今頃になってひしひしと「インフレが加速している」のを感じる

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やっぱり鈍感なんでしょうね、今頃になって「インフレが進んでいる」と思うことが多くなってきました。

我が家は全員が「引きこもり」ですし、付き合いも少ないし、世の中で何が起きているのかを実感するスピードがかなり遅いのがわかる。

でもたまに買い物に出たり外食をすると、「ん?知らない内に高くなったなぁ」と感じることが多い。また相変わらず日本から定期的に買い物をする(ほとんどがアマゾン)のだけれど、高価なものは買わないにしてもちょっと気になるものが「高くなった」と感じるし、送料などの「サービス全般」が高くなったと思う。

マレーシア国内でも「通販」が非常に多くて、日用品や食料品も「デリバリ」してもらうことが多いのだけれど、食事もそうだし、特に「肉類、魚介類」が高くなったと思う。

前から「安物買いの銭失い」をやっているのはブログに書いているとおりだけれど、「高くてもしょうがないか」と買ったものが「こんなレベルなの?」と思うことがどんどん増えている。

「価格が据え置きのもの」も多くて、それは【日本から輸入されている食品類】なんだけれど、定番の食材や調味料に大きな変化があるとは思えないものの、やっぱり生鮮物はかなり質が落ちているのがわかるのね。

日本からの生鮮物って、和食材の輸入卸商のものだけじゃなくて、和食店で食べるものも【売値を抑える必要がある】んでしょう。間違いなく「質を落として対応している」のを感じるのね。でも値上げもしている。

外食は少ないし、高級店も行かない我が家ですが、やっぱり「気になる店」ってあるわけで、そんな店をネットで見ていると【おまかせコースが800リンギを超える】なんてのがチラホラ見えてくる。800リンギって日本円で27000円近いわけで、お酒がメチャ高いマレーシアだと、ましてや高級店でそれなりのお酒を飲めば、一人4万円という数字が見えて来てしまう。

これって今の時代は当たり前のようで、というか30年前でも日本の高級店では当たり前の値段で、そういう意味では「今も同じ」って方がおかしいのかもしれない。ましてやインフレが進む海外では一人8万円とか10万円近い価格設定がされている和食店も少なくない様子。

う~~~~~む、時代に取り残されている。そんな感じが日増しに強くなって来ます。

でもま、世の中では「どんどん良い店が出てくる」わけで、そして当然、インフレがあるわけで、年寄りが「安いなぁ」とか「リーズナブルだ」と思うものが減ってくるのは当たり前といえば当たり前。マレーシアでも「小綺麗な店」が増えてきているし、東南アジアの国々の【欧米化】と言えばその通りなんだろうけれど、昔のマレーシアみたいな「安いねぇ」という感覚はどんどん減っている。

でも当然、「安いところも多い」のは日本とて、あるいは異常な物価高に思えるアメリカやオーストラリアも同じで、要は【格差がどんどん広がっている】ってことなんでしょうね。

日本では、かつて「一億総中流」と言われる時代があって、皆が「自分は普通」と思っていたのは我が家も同じ。でも海外に出ると「これほどの大金持ち、半端じゃない貧乏人がいるのか?」って驚きましたよね。

日本ってやっぱり素晴らしい国で、「普通に育ち、普通に働いていれば、皆が中流になれた」のは【奇跡】なのかもしれない。

でもそういう時代も終わり、格差はどんどん大きくなり、「日本の高度成長を支えた人たち」が老後を生きるのも難しく「下流老人」なんて言葉も出てきた。まさか銀座や赤坂で遊び慣れた「やり手の人たち」がこんなことになるとは想像もしていなかったんじゃないかなぁ。

「昔はこれでも凄かったんだぜ」なんて話は笑われるだけだから多くの人は黙っているけれど、かつて父の友人で大手上場企業の部長クラスで、我が家に訪ねてくる時には「運転手付きの黒塗りの社用車」で来ていたような人が、「定年なんだけれど、高速道路の切符きりの仕事も競争が激しくて仕事がない」「ちゃんと食える家業(新橋の飲食店)があるお前が羨ましいよ」と嘆いていたのを思い出します。でもそれってもう40年も前の話。

当時「嘘だろ?」と思ったのだけれど、いつの間にかそれが普通になっていった。

あの当時ガンガン稼いでいた「やり手」が今、生きるのは難しいってことは、今の時代の中年、ましてやこれからの若者ってこのままだととんでもないことになるのは確実なのかもしれない。そもそも昔は「皆が正社員」みたいなもんで、非正規雇用なんて言葉もなかった。

でも日本がこんなになったのは、ある意味、「他の国々と同じになった」と言えるのかもしれなくて、【寄らば大樹の陰】が通用しなくなっただけなのかもね。ましてや今の日本って「外資がしっかり入り込んでいる」わけで、どの企業も「短期目標の達成」が義務付けられていて、「経費削減」は当たり前で、当然、【人件費は常に削られる対象】だし、それでも内部留保が大きくなるのはまだ良かったのかもしれない。

今では【配当を出す】のが非常に重要で、内部留保の大きさに目を向けるだけだと駄目だと思うんですよ。今はとんでもない額が配当で出されていて【富が投資家に集中してしまう構造】だと思う。そして「日本の富の多くの部分が海外の株主に吸い取られている」のは数字の推移を見ればすぐに分かる。

かつては「会社は株主のものではない。社員のものだ」なんてことが良く言われていたけれど(今でも敬愛する武田邦彦教授はそう言う 笑)、今、それを言ったらバカ扱いされる。当然、「利益は社員に還元する」ことを重視する企業は無くはないにしても、構造的に【株主が今まで以上に、それも外資が利益を吸い上げる構造】になっているのは間違いがない。

だから「貴方も株主になりましょう」ってことなんだろうけれど、こういう資本主義社会が本当に良いとは私には思えず。

でもそれに抵抗したところで何が起きるわけでもなく、「負け組」あるいは「搾取される側」として下流に流されていくだけなんでしょうね。

でも株式市場の中でも「熾烈な戦い」が行われているわけで、「株主になろう~♫」なんて人たちは大昔から「カモ」でしかないわけで、日本政府は新NISAも推していて、口座開設は瀑増中で、多くのカモがネギを背負って参入を始めている。

この構造ってアメリカでは何十年も前に始まっていて、株式投資は一般の中でも定着している。だからこそ政府は「株価を上げることが重要」で、それが出来ない政権は維持できない。

日本の政府にそれが出来るのかというと、私は出来ないと思っていて、精々、「買い支えをする」レベルで、【経済を盛り上げる】なんてことはしない、出来ない。でもアメリカはその為に戦争さえする国。

だから「やっぱり投資するならアメリカでしょ」というのは、私も大正解だと思っていて、でもそのアメリカも「陰りが見えている」からややこしい。

アメリカは「借金経済」で企業も個人もどんどん借金をして使うという構造が根底にあって、特に民主党は平気でジャブジャブお金を使い、お金を刷って市場に投入。そんな国債を日本やドイツ、その後、中国が買い支えるという構造があったけれど、それも今、壊れつつある。

かつてのアメリカって本当に凄くて、世界の富の半分以上を占めていた。軍事力も凄まじくて、目の上のたんこぶはあの手この手を使って潰してきた。でも時代とともにそれも変化してきて、オバマが「アメリカは世界の警察ではない」と言ったのはそれを象徴していると思うし、ベトナム戦争のころから「勝てないアメリカ」も見えてきて、近年はことごとく失敗しているんじゃないですかね。

イラク戦争ほど「アメリカの焦りが見えた戦争」はないと私は思っていて、「大量殺戮兵器がある」といい加減なことを言って、イラクのフセイン潰しをした。戦後「大量殺戮兵器はありませんでした」なんてことになってもアメリカは何の罪も問われない。先導したブッシュもブレアも、またブレアから電話で「協力してくれ」と言われた小泉元首相は「わかりました」とその場で返答したけれど、何の責任も追求されない。

誰も罪に問われないし、ブッシュとブレアは「戦争犯罪人である」と主張し弾劾したのは、私はマレーシアしか知らない。

結局、世界は「ヤクザの世界」と同じで、強いものがトップに立つ。そして彼らの理論が「正義」となる。

でも徐々に力をつけてきた国々が「もういい加減にしろ」と声を上げているのが今の状態だと思っています。そして実際にそれが言えるだけの力を彼らが付けてきた。それがBRICSであり、BRICSに参加したいと表明する国々が増えている。

私としては「落ちぶれてもアメリカはアメリカ」だと思っていて、弱小国が集まって力を合わせたところで、そもそも「内輪もめ」ばかりしている弱小国が一致団結できるわけもなく、「米ドルは使わない」「統一通貨を作ろう」なんて言ったところで、では貿易は米ドルを使わなくしたところで、「その利益や外貨を人民元やロシアルーブル、ブラジル・レアルで持ち続けよう」なんて国が出てくるとは思えず。人民元なんて中国共産党がいかようにもいじる通貨なのに、私にしてみれば「持ちたくない通貨のトップ」だと思うぐらい。

でも中国共産党に尻尾を振る国はいくらでもあって、日本もそのうちの一国。またアメリカも強く反目し続けても無理だと思っているのか、バイデン=習近平会談が開催される。どうなるんですかね~。

これもヤクザの抗争と似ていると私は思っていて、「手打式」が行われる可能性もあるのかもね。そうじゃないと、ウクライナ戦争、イスラエル紛争が深刻化してくれば、「俺も始めようか」と中国が考えるのは必然で、こういう「アメリカが動くに動けないチャンスを見逃す」としたら習近平はアホかもしれない。

今、本当に「第三次世界大戦への導火線に火がついている」と私は思っていて、私達がまさかと思う「米中の歩み寄り」が行われる可能性は大きいと思っています。

保守系の思想を持つ(私も)世界の人たちは「冗談だろ?」なんて思うはずですが、今の動きを「ヤクザの抗争」だと思えば、全て納得できるんじゃないですかね。

結局、保守系もリベラル系も「表面的な理想論に酔っている」だけで、ヤクザの世界にそれは通用しないんじゃないかと思ったり。

こういう混乱期こそが「雌雄を決するチャンス」であるのは間違いがなくて、中国共産主義者が世界の中心に立てるチャンスを見逃すとはどうしても思えず。

「時は満ちた」と習近平が考えるのか、あるいは「戦わずして勝つ」方法をまだまだ模索するのか。

そういう意味でイスラエルやイランは「戦闘派ヤクザ」と同じで、どちらも【相手を地球上から消す】ことを国是としている。そしてそれぞれバックが付いているわけで、イスラエルやイランは「自分が勝つために世界の国々を道連れにする」ことは厭わないと思うんですよ。なんせ「自国の存在意義」が【敵を倒す】ことに置かれているんですから。

でも「今、ここで事を大きくするべきではない」と考えているのは西側諸国もアラブ諸国も同じだけれど、それは「平和を望んでいる」のではなくて【まだその時ではない】と考えているからだと思うんですよ。【勝てる】と読んだ時には行動を起こすのが普通で、ロシアがウクライナに侵攻したのも同じでしょう。中国がチベットやウイグルに侵略したのもそのチャンスがあったからに過ぎないんでしょう。いまだに侵略国である中国に対して世界は文句も言わない。

そうやって「邪魔者は消してきた」のが人類の歴史で、その考え方の中心に「一神教がある」と私は思っています。中国は共産主義のみが信仰の対象なんでしょう。

【皆、違って、それで良い】という多神教の考え方が彼らには【無い】と言っても良いと私は思っていて、「いつかはぶつかる運命」なのは、今までの過去もそうだったし未来も同じじゃなかろうか。

いつか世界が焼け野原になって、再び歩き出す時に、「日本とインド」に出番があると良いななんてことを夢想しています。

でも焼け野原になったところで何が起きるのかは、世界の大きな災害時、あるいは貧困層が増えると何が起きるのかを見ていると、民衆は「野獣となる」のは今の時代でも普通に見えるわけで、まだまだ最悪とは言えない状況なのに、もうアメリカでは民衆が群れをなしてアップルストアや大きなスーパーになだれ込んで略奪をしている。

触らぬ神に祟りなしとは思うけれど、宇宙船地球号はあまりにも小さく狭く、彼らを無視したり、距離をおいて生きることは不可能。「対岸の火事」なんて言ってられないんじゃないですかね。

困りましたねぇ。ヤクザ相手に理想論をぶちまけてどうにかなるとは思えないし。

NWO(ニューワールドオーダー)で【人口削減】が強く言われるのはその通りかもしれないと思ったり。

人口減少で経済が大変なことになるなんて言うのは「目先のこと」でしかなくて、地球のことを考えたら、人口を3分の1ぐらいにしないと駄目なのかもね。

私は趣味で家庭菜園を長らくやっていましたが(水耕栽培)、必ず「間引き」をしないとならないことに、なんとも言えない悲しさを感じたのを思い出します。

種を蒔くのは「子どもたちを増やす」のに似ていて、種の一粒一粒に「元気で育てよ~~」と声を掛けて蒔きますが、それぞれが芽を出すと可愛いなんてもんじゃないのね。でも育ちの良し悪しは必ずあるわけで、ここで最初の間引きをする。これって親が子を殺すのに似ていて、なんとも言えない不条理さを感じます。

そしてそれぞれが段々と育ってきても、次の間引きをするわけで、最終的に2つ3つの苗に減らす。これがハンパじゃないプレッシャーで、子供が3歳4歳に育ったところで、成長の良いものを残して後は殺すのと同じ。

それらがどんどん育ったところで「良い果実を手に入れたり、強く育てるために」に【わざわざ成長点を切り取る】こともすれば、彼らの手足である「枝も落とす」わけで、そしてやっと実がなったにしても、それを無理やり切り取って食べちゃうわけですから、なんと世の中って恐ろしいのかと毎日考えていました。

畜産関係なんてもっと恐ろしいことになっているわけで、鶏卵業界では「ヒヨコのオスはほぼ全部殺して廃棄処分」なんて考えられませんよね。命を命として扱っていないのが我らが人類で、それでも困った時には「神様、助けてください」と祈るなんて笑い話に思えます。それでいて猫や犬が側溝にハマると救急隊員まで総出で助ける。

家庭菜園は地下室の人工環境下でやっていたのですが、育てている野菜達の真ん中に椅子を置いて、何もせずに何時間も彼らをただ見つめているだけの時間が好きでした。彼らを見ているだけで、「世界の真相が見える」ような気がするのね。

ちょうどその頃、私の二人の子どもたちも成長期で、可愛い盛りでしたが、子どもたちと野菜たちとダブるんですよ。

愛情を注いでいるのはどちらも同じですが、自分の子供を殺す、間引くなんてことは絶対にしない。でも野菜たちは当たり前の様に間引くし、間引かないとどれも生き残れない。

ということは【自分の子供でも必要があれば間引くのが真理なのか】とも思えてくるわけで、野菜たちを眺めながら申し訳ないと思うのと同時に、子どもたちを考えると知らず知らずの内に涙が流れてくることもありました。実際に日本でも過去においては「口減らし」で乳児を殺したり、娘は売ったりした過去がある。

つまりですね、イスラエルとパレスチナ(イラン)が民族の存亡をかけて戦うのは【必然】かもしれないと思うのね。

私はSMAPの「世界に一つの花」という曲が大嫌いだったのですが、あれって「他の種族や仲間も殺して、生き残った花」の歌なのね。花屋に並んでいる花たちは、皆「勝ち組」で、しかし一生をまっとうすること無く切り取られた、結局は敗者だったという歌。

私達が野原一面に咲く花を見て「美しい・・」と思うのも錯覚でしか無くて、あれって「単一の種族だけ」を残して他を殺した結果であるし、一つ一つの花も「隣の花と強烈な存続のための戦い」をしているわけじゃないですか。太陽の陽を多く浴び、地中の栄養を「自分が多く得ようとする戦い」があの世界では24時間、365日繰り広げられているわけで、なんとおぞましい世界なのかと私は思う。

だから「美しく見える姿」は、恐ろしい本性を隠すためのようにも思えてくるわけです。そして昆虫や鳥達にアピールして受粉したり種を遠くに飛ばし【生き延びるために美を手に入れた】のかもしれない。女性がお化粧をしたり着飾るのも同じかもね。(笑)

結局、「命あるものは同じことをしている」と思うんですよ。

私は釣りも好きですが、生き餌を使ったり、ルアーやスプーンを使って釣るということは、そういう弱肉強食が水の中では当たり前に起きているってことでしか無いんですよね。だから疑似餌でも釣れる。

だから「生きること」「死ぬこと」そして「戦うこと」は命あるものの宿命なんだろうと。それが人類の歴史でもあり、「今は幸せ」なのは【戦って邪魔者を消してきた結果】でしかないのは間違いがない。

でもね、私には一つの希望があるんですよ。

それは日本の縄文時代ですが、歴史的には「弥生人に縄文人は駆逐された」ことになっていますが、近年の研究で、縄文人と弥生人は【共生していた】のがわかってきているのね。それは遺跡からの出土物を分析するとわかるとのこと。

世界は、特にヨーロッパは「人種間の闘争が激しかった」のはわかっているわけで、もっと遡れば、私達ホモ・サピエンスはどうもネアンデルタール人を絶滅に追いやったのは間違いがないようで、本来なら他の系統も含めた「数種類の人類」が存在してもおかしくない。

でもま、ネアンデルタール人のDNAを一部持つ人間も少なく無いようで、異種間の交雑はあったのだろうけれど、ネアンデルタール人は過去に存在した「人属の一種」として消えていった。

ま、縄文人と弥生人は違う人属ではないにしても、大きく文化も違う人種が日本列島で一緒に協力しあって生きてきた証拠があるそうで、私はそのDNAとも言えるべきものが日本人にあると思うんですよ。そしてそれが「多神教」に繋がっていったのだろうと。

縄文時代って1万年以上続いたらしくて、多くの遺跡の中には「戦闘用の武器」「戦闘で殺された遺体」が殆どないのと同じくらい少ないと聞いて驚いたことがあります。

当然、弓矢や槍は出てくるわけですが、ご存知の人は多くはないかもしれませんが、例えば「矢じり」でも動物用と人間用(戦闘用)とは形状が違うのね。それは「肋骨の方向」に関係があるわけで、4つ足の動物と二足で立つ人間とは肋骨の方向が違う。だから狩猟用と戦闘用の弓矢の矢じりは【向きが90度違う】からすぐにわかるんだそう。狩猟用の矢で人間を射っても、肋骨で跳ね返されるってこと。矢じりが平べったく出来ているのは、そうすることによって「骨の間をすり抜けて深く刺さる」ようになっているから。

また縄文土器が華やかであったり装身具が多く出土するのも、それは「平和であった」ということらしく、そこに「戦うことを知っている弥生人」が流入してきて、土器も装身具も質素で実用的になったのだろうと言われている。

でもま、縄文時代が平和であったのも自然に恵まれていたのが理由らしく、本来は狩猟民族は「移動を繰り返す」のに、狩猟民族である縄文人は「その地に定着していた」とのこと。しかし弥生時代になって「農耕の広まり」で爆発的に人口も増え、「領地の拡大」が必要になり、戦闘も増えるようになったとの説もある。

この辺の話は日本最大級の青森の三内丸山遺跡の事を調べるだけで色々わかる。あの大昔の縄文時代にあの集落は1700年もの間、存在し続けた世界的にも珍しい巨大集落で、しかも戦いらしい戦いの痕跡も無いらしい。1700年間ですよ、1700年。それも6000年前の話。

どちらにしても日本には古来から「和を以て貴しとなす」という考え方があるのが凄いことで、「敵は滅ぼすべし」ではなかった。もしかするとこの考え方が「日本の将棋のルール」にも影響を与えているのかもね。敵の駒を自軍として使えるというルールは非常に珍しいとのこと。

やっぱり日本人の血の中に「徹底的な争いごとを好まない」という性向があるのは間違いがないようで、民主主義という概念がヨーロッパで生まれるはるか昔から、日本には定着していたのだろうと思っています。

そういえば「お城」の形状が日本は他国と違うんですってね。海外では敵の侵略、殺戮、略奪から守るために【城内に住民も住んでいた】と。ところが日本では「城の外に住民は住む」と。これは「敵を攻めても住民は殺さない」のが基本にあったからと言われている。基本的に「民間人は殺さない」のが日本の歴史。

ですから今の混沌として争いの絶えない世界を見ていると、「何万年も前から同じことを続けている」としか言いようがないのだけれど、もしそれを打開することが出来るとしたら「縄文時代から脈々と日本人に流れる平和主義」じゃないかと思ったり。

日本人の「憲法9条を信仰する宗教みたいな考え方」も、日本人特有の平和主義が根底にあるのかもしれない、みたいな気がしています。だから私は改憲支持派ですが、9条信仰にはもっと深いものがあるのかもしれないと思ったり。

そしてそれは「多神教か一神教か」という違いにも大きく関係していて、そういう意味で似ているのは多神教仲間としての「インド」じゃないかと思うんですよ。ま、インドのカーストなんて半端じゃなく酷いとは思うものの、私はインド人の「考え方」に日本人と近いものがあると常々感じているのは前にも書いた通り。

そして今、大きく存在感を増してきたインドですが、彼らの世界観というか世界戦略の中に【道義的に正しくあることが重要だ】というのを強く感じるし、彼らはそれを全面に出している。でもそれは「どっちつかず」「八方美人」とも見えるのは間違いがない。

でもそれって「日本と似ている」とも思うわけで、共存するのには「白黒を付けないこと」が重要で、それで良いのかもしれない。

イスラエルとパレスチナのハマスに関してもそうで、どちらが悪いのか白黒付けるのは非常に難しいと思うんですよ。だからこそ「テロを行ったほうが悪い」ということで決めるしかないんでしょう。いやいや、イスラエルも半端じゃなくえげつないことを繰り返してきたし、「窮鼠猫を噛む」のと同じでハマスの行動も理解できるという人も少なくない。

たとしたら2001年の911NY同時多発テロはなんだったのかとなりませんかね。

今、ドイツがややこしいことになっているようで、ドイツは過去にナチスが酷いことをやった、それを許した反省から【ユダヤ人批判はご法度】なのは法律でも定められている。つまり、今回の件では「イスラエル側につくしかない」わけで、それって「おかしくね?」という考え方はあるものの、理想と現実の間に挟まれて混乱しているとのこと。

ま、こんなことを毎度のごとくいつまでも書き続けてもしょうがないのですが、世界の混乱やインフレって我が家の生活、将来に大きな影響があるわけで(大損もしたし 笑)、これから頑張って稼ごうという機運が我が家では高まっています。

ただ自分で言うのもおかしいですが、「守銭奴になってはならない」「金は使うためにある」「金は天下の回りもの」という考え方が我が家の基本にそれらがあって、「儲かるならなんでもオッケイ。とにかく稼ごう。溜め込もう」という考え方は無いのね。

人にはそれぞれ出来ること出来ないことがあって、また「やるべきこともほぼ決まっている」のは社会では当たり前のこと。そして理想論をいくら並べても何も起きませんから、【とにかく出来ることをしよう】というのが我が家の考え方。

でも我が家に出来ることはなにかといえば、大したことは出来ないし、かといって理想論を振り回して良い気持ちになるなんてマスターべションそのものですから、何かしらやりたい。その中で出来ることと言えば決まってくるわけで、そのためにはどうしてもお金が必要なのね。

それで世界を変えられるとは思っていないけれど、まず家族から、そしてその環を広げていくという考え方があります。小さいながら「皆が平等に安全と幸せを追求し、搾取のないコミュニティー」を作りたいのね。それはまさに見たこともないけれど、縄文時代の日本人のコミュニティーかもしれない。

そして今の時代、お金は食料や空気と同じで、それなくしては何も出来ないし、それ無くして何を叫んでも負け犬の遠吠えにしかならないと考えています。

ということで、ブログにはあえて書きませんでしたが、ダボ家として「新たなプロジェクト」を起動させることにしました。

インフレに負ける?そんなことでガタガタ言っている暇はない。

ダボ家の男3匹。さてさて何が出来ますでしょうか。

何の縁があったのかわかりませんが、この世で出会った3人は「この約束があったから」かもしれず、どこまで出来るか、見えないものへの畏怖と尊敬、感謝の念を根底に持ちながら頑張るつもり。

私は命や死も「波かもしれない」と考えているのね。つまり海岸に寄せてくる波と同じで、でも輪廻転生があるのかどうかはわからないにしても、波のように海岸にたどり着けばスーッと消えていくような。そしてそれは永遠に続く。

また「生きている状態」って、たとえば私達が「住む場所をちょっと離れてハワイ旅行に行った状態」と同じかもしれない。そりゃハワイに到着すれば、一生懸命その滞在を楽しもうとするし、「楽しいことは善」であって、わざわざ苦しいことや嫌なことをしようなんて全く思わない。

「ハワイに来るのはこれが最初で最後」の様に、そして「人生は一度きりしかない」と考えるのと同じ様に【楽しむことに専念する】のが当たり前。

でもハワイ一週間の旅はいつか終わって日本に帰る時が来る。さてさて、日本では毎日何を考えながら何を楽しみに生きるのか。何を大事にして生きるのか。

私にしてみると、その日本での生活が「主」であって、ハワイ旅行に行ったのは「たまたま」でしかないわけで、でもどちらが正しいのか、どちらが重要なのかということもなくて、どちらも重要なんだろうとしか思わない。

もしかしたら、生死もそれと同じじゃないか、みたいな気がするんですよ。死んでいる状態が普通だとは思わないけれど、「ハワイで楽しむことばかり」考えていて良いのかみたいな。

私としてはその両方を大事にしたいと思うんですよ。ハワイ滞在も重要、でも日本に帰ってからも重要みたいな。

そしてそれは海岸に打ち寄せる波のように「常に繰り返される」みたいな。

そんな生死をも関係ない魂の存在として「存在していて良かった」と私は思いたいし、「永遠の時の流れの中でやりたいと思い続けてきたことがあるはず」と思うのね。

というか「それがあるのを忘れるな!」という声が昔から心のなかに聞こえるんですよ。

それなのに「時代の変化に乗り遅れている」なんてかなりヤバイんじゃないかと思うようになりました。

やっぱり病気か? (笑)

-----(追記)-----
 

正直なところ、生活費が安いマレーシアに依存しすぎていると思うんですよ。

世界は、日本は今こういう状態なのをマレーシアに住んでいる自分も真剣に考えないと駄目だな、と。

日本人は国際的に低い給料の本質をわかってない
アベノミクスにより世界5位から30位に転落した

東洋経済オンライン

OECDが加盟諸国の年間平均賃金額のデータを公表している。2020年について実際のデータを見ると、つぎのとおりだ。日本は…

また近いうちにこのニュースも削除されると思いますので、転載させてもらっちゃいますね。

日本の賃金は、OECDの中で最下位グループにある。アメリカの約半分で、韓国より低い。同様の傾向がビッグマック指数でも見られる。
ところが、アベノミクス以前、日本の賃金は世界第5位だった。その後、日本で技術革新が進まず、実質賃金が上がらなかった。そして円安になったために、現在のような事態になったのだ。円安で賃金の購買力を低下させ、それによって株価を引き上げたことが、アベノミクスの本質だ。
昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第53回。

日本の賃金はアメリカの約半分で、韓国より低い

OECDが加盟諸国の年間平均賃金額のデータを公表している。

2020年について実際のデータを見ると、つぎのとおりだ。

日本は3万8515ドルだ。他方でアメリカは6万9391ドル。したがって、日本の賃金はアメリカの55.5%でしかない。

ヨーロッパ諸国を見ると、ドイツが5万3745ドル、フランスが4万5581ドル、イギリスが4万7147ドルだ。

韓国の賃金は4万1960ドルであり、日本の値はこれよりも低い。

2020年において日本より賃金が低い国は、旧社会主義国と、ギリシャ、イタリア、スペイン、メキシコ、チリぐらいしかない。

日本は、賃金水準で、いまやOECDの中で最下位グループに入っていることがわかる。

だから、日本人は、日本で得た賃金を外国で使っても、あまり大したものが買えない。

こうした状況に対処しようと思えば、アメリカや英独仏、あるいは韓国などに出稼ぎに行き、日本より高い賃金を得ることだ。日本人が老後生活を送るためには、海外出稼ぎを真剣に考えなければならない時代になってきた。

「ビッグマック指数」というものが算出されている。これは、イギリスのエコノミスト誌が公表しているデータで、各国のビッグマックの価格を比較したものだ。

2021年のデータを見ると、つぎのとおりだ。

日本のビックマックは390円で、これを為替レートで換算すると3.55ドルになる。

他方で、アメリカのビックマックは5.65ドルである。したがって、日本のビックマックはその62.8%ということになる。

上で見たように、OECDの数字では、日本の賃金はアメリカの賃金の55.5%だった。ビッグマックの価格の違いも、賃金格差のデータとほぼ同じだ。

またユーロ圏のビックマックはドルに換算して5.02ドル、イギリスのビックマックが4.5ドルである。これも、賃金格差とほぼ同じ傾向だ。

さらに、韓国のビックマックは4.0ドルであり、これは日本の3.5ドルより高い値になっている。これも賃金の場合と同じだ。

ビッグマックの価格は日本が最低

ビッグマック価格が日本より低い国は少ない。これも賃金の場合と同じだ。

このように、賃金で見てもビックマック価格で見ても、日本と外国の格差は同じような傾向になっている。

これは、ビッグマック指数がある時点での賃金の国際比較をするのに使えることを意味する。

これは、別に不思議なことではないし、偶然でもない。

ビッグマックの価格と賃金の比率がどこの国でも大体同じような値であれば、賃金における日本と外国の比率と、ビックマック価格における比率は、ほぼ同じようなものになるはずだからだ。

もう少し詳しく言うと、つぎのとおりだ。

OECDの数字は、2020年を基準とした実質賃金を、2020年を基準とした購買力平価でドル表示したものだ。

したがって、物価の変動を除去した実質賃金であり、また為替レート変動の影響を除去したものになっている。

どちらも2020年を基準としているので、2020年については、名目賃金を実際の為替レートで換算した額に等しくなっている。

日本人の賃金が国際的に低いという状態は、昔からそうだったのだろうか?

アベノミクスが始まる前の2010年がどうだったかを、ビックマックの2010年の価格(ドル換算値)で見ると、つぎのとおりだ。

日本は3.91ドルで、アメリカの3.71ドルやイギリスの3.63ドルより高かった。

日本より高かったのは、スイス、ブラジル、ユーロ圏、カナダだけだった。

韓国は3.03ドルで、日本より低かった。

この時には日本のビッグマック価格がこれだけ高かったのに、いまは低くなってしまったわけだ。

つまり、日本人は、国際的に見て、アベノミクスの期間に急速に貧しくなってしまったことになる。

日本の実質賃金は伸びなかった

なぜ日本は急速に貧しくなったのだろうか?

それを見るために、OECDの年間平均賃金額データで2010年の値を見ると、つぎのとおりだ。

日本の値は3万8085ドルで、アメリカの6万1048ドルよりかなり低い。

またイギリスの4万6863ドル、ドイツの4万7054ドル、フランスの4万4325ドルなどに比べても低い。また韓国の値は3万6140ドルであり、日本と大差がない。

このように、2010年においては、OECDの数字とビッグマック指数がかなり異なる状況を表している。

こうなる理由は、つぎのとおりだ。

上で述べたように、OECDの数字は、2020年を基準とする購買力平価によって各国を比較している。

ところが、2010年は円高だった。しかし、2020年基準購買力平価では、2020年と同じ購買力にするように為替レートを調整するので、2010年の現実の為替レートよりは円安のレートで比較しているのだ。

したがって、日本の賃金は、国際比較で低く評価されることになる。

このようなデータを算出しているのはなぜか?

それは、為替レート変動の影響を取り除いて、その国の実質賃金が時間的にどのように変化したかを見るためだ。

2020年購買力平価で計算した数字を時系列的に見れば、各国通貨表示で見た実質賃金の推移を表わしていることになる。

そこで、年間平均賃金額について、2000年に対する2020年の比率を見ると、つぎのとおりだ。

韓国は1.45倍と非常に高い値だ。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスは、1.2倍程度だ。

ところが、日本は1.02でしかない。つまり、この20年間に、実質賃金がほとんど上昇しなかったのだ。

実質賃金が上がらず、かつ円安になったために、ビッグマック指数で見た日本の地位が低下したのだ。

アベノミクスの本質:労働者を貧しくして株価上昇

日本の賃金が国際的に見て大幅に低い状況は、本来は不均状態とはいえない。

なぜなら、もしマーケットが正常に機能していれば、日本製品の価格が安いのだから、日本の輸出が増え、円高になるはずだからだ。

この調整過程は、現在の上記の不均衡がなくなるまで続くはずだ。

しかし、円高になると、輸出の有利性は減殺される。本来は、円高を支えるために、企業が技術革新を行い、生産性を引き上げねばならない。

それが大変なので、円安を求めたのである。

手術をせずに、痛み止めの麻薬に頼ったようなものだ。

このため、日本の実質賃金は上昇しなかったのだ。

物価が上がらないのが問題なのではなく、実質賃金が上がらなかったことが問題なのだ。

賃金が上がらず、しかも円安になったために、日本の労働者は国際的に見て貧しくなった。

日本の企業が目覚ましい技術革新もなしに利益を上げられ、株価が上がったのは、日本の労働者を貧しくしたからだ。

これこそが、アベノミクスの本質だ。

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正直なところ、「アベノミクスのせい」だという論には、私としては大いに反論したいところで、たまたま「時期が重なった」ことで安倍政権のせいにするのはあまりにも論理の飛躍があると思っています。それどころか、私はアベノミクスを完全遂行することさえ総理大臣なのにさせてもらえなかった「日本の闇」が存在していると思っていて、アベノミクスの第三の矢は打つことさえ許されなかったわけで、アベノミクスの良し悪しを論じることは不可能だと思っています。

あれもこれも「ザイム真理教」のせいだとは言いませんが、経済の発展よりも債務を減らすことばかり(増税含む)に一生懸命な強い勢力には誰も立ち向かうことが出来ないのを安倍さんが証明したと思っています。

安倍一強と言われていた安倍さんでさえもやりたいことが出来なかった。これは今の岸田さんを見ていても「彼がやれること、やるべきことは最初から決まっている」と思うし、ザイム真理教の影響を抑えたいと頑張る若手政治家は多いけれど、「無力」としか言いようがないのが日本の【悲劇】だと思っています。

ただし、日本がだめになった【事実は事実】として受け止めるしかないと考えています。

そして今の日本を変えることが出来るかに関しては、私は「絶望的」だと思っていて、誰が政治家になろうが総理になろうが無理。私達が選挙で選ぶことが出来ない人たちが日本の中枢にいて、政治家もメディアもコントロールしているのだから。

これは今の最高裁も同じ。本来は国民が決めるべきことを、彼らは彼らだけの判断で決めている。それはついこの前の「戸籍の性別を変える件」に関してで、これは越権行為だと思いますが、選挙時に彼らを信任しないことを選ぶ国民も多いとは思えず、非常に残念だとしか言いようがない。

でも日本の根本を変えようと立ち上がった日本保守党や参政党を支持し応援する国民も決して少なくなくて、その行方をしっかり見ていきたいと思っています。

ま、私は私で出来ることをやっていくしかない。

諦めません。

 

 

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