【政治史と思想史の視点から、トランプ現象を分析します(伊藤貫)】が面白い & 平民の逆襲

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私はトランプ支持者ですし、トランプが出てきたこと、そしてまた大統領になって本当に良かったと思っています。

これは私が安倍支持者で、安倍さんが夢見た日本に共感を持ったのと全く同じと言っても良いかもしれない。

ではトランプの、安倍さんの「どこが良いのか」をきっちり説明できるだけの頭もないし素養も、私にはないのね。

ただただ、「この時代に出てきて欲しい人物」としか言いようがない。

本当にこの辺の説明って難しくて、でも「他人にわかってもらいたい」とも思わないし、そうしようとも思っても無理だし、なんていうのかなぁ、「救世主に出てきて欲しい」というと大げさだけど、それに近いと思う。

でも不思議なもので「生活を共にし、一緒に生きてきた家族」にはその思いは伝わっていて、我が家は皆が安倍信者、トランプ信者みたいなのが面白いし、不思議だと思う。

要は、世界が、日本が「あるべき方向に向かっていない」と感じる。そこに共感があるんじゃないかと。

ではその原点は何かというと、私の場合は「仏教的価値観」が幼い頃から刷り込まれているし、青年期には「宗教巡り」みたいなこともしたし、プラトンの思想に心酔した時期もあって、そんな価値観は家族として一緒に生活していると自ずと似たような価値観になるのだろうと思う。でも我が家では仏教だ、プラトンだ、哲学だなんて話をしたことは無くて、毎日の生活の中の「生き様」として当たり前のように家族の中で広まったのだろうとしか思えない。

そういう意味で、全く違う生まれ、育ちであるヨメさんと何故惹かれ合ったのかは不思議で、家族となってもなぜ似たような価値観があるのかが不思議。

でも「類は友を呼ぶ」じゃないけれど、「同種である」のを感覚的に嗅ぎ取ったのかもね。

そしてそれが、なぜ安倍さんなのか、トランプなのかというのも同じような気がしています。

今の世界は「リベラリズム」が最上のものとして君臨していて、そしてあまりにも「自由だ、権利だ」と「自分の欲望を解き放ち、それができる環境がベスト」のように動いている気がします。でも仏教的には「自己否定」というのは言い過ぎにしろ、「自己の欲求から離れる」ことが重要だと長年、教え込まれたし、また「自由と責任」「権利と義務」は【車の両輪である】とも教え込まれて、それが当たり前だと思っている。

そんな価値観から今の世の中を見ると「自己崇拝主義」みたいな、「自分が一番」みたいな、なんだか不思議な世界に見えるのね。「自己を崇拝したい」から、【他人のそれも認める】しかないわけで、それって「俺は好きなことをする」けど、「お前もそうすれば?」みたいなもので、でもそれがぶつかり合う時には「徹底的に相手を攻撃する」のが当たり前になる。

それが顕著なのがアメリカ人だと私は思っていて、アメリカ人と話をしていると、どうしてそこまで「自分ばかり大事にするのか」と思うほど。オーストラリア人もその感じはあるけれど、アメリカ人ほど酷くはない。ああ、中国人にもアメリカ人に似たようなものを感じる。

それが良いとか悪いとかじゃなくて、私はそう感じるというだけのこと。

それと同じ様に、私は昔から「エリート」「セレブ」「インテリ」というのが大嫌いで、「嘘つき」「利己主義」「ええカッこしい」「偉そうに」「偽善者」と感じることが多かった。それと似たような「グルメ」もそうで、私は幼い頃からその手の人達とは一線を引いてきたし、絶対にそうはなるまいと強く心に誓ったこともあるくらい。

ちなみに「B級グルメ」というのはもっと嫌いで、自分が「劣等である」ことを認めてまでもグルメでありたいと思うのかと思う。「好きなものは好き」「美味しいものは美味しい」で良いじゃないかと思う。B級グルメという言い方を良しとすることは、「B級エリート」「B級セレブ」にもなりたいのかとも思う。

だからどれほど成功し、豊かになっても私は「エリートやセレブが集う世界」には入ろうとも思わなかったし、それは私にとっては「堕落」でしかないのね。(ただ学歴、職歴を否定するということではない)

私が新橋の繁華街、下町の中の下町みたいなところで生まれ育ったのも関係あると思うのだけれど、私は下町の「八っつぁん、くまさん」が好きで、ああいう生き方をしたいと今でも思う。

ところが現実の世界では「お金が物言う世界」で「お金がなければ何もできない」のも間違いがなくて、何もできないどころかお金がないと、自分の大事な両親や子供、兄弟姉妹、親族、友人知人に何かが起きても「見放すしか無い」のね。これってかなり辛いことで、「頑張ってほしい」と【いうだけ】しかできないことに大きないらだちを感じて生きてきました。

当然、「エリート」「セレブ」は自由気ままに何でも出来て、それ以外の人たちを見下して生きているような中で、下町の無名で何も無い下賤な自分としては「劣等感」ばかりが蓄積されて、下町の八っつぁん、くまさんみたいな気楽な生き方さえも出来ないのが現実。またそんな若い二十歳ぐらいの時(50年前ね)にアメリカに渡り「アメリカの豊かさ」を見て、「打ちのめされた」こともありました。こんな凄い国と日本は戦争をしたのかとも思ったし。

私の場合はなぜか幼い頃から「劣等感」が強く、でもそれが【燃料】となって燃えたのは間違いがないのね。それが決して良いことだとは思わないのだけれど、「燃やす燃料があった」ことは良かったのかもしれない。

だから現状を打開するには自分は頑張って稼ぐしか無いと思ったわけで、それは自分のためというより、昔のような八っつぁん、くまさんが笑って生きていられる環境を作るために必要なことという認識。

結局ですね、なぜアメリカ人がトランプを選んだのかのも、私は同じ理由だと思うのね。これは理屈を超えて「感じるもの」だとしか言いようがない。

【普通の人が普通に生きて、幸せである世界】。それを求める民衆の当たり前の願いだと思うんですよ。

ま、私はそんなふうに思っているのだけれど、頭の良い人はこの辺をうまく説明できるから面白い。

私がトレードに夢中なのは「八っつぁん、くまさん」でも頭角を現すことができる世界だから。生まれも育ちも学歴も家の格や名声も、年齢さえも関係ない。私は自分の人生の中でこれほど「公平な世界はない」と思うのね。決してエリートやセレブだけが勝つ世界じゃない。

だからトレードで勝つと「エリートやセレブの富をふんだくってやった」ような満足感があるんですよ。「下町の無名な俺達をバカにするなよ」とも思う。

そしてできることなら「諦めていた人たち」にも立ち上がって欲しいのね。そして多くの「八っつぁん、くまさん」で構成された「明るい世界」を作りたいと思う。

それが私の心の奥深くに刻み込まれた「平民の逆襲」でもあります。

ただ、この世界は「欲望ばかりが強く努力をしない人」は【必ず負け組になる】世界で、なんでも簡単に考えがちな多くの「八っつぁん、くまさん」が餌食となっているのも間違いがない。

だから本当にやる気がないのなら「近寄るべきではない世界」でもあると思う。

でもやる気が本当にあって、努力を惜しまない気概のある「八っつぁん、くまさん」には是非、参入して【我、ここにあり!】というのを示して欲しい。そして富を独占すること無く、周りの人たちを幸せにして欲しい。

【お金はお金よりも大切なものを守るためにある】のだから。

誰でも「サファリパークで飼われている状態から抜け出る」のは可能だと思う。

トランプは違う方法で、アメリカでそれを起こそうとしているように感じるわけです。

【平民の逆襲】

 

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