前々から思っていることですが、そしてそれは多くの人が言うことですが、この国には我々日本人から見るととんでもなく仕事も出来ない、サービスもできない、「無能に見える人」が多いってこと。
でもそんな国が発展できるわけもなく、私が遭遇する「底辺の人たち」とは違う人達がいてこの国を動かしているのだろうと思うわけです。
ツインタワーを見るといつも思うのですが、あそこにオフィスを構え、そこで働くマレー人ってどういう人達なんだろうって。多くは中国人、外国人だけってことはありえないはず。
またマレーシアに上陸し、人と出会う機会が増えてくると、「やり手だなぁ」と思うマレー人がいるのがわかってくる。当たり前ですよね。そういう人たちがいないはずがない。
でもやっぱり不思議だと感じます。
我々日本人は「力を合わす」ことが重要だと考えるし、それぞれがしっかりしていないと組織は動かないと考える。平均点の高さは非常に大事だと考える。
そういう価値観でマレーシアを見ると「危ないなぁ」と思うわけです。
ただ最近、日本や海外、世界を見ていて感じることは、「平均点の高さより、【天才】がいるかいないかの方が大事」だと思うようになったのです。リーダーがしっかりしていれば、マレーシアのように頭脳も労働力も海外に依存することによって発展できる。
ところがいくら優秀なその他大勢がいても、日本のあのいくつかの大企業が簡単に傾いていったようにリーダーがしっかりしていないと簡単にダメになるのを見てきましたよね。
そういう意味で私は今の日本を憂いでいるのですが、政府も国家公務員もきっと狭い範囲ではすごい人達なのだろうけれど、結局、それは部長どまりの才能であって、社長が持つべき能力が無いように感じるのです。シャープにしても東芝にしてもトップはすごい人達でしょう。企業そのものが一つの国と言っても良いくらい大きい。
ところがもっと高いところから俯瞰してみれば、所詮小さな集まりでしかなく、その中のトップがその組織のことだけ、目先のことだけを考えるようになると、世界はうまく動かない。そんなことを東北大震災の頃から我々は見せつけられているような気がするのです。
ところが絶対的な権力を握った天才が一人いるだけで、「世界は変る」のだろうということも見えてきた。世界のリーダーであるはずのアメリカの大統領がちょっと甘いだけで世界は簡単に混沌の世界に入っていってしまうのを我々ははっきりみたし、でも大国とはいえないロシアでもあれだけの指導力があるプーチンが動けば世界も動く。
北朝鮮然り、あのお坊ちゃまの良し悪しは別にしても、力がなければ何も出来ないってわけじゃなくて、したたかな計算と行動力があれば世界は動く。
日本にはその力がない。そんな風に感じるのです。
そういう意味で、私はマハティール氏は天才だと思っていて、彼が何もないランカウイ島で空を見ながら何を夢見て、計画し、それを実行に移したかを想像するとワクワクしてくるのです。当然、彼をサポートする人、団体、組織があったでしょうが、やっぱりそれはマハティール氏の求心力があってこそだと思うのです。
それと企業も同じようなもので、しっかりしたリーダーがいて、それを補佐するこれまたしっかり者がいれば、「一般の従業員のレベル」が低くてもどうにかなるんだろうと。
たいしてあてに出来ない従業員しかいなかったら、それでも仕事が回るようなシステムを作れば良いのであって、日本みたいに一人ひとりのスキルの高さがなくても大丈夫なことってあるんだろうと。
当然、それで出来ること、出来ないことがあるけれど、足りない部分は「海外の頭脳、労働力を使う」ことによってどうにかなる。
サービス業みたいに教育や知識の前に「サービス精神」が大事な業種はそれに長けているフィリピン人を多用すれば問題解決できるのは、この1ヶ月間に私でも気がついた。
日本ってなんだかんだ言ってもまだ「精神論」みたいなものが幅を利かせていて、でもそんなのは全く関係ないマレーシアでは「利用できるものを利用」し、そのコストがでるのならそれでOKという考え方こそ、私は欧米的であるし、今の時代に合っていると思うくらい。
ま、そんなことをマレーシアを見て想像しています。
きっと私は企業にしてもこの国の中枢にいるような「出来る人たち」とはまるで接点がない生活をするはずですが、いつか「この国を動かす人たち」に会ってみたいという願望はあります。
マレーシアって学ぶべきところが満載で面白いと思います。でも上から目線で、あるいは違う歴史を生きてきて違う価値観をもつこの国を「日本の価値観」で見たら何も見えないはずで、それだけはしないように自分に言い聞かせています。