第二波、第三波を心配すべき段階? 我々はどうするべき?

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コロナウィルスに関してですが、世界各国は対応もバラバラ、結果もバラバラ。でもなんとなく「終息の方向へ向かっている」感じがしないでもない。

でも心配性の私としては、これはボクシングで言う第一ラウンドと第二ランドの間の「休憩」みたいな感じがしています。あるいは地震で言う「余波は来るであろう」みたいな。

やっぱり「終息の条件」は「ワクチンが行き渡る」ことと「感染の広がり」による【集団免疫の獲得】であって、それなくして終わったとは言えないんじゃないですかね。

ここで気になる国が2つ。一つはスウェーデン。もう一つはベトナム。

スウェーデンは「ほぼ放置」という方策をとった。

これって「感染する人は感染すれば【集団免疫に近づく】考え方」だと思っていたのだけれど、どうも違うようで「やるべきことは国民それぞれが考えること」という感じ。いわゆる「皆が自己責任を理解する【大人である】」という考え方で、だから「好き勝手にやっていいよ」ではなくて「やるべきことはわかってますよね?」ということ。でも結果的には感染者も死亡者もかなり多い。

ベトナムはスウェーデンとは全く逆で、「政府ががっちり管理する」という方法。

私達は初期の頃に「中国の武漢」を見てびっくりしましたよね。都市封鎖はもちろん住まいも封鎖、一人ひとりをチェックする、強制隔離もするという自由主義国家では考えられないことをした。ところがベトナムは「いまだに死亡者ゼロ」という好成績だけれど、中国以上の隔離政策を取ったんですってね。感染者が出た集合住宅は「完全隔離」だけではなくて、「感染者に接触した人」の集合住宅まで「完全隔離」したとのこと。社会主義国だからそんなことが出来るんでしょう。

この2つの対象的な国を見てもわかることは【方策は違えどどちらも集団免疫に近づいたわけじゃない】ってこと。つまり「第二波、第三波が来ても全く不思議じゃない」ってことじゃない?

ベトナムを含め新たな感染者が出ない国々では終息宣言を出した(モンテネグロ)、あるいは出す用意が出来ている様だけれど、これって【第一ラウンドは終わり】の意味でしか無いんじゃないかなぁ。

韓国を見てみても、世界に先駆けてコロナを抑え込んだと自慢していたし、世界も「韓国に見習え」なんて言っていたのが、感染クラスターが出てきて結局は「無期限自粛」を言い出した。

私にしてみれば、韓国は世界に先駆けて「第二ラウンドに突入した」としか思えない。

でもま、これもまた世界の国々はバラバラで、第二波、第三波に襲われる国、第二波が来たようには見えない国も出てくるんでしょう。これは誰にもわからないし、言えることは唯一つ、「集団免疫を獲得した国はまだ無い」ってこと。

ではまた感染者が増えだしたらどうするのか。

同じ様に「MCO」「自粛」「規制」をするんですかね。そしてそれによる「経済の落ち込み」や「生活困窮者」を助けるために【新たに莫大な補助金をつぎ込む】んでしょうか。

「規制をしても終息しない」という過去があったとしても、それを再びやるんですかね。そして「補助金を出す」にしてもそれを頼りに生きれるわけではないし、また新たに出し続けるとなれば国家は破綻するんじゃないですかね。こんなことを繰り返すことが出来るとは思えず。(日本政府が最初ケチ臭かったのはこれを想定しているからだと思った)

かと言って「今後は全て【自己責任でお願いします】」なんてのは国家としての【責任放棄】になる。スウェーデンのように最初からやればよかったね、なんてことは口が裂けても言えない。言えば、どの国でも「政権は倒される」ことが起きるんじゃない?

だから「抑え込み」に一生懸命な国、これは日本もマレーシアも同じだけれど、【ここで決着をつける】しかないんじゃないですかね。第一ラウンドで勝負をつけないと、第二ラウンド、第三ラウンドで戦う体力はない。

でも【集団免疫の獲得】が出来ていなければ決着は付けられない

四面楚歌。

どの国も「集団免疫(ワクチン含む)獲得までの【時間稼ぎ】を続ける」という基本方針だったはずだけれど、厳しい規制や政府による補助を【感染の波が来る度に続けることは不可能】なのが見えてきた。

混乱の後は結局は「自己責任」が前面に出てきて、スウェーデン的な考え方、つまり「やるべきことは国民それぞれが考えること」「皆が自己責任を理解する【大人である】」となるしかないのか。当然、制限は解除されて「自由に経済活動を行って良い」ということになるにしても、それは「政府は面倒を見ない」という意味でしか無くて【自由に経済活動をすれば元に戻る。生き延びられる】という意味でもない。

私はここを勘違いしてはならないと思うんですよ。

「感染防御は自己責任で」というのは良いと思うんです。これは規制があろうとなかろうと「個人がやるべきことは決まっている」わけですから。でも感染者数が再び増えるようなことがあった場合は、「各自の対策はより厳しいことになる」わけで、【規制がなくなった。\(^o^)/】という風になるとは思えない。つまりですね、「規制が解除されても感染が続く限り、【個人は規制中とほぼ同じ行動を取る】」んじゃないですかね。

そりゃ規制がなくなれば、若者を中心に自由に動く人たちは増えるにしても、「世の中は規制をする前と同じになることはない」んじゃない?

これが何を意味するかというと「規制が解除されても【店や企業の売上や利益は戻らない】【働く場所も元には戻らない】」ことになる。当然、救われない個人は放置される。規制を解除したら【国の補助も減る】のが道理だから。

「感染が続いているのに規制解除する」のは【国家が責任放棄をする事】という見方も重要じゃないんですかね。

各国で「規制を解除しろ」という運動が起きていますが、この気持はよく分かる。でも彼らは「規制を解除したら【元に戻る】」という幻想を持っているんじゃない?あるいは死ぬも生きるも選択権は自分にある、弱者は勝手に死ねという考え方か。私はホリエモンの考え方もこれに似ていると思っています。(彼はそれぞれの人間の理解度、自制心、行動力、善悪、価値観の基準も大きく違うことを無視して「自分を基準」にしているように見える)

そりゃ規制解除は「働く場所がない」「店が開けられない」「企業活動が出来ない」人たちには一つの光明になるとは思うけれど、【政府の援助もなく、売上も元に戻らない中で生き延びなければならない】という、ある意味、【規制中より悪い状態】になるかもしれない。規制は援助とセットになっているわけで、規制がなくなれば補助もなくなると考えるべきでしょう。少なくとも「大盤振る舞い」は続かない。

私はその「生殺しが続く状態になる」可能性が一番高いと思っています。

コロナが蔓延しだしたころにブログに書きましたが「これをキッカケに【黒字倒産を考える企業が増えるはず】だと。お店も企業も「継続が大事」だという考え方がありますが、私みたいな(ろくでもない)中小企業の世界で生きてきた人間に言わせると、【駄目そうな時にはさっさと逃げることも重要】となるんですよ。採算分岐点というのはどの企業も店舗もわかっているはずで、それを長期で下回る事が起きるかもしれないと予想した場合、そしてそれを補う余剰資金、あるいは政府の補助金がない限り【そのうち潰れるのは見える】んですね。

だから【生き延びるために、今、潰す】という選択も重要になるわけです。

ま、社会的責任とかプライドとかいろいろありますが、「経営が破綻しても誰も助けてくれない」のが普通の世界では、【撤退も重要】じゃないですか。これは戦争を考えてみればすぐわかることで【常に攻撃する】【常に陣地を守る】なんてことはありえない。【このままじゃ危ないと思ったら撤退する】のが常識じゃないですか。

これは経済の世界も全く同じだと私は考えていて、「死ぬまで戦い抜く」なんてことは絶対にしない。

でも「コロナは適当なところで終息するだろう」「売上も利益もそのうち戻るだろう」「国が面倒を見てくれるだろう」という【楽観主義者は生き残れない】であろうことは言えると思うんです。

これは「規制」もあまり関係ないのは上に書いたとおりで、【規制解除されれば元に戻る、どうにかなる】なんてのも楽観的過ぎるじゃないんですかね。

だから私は「経済的なコロナの影響は甚大だ」と考えているわけで、だからこそ「昨今の株式市場の値上がりは【異常に見える】」。

要は個人にしても企業にしても店舗にしても【感染者が出なくなった】ことのみが重要で、それは自然消滅なのか集団免疫なのかは単なる理由でしか無いと思うんです。

これは中国やベトナムのように【厳しく規制する】ことによって達成できたにしても【集団免疫が出来てコロナの影響がなくなった】のと同じに考えてはらないわけで、手放しに喜ぶことは出来ず、「企業や店舗、個人も第二波、第三波を想定する」ことは必要。ということはやっぱり【経済も元には戻らない】ことを意味するんじゃないですかね。

企業も店舗も【New Standard】はどうあるべきか真剣に考えているはずで、「早く元に戻れば良いなぁ~」なんて脳天気な経営者はいないはず。

私が今、想像しているのは【規制も解除された後】に【本当の悲劇が始まる】んじゃないかってこと。【生殺しの時代の始まり】とでもいうべきか。

お店も企業も活動を再開したけれど、元には戻らないとなればどうなるかは時間の問題。個人も働く場所が元に戻るとは思えない。このへんは失業率が非常に大事でそれの動きを見ようと思います。それと失業保険の受給者の増減。日本で言えば今、急増している「生活保護」がどうなるか。

じゃぁどうすればよいの?ってことですが、自分で稼げない人は「稼げる場所を探す」しかないし、店舗や企業は「今からでも撤退、縮小を真剣に考える」必要があるんじゃないですかね。

そもそもAIの導入、固定費の削減、効率アップは今後益々加速するはずで、競争力の維持は企業も店舗も個人もどんどん難しくなるはず

将来はわからない。だから正解はないとは思うんです。ただ私としては「流れに身を任す」ということを責任がある立場の人間が選んで良いのかどうかが気になるわけです。

特に会社や店舗の経営者は「やめられない」ということが多いはず。「従業員のために」と綺麗事をいうのも良いかもしれませんが、企業や店舗が潰れることのほうが働く人のためにならないという考え方は大事だと思うんです。でもま、プライドもしがらみも色々ありますから「撤退」「縮小」を選ぶのは簡単ではありませんし、もし経済が戻った時に「前と同じことを新たに始める」なんて都合の良いことは出来ない世界もあるし、問題なく「再営業できる」世界もあるし、難しいとは思います。

「損切り」って大事だと思うんですよ。

これは株式でも会社でも店舗でも、あるいは人間関係も同じ。

損切りって「損が確定する」から誰しもやりたくないのが普通だけれど、ダラダラと一生付き合うのが本当に良いことなのかどうなのか。ま、ここにも正解はないとは思いますが、【再出発すために、今、損切りをする】という発想は重要だと思う。

気楽なのは「資産もあり、年金をもらっている退職者」ぐらいなもので、経済がどうなろうと生きていけるし、危険とは距離をおいて、New Standardに合わせて生きるのも難しくない。でも企業や店舗の経営者、働かなければ食えない人は本当に大変だと思う。

そもそも「普通でさえ生きていくのは大変」なのに、コロナ騒ぎが起きて経済も低迷し、それを【規制のせい】にしても意味がなくて、そしていつかその規制も解除された時に「本番」が来るんじゃないですかね。

生き延びるって本当に大変だけれど、「こういう想定外のことは必ず起きる」のが人生で、コロナはその一つでしか無いですよね。私達はそういう危険の中で生きている。

そういう「何かが起きたとき」にアタフタするのも良いですが、私みたいな年寄りになると「またかよ」ってくらいそういう出来事にいつも翻弄されている自分に気がつくのね。そしてその都度どうにか頑張って再起をするわけだけれど、これにも限界があるし、「運による事が多い」のも見えてくる。

この際、「何が起きても大丈夫な自分になる」にはどうするべきか。「なぜ年金をもらっている退職者は気楽でいられるのか」。そういうところを突き詰めて考えることは重要だと思います。そして自分にでも出来ることを探す。

このブログで重視しているのは、実はそこなんですね。これってロングステイ、海外移住だけでなく、普通の日々の生活も同じで、「流れに身を任せ無い生き残り戦略の根本的な見直し」を考えるキッカケでありたいといつも思いながらブログを書いています。

私自身もいつも大きな波に翻弄され続けてきて、そもそもそういう世界で生きることにした自分に責任があるわけですが、それだけに若い頃から「次の手を常に考える癖」が付いているんですよ。中小企業と言えども扱う商品が一つしかなかったら危なくてしょうがないわけだし、仕事そのものも「相関関係がない分野の仕事」を複数持つのを基本として来ました。勤め人は「必ず副業を持つべき」だと40年以上前から私はそれを主張してきたし、「逃げ道を常に確保する」って重要だと思う。

でもそれもこれなら大丈夫って確実なものはないわけで、でも常に考え続けることはしています。で、そんな生き方の情報交換みたいなのが出来たら嬉しいなと思うわけ。いつも偉そうなことばかり書く私ですが、私の中身は全て誰かから頂戴したアイデアが詰まっているだけなんですよ。それを収拾選択し、煮詰めてきただけのこと。

さて、どうする?

まずは、今、大事にしている仕事、収入源が【もしもなくなったらどうするか】、自分や家族の健康問題も出てきたらどうするか。そこから考えるのがスタートじゃないでしょうか。

 

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