パンタイ病院に行ってきた。「下肢静脈瘤」の手術ってかなりお金がかかるらしい。

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パンタイ病院のラウ先生のところに行ってきました。

なぜラウ先生なのか?

我が家としては別にラウ先生でないとならない理由はないのですが、10年前にMM2Hのビザを取り何度か行き来をしている間にラウ先生にお世話になることがありました。また私の年老いた両親も10年前からラウ先生です。両親に取っては「日本の医師にかかるのと全く同じ」感覚なのがよいんでしょう。またいろいろと融通がきいたり。

ラウ先生に会うにはパンタイ病院の受付等を通す必要はなくて、ラウ先生の事務方に電話をかけてアポを取ってからパンタイ病院の7階のラウ先生の部屋に直行です。町医者に行くのと全く同じ。

ラウ先生は相変わらずニコニコしていましたが、御年80歳になるとのこと。頑張ってますね。

話をしながらフト「最新の医療事情」とかわかってるのかな?とか思いましたが、ラウ先生が診察、治療をするわけではなくて、いわゆる「ホームドクター」であって「専門医を紹介してくれる」立場だと考えればOKだと思いました。

息子と二人で行ってきまして、「今の心配事」をズラズラとラウ先生に説明(日本語)しましたが、それぞれ「専門医に見てもらいましょう」という話で、今回は

○ 血液検査

○ 尿検査

をしました。ラウ先生は「血圧」を測っただけ。

検査内容ですが、一般的な項目だけではなくてリクエストした項目があります。

○ HbA1c (空腹時の血糖値は自分で測れる)

○ ピロリ菌

○ アレルギー

えーと、これだけだったかな・・。^^

血液と尿の採取ですが、7階のラウ先生の部屋ではなくて2階のラボでやりました。私はデブで色黒で、手の静脈がはっきり見えないんですよ。ですから過去には下手くそな医師に何度も注射針をブスブス刺されたこともありましたが、パンタイのラボの医師は上手かったです。

大丈夫かなぁ・・と思っていたのですが、見えない静脈を指で探し当てて一発で針を入れました。今までの経験でもこれほど上手い医師、看護婦はいなかったと思うくらい。

尿はお手洗いに行って、容器に入れて出すだけ。

結果は2日後に出るとのことで、3日後にまたラウ先生のところに行く予約を取りました。その結果を見ながら具体的にどうするのかを決める予定。また薬もそのときに出してもらいます。

この日にかかった料金ですが、二人で800リンギでした。料金はラウ先生の部屋で事務方に「キャッシュ」で支払い。

保険は一切なしですが、こんなもんですかね。二人で23000円ぐらい。HbA1cの検査って高いみたいで、それを頼んだ私の方が息子より100リンギ以上高かった。

私が気になることって実はいろいろありまして

○ 下肢静脈瘤の手術

○ 大腸ポリープの検査、除去

が主ですが、その他にちょっとブログには書けないことが2つ3つ。(笑)

一応、マレーシアで安心してできるのならやるという前提ではいますが、そうするとはっきり決めているわけではなくて、「日本に帰って日本でやってもらう」選択肢はまだ残してあります。

とりあえず専門医にあって検査をしてもらい、今の私の状態、手術の説明を聞いてみようという段階でしかありません。

読者の方から、その方の奥様、また共通の知人H氏が「下肢動脈瘤の手術」を受けたのをコメントで知り、そういえばそんな話を聞いた覚えがあると思い、SNSを検索してみました。

すると2017年にH氏が「3日間の入院」で「片足だけ」手術を受けたときに3万3千リンギット掛かったとのこと。

両足だとどうなるんだ?なんて計算してみると目眩がしてきそうですが、「お金がかかるから手術はしない」という選択肢はないわけで・・・・・。

ところが日本の情報をネットで見ていますと、かなり簡単に見えるんですよ。「日帰り手術も可能」な病院もあるし。

病状や手術方法によって違うのでしょうが、その辺は今の時点ではなんらわかっていません。(H氏の場合は単純な下肢静脈瘤ではなく、元に「動脈瘤」があったかなりややこしいケースなのがわかりました)

とりあえずマレーシアの専門医に会い、検査を受けてどんな状態でどんな手術が必要でどれほど経費がかかるのか聞いてみようと思っています。

しかしまぁ、歳を取るといろいろありますねぇ。

この他に大腸ポリープの検査・切除もやってもらわないとならないし(実は大腸がんが気になっている)、その他、いくつかありますので今年は医療費だけで恐ろしいことになるかもしれない。orz

人生100年という時代に入りましたが、医療費がどれだけ掛かるのか全く想像できず。怖い時代になりましたねぇ。80の声を聞く頃には重篤な病気に罹っているのがわかり、そのままズルズル100歳まで生かされたなんて悲惨なんてもんじゃないですね。私の両親は90歳ですが、ずーっと姉が同居して面倒を見ています。もし姉がいなかったら両親の生活は全く成り立たない。それはこの10年近く全く同じ。両親ともども病院に行ったり来たりということが無いのはありがたいですが、そろそろ歩くのもおぼつかないし、いつか車椅子の生活になり、あるいは寝たきりになったり、ボケてわけのわからない言動をするようになったらどうすりゃいいのか。

その両親を見ていると、私達夫婦の場合は80歳になったらそれなりの施設に入るしか無いと思うわけです。私はまだしもヨメさんのことを考えると日本に帰るしか無いと思っていますが、そういう施設を調べるとかなりお金がかかるのがわかる。入居時にウン千万円で毎月二人で50万円みたいな。そして当然、医療費は別。QOLに拘ったら倍以上のお金がかかるのもわかる。

100歳まで生きて、でもお金がなかったらどうなるのか。本当に恐ろしいと思います。

私の知り合いで、80代ですが「大きな病気に罹っても治療はしない」なんて言う人がいますが、それは私の両親も同じことを言います。でもこれって「ピンピンコロリ」を想定するのと全く同じだと私は思っていて、たとえ重篤な病気に罹らずとも、心身ともに老いてきてそのままズルズル100歳まで生きたらどうなるのか。

私の母方の祖父は100歳を超えても自転車を乗り回すぐらい元気な人でしたが、やっぱり最後の数年は寝たきりで娘が同居して面倒を見ていました(老老介護)。(父方の祖父は20年、寝たきり)

子供に面倒を見てもらう考えはない、なんて言うのは簡単ですが、では自分で自分(とヨメさん)のケツを拭くにしても「生きるだけ」の為にも一体どのくらいのお金がかかるのか全く私にはわかりません。ネットで「老後に掛かるお金」なんてのを調べてみても、どれもリスク管理を無視するものばかりで、そして「今の状況がそのまま何十年も続くという前提」に立っていて、何か自分に、家族に、世界に起きたら路頭に迷うような試算だと感じます。基本的には「あてにはできない」にしても国や自治体、そして子どもたちの助けなくしてはまっとうに死ぬのは無理なんだろうなと思ったり。

かつての「姥捨て山」システムってやっぱり大事だったんだろうなぁなんて思う今日このごろ。また私は「もはやこれまで」と思うときが来たら、それで終われるシステムってあっても良いんじゃないかと思う。

 
 
 

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