ヨメさんの「コロナへの恐怖」が半端じゃない

古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

コロナの感染の広がり、自分が感染するかどうか、自分の大事な人は大丈夫か、抑え込むにはどうするべきか、経済はどうなるのか、自分は生きていけるのか、そんなことを世界中の人が考えているはずですが、でも考え方はそれぞれで大きく違う。

これは一緒に生活している家族でも同じで、マレーシアに関しては「政府はそこそこうまくやっている」「気をつければ大丈夫だろう」と家族みんなが考えていると私は思っていたのですが、ヨメさんは全く違う、それこそ3月頃の感染が広がり皆が不安を持った頃とほとんど変わりがないのがわかりました。

我が家は引きこもり家族なのは前から同じで、コロナ禍になってからは「籠城」しているのと同じ。でも私は「買い物係」ですから外出することは多い。

でもヨメさんはず~~っと引きこもりのままだったわけです。家から出るのは、コンドの中にあるミニマートに行くか、ある特定のスーパー(ソラリスの韓国スーパー)に私が連れて行く程度で、これほど「自宅から出ない」人も珍しいんじゃないですかね。

でも先日、ヨメさんが買い物に行きたいというのでビレッジグローサー@ワンモントキアラに行ってきました。

ヨメさんの買う予定の商品メモを見ると、私はB.I.G.@パブリカの方が良いと思ったのですが、ヨメさんはB.I.G.に行くのは怖いと言う。

その理由を聞いても私には良くわからないのですが、「店の大きさ、作りや配置、人との距離」がビレッジグローサー@ワンモントキアラの方が安心だと。

「そんなことはないだろうよ~。B.I.G.に行こう」なんて私が言えば「じゃ、行かない」というのはわかりきっていますので、ビレッジグローサーに行きました。

ヨメさんを観察していると、買い物は普通で別にビクビクしているわけでもない。

でも「消毒」に関しては異常なほどで、店に入る前、店を出る時、そして車に乗るときも「アルコールで消毒」するんですよ。そして私に「手だけじゃなくてカートのハンドル、車のハンドルも消毒しないと駄目よ」とわかったようなことを言う。(笑)

ワンモントキアラに来たのだから、「ランチでも食べていこうよ」と言っても答えは「ノー」で、怖いという。「どの店も気をつけているしSocial distancingも守られているから、自分が気をつけていれば大丈夫だろうよ」と言っても「嫌だ」と。

コンドに帰ってきたら、すぐに「靴の裏をアルコール消毒」し、もちろん手を消毒。私は確かめていませんが、すぐに着替えてシャワーに入ったはず。

なんでこれほど怖がるのかなと思って話をしてみると、ヨメさんは「マレーシアのコロナ情勢」はほとんど知らないのね。でも日本の情報はよく知っている。

我が家はそれぞれ勝手にネットで情報を見るだけで、3人で集まって情報交換したりコロナ対策を相談することも(ほとんど)ない。でもそれぞれの行動を見れば「無言のコンセンサス」は取れているのはわかるし、ヨメさんはヨメさんでネットを見ているしマレーシアの情報も得ているだろうと私は思っていたわけですよ。

ところがヨメさんのネット利用って「ユーチューブを見るだけ」と言っても良くて、ニュースもユーチューブから。そして「ブログも読まない」のね。当然、苦手な英語のチャンネルも見ない。私のこのブログも読まない。

つまりヨメさんのコロナ情報って日本の情報だけってこと。

で、日本は今まで以上の「感染の広がり」が見えるわけで、これじゃ怖がるのもしょうがないかなとは思う。

ましてヨメさんは「呼吸器系」に問題を持っていて、「もしコロナに掛かったら、間違いなく死ぬ」と思ってるのね。

でもあの怖がり方は異常に私には見える。

とは言うものの、持病がある年寄ってみんな同じかもしれないと思ったり。「死」を将来のこととしてではなくて、身近に感じるんでしょう。

それも「お呼びが来た死」ではなくて、「自分が気をつければ防げる死」であるとすれば、徹底的に防ごうと思うのは当たり前。でも「敵は見えない」わけで油断大敵なのは間違いがない。

ま、それもわかるんですが、今のマレーシアはそこまで心配しなくても良いんじゃないかと「今は思う」。でももし日本に住んでいるとしたら違う考え方をするだろうし、ヨメさんは日本の情報しか見ていない。

そして日本のコロナ対策を信用していないのね。

これは私も同感で、やっぱりやることが中途半端。

「自粛要請」にしても「海外のロックダウンとは違います」とか「若者は重篤化しない」とか、政府や自治体は【余計なこと言う】と思っていました。それは事実にしても「なんでわざわざ油断させるようなことを言うのか」と。

やるならやるで、「きっちり短期間で勝負するのが当たり前」だと私は思うわけで、だらだらとザルから水が漏れる状態を続けても、結局はより大きな「国民の犠牲」と「経済的損失」が増えるんじゃないですかね。政府要人の「経済補填はこれからもしっかりやります」なんていう発言も、国という責任の所在がはっきりしない組織だから、そして「金は刷れば良い」「国債を出せば良い」という考え方が裏にあるからで、一般的国民や企業では「絶対にあり得ないこと」だし、いつまでも援助が続くわけもないのはわかりきったこと。またすべきじゃないと私は思う。

そして今、第二波が来たように見えて、なおかつ新規感染確認者数は前より多い。ただし、PCR検査をする基準が大きく変わって、以前なら検査をする必要がないとした人も今では広く検査をするわけで、新規感染確認者数が増えるのは理解できる。そして症状もない人を検査しているわけだから、重症者数、死亡者数の割合は大きく低下するのもわかる。でも本当にその違いだけだと断定しちゃって良いのか。重症者数、死亡者数は増えないのか。そういう予想をする人は多いけれど、断定するには私は早すぎると思ってます。

また「夜の街に気をつけてください」というけれど、新規感染確認者の「夜の街関係」は半分にも満たないし、「経路不明」「家庭内感染」も増えて、そして「若者以外にも感染は広がっている」のが誰にでもわかる。

小池ってアホか?と私は思う。

でも国も自治体も動かない。

これの背景として「年寄」「重篤化する患者」「死者」が増えていないというデータがあるわけだけれど、ちょっと上に書いたように「これは始まりかもしれない」という心配を拭うことはできない。

また世界的には「弱毒化している」という専門家がいるけれど、誰がそれを信用する?またそれが事実だとしても、「それを確認できるのは、将来の検証による」はずで、現在進行中の感染の広がりから「弱毒化」に期待するのは馬鹿げていると思うわけです。

あるニュースで「コロナで危険にさらされる日本人の比率は34%」というような(私の記憶は曖昧)を見たのを思い出します。つまり「高齢者」であり「持病を持っている人達」がそれだけいるわけだけど、「一体、誰を助けるのか」がはっきり見えてこない。そりゃ経済も大事で、どちらを取るかという話じゃないのは当たり前にしても、「経済を優先しろ」とか「死ぬやつは死ねしかない」というのは暴論にしか思えない。

良いんですよ。自分の命、大切な人の命が危険にさらされても「経済を優先するべきだ」と思うのは勝手。また「経済が低迷すると自殺者が増える」という数字だけを持ち出して、「仕方がなく自分の意志で死を選ぶ人」と「絶対に死にたくないのに死ぬ人」を【同列で考える人】がいるものしょうがないと思う。

でも同様に「命を守りたい」、「それが原点」だと思う人がいるのも忘れてもらっちゃ困る。

とまぁ、日本を見ていると私はそう感じるわけで、そういう日本の情報しか見ていないうちのヨメさんが、異常なほどに自己防衛に一生懸命になるのは良く理解できる。

ところで私としては「経済を回せ」という人たちに言いたいことがある。それは【他力本願でしか無い】ってこと。

今になって思い出すのは、コロナが流行りだした初期の頃にマハティールさんが対談(インタビュー?)で言っていたこと。それは「New Normal」であり、「元に戻ることはない」「新しい時代に合った生き方を探せ」と。

また規制らしい規制をしなかったスウェーデンやブラジルの経済は回ったのか?答えは否で、経済は低迷し犠牲はとんでもなく大きいという現実をどう説明するのか。「経済を回せ」という人たちにはここをきっちり説明して欲しい。また「経済を回せ」という曖昧な言い方ではなくて「何をすべきか具体的な案」を示すべき。またもしすべての規制を撤廃したら、経済は回るのか?そう思うならその理由も示して欲しい。

アメリカの第2四半期GDPが先日発表された。-32.9%で過去最悪ですと。

こういう中でどう生き延びるかを考えるべきで、「規制はするな」「経済を回せ」と声を上げてもどうにもならないでしょう。理由は簡単で、「経済の動きは【国民の感情】で決まる」のだから。

もしも「皆さん、自由に外出し、自由に人生を楽しんでください。コロナとは共生するしかありません」と世界中の国々がそう宣言したとしても、うちのヨメさんはそんな生き方はしないのは間違いない。私だって、世の中に感染者が多くいる中で、自由に動き回ろうとは思わない。

もしも感染者が劇的に減ってきても、「コロナに罹る危険はあって、罹ったら大変なことになる」と考える人達がいなくならない限り、経済だって元に戻るわけがない。なおかつすでに「収入も減り」「蓄えは減り借金も増え」「職を失った人たちも多く」、「WHOが新型コロナウィルスの撲滅宣言を出す」ようになっても、経済を元に戻すのはかなり難しいはず。多くの国も企業もそして国民が「満身創痍」なんですから。

私としては、「コロナの経済的影響」は【これからが本番で、どんどん表面化してくる】と思っていて、「前の時代に戻ること」を【待つ】人たちは、「自分が茹でられているのに気が付かない【カエル】と同じ」だと思う。ここは重要なポイントで、「コロナの犠牲者はある程度しかたがない」のは誰しも考えていることだと思うけれど、それは「個人の命や生活」だけじゃなくて、企業、店舗も同じことなんですよね。潰れる会社や店舗があってもしょうがない。自己責任論者の私はそう考えるわけで、国や自治体が何を決めようと「個人はやるべきことをやって自分を守る」わけですよね。それは企業や店舗も同じで、「対策ができない企業、店舗は潰れて当然」だと私は考えます。コロナ対策を考えない個人がどうなってもしょうがないのと同じ。

「経済を回せ」と叫んでも、それは【子供が駄々をこねるのと同じ】【責任転嫁】でしかないんじゃなかろうか。国や自治体の「補償や補填」も当てに出来ない。「経済を回せ」というのであれば、それは【自分自身に言い聞かせて、自分で解決するべきこと】のはず。これって個人で言えば「コロナの感染者を減らせ!」というのと同じで、それを言ってもどうにもならないから個人は「新しい生き方を模索する」。企業、店舗も全く同じで、「前と同じ様な世界に戻ってほしい」のは企業も個人も同じだけれど、それを叫んでどうなることでもない。

どんな考えを持とうが自由なわけですが、迫りくる「巨大台風」や「大地震」に【来るな!】と言ってもしょうがないわけで、そもそもそういう事態になったら困る環境(職業)を選んで住んでいるのは、私は「自己責任」だと考えるわけです。でもそこにすでに住んでしまっているとすれば、対処方法を自分で考えるしか無いわけで、責任転嫁は出来ない。仕事も同じで、私の父は昔、「円高」でなんの援助もなく廃業することになりましたが、私はコロナも同じだと思うんです。ただ経済に影響を与えるのは個人個人の行動、すなわち「気」で変わるわけで、危険を感じている人たちが多い中で「危険を感じるな!もっと出歩け!物品やサービスを買え!経済を回せ!」と言ってもしょうがない。メディアや政府自治体が「恐怖を煽る」ことをしているのも事実だけれど、それとてそれを止める手立てはないし、メディアや政府が言うこと以上の恐怖、不安を持っている人が多いという現実にどう対処するかはやっぱり企業が考えるしか無いんじゃないですかね。

また企業や店舗を助けないと、国民が困ることになるという「脅し」に乗ってもならないと思っています。でも「New normal」の新しい秩序の中でどう生きるか積極的に動く企業や店舗、個人の支援は大切だと思う。我々には「脱皮」が必要で、脱皮しようとしない人、企業や店舗は自然淘汰されてもしょうがないと思います。何年も前から専門家たちが「これからはウィルスと戦う時代」だと警鐘をならしていたのを忘れるわけにはいかない。

経済復活の道としては、日本の場合「消費税減税」が一番効くとは思っていますが、国民の不安を解消しない限り、経済はきっちり回らないのは間違いがないはず。ここで抑えておくべきポイントは「多くの人は決して論理的ではなく、感性で動く」というところ。多くの知識人がああじゃこうじゃ、ああせいこうせい、あれはやめろとか言うけれど、それってやっぱり理屈でしか無くて、人はそれで動くことはない。理想と現実には大きな乖離があるわけで、今後どうするべきか考える時に理想論を振り回すだけでは何の解決にもならないんじゃないですかね。

私の本音としては、私は自己責任論者ですし、「規制は不要」「援助、補助も不要」というのが基本ですが、それじゃうまくない人たちが世の中には多くいるし、無視をしたら世の中は成り立たない。

では個人的にどうするか。これに関しては、我が家では我が家の将来を担う息子と昨日も話し合って、負けるわけにはいかない、流されて生きるわけにもいかないし、「リーマンショックのような金融クライシスも来るかもしれない(我が家はこれが一番怖い)」という前提で、「すでに決まっているやるべきことをより積極的に攻めてやっていくしか無い」と意思確認をしました。命や健康を守るのと、自分の経済的環境を守るのも同じこと。

頑張るぞ~~~~~~~。

そして、医療現場ではこれが現実なのだというのを忘れまいと思います。


私の最愛の母は、去年の12月にパンタイホスピタルのICUで最期を迎えましたが(肺疾患)、「面会も出来ない」「面倒を見ることも出来ない」「最期も看取れない」「遺体を抱くことも出来ない」なんてことは絶対に、絶対にあってはらならないし、起こしてはならない、受け入れることも出来ないと思います。

 
 
 

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。