アメリカの【賃上げ】が凄い。トラックドライバーで年収2500万円超え。でも私はマレーシアが良いと思う。

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しかしまぁ、アメリカのインフレが半端じゃないですね。

ハワイに行ったら物価が恐ろしいことになっていたとか、ニューヨークでは「焼サバ定食」が3000円を超えるなんて話は以前から聞こえていましたが、アメリカに旅行に行く日本人がびっくりする以上に、アメリカに住む人達にしてみたら地獄そのものじゃないですかね。

日本のインフレが大変だという声はマレーシアに住む私達にも聞こえてきますが、それを聞いてフト思ったことは「コロナが流行っていた頃と同じだ」ってこと。日本でもコロナの蔓延は大騒ぎでしたが、当時、日本の状況って「海外に比べるとなんてことはなかった」んですよね。高橋洋一教授が「日本のコロナ蔓延は【さざなみ】でしかない」と言って批判を浴びましたが、罹患率や死亡率において、日本ではたいしたことはなかったのは間違いがない。そしてマレーシアに住む私達の恐怖も凄かったけれど、実際に自分の周りでバタバタ死んでいくという感じはなかった。

今のインフレも同じで、私の体感では「マレーシアのインフレは大騒ぎするほどではない」と思いますし、「日本のほうが大変だろう」とも思う。でもアメリカのインフレってそれこそ「異常事態」と言っても良いんじゃないですかね。

当然、「賃上げ」が話題の中心になるわけですが、その上昇率も半端じゃない。あちこちで「賃上げ闘争が起きている」のはニュースからわかる。

そして今、ファーストフード店でアルバイトをすると月収50万円。トラックの配送ドライバーが年収2500万円とか。

【配送ドライバーが年収2500万円超に…日本で働くのがバカバカしくなる”アメリカの賃上げ”のすごさ】

これって「夫婦ともに働く」のが普通の欧米では【世帯収入が5000万円を超える】世帯も出てくるってことですよね。夫婦ともども一流企業で働く場合はもちろん、「夫婦でトラックドライバー」でも5000万円を超えるって半端じゃない。子どもたちはマクドナルドでバイトして年収600万円超えですか。

こんな時代になったのか・・・。

私が高校生だった頃を思い出します。

私は親類にアメリカに移住した家族が結構多くいて、彼らはちょくちょく日本に遊びに来ていたんですね。で、いろいろ話をする中で「収入」の話も出ましたが、それを聞いて私はひっくり返るぐらい驚いたもんです。私が高校生時代って「サラリーマンの初任給は2-3万円の時代」ですが、30歳前後の親戚が月収50万円だと知って「嘘だろ?」と思いましたもの。

日本ではまだまだ「高嶺の花」だった自家用車を「家族人数分保有している」なんてことも信じられなかった。

当時は「海外に出る」「海外で働く」なんて、私は全く考えていませんでしたが、それは「そんなことは自分には無理だ。ありえない」と思っていたから。でもアメリカって凄い、豊かだという印象は私の中にしっかり刻み込まれました。

幼い頃に、米軍と関係が深かった日系二世の叔父に連れられて(代々木国立競技場の場所にあった)「ワシントンハイツ」とか、アメリカの軍人が住む住宅地に行った時、「大きな一戸建ての家には芝生がある広い庭があり、大きな犬を飼い、大きなアメリカ車もあり、家の中にはとんでもなく大きな冷蔵庫などの家電製品があり、どの蛇口もひねればお湯が出てくる」のに驚いたものです。アメリカのテレビドラマの「名犬ラッシー」そのもののアメリカが東京のど真ん中、代々木にあったのね。あの頃に感じた「豊かなアメリカ」のインパクトは半端じゃありません。

その後、私は大学生時代になぜか起業して「自営業」をやっていましたが、なかなかうまくいくわけもなく、早い時期に大きな失敗をした時、いろいろな事情がありまして、「グアムへ逃げるように渡った」ことがあります。

グアムには18歳の時に初めて行き、グアム大学の学生寮で寝泊まりし、英語の勉強をする【短期留学】という名目の観光旅行と同じだったわけですが(授業は平日の午前中のみ)、そこで現地の人たちとの出会いがあって、それで私の人生観がガラッと変わり、【グアムとは私にとって特別の地】となりました。このことに関しては前にシリーズでブログに書きました。グアムウルルン物語。 ← クリック

そしてその「グアムへ逃げるようにして渡った」当時は何歳だか忘れましたが、まだ20代の半ばぐらいでしたでしょうか。

もう俺はダメだと落ち込んで、毎日ボ~~っとしながらヤシの木陰でバドワイザーを片手に釣りをするような生活をしていたところ、世話になっていた現地の人達が言い出したんですよ。「何も心配するな。お前一人ぐらい俺たちが面倒をみてやるから、グアムに好きなだけいろ」って。そして頼みもしないのに「働き口もあるぞ」と、なんと「タモン湾にあるヒルトンホテルのフロントの仕事」を見つけてくれた。(就労ビザも取ってくれると)

それがですね、「月収1000ドルぐらい」だったのね。それって当時、ドルは300円ぐらいでしたから、月収30万円なわけです。そして土日とか深夜も働けば1500ドルにはなると。

考えましたよ~。当時、月収45万円なんて「そんなに稼ぐサラリーマンは大企業の部長クラスから上」と言っても良くて、少なくとも日本では、自分には絶対に得ることが不可能な給料で、魅力があるなんてもんじゃなかったのね。そしてその頃は「グアムに一生住むのも良いかもしれない」と思うようになっていました。

でも若くして起業して「夢だけは大きかった」私ですから、ここでグアムに居着いたら「私の夢は終わる」と思ったのね。だからそれが逆にきっかけになって「すぐに日本に戻ることを決めた」なんてことがありました。そしてそこからリベンジが始まった。(でもその後、グアムで起業したり、人生は目まぐるしく変わる)

これもまた二十歳ちょっとの大学3年生のころの話ですが、生まれて初めてアメリカ本土に行ってこれまた衝撃を受けたのね。

ロサンゼルス近郊ではあちこちに「石油を掘るリグ」があって、「日本はこんな国と戦争をしたのか。馬鹿だ」と思いましたっけ。

そして飛行機でサンフランシスコに行ったときですが、飛行機から下の方にキラキラと光っているものがたくさん見えるのね。「あれはなんですか?」とCAに聞いたら、「あれはプールです」と。( ̄口 ̄∥)

「プールが自宅にある」、しかもそういう家が連なっているのを知った時って、まさに「原始人が都会に来て驚いた」ようなもんでした。なおかつシアトルでは「ウォーターフロント」なる「水際に自分の家がある」という、そして大型のクルーザーを裏庭の桟橋に係留している家もあって、【夏休みに1ヶ月メキシコまで行く】なんていう家族とシアトルの運河で会い、「稼ぎだけではない、生活の質のとんでもなく大きな違い」を見せつけられました。

自分の船を持ち、家族と一ヶ月、アメリカ西海岸の上から下まで何千キロのクルージングにでかけるなんて、私にしてみれば「映画の世界」だったのに、「それが現実だ」とわかった瞬間でした。そもそも「どうして一ヶ月も休暇が取れるのか」も理解の外でした。約50年前のあの時の光景は今でもしっかりと細部まで目に思い浮かべることが出来ます。

こういうことが重なって、「自営業で頑張ることの限界」、「日本にいたらどうにもならない」という思いが私の中で醸成されていったわけです。

そんなこんなで「アメリカは稼げる国、豊かな国」という印象を若い頃、持ち続けていた私ですが、なかなか「日本脱出」は簡単ではなく、そして日本でまたネズミのように働くことが続いていたわけです。そして時代は変わり、日本にはバブルも来て、【ジャパン・アズ・ナンバーワン】と世界のトップに躍り出る時代も来たわけです。為替も大きく変わり、ドルも100円台。

これって1000ドルは10万円ちょっとなわけで、「アメリカも大したことはない」「いつか日本がアメリカを追い越すときが来る」「あの時、グアムに留まらなくてよかった」と私も思うようになった。(笑)

でも重要なことは「稼ぐ額ではない」のであって、「生活の質が違う」のもわかっていたわけです。そういう思いが私の根底にしっかり染み付いていましたので、のちの「オーストラリアへの移住」と繋がりました。

「生活の質」はちょっと横に置いといて、「稼ぎ」に関してですが、私は【1ドル360円の時代から、1ドル70円台の時代】も生きてきたわけで、「注目すべきは【為替変動】だ」と思うようになったわけです。これを制することが何よりも重要だと。

輸出入を主にやっていた時代もありますし、父は弱電の輸出をするこれまた中小企業というよりバクテリア企業みたいなもんですが、【為替が10%動いたら、利益なんて簡単にすっ飛ぶ】のは親子揃って経験していました。(笑)

やっぱり輸出が多いわけですが、円安になれば儲かるじゃないかなんてのは机上の空論で、日本は「円高が進む時代」でしたから、下手をすれば「常に損する危険」がいっぱいあったわけです。じゃぁ、輸入だなんて思っても、円高が進むということは【どんどん値下がりする】わけで、利益率が高い商品を扱えるほど仕事ができるスキルがあるわけじゃありませんから、【会社はいつ潰れて当然】みたいなもの。(笑)

「為替に翻弄される人生」だったわけですが、ある頃から「輸出入なんかせずに為替の売買のほうが利益が出る」んじゃないかという思いも芽生えていました。

この1971年からの「ドル円の推移」を見ていると、その時々の自分の状態、考え方の変化も走馬灯のごとく蘇ってきて、感慨深いものがあります。

参照:Let’s Gold

為替で仕事が左右されるなら、為替そのものを扱ったらどうかと考え始めたわけですが、当時はFXも先物もなければ、外貨を得るということは「銀行でキャッシュを交換する」しかないわけですよ。それも理由もなく自由にいくらでも交換できるようにはなってなかったのね。

そして交換手数料は片道2円は当たり前でしたし、私には大きなキャッシュもなければ、キャッシュを寝かせるわけにもいかず、また「為替変動を読むなんて絶対に不可能」だと思ったのね。当時すでに株式投資もしていましたが、長期投資が当たり前の時代で、これまた売買手数料は馬鹿高いし、「将来を読んで利益を出す」なんて私にはとんでもなく難しいことでした。

だから「為替が何よりも重要」とは思いながら、手が出なかった。出しようもなかった。

今になれば、FXでも先物でも「売買は簡単」だし、「キャッシュを全額抱える必要もない」し、チャート分析手法もかなり進化してきて、でもその中でも「安定的な利益を出すのは難しいギャンブルと似ている」わけです。そして私自身もその中で苦労しながら、結局は【将来を予想すること無く、トレンドに従うだけで良い】という自分の売買手法を確立するまでになんと20年も掛かったんですよ。(笑)

そして今、確信していることは、【強い通貨を持たなくてはならない】ということ。では「強さ」とは何かと言えば、それは私にとっては【その通貨の投資効率】なのね。それは「金利」でもあるし、「現地への投資」も同じ。この効率が悪いと、何もかもが意味を成さないという考え方です。

厳密に言うと「ちょっと違う」ところもあるんですが、私は「効率が一番重要」と考えていると言って良いでしょう。そして次に「為替の強さ」であって、【金利だけは高い発展途上国や経済が破綻しかけている国の通貨】ではダメなわけです。だから「トルコリラなら金利20%」なんて言っても、そういう通貨は「為替でボロ負けする」のが世の中の常。

今、【楽天】のユーロドル建ての既発債が、20%以上に回るからといって、それに飛びつく人って「変わった人」なのと同じこと。

基本的には「金利が高い通貨は下げる」のが経済理論としては正しいと思っていますが、「強い国」の場合は、「金利が高いことによって買いが集まり、為替も上がる」のね。これが今のアメリカ。豪ドルの動きも似たようなもの。

でも「金利が高い理由」を考えれば、インフレが加速しているのはほぼ間違いがなくて、「お金が余っている」となれば、【いつか通貨は弱くなる】のが当たり前。「旺盛な需要がある場合のインフレ」はまた別。

そして遠くない将来、米ドルが凋落する日も来ると思っています。

「為替は何で決まるか」ですが、私は基本的には「流通している通貨の量」と「金利」であって、【国力そのものではない】と思っています。だから今の円安も「輸入品が多い国の国民は困るのは当たり前」にしても、日本の場合はGDPも上がるし、海外投資も活発な大企業はウハウハ儲かって、それが回り回って「国の歳入も増える」、そして「賃上げにも貢献する」と思っています。

EUのポルトガルやスペイン、イタリア、かつてのギリシャもそうですが、【EUドルで縛られているから伸びることが難しい】わけで、自国の通貨があれば「通貨安に持って行って輸出も増やせる」のね。でもそれは不可能。(逆に経済が好調なドイツに取っては通貨安の状態を維持できて儲かっちゃう。だからドイツが他国を助けるという図式が固定する)

いつも前置きが長いですが、これで次の考え方が出てくるわけです。

◯ 利回りの良い通貨をもつ
◯ インフレ、生活費の低い国(地域)で生活する(生活費が支出の大きな割合を占めるから)
◯ 為替変動はヘッジをする

この3つの輪をうまく乗りこなせば良いという考え方に至って、それを実践しています。それプラス、自分の所得に関して税金上の恩典があればベスト。(それがマレーシア)

だから昔の考え方ですと、「稼げる国へ行くのが良い」と多くの人が考えて「移民が加速する」わけですが、今の時代は【逆のこと】が成り立つのね。

アメリカの「収入」を見れば、【スゲ~~~~】と思いますが、その収入で十分幸せに生きられるのかというとそうでもないんじゃないですかね。日本で1000万円稼ぐのとアメリカで2500万円稼ぐのとでは「支出、物価に大きな違いがある」すれば、どちらが良いのかなんてわからないじゃないですか。

シドニーに住む次男坊ですが、33歳で年収は2000万円弱ですが、「お金が足りない。このままでは将来がない」といつも愚痴を言っていますが、アメリカと同じ状態じゃないですかね。そして、日本で「この収入じゃ将来がない」と考えるのも、「額は違えど働く人の思いは同じ」なんでしょう。

だから「物価も収入も高い国や地域」に【期間限定の出稼ぎに行く】のは良いと思うんですよ。そういうところで「出費を切り詰めればかなりのお金になる」わけで、それを日本に持って帰ればそれなりの良いことはある。

だから今、オーストラリアへ行く「ワーキングホリデー」が非常に多くなって、「毎月の貯蓄は20万円ぐらい」なんて話は良く出てきています。

これってかなり昔の日本もそうでしたし、今、ベトナムやインドネシアから【日本に出稼ぎに来る人達と同じ】ですよね。だから日本も「昔の日本に戻る」ようなことも起きるんでしょう。「出稼ぎに行くにはどこが良いか?」なんていう情報も増えるんでしょうし、斡旋する業者も増えたりね。「老後はマレーシアに移住~~」なんてのと似たような、しかし内容はかなり違うブームが起きると思う。

でも歳を取っていたり、「自分に何が出来るか」を考えると問題があったり、「家族はどうする?」というのも非常に重要。

そもそもですね、「出稼ぎに出ないとならない」というのは「今の稼ぎでは足りない」ということで、【農家や漁師が暇な時期は仕事がある大都会へ出稼ぎに出る】のと全く同じで、そして今の時代になれば【副収入を持つべきだ】【投資をしろ】というのと全く同じことですよね。

実際に老後の2000万円問題は大問題だと私も思うし、それどころか、2000万円問題にはとんでもない欠点があって、それは「インフレが考慮されていない」ってこと。30年間も成長とは関係なく、デフレの中で生きてきた日本人は【インフレを忘れた民族】と言っても間違いはないと思うんですよ。

でも世界はインフレの嵐。今の日本もインフレ。さて、2000万円問題って、現実的には何千万円になるのか。

だからやっぱり「収入を得るとはどういうことなのか」を根本的に考え直すべき時代になったと私は思うわけで、「アルバイトをすれば良い」的な【古い考え方の副収入】ではダメなんじゃないですかね。

そもそも「収入とは【自分の時間と身体を提供して得るもの】という考え方」があまりにも古いわけで、今、世界に、日本に押し寄せている波は、そんな甘っちょろい考え方で乗り越えられるとは私には思えないのね。

アメリカでは「賃上げの嵐」になっていて、それで助かる人たちも多いとは思いますが、全体を見た場合、【それで足りるのかどうか】は疑問。また賃上げとなれば【物価はもっと上がる】のが必然だと私は思うわけで、結局は【インフレでも利益を出す勢力】が益々強大になり、弱者はもっと弱くなり、賃上げの恩恵はあったにしろ【生死を分ける大事なところ】は他人任せであるのに変わりはない。

今、日本で【赤信号、みんなで渡れば怖くない】みたいな投資をNISAで初めても、最初の一歩を踏み出すという意味では意味があるけれど、登るべき階段、目標地点は「遠く遥かな先にある」のをしっかり自覚して、そして自己責任で「真剣に利益を追求する」必要があると思っています。

「毎月、定額をインデックスファンドに預け入れれば安心」なんて考えるのは、私は「バカ」としか言いようがないと思っていて、「給料が安いからラーメン屋でも始めようか。自分は調理できないから、誰かに任せる。」というのと全く変わらないと思っています。

これに関しては重要だと思うことを(この日記)に書きましたので、インデックスファンドに積み立てをしたら良いんじゃないか?と思う人は是非読んでみてください。

世の中ってやっぱり「弱肉強食」であって、【カモがいるから生きていける】「そのカモをもっと食べてもっと太ろうと虎視眈々としている人たちがごっそりいる」のは忘れてはならないと思います。

新NISAにしても、あれは「政府の責任逃れ。リスクを国民に押し付ける考え方」かもしれないし、「投資をしましょう~~」と声を上げる銀行や証券会社、あるいはコンサルタント的な職業の人達、あるいは書籍も、メディアも同じで、【稼ぎ時が来た】と考えているのかもしれない。

日本人って本当にお人好しが多いと思いますし、世界に出ると「日本人がカモられる」事が多いのもそういうことで、しかし「渡る世間は鬼ばかり」と考えるのも悲しいわけで、【真面目に真剣に、そして自己責任でどうにかしよう】という人たちが集まって【皆で力をつける】ことも出来るはずなのね。

でもその原点は「私達が投資をする、あるいは相談する時」に【その相手に収入が生まれるのかどうか】をしっかり見る必要があると思っていて、たとえば「投資信託」にしても【リスクは客持ちにして、自分たちは手数料で確実に稼ぐビジネスモデルでしか無い】という認識は大事だと思うわけです。

「自分は損しても、相談相手は儲かる」という関係だったら、私は真面目に耳を傾けようとは思いません。(だから私はコンサルタントを生業とする時代もあったけれど、成功報酬が基本でした)

しかし「ただより怖いものはない」のも大正解で、やっぱり「自己責任で自分の脳みそをフル回転させて頑張る」しかないんじゃないですかね。そして「そういう人たちが集う場所」もあるわけで、しかし「良い情報は独り占めにして出さない」「他人が持っている情報は欲しい」のも世の常だけれど、それでも「一人で頑張るよりは良い」かもしれなくて、「情報交換の場」は常に探すのは良いと思っています。

「この人の言うことは間違いがない」なんて思ったら「ネットワークビジネス」に誘われたりするかもね。(笑)

「詐欺にあった」なんて人は多いけれど、「そもそもどうしてそんなうまい話が自分に回ってくると思ったのか」と私は聞きたいんですよ。「絶対に儲かる話」なら他人に教えること無く、自分で目一杯借金でもして投資すればいいだけのことじゃないですか。

そして「詐欺に合う機会」を生むのは「自分自身かもしれない」という考え方が大事で、たとえば、喫茶店のテーブルの上に「財布とスマホ」を置いたままで、周りに誰もいなかったら、【盗みなんてしたこともないような人でさえも、盗んでしまおうか】と考えるかもしれない。

日本人は「落ちていた財布」は絶対に警察に届ける。だから私は人を信用したい。と思うなら、お好きにどうぞ~~~というしかない。

でも私は「自分や愛する家族の運命を他人の善意に任せる」なんてことは絶対にしません。

【親子兄弟の中でも「遺産相続で骨肉の争いをする」】現実をなんと見るのか?って話。

私達には「相手が罪を犯したり、私達を騙したりしないようにする知恵」があるわけで、それを活用しつつ、投資や資産形成をすることは出来るはずなのね。

そもそも「収入を得るには【どこかに勤める】しかない」という考え方が私みたいな野良犬には異常に思えるわけです(笑)。「食料を得るには、自ら狩りに出る」のが常識という考え方を私は持っていて、「給料をもらう」なんていうのはせいぜいこの100年ぐらいに広まったことで、私達は何万年も「自ら狩りに出る」ことをしてきたじゃないですか。

そんなの無理だと思うかもしれませんが、私達の先祖にもし一人でも「自分で狩りに出るのは嫌だ。獲物が捕れなかった時のリスクも負いたくない」という人がいたら、今の自分は存在しないんじゃないですかね。

私達の未来も同じことが言えるかもしれなくて、「自ら稼ぐ」ことを放棄した子孫はどこかで消滅するかもしれない。

そして「ボーダーレス」になった今の時代、【国境を超えて稼ぐ能力】が重視されるんじゃないですかね。

「より良い収入を得るために【東京さ行くべ~】という時代は終わった」と思う。

IT、そしてAIを駆使して、都市どころから国さえもその制約から逃れて稼ぐ人たちがどんどん出てくるんじゃない?

そういう時代に入ったのだと私は考えています。

そんな中でサバイバルを考えないとならないわけで、「バイトでもする?」「インデックスファンドにつぎ込めばダイジョブじゃね?」みたいな発想で生き残れるとは思えず。

 

 

 

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