日本に引き上げる夢を見た 我が家はこの先どうなるんだろう

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私が38歳、ヨメさんが32歳のときに、3歳と1歳の息子たちを連れてオーストラリアに渡り25年間居住。そしてその後、想像さえしたこともなかったマレーシアに流れついて4年。

流浪の民という意識はないのだけれど、実態は流浪そのもののような気がします。日本に拠点があるわけでもありませんし、他に行くところもない。

でもいつかは日本に帰る考え方を持っています。

確率から考えると私がヨメさんより先に黄泉の国に行くわけですが、その後、ヨメさんがマレーシア、あるいは永住権があるオーストラリアでも「一人で」生きていけるとは思わないんです。言葉の問題がありますし「日常会話が出来ればどうにかなる」なんてのは旅行やロングステイでしかなくて、海外で一人で年老いて最後を迎えるなんて絶対に無理。だから行くとなれば「ゴールドコーストが故郷だ」という子どもたちが将来続けて住むであろうオーストラリアですが、ヨメさんがオーストラリアでというのも難しいと思う。

でも日本ならどうにかなる。

そこそこしっかりした老人ホームに入れば良いんじゃないかと。

私はどこで野垂れ死んでも大丈夫、一人でもどこでもどうにかなると思ってはいるんですが、ヨメさんはそうは行かないはずで、でも私がいなくなってからドタバタするのも可愛そうだし、いつかどこかで切りをつけて、ヨメさんと一緒に日本に帰ろうと思っています。それも動けるうちに。

頭にある計画としては「老人ホームが併設されている【シニアマンション】」が良いんじゃないかと。そこを拠点として我々の本当の老後を過ごし、もし私やヨメさんがボケたり介護が必要になっても横滑りでどうにかなるところが良いなと。そういうところに入れれば、息子たちに迷惑をかけることもないと思うわけです。

でも具体的にはまだ何も考えていない。

ところで、私はなぜか「海」が好きで、海が身近にあるところに住みたいと子供の頃から思い続けてきました。

最初はグアムで、たまたま短期留学をしたグアム大学で現地の人たちと知り合い、家族づきあいをするようになってから「グアムに住むのも良い」と思って、社会人になってからは基盤作りにグアムに輸出をしたり現地法人を作ったりいろいろやってきました。そしていつか「ヤシの木の下に座ってビールを飲みながら釣りをする生活」を夢見ていました。でもその夢はいとも簡単に崩れた。

その後はしがない中小企業のオヤジとして日本で頑張っていたわけですが、子供の寝顔を見ていた時に、やっぱり日本に住んでいてはいけないと思いました。自由らしい自由もなく個性は否定されて他人の視線を意識しながら自分を殺して生きる日本で子どもたちを育てるべきではないと思った。そして仕事も整理しオーストラリアの永住権を取得し、家族4人で日本脱出。私は38歳、ヨメさん32歳、子供は3歳と1歳。

ゴールドコーストの海は素晴らしかった。右も左もわからない他国でどうやって生きていくのか不安ばかりでしたが、この海と空には癒やされたし、絶対に負けるわけにはいかないと海を見る度に誓っていましたっけ。

家から10分も車で走ればこんな海岸はいたるところにある。これはサーファーズパラダイス。ゴールドコーストの中心地。


知り合いもコネも何もない、夢と希望だけしか無いオーストラリアでのゼロからの再出発でしたが、ゴールドコーストでの生活は【今思い返せば】順調で大きな問題もなく、そして「これが自由なんだ」と実感できる生活が出来たのは良かったし、そういう中でスクスクと子どもたちを育てることが出来たのも良かった。そして一軒家に住んでいる時はウォータフロントで裏庭から運河に出ている桟橋でイヤというほど釣りをしたりマッドクラブを捕まえたりの生活。私以上に釣り好きなヨメさんと桟橋で一杯飲みながら一晩中釣りをするなんて生活も出来た。そして運河を下れば、とんでもなく綺麗な大海に出られるような生活。

いつも近くには「海」があった。我が家のメインベッドルームのベランダからの眺め。

でも子どもたちも家を出てしまうと、気が抜けたようになりました。本当に我が家は「子供中心」で生きてきましたが、その主役がいなくなって大きな一軒家に夫婦ふたりで住んでもしょうがないし、子どもたちが大人になったからこそ新たな夢が湧いてきました。いつか彼らと組んで「何か」をしたいと。

となると税金も高く物価もとんでもないオーストラリアでは、老後を適当に生きることは出来ても、「ダボ家の将来」「本当にやりたかったこと」を考えると問題がある。一般的には「老後に好きなことをする」という考え方ですが、オーストラリアって「現役の頃から好きなことをするのが普通」の国だし、そういう意味での「やりたいこと」ってもう私には無かったんですよ。「退屈な老後が待っているだけ」みたいな感じ。

だから二度目の仕切り直しをして再出発をしようと「我が家の所得には一切税金がかからない」マレーシアに渡ることを決めた。そして中断していた「スキャルパー(投機家)」としてのデイトレを再開してもう一花咲かせて、そしてそれを子どもたちに繋げていこうという夢を持った。

でも時は「リーマンショック」で私は完璧と言って良いほど打ちのめされてしまった。

本当にもう終わりだと思いました。なぜ、リーマンショックの1年前にでもオーストラリア脱出をしなかったのかと、どれほど悔やんだことか。でもそれだからこそ二度目の仕切り直し、第三の人生を歩むべきだと強く決心が出来たんですね。ということでまず自宅を売らないとならないわけですが、リーマンショックの影響は不動産に大きく出ていたし、我が家は簡単に売れるような家ではなかったのでこれに手間取った。なんと家を売る為だけに4年の歳月が掛かったんですよ。

でもその間、いつでもすぐに売れるように自宅から出てコンドミニアムを借りて引っ越しをした。

やっぱりそこでも「大好きな海」が身近にあった。


だからマレーシアに渡っても「海」が近くにあるところを探しました。実はペナンが第一候補だったんですよ。ところが残念ながら私が想像していた海とは全く違う海だったし、2008年当時のペナンでは私達が望む生活は難しいと思いました。ロングステイで遊びに行くんじゃありませんから。かといってランカウイは田舎すぎるし、仕方がなくクアラルンプールを選ぶことに。

でもクアラルンプールには海がない。

これが私のストレスの元になっているのは間違いがなさそう。海って私にとっては「生きる力を与えてくれる不思議な存在」なんですよ。でも無いものは無い。しょうがない。

私はユーチューブが好きで、特に海関係、釣り、漁師の動画を見ることが多いんです。

そして、良いな~~~~~~~~~~~~~~~と思ったのがいつも見ているチャンネルの中にあった「ある魚市場の動画」。

一般的には「ふ~~ん」で終わりでしょうが、私は衝撃的と言って良いほどこの動画にのめり込みました。

海が好きというより、私は魚が好きなのかもしれないと思ったくらい。魚市場が宝の山に見える。


もし日本に帰ったら、こういう「魚市場」が身近にあるところに住みたいなぁと。

この思いは私が想像していた以上に強く心のなかにあるようで、この動画を見てその夜、夢を見ました。

日本に帰った夢です。場所はなんとこの動画に出ていた場所。愛知県は西尾市一色町。

夢の中では、今風のコンドもなく、いわゆる「普通のアパート」に住んでいるんですが、ヨメさんと二人だけで「ニコニコと笑いが絶えない生活」をしている自分がいた。

こういう夢って今まで見たことがなかったんですよ。

でも日本に旅行に行ったら、あちこちの漁村、魚市場がある町を転々としながら長期滞在したいなんて思うくらいですから、やっぱり好きなんでしょうねぇ。

家族のため、仕事のため、将来のためとかじゃなくて、【素のままの自分】は本当は何をしたいのかってのを私はいつも封印してきたんですよ。そんなのは「気まぐれ」でしかなくて、自分は「やるべきことをしないとならない」とずーっと思って生きてきた。

でも今になって思うんですよ。

もし「やるべきこと」がうまく行ったら、自分はそれで幸せなのかって。

本当は「漁師」になりたかった私。

どうする?

昔、サイパンに日本人の「漁師+トローリング釣り船」(客がいない時には漁師)を経営している友人がいて(常連客に松方弘樹、梅宮辰夫がいた)、私に跡を継いでくれないかなんて言われたことがあったんだけれど、何十年たった今でも、「もしあのとき・・」なんてことを思い出すんですわ。

でもねぇ、そんなことを考えていると、ある時ヨメさんが言った一言を思い出すんですよ。

私は東京生まれの東京育ちですが、結構田舎が好きで、ヨメさんに「田舎に住もうか?」と言ったことがあるんですよ。

すると「本物の田舎育ちのヨメさん」曰く、

「あんたは田舎の怖さを知らないから、すぐそういうことを言う」

ですと。

これってきっと大正解。(笑)

私としては「本当に自分がやりたいと思うこと」をやってみたい。

でも漁師になりたいなんて思っても、一度でも漁師の船に乗らせてもらえば「もう二度と嫌だ」なんて思うんでしょうねぇ。

私がやりたいことってきっと「いつもヨメさんや子どもたちの笑顔を見ること」かもしれなくて、そうやってずーっと生きてきたし、それにブレがないのは「家族のために生きる」のが本当に好きなのかもしれない。長男が生まれて、初めて病院で彼の姿を見た瞬間、「これから俺はこいつのために生きる」と電撃のようにその思いが走ったのですが、それこそが本能に根付いた本当にやりたいことなのかもね。次男坊が生まれた時も同じ。私が病気で廃人の様になったのを救ってくれたヨメさんと結婚が決まった時には同じ様に思ったし。

でも今、ヨメさんとはSocial distancingが継続中。ほとんど口もきかない。(笑)

人生って面白いね~~~~~~。

さてさて、我が家はいつ頃、どこへ流れていくんだろうか・・・・。

 
 
 

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