致死率が今のコロナより低い「スペイン風邪」では世界で5000万人も死んだ

古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

世界的にコロナの第二波、あるいは第三波と言って良いような動きになっていますね。

多くの人はコロナに慣れてきて、また「経済を回すことの重要性」も多く語られるようになった。なおかつ変異を続けるコロナウィルスの「感染力は強まった」けれど「重症化、死亡に至るケースは減っている」とも言われている。これが世界でまた感染者が増えてきた理由なのでしょうか。

これって数字を見るとたしかにその通りだけれど、医療現場の医師の中には

○ 若者の間で感染が広まっているから

○ 感染すると危険な人達(年寄りや持病を持つ人達)への注意、対策が広まっているから

○ 治療方法もある程度わかってきたから

という話も多く聞こえてきて、「大丈夫だ」「心配するな」「過剰反応だ」「集団ヒステリーだ」という論調は【医療の専門外の人】から発信されることが多いと感じます。「数字を重視する」のは良いにしろ、その中身を軽視する傾向があるんじゃないですかね。

ま、それも決して悪いことではなくて、「経済的」「政治的」にどう対処すべきかも大事で、感染症の専門家の意見のみを尊重するのはおかしいと私も思う。また「マクロの視点」も「ミクロの視点」も両方大事なはずで、マクロの数字から全てを判断するのは危険だと私は思う。「木を見て森を見ない」のは駄目にしろ、「森は木の集合体」であってそこには全体の数字からは見えない「個々の関わり」があって、それによって森が形成されていることを無視することはできないんじゃない?

やっぱり恐怖や不安を持つ人は多いわけで、「あんたは間違えている」と断言することは出来ないはず。

というか、「不安を持たない人」も「未だに強度の恐怖を持ち続ける人」も私は「同じ紙の裏表」だと思うんですよ。どちらが正しいかという議論は意味がなくて、【心理的な反応】は科学や論理では割り切れないものがあって、誰がどう感じ、どう考え、どう行動しようと思うのかはそれぞれの勝手でそれをコントロールすることは不可能じゃない?また考え方が右と左に分かれているわけで、どちらが正しいのかという議論は「好き嫌い」の是非を言うのに似ていると思う。

今は「知識派」と言われるタイプの人たちが「コロナに恐れを感じる人達を見下す」方向にあるのが私は気に入りません(例えばホリエモン)。特に集団ヒステリーだという言い方ほど相手を馬鹿にした言い方はないはずで、そして「反対側から見ると、問題ないと言い張る人たちも集団ヒステリーに見える」ということを忘れてはならないんじゃないですかね。

これって夫婦げんかに似ていると私は思うわけで(笑)、旦那の言い分が通らないと男は「女はすぐヒステリーを起こして、本質を理解しようとしない」と言うのと同じ。でも女性に「ヒステリー」なんて言葉を使うのは喧嘩を売るのと同じで、「あんたこそ何もわかっていない」と激化するのは毎度のこと。

どちらが正しいのかではなくて、たとえ間違えていても「自分は正しい」と自己中なのが人間のはずで、これを論理的に解決しようなんていうのは、私にしてみれば夢物語というか、常に自分は上位にあると考える男の論理至上主義者の論理だと思うんですよ。「嫌なことは嫌なのよっ!」という言葉にどれだけ男性は翻弄されてきたかを考えてみれば、今回のコロナ騒ぎもそれと同じだとしか言えないと私は思う。そして女性が言う「どう感じるかが何よりも大切なのよ」という考え方を、それがたとえ非論理的でも尊重するべきだと思う。私はヨメさんと長らく連れ添ってヨメさんから学んだことがあるんですよ。「世の中には理外の理が存在する」ということで、それは馬鹿にできなくて結構当たるということ。

白黒付けないと大変なことになるのは間違いがないにしても、理論が常に勝つことはないはずで、やっぱり「お互いの考え方を尊重する」しかないんじゃないですかね。

私はそういう意味で、日本の政府や自治体は「人の心の動き」を前提に考えてよくやっていると思うわけです。でも両極端の意見を持つ人達はそれぞれ納得できないのかもね。

さて、優等生と言われていたマレーシアでもまた感染者が増えてきた。マレーシアは「感染を抑え込む」のと「医療崩壊させない」という【両輪】をうまくコントロールしてきたと思うのだけれど、今後どうなるのか、どうするのかはわからない。(日本は始めから「医療崩壊させない」のが基本)

コロナがどう変異して、人々や社会、経済にどういう影響を与えるのかは素人には想像もできないし、予想しても意味がないとは思うものの、【今のコロナより致死率が低いスペイン風邪では世界で5000万人が死んだ】という事実を思い起こすと、私はやっぱり油断禁物としか言いようがないし、「いやいや、大丈夫っしょ」という人たちが増えることに危険を感じています。

コロナに感染しても「無症状」、「重篤化しない」「死ぬこともない」と思える人たちは幸せだと思う。

でも「もしも感染したら大変なことになる」と信じる人達がいることを忘れないで欲しい。

先日、ガンで亡くなった私の親友もコロナに感染することを非常に恐れていたし、呼吸器系に問題を持つ我が家のヨメさんも同じ。そして93歳の父を持つダボ家としては「コロナなんて心配するほどのことじゃない」なんて口が裂けても言えない。もし万が一の事が起きたら「運が悪い」なんて絶対に思わないし、感染させた人には賠償責任を追求したいし、一生をかけて償って欲しいくらいのことは考える。これは表には出てこないけれど、コロナで身内や愛する人を失った人たちはきっと同じことを考えるんじゃないですかね。

交通事故と同じで、「きっちり注意すれば他人の不幸を呼び込まない」ことは可能なんですから。

いくら自分としては「感染したら自己責任」とは思っていても、「コロナなんて心配する必要はないんだよ」なんて思う人が多ければ、それは車の世界で言えば「暴走族」が増えるのと同じで、道連れになった人たちは救われない。

コロナが流行りだした時に私がブログに書いたことは、「どうすれば感染しないか」という自分を中心に考えるのではなくて、「どうやったら他人を感染させないか」という【自分が感染している前提で考える】のが大事だということ。この考え方は今も変わらない。

マスク論議もこれに関係しているわけで、日本の世界的評価が高いのは、まさに日本人特有の「他人に迷惑をかけない」という文化が根底にあるからだと思うわけです。(他人の目が怖いだけかもしれない)

うちのヨメさんの「コロナに罹りたくない一番の理由は、【他人に移したくないから】」と言ったのが忘れられないし、非常に日本人的な発想だと思う。

しかし「自分の権利や自由を侵されることを極端に嫌う人達」も世界に多く存在するわけで、「マスク装着反対運動が活発」なんてのを聞くと、自己中って怖いと思う。そしてそれは数字に出ているんじゃないですかね。

また「経済を救え」というのも、「経済的【弱者】を救え」という意味でしか無くて、では「身体的【弱者】はどうする?」という問題が残る。そしてコロナが来ても問題ない会社や個人も少なくないし、それは偶然であるケースが多いにしても、私にしてみれば「リスクコントールが出来ていない企業や個人が弱者となる」としか言いようがないと思うし、台風や地震などの天災や、円高や世界の変化によって経済的弱者になる(これは人災)のも私は同じだと思うんですよ。リスクの想定を疎かにして「実は危険な生き方」をしてきた企業や個人が大変なことになるのは昔から、そして世界中で起きてきたこと。

あるいは「環境の変化に合わせるスキルがある企業や個人のみが生き残る」のが世の常じゃないんですかね。これに関して「これからは【New Normal】に合わせて生きるしかない」とコロナ感染が広まる初期の頃に言っていたマハティール氏はさすがだと思いました。

だから「コロナは心配するべきではない」というのも「コロナをもっと恐れるべきだ」というのもどちらも私には自己中に見える。この両極端の存在を認めた上で落とし所を見つけるのが「知恵」なんだろうし、どちらに世論が傾いてもうまくないんじゃないかなぁ。でも知恵のない私にはどうあるべきかはわからない。(笑)

私が懸念するのは、最近は「コロナは風邪と同じだ」「経済を無視できない」という声の方が強まっていること。

「コロナは風邪と同じ」という人に問いたい。

【かつてスペイン風邪で5000万人死んだのをどう考えるのか】と。


経済が停滞すると自殺者が増えるのは間違いないにしても、自殺は自らが死を選ぶわけで【絶対に】死にたくないのに死ぬのとは大きな違いが私はあると思うんですよ。そして日本では「自殺未遂」が一年間に50万件あるんですってね。実際に死ぬのはその一部でしか無い。

私が注目したいのは死ななかった人たちで、そこから復活した人、その経験が生きて人生を変えた人の数って累積では凄い数じゃないかと思っています。ここが大事なのであって、自殺者は経済が停滞すると増える。だから経済を停滞させてはならないというのは、私は自殺なんか考えたこともない数字、関連性を見ているだけの「屁理屈」に思えるんですよ。自殺を減らすには「他の重要なこと」が存在するはずで、また自殺する人も「経済が停滞したから」ではないはずなのね。「破産した」「家族が離散した」「恋人が離れていった」「再起する希望がない」とかであって、経済の停滞は一つのきっかけでしかないんじゃないですかね。

恋人に振られたり、愛する人との離別で自殺を考える人って少なくないはずだけれど、これをどう救う?

経済が停滞すると自殺者が増える。だから停滞させてはならないというのは、「貧乏人を減らすには金をばらまけば良い」と同じ様に私には聞こえるんですよ。そこに救済はあるのだろうけれど、解決策にはならないはず。

貧乏でも幸せに生きている人たちが多くいるのはなぜ?

「New Normalの時代」はこれから始まると私は考えているし、それに合わせて生きていくしか無いし、文句があるなら「コロナに言え」と自分にも言い聞かせています。(笑)

「コロナは弱毒化していない」という専門家の声も無視できないし、国内外で「再感染」が報告され「抗体が長続きしない」との指摘も忘れてはらないんでしょう。そしてワクチンに多くの期待を持ちすぎるのも間違えているのかもね。素人が考えるほど有効なワクチンは簡単にはできないし、ウィルスの変異が続いていることも大事なポイントだし、インフルエンザワクチンも一度打てばそれで良いわけじゃないのは誰でも知っていること。

 
 
 

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。