日本に帰りたいと思うのは、その地に夢がなくなるから

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海外に住んでいますと、それが数年の滞在だろうと骨を埋めようとする移住だろうと、多くの人に「日本に帰りたい・・」と思う時が来る。

それは「言語の違い」であったり「現地の我慢できない習慣」であったり「食事を含む環境」、「友人関係」であったり様々。

でもそれって乗り越えるのは全然難しくないと思うんですよ。楽勝と言っても良いかもしれない。

結局、その辺の問題って心の持ちようでどうにでもなるんですね。言語だって出来なきゃ出来ないなりで生活できるようになるし、日本との大きく違う習慣も時間とともに「諦める方法」もわかってくるし、また自分も現地化する。(笑)

食べ物も自分で一切何も作れないってのならまだしも、日本食はいくらでもあるし、高い日本の食材ではなくて現地のもの、韓国中国の安いものを使って日本食が作れるようになるのにそんなに時間は掛からない。そんなことを自分でも発見するようになるし、いくらでも情報は入ってくるようになる。そして当然、星の数ほどある現地の料理の中に好きなものもできてくる。

結構大きな要因となる人間関係にしても、日本人が好きならそれはそれで自分に合うつながりもいつか生まれてくるし、現地人の中に入り込むきっかけに自分が気づけば、それを広げることが出来る。

つまり、海外住まい初期の頃の心配とか不安って意外にどうにでもなっちゃうんですね。でもそのハードルを超えられない人もいるのは確か。

私が気になるのは、そういうハードルも超えて、「自分はここの住人だ」と思えるようになっても、またいつか「日本に帰りたい病」が出て来るってところ。そしてそれって乗り越えてもまたいつか出て来るのね。本当に病気としか思えない。(笑)

私もそれで周期的にそんな風に思うことがありました。でもその理由がなんなのか良くわからないんですよ。郷愁といえばそうなのかもしれないけれど、では一体、日本の何に郷愁を感じているのかを考えてもわけがわからない。それどころか長い間住んでいると、自分も日本人で日本人の国籍を持っているのに、現地の方が生活しやすいし、国籍を変えようか、このままここで死んでも良いと思うくらいになってくるわけで、逆に住んでいるところからちょっと離れてみると、いつの間にかそこが自分の故郷になっていることに気がつくのね。

俺の故郷って日本じゃなかったっけ?なんて自分の変化が理解できないことも起きる。

そして実際に日本に帰ろうなんて想像しても、なんだか日本のほうが外国のように感じるようになってくる。

仕事で海外に長い人が、退職してから結局は海外に残るケース、あるいは他の国、例えばマレーシアに住み着くケースが多いのはそういうことだろうと思うんですよ。

でもそれでも「日本に帰りたい」あるいは「ここを脱出したい」って思う瞬間はなくならない。

これの原因ってなんだろうって考えてみても良くわからず。

でもフト思ったんですよ。そもそも「自分はどうして海外に出ようと思ったのか」。きっとその時と同じことが自分に起きているだけじゃないかと。

結局、自分が住む地に夢を感じなくなる。他国に夢を感じるようになる。ただそれだけじゃないかと。私が日本に帰りたいと思うのも、外国を見るように日本に今まで気が付かなかった夢を感じて、「ロングステイしたい!」ってのと同じかもしれない。今いる場所が別に何が嫌だの我慢ができないとか、そういうことじゃないのね。

海外に夢を抱いて海外に出た人って、それだけ思いも強く、実行力があるんだろうと思うけれど、ある意味、それをやったという「前科者」であるわけで(笑)、また「再犯」を起こすんじゃなかろうか。

でも歳を取っているとその時に動こうと思っても、あの時みたいに簡単にはいかないことに気がつく。

やっぱり若さって凄いと思うし、思い切りの良さは歳を取ると消えていくし、自分に順応性がなくなっていくのもわかるから、どうしても尻込みしてしまう。だからこそ、マレーシアに行きたいと思っても、MM2Hを取っても、未だマレーシア上陸はならず二の足を踏んでいる人も多いんじゃなかろうか。逆に、今を逃すともう行けなくなると慌てる人も多いかもしれない。

で、歳をとっても動ける人は幸せで、動きたくても動けないような歳になるってことも考えないと駄目だと思うんですよ。これは私のKLに住む両親を見ていて感じるんですが、彼らはもう日本には帰らないと決めた。でもそういうワガママが言えるのは娘が同居しているからでしかなくて、そういう面倒を見てくれる同居人がいないにしても、自分で自分のことはできるからそう思えるのであって、でもいつかそれさえも出来ない時がくる。私の両親で言えば、もし姉に何かあったらどうなるのか。

結局、海外に住むと、この「最後をどう生きるか」ってのが一番重要になってくると私は思っていて、元気な内に「俺はここに一生住むぞ~」なんて張り切っても、自分が動けなくなる時は必ず来るし、「俺はもってんど~~」なんて安心していた資産、収入も長い時代の流れでどうなるかわからず。ましてや年金も無ければかなり大変なことになる。普通、働けなくなってからでも20年やそこらは生きるんだから。その分ぐらいは持っていると思っても長い間にインフレがどうなるかはわからない。

あるいは、「その時はその時で、また自分に合う場所を探して移動する」、なんていう人は若いからそんな夢みたいなことを思うだけで、自分が体力も精神もガタガタの、そして金も収入も怪しい80,90になることを想像できないのはアホかもしれない。

そんなのは考え過ぎだと思ったら大間違いで、それが事実、今の日本で起きている問題。普通に働いて普通に貯めて、普通に年金をもらえば生きていけるはずだと誰しもが思った。それなのに気がついたら「下流老人」なんて言われるようになってしまって、どうにもならず自殺したり。だから今のうちに海外に活路をなんて思っても、海外に出たらもっと危ないことになることを想像できる人は多くはない。

海外でこういう状態になるのは非常にうまくなくて、その時になってやっぱり日本に帰るしかないか・・なんて思っても、その時にはとっくのとうに自分にとっては「日本が外国になっている」のね。極端に言えば、日本に住んでいたのが齢をとったら外国へ行けと脅かされているのと同じ状態になる。

でもオーストラリアの私の周りにはそういう心配をしている人はほとんどいない。この国は老人を見殺しにするようなことはないから。年金だって掛け金なんか払ったこともないのに、夫婦なら月に20万以上もらえる。病気になってもたとえそれが持病の悪化だとしても(公立病院なら)ほとんど無料。

こういう国を捨てて海外に出てしまう自分たちは危機意識がないような気がするし、マレーシアを気に入ってどんどん歳を取り、70を過ぎ、80を過ぎ、相方の顔を見ても「はじめまして」なんて挨拶をするようになって、年金もない、インフレも凄くて自分の資産なんか屁みたいなものになったらどうなるのか。

これって決して遠い将来じゃなくて、10年20年後には私もそうなるリスクは十分にある。それどころか5年以内に死んでも全然不思議じゃない。

自分一人ならどこで野たれ死ぬのも良いと思っているけれど、ヨメさんにもそうしろ、楽しい思い出だけで生きろとはいえない。

どうなっちゃうんでしょうかね~~~。でも頑張るしかない。(笑)

もし夫婦揃って野たれ死にそうになった時には、とりあえず日本行きの飛行機に乗せてくれと誰かに頼んでおくしかないね。(笑)

計画がうまく行けば日本で介護付きのシルバーマンションと契約して、そこを拠点にあとは好き勝手に世界を放浪するか。

息子達に、やつらが初めて見ると思うような真剣な顔をして、「俺達の老後は頼む」って言ってみようか。(笑)

長男はきっとすぐさま「良いよ」っていうやつ。でも頼もしいかというとそうでもなくて、私ら夫婦とあいつと3人でどこで野たれ死ぬか考えないとならないかもしれない。(笑)

3人で次男坊に助けてくれ~~って言ったら次男坊はなんていうかなぁ・・・。(笑)

ま、どっちを見てもリスクばかりで思うように行くことはないのだと割りきってしまえば好き勝手に生きたもん勝ちみたいなことになるんだろうけれど、そう考えるのはやっぱり「どうにもならなくなった老人の恐怖」が理解できないからじゃないかと思ったり。

KLの友人に聞いた話ですが、彼女が日本人会館に行った時に、ある老人が日本人会の職員の人に「私はもう食えない、どうにか助けてくれ」と懇願していたとのこと。どうもこの話が気になるし、その老人が10年前にはどこで何を思いながら生活していたのかが非常に気になります。

まさか、物価は3分の1で年金でも生活できるって話を信じちゃったのかな?

あの話って本当に大雑把で、年金だっていろいろで国民年金の人もいれば、持病を持っている人もいる。年寄りになったら身体も頭もイカれてくるのに、その時にはどうするのかって詰めが甘くて、良い話ばかりが先行した。せめてその時には帰りましょうって話もあれば良いのだけれどそれもなくて、一生住めるという話だった。これじゃ、老後はどうにかなると期待する人も出て来るでしょう。でもちょっとでも大きな病気をしたり、為替の動きだけでドキドキする自分に気がついて現実を知るんでしょう。

でもそんなうまい話をそもそも信用する方がおかしくて、為替がちょっと動いただけで大騒ぎするようで海外住まいが出来ると思っていたんだろうか。

数年前に知り合った人で、「日本を綺麗さっぱり整理して移住しました」「英語は全然わかりません」ってご夫婦がいたけれど、今はどうしているんだろうか・・・

リスクは想定できないからリスクなのであって、考えすぎても面白くないのは確か。でもあまりにも簡単に考える人が実際に存在するって一体なんなんでしょうねぇ。

でもそれでも良いと思うんですよ。ちゃんと帰るところがキープ出来ているのなら。若い人だとすれば日本に帰っても食える環境を確保出来る人なら。

そうならどんな理由で帰ることになっても「良い思い出が出来た」と一生その話をし続けることが出来るはず。

あるいは、このままでは野たれ死ぬのが見えていて、それの延命に頑張るという生き方もあるのかもしれない。でも海外では一切のセイフティネットはない。日本は酷いどころの話じゃなくて、日本はあれでも天国のはず。セイフティネットを言うのならオーストラリアも天国。

でも私たちには「帰るところ」がない。なくなる。どうしませう。この不安感ってかなり大きい。気になるのは私が逝った後のヨメさんで、絶対に海外で一人で住めるわけがないと思う。気がかりはヨメさんの将来だけと言っても間違えがなくて、私が死にそうになったら「一緒に逝こう」って誘うかな? いやだーーってギャーギャー騒いで逃げまわるか。(笑)

 
 
 

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