「強者のみが勝つ」世界が変わる。でも弱者の理想は成就しないと思う。

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しかしまぁ、世界中が混乱の渦中にどっぷり入ってしまったような感があります。アメリカはトランプ氏が大統領になりそうですが、それも皆に喜び迎えられる大統領ではなくて、権力の中枢が罵倒するような状態。でもトランプ攻撃が激しくなればなるほどトランプ氏の支持率は上がる。それだけ「民衆の怒り」があるんでしょう。

混乱という意味では中国も同じで、習近平の独裁政治が世界を、国内を引っ張っていくかと思ったら、やっぱり案の定、足元が崩れだしたという報道もちらほら出てくるようになった。ただ中国の場合は「民衆の怒り」が爆発したというより、権力闘争がはっきり見えてきて、習近平の抑えが効いていない状態。これって民主主義社会なら「交代」の兆しになるけれど、独裁政権の場合は「独裁者の暴走」が懸念される。これは北朝鮮も同じで、独裁者自身が我が身を守るために何をするかわからない。

世界のトップの二国がこんな状態で、それに世界は翻弄される。日本って経済的には世界第三位だけれど、まるで存在感がないですね。

この動きって私に取っては「不安」なんですが、そう感じるのは「現状維持」が良いと思っているからで、「世界に変革が必要だ」と感じている人たちにとっては喜ばしいことなんでしょう。

この点は私の中にも自己矛盾があって、今まで世界が進めてきた「新自由主義」「市場原理主義」等それらを含めて「グローバリズム」と呼ばれて皆が絶賛した方向性は「そうあるべきではない」と私が常に思い、そうブログにも書き続けてきましたが、ではそれが崩壊し始めると不安を感じるというズルさがあるのは間違いがない。本来なら、この世界の変化を喜ばなければならない立場の私が、このままで大丈夫かよ、と思う。

私が感じるこの大きな変化は、一口で言うと「既得権益を持つ者」と「もたざる者」との戦いであり、あるいは「強者」と「弱者」の戦いであるように思います。私がグローバリズムに反対してきた理由は、それは「勝ち組」の論理だから。ライオンもウサギもネズミも狼も「皆、フリーで頑張りましょう」というのが今のグローバリズムの原点で、「一つの明確な基準を作って世界をまとめよう」というグローバリズムではなく、「基準をなくそう」というメチャクチャなものに思えるのです。

「規制緩和」「関税廃止」「市場原理主義」が素晴らしいことだと思うのは、やっぱりそれは「勝ち組」であって、その方が勝てるからでしょう。ルールを緩和する、自由にすると「誰にでもチャンスがある」というのは錯覚でしか無いのに「負け組」も「俺達にもチャンスがある」と乗せられてしまう。これが世界の悲劇で、格差拡大を招いた元凶だと思うわけです。

「チャレンジ」が大事なのは当たり前だけれど、勝ち残るのは「チャレンジをした者の中の一部」でしかなく、力がないもののチャレンジがどこまで有効なのか、そしてチャレンジできない人たちはどんどん取り残されていく。ま、それが世の中の常で、それこそが真理であるというのは間違いが無いのだろうけれど、私にしてみるとそれは「畜生の世界」に見える。

人類が求め探してきたのは「勝ち組が勝つ世界」ではなくて「再分配が機能する世界」であるはず。

ま、「そんなのは甘っちょろいね」と言われればその通りで、私もそう思いながら「負け組」になってたまるかと思いつつ生きて来た。でもそれが本当に正しいのかと自問自答すれば、やっぱり違うと思う。

そして今、負け組が動き出した。それも世界一の経済力、影響力のあるアメリカで、グローバリズムを提唱し広げてきた本家本元が崩れだした。

これって「世界の崩壊」だと思うわけです。でもその世界とは「戦後作られた世界のシステム」という意味であって、その崩壊が悪いわけではないし、あるべき世界に向かう「生まれ変わり」なのかもしれない。

これは中東のゴタゴタも同じで、我々は騒ぎを起こす連中に「悪者の烙印を押す」けれど、その騒ぎの根本を作ったのは「世界の強者」であって、その身勝手な行動でメチャクチャにされた弱者の怒りが中東問題であるはず。マレーシアのアンケートでアルカイダやISISに対し、それなりの理解を示す国民の%が意外に高いことに驚いたけれど、イスラム世界の中には「世界を壊したのは誰か?」という認識があるからだと思うし、過激派に賛同こそしないけれど、過激派の気持ちは理解できる部分がある。それどころか「あいつらは悪だ」と決めつけて「自分たちがやったことは棚に上げて」、無人機を含む近代兵器を使い彼らを抹殺しようとする「今までの強者」のやり方に反発する動きが世界にあるのも間違いがない。

北朝鮮を見ていてわかることは「核兵器の力」。核兵器を持つ国には世界が一目置かざるをえないのは北朝鮮は十分理解しているし、強国の甘い言葉に乗せられて核兵器開発を中止した国は、後にうまく消された。イラク然り、リビア然り。これじゃ北のお坊ちゃまは「核を持たねば消される」と考えるのが当たり前。でも強国は「俺達は良いけれど、お前は駄目」と核兵器も持たせない、ミサイルの実験も許さない。

でもその抑えが世界をまかりなりにも安定させてきたのは間違いがないけれど、それは強いから弱いものが言うことを聞くだけのことであって、警察の力が弱まれば法の厳守は出来ない。そしてそもそもその法は「強者が勝手に作ったもの」なのだし、「警察」とは権力側がつけた名称でしかなく、逆の立場から見れば「力を持ったヤクザ」でしかない。

でもその警察が「世界を守ることをやめる」と言い出した。これによる世界の変化はすでに出ていて、中国の南・東シナ海での動き、ロシアの動きに顕著。イランもいつかは核を持つだろうし、そうなればサウジも黙っていないしすでに水面下で動き出している。

でも「勝手にやれば~~」とアメリカは見て見ぬ振りをしだした。

恐ろしいと言えば恐ろしくて、グローバリズム絶賛の後に残ったものは「本物の無法地帯」の様。勝ち組が力をつけて国が機能しない。税も取りやすいところから取るしかなくなった。

一般個人としては何が起きても生き抜く力を付けるしかなくて、今の「弱者の反乱」のような動きが良い方向に行くとは思えず。これは国も同じで、強くなることを拒否して「話し合いで・・」とこんな時代でもいう政党が伸びているような日本はかなりややこしいことになるはず。理想論で世の中が動いたことは人類史上一度もないのに、そして「話し合いだけで自分の生活の中でも思うとおりに動いたことは無いはずなのに」「力とは、交渉力とは何かを理解せずに」その理想に向かおうとする人たちが増えている。日本はこれで大丈夫なのか。

でもま、それもまた世界の歴史であって、また子供が大人になる間に経験することと同じで、それで失敗したらまたそこから立ち上がるしかなくて、「それじゃ駄目なんだよ」なんて言っても無理。それを言っても相手も同じことを言うだけのことで、理解度の差は埋まらない。また理想が通る世界だから存在意義があるのであって、それが通らない世界なら消えていっても良いと思うのかもしれない。これってまさに若い時に感じることと同じ。「壊してしまえ」というのが日本共産党の原点。

でも国はそうはいかないだろうよ、というのが保守系の考え方じゃなかろうか。面白いのは「日本は変わらなければならない」と主張するのが保守で、いやいやこのまま行こうというのがリベラル(笑)。なんなんでしょうね、逆じゃないですか。

でも民主主義の世の中だから、民が選んだ方向へ行くしか無い。

私は国粋主義者だから今の日本を見ているとどうにもならないなとは思うものの、自分の生き方としてはとっくの昔から「世界で生きる」ことを選んでいるわけで、ま、こういうのが一番狡いのだろうと思う。(笑)

日本という国は世界で一番好きで、大事な国だけれど、その国と一緒に沈むわけにはいかない。「かつて日本という素晴らしい国があった」という語り部になるのもよいのかもしれない。

国が滅んでも(自主性の喪失という意味)一緒に滅ぶわけにはいかない。我が一族は必ず「自由を確保し」生き残ると新たな決心をした2016年。

もしかしたら「日本に依存しない」と国民が考えたら日本は良い方向へ動くのかもしれないと思ったり。「国に助けてもらおう」と思う気持ちが重すぎて国は沈むのかもしれない。でも勝ち組を放置すればそれに国は食われる。

ま、世の中ってどんなに体裁を繕っても「野蛮な畜生道の世界」なのかもね。理想論を言う平和主義者も人権派も所詮「個人の利益」に拘っているだけかもしれない。「権利」に拘るばかりで現実社会を見ていない様に思える。目線を自分中心から離すことができていない。でもま、それは私も似たようなもの。

これから世界は今生きている世代が経験したことのない世界になると思う。あの大戦前ってこんな感じだったのかな?

 
 
 

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