日本のスーパーが激安なのも良いけれど、2025年は「値上げラッシュ」となる & 波乱の時代をどう乗り切るか

古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

ユーチューブで「日本のスーパーの激安」のニュースを良く見ますが、本当に驚くほど安く売ってるのね。

中には「訳ありの野菜」もあって、形が悪いとか本来なら店頭に並ばないものを激安で売るのは良いにしても、あそこまで安売りして「利益が確保できるのか」が気になります。安売りは消費者が喜びますが、なんだかなぁみたいな気もするんですよ。

随分、昔のことですが私も流通業界で仕事をしていて、百貨店やスーパーと取引があって、私は「貴金属」だったけれど「食品関係」の売り場も納入業者もかなり苦労しているのは知っていました。本当に「薄利多売」なのね。競争の激しさは半端じゃなかった。

またそれより昔は「日本中どこにでも商店街」があって人で溢れていたのが、大店法の改正で「大型のショッピングセンターが都市近郊に出来て商店街が消滅する」のも見てきました。

「安売り」の時代は長くて、最近はまたそれに拍車が掛かって、聞いたこともない新しい「安売りスーパー」が各地に出現して大繁盛。

これはこれで良いとは思うのですが、消費者サイドではなくて「供給側」の視線で見ると「利益を出すのが本当に難しい時代になった」と思うのね。大型スーパーやショッピングセンターが商店街を駆逐したけれど、今じゃ激安スーパーが普通のスーパーを駆逐する時代。

「一体、誰が利益を出しているのか」が気になるなんですよ。

私の昔の感覚でいうと、生産者も卸業者も流通業者も納入業者も店舗も「薄利多売するしかない」状態が良いのかどうかと思う。当然、そこで働く人達の給与も抑えつけられているはずで、消費者は喜ぶにしても「デフレ時代」と同じで、結局、みんな十分な利益を出せずに、回り回って、皆が窮乏するんじゃないかと思う。

日本はデフレの時代が長く続いて、それでも年寄りや年金生活者は万々歳だった。でもやっぱりデフレは駄目で、回るお金がドンドン減って、皆が貧乏になっていく。

安売りは私だって嬉しいけれど、生産者を含む関係者が「生きていくのが大変になる」「質やサービスが低下する」様になるのが本当に良いのかどうか。

私はマレーシアのクアラルンプール、モントキアラという街に住んでいますが、この近辺の「物価は高い」と思う。それはスーパーも同じで、「高価格帯の商品が多い」と感じます。だから「安い店」を探して遠出することもあるわけですが、「モントキアラで働く人達、商売をする人たちにはお金が回っている」のだろうと思うのね。

これって「良いことかもしれない」と日本の安売りを見ていて思うんですよ。「安売りスーパーが多くて羨ましい」と思うのと同時に、「そんな日本で大丈夫なのか」とも思う。

安売り業界での弱者は「働く人」だと思うし、そういう意味でも「最低賃金や給与のアップ」は大事だけれど、「激安じゃないと生き残れない社会」ってやっぱりなにかおかしいような気がしてきます。

まずそういう業界で私自身が働きたくないと思いますもの。

私は偏屈親父ですから、「自由競争もほどほどに」と考えるタイプ。

だから皆が否定する「談合」なんてのは「品質の良さも維持しながら皆が等しく生きる知恵だった」ようにも思うし、「年功序列」や「終身雇用」で駄目な人は飛ばされるにしても、頑張る人は頑張って助かった人たちも多いし、だから多くの人が「中流意識も持てた」し、【それじゃ企業が競争社会で存続できない】なんてのはあまりにも一方的な考え方かもしれないとも思うんですよ。それって「労働組合」的な考え方だけれど、「仕入れ値は徹底的に叩き、人件費もギリギリまで落とし、薄利で売値も大きく下げなければ存続できない」のなら、「存続させない決断」があっても良いくらいに思う。

ま、そんなのは「甘っちょろい考え方」だとは思うけれど、私も長年、中小企業の親父で生きて来ましたが、「生き延びるためになんでもやるか?」と思うし、それが世の中のためになっているとも思えないのね。

かなり昔ですが、あのビートたけしが週刊誌にコラムを書いていて、その内容はその通りだと思ったのを思い出します。

かつて、どの企業にも「窓際族」「仕事もできない人」っているのが普通で、【そういう人たちも食わすことが出来るから大企業としての名声もある】とビートたけしは書いていた。

これってまさに「企業という言葉を社会に置き換えれば良い」わけで、また「弱者」にもいろいろいて、障害を持つ人もいれば、働くのが下手な人、要領が悪い人もいれば、仕事嫌い、手抜きが好きな人もいて、そういう人たちを全てひっくるめて「皆が生きられる社会」がやっぱり良いと思う。そしてそれを目指す企業も存在するし、私も目指していたのはそんな会社で、「落ちこぼれは作らない」のはどんな小さな企業でも重要だと思っていました。

そんな社会が成り立つわけがないと思う人が多いと思うのだけれど、1991年にオーストラリアに渡った私は当時のオーストラリアを見て本当に驚いたのね。

私はすぐに中古自動車の輸入販売と電話関係の仕事を始めましたが、「オーストラリア人って本当に一生懸命働くのが嫌いな人達」だと思ったんですよ。これはゴールドコーストという田舎町だったせいもあるのだけれど、皆さん、ダラダラ働くし、約束は守らない、時間も納期もメチャクチャ。時間外労働なんて無いに等しいし、突然の転勤なんて皆無で、それを言い渡されたら「辞めます」なんてのも普通で、気に入らなければすぐに辞めちゃう。またオーストラリアの失業保険は異常で、「仕事が見つかるまで何年でも給付される」のね(現在どうなっているのかは知らない)。で、65歳になれば年金受給が可能(掛け金不要)になって、「一生働かない人たちが存在する」のね。そして「働きたくない人たちばかりが住む町」まであったんですよ。その町に私の日本人の友人が住んでいまして、やっぱり十分な収入がないので働きに出ようとした時、「お前、馬鹿じゃないの?」とその町の友人たちに言われたと言っていましたっけ。

このブログにもシドニーでサラリーマンをしている次男坊のことを良く書きますが、年間の「有給休暇は4週間ある」のね。これは法律で定められていて、その他、会社の規定もあって、次男坊に子どもが生まれた時に2ヶ月の長期有給休暇を取った(2回)。「工場」などは夏場は閉鎖してしまうところもあって、皆でクリスマス休暇を楽しむ。

思い出すのは、当時、何かを注文するじゃないですか。で、納期は?と聞くと「Before Chistmas」なんて言われることが非常に多かった。つまり「クリスマス休暇前には納品します」という意味なんだけれど、それは単なる「慣用句」であって、その時期には納品はされず、彼らは休暇に入って、「納品されるのは年が明けて2月に入ってから」なんてこともよくありましたっけ。本当に皆がのんびり生活するオーストラリアそのもの。

忘れられないのが、銀行にあった「年金のポスター」で、そもそもオーストラリアの基礎年金って掛け金がなくて税金から支給される年金で、そのかわり収入が多いともらえない年金なんだけれど、毎月積み立てるプラスアルファの年金もあったのね。それの広告なんだけれど、歳を取った長髪のオーストラリア人が長いサーフボード(昔のタイプね)を抱えて海辺でにっこり笑っているポスターだったんですよ。サーフィンをする年寄りなんてオーストラリアにいるのかと思ったし、そもそも「定年退職」ってまさに「ハッピーリタイアメント」が当たり前だった。日本みたいに「引退してからどうやって食っていこう」という国じゃなかった。

この日本との違いには本当に驚いたし、私の自宅の「芝刈り」ですが、引退したオーストラリア人にやってもらっていたのですが、彼はプール付きの家に住み、小さなクルーザーを持っていて釣りが趣味で週に3日は海に出て釣り三昧。毎年1ヶ月はイギリスに住む子どもに夫婦で会いに行き、世界旅行も楽しむ人だった。年金生活者だけれど「他に収入があると年金が減らされる(高価な家を持っていてもそれは関係ない)」のね。だから「芝刈りの代金は領収書無しでやらせてくれ」という人だった。

そんなオーストラリアに永住して住みたいという日本人の若い夫婦の友人がいたのですが、結局、「永住権」は取れずに帰国したものの、彼らの口癖は「同じ貧乏をするならオーストラリアで貧乏をしたい」だったのが忘れられません。

それと不思議に思ったのは、オーストラリア人の経営者は「安売りを嫌う傾向がある」と思いました。ま、どこでも「20%OFF」なんてのはありますが、あれは最初からそういう風に売ろうとしているケースが多くて、でも売れ行きが悪い、在庫が重なっていけば、日本なら「特売しないとならない」ぐらいのことは考えるじゃないですか。ところがオーストラリア人にはその発想が無いんじゃないかと思うくらい、値引きを嫌う。だから私が知っているオーストラリアには「日本みたいな激安」というのが無いのね。

「利益を確保しなければやっていけない」のは当たり前ですが、「採算度外視」してもやらねばならない時ってあると思うのだけれど、そういうことをオーストラリア人は嫌う傾向があると思う。そしてそもそも「十分な利益が出る販売額」を設定するのね。仕入れ値やコストが高くなれば、「値上げは当然」の社会。

オーストラリアって皆が貧しくなって会社が成り立たない限界まで競争するという社会じゃないと思いました。その代わり、転職、再起、学び直しは簡単だし、弱者を守る社会保障はしっかりしているのね。

だからオーストラリア人が日本に来ると安い安いと喜ぶのは、決して円安とか所得水準の違いだけじゃないと思うわけです。

そんなオーストラリアだからこそ、オーストラリアに渡って右も左もわからない私でもビジネスを立ち上げてそこそこ出来たということでもあるのね。今、多くの中国人が日本に来て起業して、あらゆる分野に侵食し続けるのは同じ理由だと思う。中国人が経営するスーパーも増えて、激安店と競合している様子。

逆を言えば、一般的なオーストラリア人が日本で起業しようとしても、まずうまく行かないと思う。

私も今の日本を見ていると、まず私には絶対に起業なんて出来ない、したくないと思いますもの。あっという間に「撤退」を迫られると思うくらい、日本は厳しいと感じています。もう私みたいな甘っちょろいのが起業出来る時代じゃない。

日本の激安スーパーのニュースを見ると、「嬉しそうにしている消費者」ばかりが表に出てきますが、その影で「どれほど苦労し、泣いている働く人達、同業者、生産者がいるのか」、そんなことが気になります。「値がつかない訳あり商品」を安く売るのは良いと思うのですが・・・。

安売りが凄いかと思えば、2025年は値上げラッシュで、年明けそうそう大変なことになっている様子。

また人材不足で初任給が急激に上がって、初任給30万円台も多いという。この動きは当然、もっと大きなインフレに繋がっていくんじゃないですかね。そして「金利も上昇する」だろうし、借金、ローンがある人たちは苦しくなるんでしょう。それでいて「増税」が襲ってくる可能性が高い。

このブログでは「トレード、投資関連」のことも書きますが、トランプ2.0も始まり、世界経済も政治も不安定でカオス状態になりそうですし、「収入の確保」「資産形成」「資産運用」に関しても【今までの延長線上】で考えていると危ないと思っています。過去の経験は役に立たないかもしれない。

ましてや若い人たちは「経験がない」なかで「頭で考えた方法」で計画を立てているはずで、私みたいなジジーとしては「人生、計画通りに行くことなんてほとんど無い」と思うし、本当にしっかり「様々な想定」をして対処方法を考えながら進まないと大変なことになるんじゃないかと思っています。

ダボ家の場合は、気になるのはまず間違いなく起きるであろう「大きなインフレ」と「ドル安」、そして起きるかもしれない「金融危機」ですが、それらが起きると資産の大きな減少、目減りとなりますが(当然、収入も減る)、これらに対処する効果的な方法は考えつかないし、「短期トレードに注力した投機で資産の減少と目減りをアウトパフォームする所得を得ること」を目指さない限り乗り切れないだろうと考えています。長期投資を中心にするのはギャンブルとなるという考え方。

それはシドニーで四大監査法人の一つに務める公認会計士の次男坊も同じで、ラッキーなことに日本ではあり得ない高給取りですが、AIの進出が大きな業種でもあって、「将来はない」と断言します。だからトレーダーに転身することも視野に入れてデイトレを頑張っています。私がゴールドコーストでやっていたビジネスを手放し、トレード専業となったのは40代半ばでしたが(50代後半からは債券投資に重きをおいた)、彼はまだ30代半ば。前途多難ではあるけれど楽しみです。

思い起こせば、私は日本に住んでいて学生時代に起業して七転八倒を繰り返しながら、30代後半には全ての仕事も資産も精算して、右も左もわからない、知り合いも全くいないゴールドコーストへ永住権を取って家族で渡り、新たな事業を起こしたり、トレーダーに転身したり、また「資産運用としての利回りを上げるため」に全ての円資産を豪ドルに替え、また後にマレーシアへと拠点を移し、豪ドルの資産全てを米ドルに替えたり、結構「危ない決断」もしてきたのね。

これからは「100年の一度の変化が起きる」という専門家もいて、私も「リーマンショック以降、お金を刷り続けてどうにか維持してきた世界経済がこのままうまくいくわけもない」と思っていて、【精算するべき時が近づいてきた】感じがしています。そしてトランプは【プラザ合意2.0】を言い出す可能性もある。かつての「プラザ合意」で世界の様相が大きく変わったのを知らない人たちも多いと思いますが、あの頃を生きていた私としては「また世界の景色が変わるのか」と憂鬱な気持ちでもあります。トランプは「グリーンランド」「パナマ運河」をアメリカのものにしたいと発言し、世界は「やっぱりトランプは狂っている」と思っているようですが、グリーンランドもパナマ運河もアメリカがそれに言及できる「歴史」はあったんですよね。どこまで彼が本気かまるでわかりませんが、同じく「プラザ合意2.0」を言い出しても全くおかしくない。金利差によって「円高に向かう将来」とか「円高ドル安が望ましい」なんてそんなのとは「レベルが違うことが起きる」ことも想定しないとならない。

これからも「トランプのブラフは続く」と思いますが、彼の考える「落とし所」がどこにあるのかは誰にもわからない。でも彼の考える「アメリカ・ファースト」は本気だと思う。そもそもアメリカはそうやって強いアメリカを維持してきた歴史があるのだから。

いつも紹介する「石原順氏」のこの考え方を無視することはできない。ただ「それが起きる前提で行動することは出来ない」わけで、難しいのは「大きな変化が起きても起きなくても大丈夫な計画を立てる必要がある」ということ。

私はまたこれからトレードの世界にどっぷり浸かろうとしている「綱渡りの人生」だと思いますが、【流れに乗る】ことを繰り返すしか生きるすべはないのをつくづく感じています。それとてどこかで乗り間違えれば「振り出しに戻る」わけで・・・。

ヨメさんとの結婚式の写真を見ると、当時は仕事もうまくいかなくて「無職・無収入」だったのを思い出します。そして良くぞ今まで生きてこれたと感心したり。(笑)

「初心に帰る」ことはいつも重要で、たまにこんな写真を見ては自分に発破をかけています。

この写真が思い出深いのは、「両親への花束贈呈」の時なんですが、泣いたままで動かないヨメさんに、【良いか?行くぞ】と声をかけた瞬間なのね。そしてヨメさんはうなずいた。この瞬間から私達は夫婦で歩き出して、今に続くような気がするんです。

あれからそろそろ40年。もうジジーとババァですが、あっという間でした。

これからはダボ家には今までよりももっと大きな視点で見た、そして大人になった子供たちも交えて「人生の第二幕が始まる」ような気がしています。今の世界を見ていると「嫌でもそれに対処する必要がある大きな大きな変化が起きる」気がして仕方がありません。「世界の大きな曲がり角」が刻々と近づく足音が聞こえるようです。

私は「家族主義」で、子供たちに「お前たちはお前たちで考えて頑張れ」と突き放すことはしません。当然、「離れて生きたい」と思うなら、それは好きにすれば良いだけのこと。

家が商人だったこともあるし「家族で力を合わす」のが基本なのね。それって農家や漁師もおなじで、「この田畑はお前たちには残さない。好きにしろ」じゃ農業なんて成り立たないし、漁師も「俺が使っていた船と漁業権を息子に譲る」なんてこともする。林業も「山を子孫に残すこと無く継続は不可能」じゃないですか。企業とて同じで、「先輩たちが築き上げた資産を受け継いで有効利用する」のが当たり前じゃないですか。創業社長が「俺が死んだら、この会社は解散」なんてことで経済が発展するわけがない。

だからダボ家は「皆で協力し合う」「落ちこぼれを出さない」のがお約束で【皆で生き抜く】ことを重視する家族。だから私もまだまだ引退なんて考えられないし、有形無形の資産財産は子供たちに残して行きたいし、それが私の責任だと思う。

さてさて、どこに流れ着くんですかね~~。日本も「オールジャパン」で頑張ってほしいと思う。

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

 

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。