今回の日本滞在は15日間で、泊まったのは全てそこそこのホテル。
外国人観光客が増えているのでホテル代も上がっているとは聞いていましたが、たしかに高い。マレーシアに比べたら2倍から3倍はする。金額で言えば1泊一部屋3万円なんてのは普通で、ちょっと良い部屋が良いなんてことになると4万円の上になってしまう。かと言ってそれはまだスタンダードクラスでエグゼクティフロアなんてことになればこれにまたプラスアルファがつく。
とんでもない時代になったと思うけれど、これってオーストラリアに比べるとまだ安くて、それどころか日本には世界の金持ち用の良いホテル、部屋がないなんて話も聞く。マジっすか?なんだか自分だけ時代に取り残された感じがします。
でもそれって長い間デフレだった日本的金銭感覚を私も引きずっているからそう思うだけのことで、他国のようにきっちり成長して所得も上がっていればこれらの価格もリーズナブルと感じるのかもしれない。
食事も高いと感じます。
そりゃお腹を満たすだけならいくらでも安くできるけれど、久しぶりの日本となればあれも食べたいこれも食べたいと思うのが普通で、でもケチっているとろくなものが食べられない。そんなことはわかっているんですが・・。(笑)
せめて東京なら東京に住んでいれば多くの情報が入るし、コスパの良い店の常連になるなんてこともあるのだけれど、浦島太郎みたいな私はどこへ行ったらよいのかもわからない。口コミを見ても、なんでこんな店の評価が高いんだ?なんて思うことは全世界共通で、もちろん東京でもあてにできない。
要は「頑張って稼げば解決する」ってことなんだろうけれど、私としてはなんだか納得できない東京滞在の日々が過ぎています。
いやいや、多くを望みすぎているんでしょう。
ところが私としてはグルメでもないし高級な食事をしたいとも思っていなくて、「普通」の食事がしたいだけなんですよ。
でもなんとなく気がついたことは「昔の普通は、今の贅沢である」ってことのようす。
長いデフレの中で、そして流通や技術の進歩によって世界中から多くの安い食材が入ってくるようになった。これって30年ぐらい前から「中国産の安かろう悪かろうの製品」が日本に押し寄せて混乱があったように、食品の世界も同じなんだろうと思うんですよ。
当然、どうにもならないようなものは淘汰されるにしても、そこそこのものは受け入れられて広がっていく。でもかつてのようなレベルは保られていないってことのような。
特にそれを感じるのが魚、それも干物の世界。
かつては小ぶりだけれど美味しい「鯵の干物」が普通にあったけれど、それは市場から姿を消して、干物の生産地でも地元の魚ではなくて冷凍の安い外国産を使うようになったと聞きます。それじゃ美味しくないにしてもそうしなければ売れないのだそう。
では昔ながらの地元の美味しい鯵の干物は?なんて探してみるとあることはあるけれど、結構なお値段。
ああああ、塩鮭もそうですよね。
我々の年代が昔、普通に食べた美味しい塩鮭はスーパーでも売っていないのが普通らしい。
今の塩鮭は切り身を塩水につけるなり、塩をして速攻で出荷するという。
確かに塩辛い鮭ではあるけれど、「熟成」という大事な工程が省かれちゃっている。
今の時代に、かつてのような手のかかる塩鮭を作っても値段が高くなって売れないそう。
でも昔ながらの製法を守っている生産者もいて、そういうところはネットを通して直売。これはこれで結構、評判もよく売れていて「完売」とか「予約が必要」なんて所も多い。
つまり「かつての普通のもの」は「今は特殊なもの」「贅沢なもの」「高価なもの」になってしまっているってことじゃないかと。
だから繁華街にある居酒屋みたいなところに行っても美味しい海産物なんてない。素材の見た目も名前も同じだけれど、昔なら市場に出てこなかったようなものが巷に溢れている。かつて赤坂に美味しい炉端焼き屋があると聞いて行ってみたら、たしかに美味しいけれど、一人1万円じゃ全く足りない値段。(@_@)
かつて私の両親が住んでいた世田谷は桜新町に、ちょっと有名な安売りの魚屋があったのを思い出します。
ある時、そこに行きましたら、見た目も立派なアジが一山500円ぐらいで売っていた。こりゃ安いと思って買ってきたら全く美味しくない、見た目は良いし新鮮なんだけれどパッサパサでオーストラリアのアジにそっくりだと思ったもんです(マレーシアも同じ)。
アジなんて平凡な魚は日本全国、世界各地、どこででも穫れると言っても過言じゃない。でも見た目も良くて新鮮でも全く美味しくないアジが存在するのは海外在住者ならよく知っていること。
これは日本国内でも同じで、美味しくないアジだってあるんですね。でも築地(豊洲)に荷を出すにしても、季節によっては美味しいアジが穫れる地域から大量に入ってくれば、美味しくないアジなんて値がつかない。だから業者も出荷しないし、漁師も獲らない。
そうやって美味しいものが市場に集まるような仕組みがあったのが、デフレのせいでしょう。「安いことは良いことだ」と市場を通さず産地から直接販売店に流れるルートもできてきた。
そして大手のスーパーなどではそういうものが多くを占めるようになったってことじゃないんですかね。だから「安いけれど美味しくない」なんてのが増えてきた。
これはアジに限らず、どんな魚でも同じで、とにかく安いことが大事で、モノの良さ、美味しさは二の次。
今の日本はそういう時代になってしまっているのだろうと私は想像しています。食も文化の一つだけれど、世の中の景気が悪いとどんどん衰退するんじゃないですかね。
だからモノは豊富にあるけれど、昔のような美味しさがなくなっているんじゃないかと。
回転寿司の価格競争もこれに拍車をかけているような気がします。
お台場の回転寿司屋で食べたマグロ3種。こういう美味しくないマグロは普通に出回っているけれど、昭和の時代にこういうのを見た覚えはない。
こんなレベルの回転寿司でも普通に食べれば3000円近くになる。マジっすか。
安いお店はいくらでもある。ところが「こんなマグロが世の中に存在するのか?」なんてものが普通にある。それは他の魚も同じ。貝類も同じ。
私は貝類が好きだけれど、昔、普通に食べた貝類は今の安い寿司屋で見ることはなく、海外産の「似ている貝」が流用されている。本物だとしても昔のような美味しさはない。これはタイラガイもそうだし、小柱なんてかつての味がするようなものは、この20年、見たこともない。
これはやはりお台場のそこそこの料金を取る寿司屋の貝三種。右からホタテ、赤貝、ミル貝。ホタテはまだしもこんな赤貝、ミル貝は見たこともないようなもの。これ、本物の赤貝、ミル貝なんだろうかと疑いたいぐらい。きっと世界の隅々を回って探して来たんでしょうね~~。
このレベルでちょっと食べれば5000円を超える。納得行かないなぁ。(でも予算を1万円まで上げるとそこそこの寿司は食べられるのも確か)
ホタテもそうですよね。肉厚で美味しいホタテなんてなかなかお目にかかれないようになってしまった。
でもないわけじゃなくて、探せばあるけれどとんでもない価格になっている。
全てが万事、そんなふうになっているのを私は感じます。
だからどこで食べても、「なんか違うなぁ」「こんなはずじゃなかった」みたいなことをいつも感じる。
今の時代、かつて私達が普通に食べていた美味しい魚介類を食べようと思ったら、それは「高級品」になって手が届かないようになってしまったってことじゃないんでしょうか。
魚の干物もそうで、庶民の味方だった干物も今では1枚700円以上出さないと美味しいものはない。てなことを、かつては魚市場の仲卸だった私の親父がすでに30年前に言うようになっていた。(笑)
ところで世の中では「卸売市場不要論」があるとのことでびっくりしました。
私は卸売業者の目利きが魚介類を選別し、価格もつけているから、料理屋も我々消費者も安心して買えるのだと思っていて、もしアジならアジが様々なものが産地直送で一緒に並べられ、それぞれ勝手に値段をつけていたら、私達はなにをどう選べば良いんですかね。
穫れたものを並べて好きな価格をつけて「欲しければ買ってください」なんてのは、まさに今のマレーシアがそうで、どうやって良いものを消費者が選べるのか?不可能じゃないですか。
良いものは良いとちゃんと目利きが選んでそれなりの価格をつけ、でも季節外れだったり、美味しくない産地から送られてきたようなものは卸売商が値もつけない。だから漁協もそんな魚介類を市場に送ってこないし、漁師も獲らない。
私は「日本の魚介類は美味しい」ってのはそういうことだと思うんですよ。なにも「日本産の魚介類は全てが美味しいわけじゃない」と思っています。
それどころか一般的なレストランや和食店では「国内品でも安いもの、海外から入ってくる様々な冷凍もの」がはびこっているわけで、味や品質的にも昔では考えられなかったようなものも多く出回っているんじゃないですかね。
でもノルウェイ産のサバやアジは美味しい。(笑)
これは例外みたいなもので、しかしノルウェイ産をよーーく見ると魚の顔つきが日本産と違うのね。違和感がある。これは気になる人は気になるし、まともな店は使わないってのも当たり前だと思ったり。
マレーシアの伊勢丹で売っていたノルウェイさんのアジの干物ですが、それなりに美味しいものの「顔つきが完全に外国」してました。(笑)
そういうわけのわからない安い外国産の、しかも冷凍物を使うのも良いと思うんですよ。美味しくて安ければそれで良い。
でも魚の産地も違いもわからない、ましてや価格の差なんてさっぱりわからないのが我々一般の消費者であって、安物や外国産のそういう素材を使うメリットはお店が享受するだけじゃないかと思ったり。まさか我々はわけのわからない安物を食べさせられているなんて考えもしないんじゃなかろうか。
こんなネギトロも、一体何の魚のどんな部位に、「何を足して作った」のかも我々はわからずに、おいしいね~~とそれなりの値段を支払っているのが現状じゃないですかね。最近は「アカマンボウ」という姿かたちもマグロとは程遠い、そして価格も非常に安い魚が「マグロの代用品」として流通していると聞きます。
昭和の時代のネギトロっていうと、そこそこの店では「マグロのトロ」を叩いて作っていたけれど、今じゃなぜか「マグロの中落ち(骨についた肉をそぎ取る)」を使うのがネギトロだなんてテレビでもいうようになった。中落ちは中落ちであって、トロは全く違うものでしょうが~。
めちゃくちゃ安い赤身のマグロに「クリーム状の植物油脂ショートニング」「ネギ」を混ぜると簡単に「ネギトロもどき」ができるし、それ専用の油脂はマレーシアでさえも売っている。(笑)
東京に来て楽しみにしていた「とらふぐ」や「あんこう」も同じで、昔から食べられていたものとは全く違うもの。しかし見た目も名前も同じものが普通に流通するようになったってことじゃないでしょうか。
でもとらふぐに関しては価格が非常に安くなった。今回食べた「とらふぐのコース」は一人6000円台でした。こんな値段は「とらふぐは決して高いものじゃない」という福岡生まれのヨメさんでも安すぎるという。実際に東京ではちょっと前までは一人前3万円なんてのは普通で、昔、「この店は絶対に美味しいから」と紹介されて行った五反田のフグ屋では1人前7万円でした。
これって高すぎると思うけれど、かつてはこういうレベルで各店は競争していたんだと思うんですよ。ところが今の時代、とらふぐの養殖も広まってコースで1万円以下なんて店はゴロゴロある。
さてさて、昔からの老舗で本当に美味しいとらふぐを出していた店は今はどうなっているんでしょうか。
私はとらふぐの良し悪しもわからない味音痴だからとらふぐには興味がありませんが、似たようなことがありとあらゆるところで起きているだろうことは簡単に想像できます。
安いことは良いこと。
でも安かろう悪かろうを受け入れようとは私は思わない。
でも今回、東京で私が感じていることは「なんだこれ?」レベルのものでも高いってこと。
面白くね~~~~~~~~~~~~~~~~~~。
そういう意味じゃ、いつも文句ばかり言っていますが、マレーシアの良さって大いにあると思う。