多くのロングステイヤーみたいに盛り上がれないのだろうと思います。ただマレーシアそのもの、マレーシアでの生活に関する不安は全くなくて、きっと楽勝だろうぐらいに思ってます。そうじゃなければ行こうとも思いませんよねぇ。
私の救いは女房と子どもたち。女房は私みたいな性格じゃなくて、いわゆる0型っぽいと言われる性格で、「人生、どうにかなる」という考え方。また物欲が全くない変わった女で、昔知り合った頃はファッション業界のスタイリスト。自分でもモデルをやったことがあるどちらかと言えば派手な女にしては変わった性格。私に「しみったれた格好だけはしないでくれ」といいますが、見栄を張ることは皆無で、質素な方かもしれない。結婚してから「服を買って欲しい」と言われたのはたったの一回切りで、それも700ドルですよ(笑)。ハンドバックが欲しいと言ったのも一度で100ドルもしないようなもの。ブランド品には全く興味が無い。
宝石が欲しいなんて(私が宝石屋をやっていたのに)一度も言ったことがなくて、友達にもらった夜店の指輪みたいなのを後生大事にする人。でも私は宝石屋もやっていましたから、まさか女房に何も持たせないってのもおかしなもんで、いろいろ手に入れたのですが、女房はそれを付けたことは数回あるだけ。そして結局、ある日入った泥棒に、結婚指輪も含めて全て取られてしまい、その後は運良く残った私とペアで作ったダイアモンドリングだけ。
ただし、さすが九州女で大の酒好き。そして酒癖がちょっと・・・。かなり盛り上がって五月蝿くなります。(笑)
子どもたちには私みたいに劣等感、不安まみれの人生を送ってもらいたくなくて、どちらかといえば「褒め殺し」みたいな育て方をしました。でもあからさまにそれを言うわけではなくて、ここぞという時に「お前って、もしかしたら天才か?」みたいな(笑)。これってかなり効き目があったようで、次男坊は今でも自分を天才と思っている様子(笑)。でも同じように育てても子供って違うんですね。長男は優しい、気が弱いのかもしれませんが、あるいは私に似たのか「生きることは悲しいことだ」と考えるタイプ。面白いですねぇ。でも私みたいに「劣等感と不安の塊」でもないし、一般的に言えば明るくてハツラツとした青年の部類のはず。二人共、私の望んだ以上の息子たちに育ったことは本当に感謝しているし、ここでも目に見えない何かの力があったような気さえします。
楽天的なヨメさん、しっかり育ってくれた息子たちがいるからこんな小心者の私もどうにか生きていけるわけで、もし彼らが私と同じ性格だったらきっと私はプレッシャーに負けて狂ってるかも。(笑)
要は引越し荷物をまとめながら、やっぱり自分は異常だと感じたってことなんですが、こういう性格って一生治らないんでしょうね。困ったもんだ・・。
てなことを考えながら引越し荷物をまとめていますから、全然はかどりません。(笑)
引越し先は上方向。直線距離で5メートル以内。バカみたいだわ。