サラリーマンを辞めて「独立」「FIREする」ことの難しさ 問題点

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私自身は学生時代から「サラリーマンになる」という選択肢を持っていなかったし、生まれ育った家は「商人」の家であり、また多くの親族を見渡してもサラリーマンは一人しかいないという環境でした。

それは50年以上前の話ね。(笑)

こういう環境って今では珍しいのだろうと思うけれど、新橋のど真ん中で生まれ育った私としては、周りは皆、商人だし、通った小学校は今は無き「桜田小学校」という新橋駅近くにあった小学校で、友達と言えば「焼肉屋の息子」「八百屋の息子」「床屋の息子」「酒屋の娘」、そして「料亭の御曹司(彼はいつかヤクザになると張り切っていた 笑)」みたいなそんな商人の家庭の子ばかりの環境。小学3年生の時に、新橋に住んだまま越境入学で千代田区の有名だった進学校(麹町)に転向しましたが、まるで環境が違うのに驚きましたっけ。

これは60年前の話(笑)。今回は「昔の話」なので、今の話をしているのではないのは頭に入れておいてください。ただ「今でも共通することはあると思う」ので書いています。

商人の世界ってわかりやすく言えば「野良犬の世界」なのね。新陳代謝が非常に激しい世界で「個人事業主」としてどの家も「家族を中心」にして、大きな資本も何のコネも無い中で生き延びることに一生懸命でも「四苦八苦しているだけ」とも言って良い世界。

こういう世界で育つと、当然、自分もその一員だと思うし、「サラリーマンというのは別世界のこと」だし、サラリーマンになるという選択肢はなかったのね。ましてや私が幼い頃のサラリーマンって「生活は安定しているけれど、貧乏人の代名詞でもあった」んですよ。

昭和30年代なんて酷いもんで「給料は激安」「持ち家もない」「住宅ローンもない」「自家用車もない」「旅行なんてほとんど行ったこともない」「新婚旅行は熱海」「食事も生きるためのエネルギー摂取が目的」、それでいて「仕事は厳しく」「休みは少ない」「首になったらアウト」、そんな時代。

でもかつて多かった「農民」からすれば「サラリーマンは真面目に働きさえすれば安定していて食いっぱぐれはない良い生活」に見えたのね。これは「工員になる」のも同じで、だからかつては「中学を卒業したら、地方から集団で汽車に乗って都会を目指す」事が多かった。今はなき「集団就職」が春の風物詩だった時代。

今、「ブラック企業」という言葉がありますが、当時はそんな言葉もなく、でも「どこもかしこも今で言うブラック企業だったと思う」し、まさに【サラリーマンとは社畜だった】のね。でもそれでも「生きることが難しかった戦後の日本」としては【良い選択だった】のだろうと思う。

幼い頃からそんな世界を見ていたら「サラリーマンになろう」なんて思うわけもなく、「独立して、あるいは商人として成り上がること」ばかり考えるようになるわけです。私が育つにつれて「日本も高度成長期」に入り、「サラリーマンの春」も来るわけで、いつの頃からか「学校を卒業したらサラリーマンになるのが常識」という時代が来た。

でもね、多くの人は「商人の豊かさ」を知らないかもしれないけれど、商人はちょっと当たっただけでサラリーマンの収入は簡単に凌駕する世界でもあるのね。

「1日の利益(売上ではない)はサラリーマンの月収と同額」なんてのも良くあることで、私の生まれ育った家の飲食店でも「1日で家賃分を稼ぐ」「1週間で全従業員の人件費を稼ぐ」のも【大雑把な売上、粗利の基準】だったし、繁盛している老舗となれば利益はかなり凄いことになるのね。

でもその老舗とて、生き残るのは簡単ではないのは世の中を見ていると簡単にわかるはず。

これは歴史を見てもわかるはずで、「大阪の商人がいかに凄くて武士社会を動かしたか」というのはそういうこと。現代でも山口県にあった小さな個人商店の「メンズショップ」が後の「ユニクロ」に育ったのも同じ。

でも私は「商人の世界は野良犬と同じ」という認識をずーっと持っていて、「明日がわからない世界」「入れ替わりが激しい世界」「誰も助けてくれない世界」でもある。だから多くの商人は「ケチだし儲けても使わずに溜め込む」のが普通で、そして「次の一手を考える」「状況、環境の変化、競争相手の動向には常にアンテナを張る」し、「新たな売り方や商品」のことを、あるいは「他業種への進出、転身」も含めて【寝ずに考え続ける】のが常識なのね。「商いとは飽きないである」というのもそれでしょう。

これは「現代でも同じ」でしょう。

まさにこれって野良犬と同じだと私は思っていて、「今日、食べられれば良いでは済まない」わけですよ。常にあちこちウロウロして食べ物を探し、より良い寝ぐら、より良い縄張りを探し、迫りくる危険、敵への警戒を怠らない。

そしてこれは「私が生きてきた小さなバクテリアみたいな中小企業の世界」も全く同じだった。これは現代でも同じはず。

だから「サラリーマンって気楽で良いよね~」なんてことをほとんどの商売人は言うわけです。

そこで今日の話題。サラリーマンを辞めて「独立」「FIREする」ことの難しさ 問題点

昨日、私はあちこちの海外在住者のブログをサーフィンしていて、非常に面白く参考になるブログを発見。

その内容はというと、「大企業に勤めていた主が海外での駐在経験後、すぐに離職してその国に戻り【独立して事業を始めた】という話」です。でもそれは順風満帆とはいかずに苦労した話を事細かく具体的に書いている。私も何十年も「バクテリア的中小企業のオヤジ」としてやってきましたし、主が独立した時と、私達家族がオーストラリアへ渡ったのも「同じぐらいの年令」ですし、こういう話は大好きで興味があるし、うんうんと頷きながら読んだし、あらら~と思いながら読むところもあった。

それを読んでわかることは、「主は大企業に勤めたサラリーマンで、仕事もできて才能も十分にあった人」であろうと言うこと。ここが若くして起業した私と大きく違うところ。(笑)

ただ読み進めてすぐに思ったことは「主は、独立するということは(上に書いたように)野良犬と同じになる」ということに気がついていなかったのだろうということ。そして企業、それも大企業は「多くの人達の集まりで動いている」のであって、「独立するとはその全てを自分がやる必要がある」ことを簡単に考えていたフシがあること。また一般社会は「分業で成り立っている」し、それぞれがそれぞれの責任において「うまく回している」ところも同様で、例えば大企業ならそれぞれの部門に頼んだり、契約してる外部の専門家に任せれば済むことでも、野良犬の世界では「全て自分でやらなければならない」のと同時に「外部の専門家も簡単には使えない」ことにも気がついていなかった様子。

でもそれは経験がなければしょうがないことで、たとえばまともな野球で言えば9人それぞれがスキルを持った人たちの集まりであって、それぞれを「信頼する」ことによって野球が成り立つわけだけれど、野良犬の世界では「ピッチャーが本当にピッチャーとしてのスキルが有るのか」とか、「キャッチャーは敵側に通じていないか」「監督やコーチは八百長試合を企んでいないか」「4番バッターは間違いなく試合にくるのか」とか、そんなことまで考えないと野球は出来ないのね。

だから例えば税理士にしても、普通、税理士を疑うことなんかしないじゃないですか。でも野良犬の世界では「税理士とは税務署側の人間」だと考えるのが普通で、「私達の味方だ」と安易に信じることはしないのね。だから「税理士をいかにうまく使うか」が焦点であって、決して彼らが「いろいろこちら側に有利になることを教えてくれる」とは考えない。

この辺は現代も同じだと思う。

また金銭的な考え方もサラリーマンと野良犬の世界はかなり違っていて、例えばサラリーマンで年収1千万稼いでいたとしましょう。で、独立して「同じような金額が稼げたら良いな」なんてことは野良犬が考えたらうまくないのね。「明日をも知れぬ自分」なんだから3000万~5000万ぐらいを目標にして、利益は積み上げていかないと、「何かうまく行かないことが起きたら、収入はゼロどころかマイナスもあるわけで一瞬にして破綻する危険がある」のはすぐにわかるじゃないですか。ましてや内部留保を増やさなければ事業拡大も出来ないし、スタッフや在庫、新しい商品群を増やすことも新規事業も出来ない。

これは「いつか儲かったら増やす」という考え方じゃ駄目で、「どのくらいの規模でどんな商売をしたらどうなるのか」の【計画が先にあるべき】で、当然、資金計画に余裕がないとどうにもならない。利益が出るのを待っていたら時代はすぐに変わってしまうしビジネスチャンスを逃す。それどころかギリギリでやっていたらジリ貧して「そのうち退場となる」のは普通に起きる。

この辺は大企業も中小企業もゴミみたいな極小企業も、独立して一人で始めた仕事でも全てに共通していること。

また「個人の収入」と「企業の利益」とは別なわけで、一個人が年収5000万円の収入を得たとすればそりゃ凄いねとなりますが、その収入を得るためのスタッフや事務所も必要になってスタッフが10人いてその他諸々の経費も増えたら、その仕事で年間5000万円の収入をだしても足りないじゃないですか。だから仕事として考えれば増える人員やその他の経費の増大も考える必要があるわけで、それを考慮しない計画って、ビジネスとは言えないと思う。

また「貸倒引当金」を持つのも重要で、「売上が全て回収できる前提」で仕事は出来ないんじゃないですかね。これは「小売店 BtoC」でも同じで、「現金のみではなくて、顧客のツケを受け入れる店」って非常に危ない。でも「現金取引」で大きくなるのも難しい。私の若い頃、BtoBの仕事で受け取るのは「手形だったり先付小切手」なんてのも多くて、無知な頃は「すでに倒産して存在しない会社が振り出した手形を受け取って気が付かなかった」なんてこともありました。これは相手が「私が手形割引をしないのを知っていて、騙すつもりでそうした(割引しようとすればすぐに分かる)」のは何ヶ月も後になったわかった。これは私が馬鹿すぎただけの話ですが、十分、気を配っていても「連鎖倒産」もすぐに起きる時代でした。「裏書きがあれば大丈夫」なんてのはただの理屈で、そもそも「お金がないところからは回収できない」のね。

つまり十分な収入が見込める計画を練る必要があるし、そしてそれに必要な資金と、安全のための予備の蓄えも考えるわけで、「それが成り立たない、難しい計画であるならば実行してはならない」ということでしかない。それでも決行すれば、それはギャンブルであり、自殺行為であり、特攻隊と同じ。

でも私はそれが無理でもゴーサインを出す人を責めようとは思わないのね。だってそいう経験もなく、野良犬の世界を知らずに生きてきたのだからしょうがない。そして「安全を重視しすぎる」と「何も出来ないことになる」のが普通。ただ歳を取った今となると、「それはやっぱり実行してはいけないことで、プランを練り直すしか無い」と思うようになりました。そういう意味で私の20代、30代は「かなり無謀であった」のは間違いがない。私の若い時代は「七転び八起き」ではなくて「七転八倒だった」のはそれが理由(笑)。でも1991年に30代後半に家族とともにオーストラリアへ渡ってからは「責任の重さがまるで違う」し、見知らぬ土地で無謀なことは出来なかったし、あえて「全力投球しない」「常に即時撤退の必要があるかもしれないと想定」しつつ細々と二つの事業をやっていました。

結局ですね、「サラリーマンを辞めて独立する」場合、「こういうことが簡単に起きる」ということでもあるのね。そしてなぜ今日、この話を書いたのかは、副業で稼げるようになってサラリーマンを辞めてFIREするのも全く同じで、FIREしたら「よりよい自由な生活が待っている」なんてのはただの夢、絵に描いた餅で、FIREとは「一生、死ぬまで自己責任で稼がなくてはならない個人事業主となる」「誰も助けてくれない」「年数が経ってから元の鞘に戻ることもほぼ不可能」ということをはっきり書いておきたいと思ったから。

でもFIREしてから数年は「潜在的な問題が顕在化しない」し、そりゃ「開放感」なんて半端じゃなく素晴らしいのは当たり前。

でも最近、大流行のFIREには大きな危険が伴うと私は思っていて、そのことは機会があればブログにしつこいぐらいに書こうと思っています。

だからFIREするにしても、もし今流の流行りでサラリーマン収入の2,3倍は稼げるようになって有頂天になってFIREしたら大変なことがいつか起きるかもしれないし、でもそれが株式投資やFXトレードで「いつでも利益を積み上げるスキルを身につけた」のならまだしも、今、流行りのアフェリエイトや親からの遺産、不動産で得た大きなお金、たまたま儲けた株式や暗号資産を売って得た収入などを元にしてFIREしようなんて考えたら、将来は危ないのは「昔から普通に起きていたこと」でしかない。

またそのお金をアメリカのインデックスやオルカンに投資して放置して、「これで将来は安泰だ」なんて思うとしたら本当に世間知らずと断定して良いと思うぐらい。

世の中では事業や投資、相場で大儲けして自社ビルも建てたような人たちが、「いつのまにか消えていく」のが当たり前のように普通に起きていることで、私の周辺でもそういう人はいくらでもいたんですよ。10年もしたら8人は消えていなくなるような恐ろしい世界でした。でも中小企業の「10年生存率」って70%ぐらいで、それは優良中小企業も含めての話で、私がいた世界は素人集団ばかりみたいな業界で、そもそも古い業界は競争が激しくて若造が入り込むのは簡単でないし、ニッチなあるいは新たな市場を作るしか無いわけで、それは良く言えばベンチャー企業みたいなもので「ベンチャー中小企業の10年生存率は6%程度」という数字が公表されている。その数字は「資本も人材も技術もあって、仕事のノウハウ、将来設計もしっかりしているベンチャーを含む数字」なのね。それでも90%以上は10年以内に消えていく。恐ろしいほど生存率が低いと思いません?でもそれが現実なのね。そういう「舞台から退場した人たち」は消えてしまったわけだから「私達には見えない」のが当たり前。でも私達は「今でも舞台に立ち、成功している人たち」ばかりを見ていろいろ判断してしまう。

成功している人たちを見るより、「あちこちに横たわる屍の多さを知り」、「なぜ失敗して消えていったのか」に注目し、そこからこそいろいろと学ぶべきじゃないんですかね。

勝てば官軍、負ければ賊軍だけれど、「今の世界に生き残っている官軍」と「消えていった賊軍」とどちらが多いのか考えてみるのも良いんじゃないですかね。

だから「うまく行かない想定」は絶対に必要で、私の場合は「その後の身の振り方、復活作戦」も事前に考えていました。当然、新しい仕事に自分の持つリソースの「全振り」なんかできない。でも中途半端でうまくいく仕事なんかない。

イチローや大西選手を見て、「俺も~~」と夢を追うのも大事ですが、彼らは「高いピラミッドの頂点に立つ人たち」であって、そのピラミッドを形成している「多くの名も無い人たち」「底辺の人の多さ」に私だったら注目します。

そもそも私はそういう「名もない人たち」「底辺の人たち」の中で育ち大人になったし、まさにそれは野良犬の世界で、私はその野良犬の世界を原点として考えるクセがついているから世界はあまりにも厳しいと思うのかもしれない。

大企業の中で生きてきた人を含むサラリーマンの多くは、独立、あるいはFIREしたら「全てが自己責任で、全てを解決するのは自分しかいない」「事務所の便所掃除も自分の責任」ということに気が付いていない人が多いように見えますが、そういう人たちが「全てが自己責任の野良犬の世界に入っていったらどうなるのか」ぐらいは想像してみるのも良いんじゃないですかね。

それと最近、「フリーランサー」という非常に耳障りの良い言葉が出来て、それも仕事としてそれなりに認知されているようですが、私が若い時代は、そういう人たちを「便利屋」「ブローカー」「一匹狼」などと呼んだんですよ。私もそう呼ばれた時代もありましたが、そしてそれは「蔑む呼び名」で、実際に「詐欺まがいのこともするわけのわからない人たちがゴマンといる職業形態」だった。野良犬という悪い言い方をせずに、中小企業の世界、個人事業主の世界と言い換えたとしても、私がいた世界って「ごみ溜め」みたいにありとあらゆる人がいる世界。

その世界に長かった私は、それこそ有名大学を出て有名企業に勤めていたような人が、全く関係のない業種の「給料20万円の従業員募集」にも募集してくるのを何度か経験しました。面接する立場では「どうして?」と聞く権利があると思うし聞きますが、「事業に失敗しまして・・」なんて人は多く、でもそれは「常套句」でしかなくて「とんでもない問題を抱えたような人も多い」のが現実。

当然、条件が良いところがあれば彼らはすぐにいなくなるし、仕事を任せたら「会社のお金を横領された」、「仕事を他社に回した」、あるいは「こんな商売なら俺にも出来る」なんてすぐに独立して便利屋、ブローカーとして動き出したり、そして恐ろしいのは「そういう仲間の横のつながり」があって、「うまい話は乗っ取ってやろう」なんて動き出すこともあるのね。

でも「まともな大企業や公務員」だった人たちって、そういう「底辺の人たちが集まる社会」を知らないのかもしれない。世の中には「大手町、霞が関、銀座」みたいな街で働く人もいれば、「西成、山谷」みたいな街もあって、そこに集まる人も仕事も常識も価値観も違う。そこを理解せずに「下野」すると悲惨なことが起きるのね。

下層の中小企業の世界なんてそんなのは普通に起きることで、だからまともな企業、大企業も「わけのわからない中小企業、便利屋、ブローカー」とはどんなに良い製品やサービスでそれが安くても「付き合わない」のが普通。私もある企業に売り込みに行った若い頃、「そもそも、君って誰?」と聞かれたこともあるくらいで、そんなのは常識なのね。

だからこそ「バックグラウンドが重視される」から、「偽りのバックグラウンドを作る」ような人もいれば、「話を盛る」なんてのも常識の内。学歴詐称、職歴詐称なんてのも横行している世界。

こういうことって私が頑張っていた「20年~40年前の話」で、今は全く違うのかどうかは私にはわからない。

海外も凄くて、「日本の常識では考えられない悪いやつ」もいるし、また「それがその地の常識」かもしれず、マレーシアでも「MM2Hの資金が強奪された」時に「それにMM2Hビザの代理店である日本人が関与していたのじゃないかと囁かれていたり」、「出店コンサルタント」も詐欺まがいのことをしているんじゃないかと思ったことは何度かある。でもコンサルタントにしてみれば「ゴーサインを出したのは貴方でしょ」という逃げ道がある。あのホストの「ローランド」がマレーシアで最初に開店しようとした店ですが、ローランドがマレーシアに来て完成間際の自分の店の視察後すぐに契約解除した件なんてどう思いました?そして今、そのモールがどうなっているかご存知?

「自分にはわからないことが多いからコンサルタントを使う」という考え方にとんでもない危険がはらんでいるのを考える人って少ないのかもしれない。

「コンサルタント言う名の詐欺師」も「コンサルタント」の中に含まれているってこと。これって「弁護士」も同じで、悪徳弁護士なんてゴマンといる。

25年住んだゴールドコーストも同じで、ただみたいな荒れ地を何十倍の値段で買うことになったり、コンドミニアムを立てる用地買収で日本人が先に割り込んで暗躍したり、まともな企業に勤める中堅社員が長く滞在している間に色々な友達が出来て、皆で組んで、弁護士も仲間に引き込んで「優良な飲食店の乗っ取り」を画策したり、ま、そんな話はいろいろあった。

でも一般的には「そんな人はいない」と思うのが普通でしょ。ところが現実は結構違う。

面白いのは、私達がゴールドコーストへ渡ってすぐに知り合って家族ぐるみの付き合いを始めて、「一番仲の良い家族」みたいな家族がいたんですよ。ご主人は不動産関係だったのだけれど、後でわかったことは、そのご主人は「詐欺まがいのずるい取引をする人」でゴールドコーストにある有名監査法人に日本から派遣されていた日本人会計士に、その家族とも家族ぐるみの付き合いをしていたのだけれど、あるとき、「言いづらいし内緒なんだけれど、あの人は要注意人物で社内ブラックリストにも載せている。気をつけろ」と聞いて驚いたことがあります。

また日本からやってきた新しい家族とも知り合って、これまた良く付き合って自宅でパーティーをしたりしていたのですが、これが紛れもない詐欺師だったのね。彼は中心地のサーファーズパラダイスで土産物屋を始めて、かなり繁盛していたのだけれど、ある日あるとき「蒸発」した。彼に出資していた知人も何人かいたのだけれど、そして「仕入れも後払い」にしていて、トータルで「数千万円」を持ち逃げ。

これも驚いたけれど、その詐欺師は私には出資の話も全くしなかったし、怪しい話も一切なかった。ただ当初から「大風呂敷を広げるタイプ」とは思っていたけれど、海外に出ると「かつてはXXXXをしていました」なんて大風呂敷を広げる人はいくらでもいるから気にはしていなかった。そして詐欺に引っかかった連中は上に書いた「仲間同士である店舗の乗っ取りを仕掛けた連中」だった。

つまりですね、その詐欺師も、上に書いた不動産関係の危ない人も「私には何らそういう話を持ってこなかった」のね。さて、それはなぜか。「私にはお金がないから」じゃなくて(笑)、「私のことを騙せない」と読んでいたのじゃないかと思うんですよ。そもそも私は「債券投資とトレード」に集中していて、「一般的な投資をするより全然良い」と思っていたし、彼らの仕事やビジネスプランに興味さえ示さなかったからだと思うのね。でも騙された人たちは「何か儲け話は無いか」といつも話をするような人たち。

そして私が思うことは「詐欺師も最初から詐欺をしようとは思っていなかったはず」なのね。私はその点は「性善説」を信じているんですよ。でも「夢破れて、生活も困窮」なんてことになってくると、そしてオーストラリアもマレーシアもそうですが、「海外生活~~~~♫」なんて舞い上がっているお金持ちが多いとなれば、「簡単に騙されそう」なわけで、いつか「俺が騙してみようか」なんてなるのだろうと思う。

オーストラリアに移住者が多かった時代はまさに日本のバブルと重なるわけで、そして「永住権」にもいろいろな種類があって「投資家ビザ」と呼ばれる資金が最低5000万円ないと取れない永住権もあって、それを手に入れて渡ってくる人たちが非常に多かったのね。

中には不動産、株で儲けたなんて人も多くて、オーストラリアに渡ってきてから「夢が大きく広がる」わけですよ。やったことさえない「ワイン農場の経営」とか、日本では一介のプログラマーだった人が、「システム開発会社」なんて立ち上げてみたり、かなりの額を持ち込んだ知人ですが、これまたやったこともない「リゾート開発計画」に乗ってみたり。

当然、わけがわからないから「コンサルタント」や「弁護士」も頼むわけだけれど、そういう人たちがまともな人かどうかはきっちり調べない。まさか地元の日本語新聞の広告から選ぶ人は少ないにしても、「住人から情報を得る」にしても、まさか「夢を見ている人たちを利用しようとするネットワークがある」なんて考えもしないんでしょう。そしてその窓口が「ツアーガイド」だったりする。

ツアーガイドもいろいろで、暇な時には「カジノ」に入り浸って「金を持っていそうな日本人を見つけて近づく」のが有名な人もいた。話しかけて仲良くなって一緒にレストランに行ったり、観光に連れて行ったり、地元のビジネスに繋がる一般の人は知らない情報提供もするし、その後はその旅行者がまたオーストラリアへ来る時には送り迎えをしたり、そりゃ旅行者にしてみれば「良い人と出会えた」と思っちゃうのね。「旅行会社に頼んだガイドでここまでやってくれる人はいない」なんてことも思うんでしょう。

だからそんなガイドが紹介する「不動産の出物がある」とか「仕事を始めるならXXXさんに聞いてみたら良い」なんてサジェスチョンもするし、それに乗る人も少なくないのね。

彼らは「詐欺が本業ではない」から難しいのね。普段は普通の業務をこなしているわけですよ。でも「チャンス到来」となればそれなりに動き出すってこと。「脇が甘いお金持ちから儲けるのは副業」というべきかもしれない。

だから「危ないやつには近づかないこと」なんて注意しても駄目で、「自分が普通だった人たちを詐欺師にしてしまう」という考え方も重要だと思うんです。そういう詐欺師も、常に詐欺しかしないわけじゃなくて普通の業務もやっているわけですが、目の前に大金が落ちていたら「拾ってポケットに入れたくなる」のは誰でも同じだと思うのね。だから「スキを見せる人が悪い」という考え方が成り立つ。

それは日本での多くの詐欺も同じで「詐欺に合うと大騒ぎをする」し、世間は「とんでもないやつがいる」というけれど、私は逆で、「簡単にお金を儲けようと目をギラギラさせていたのは誰か?」という点が気になるのです。つまり「自業自得」だろうと。

かつて私は「詐欺の研究」をしていたことがあって、それは当然、詐欺をするためではなくて(笑)、自己防衛のためにも「詐欺の手口を知ることは有用」だと思ったし、それを調べて行くと、詐欺師の多くは半端じゃなく仕事ができる連中でもあるというのに気がついたのね。だからそのスキルを使って自分で儲ければ良いのに、ちょっと話をイジるだけで「他人を騙して簡単に儲かることに気がついた」んじゃないかと思っています。つまり詐欺師から詐欺をするところだけを引けば、「有用なやつ」かもしれないわけで、「詐欺の研究」から良い意味でのヒントを得ることがありました。「セールストークでその気にさせるのは抜群に上手い」わけだし、見習うべきところはあると今でも思っています。要は「詐欺をしなければ良い」ということだろうと思う。

ま、ITの世界で言う「ハッカー」と同じで、秀でたスキルがなければハッカーになれないし、彼らとて「ホワイトハッカー」として「ハッカー対策のプロ」にもなれるんでしょう。

最近の私はもうそういう事も考えなくなったし、「騙しの手口」は深く考えなくてもピンと来るようになったし、それは昔から「野良犬の社会」で生きるには非常に重要なスキルでもあったということ。

そういう意味で、大企業や特に公務員の「まともな世界」しか知らない人たちは「野良犬の世界を知らない」と思うし、不用意に危ないことに手を出したり、「飛んで火に入る夏の虫」になることもあるんじゃないかと心配です。

さてさて、これらのことは私が経験し、見聞きしてきた「古い出来事」でしかないのかどうか。今の時代はそんな心配はいらない時代なのか。私にはそれはわからない。でも私は「時代は繰り返す」と思うし、時代を超えた真実、事実ってあると思う。

私がいつも書いている、新NISAでアメリカインデックス、オルカンを買って長期保持していれば大丈夫なんて考える人が多いのも、「人生経験が浅い若者」ならいざ知らず、巷のプロパガンダに載せられてしまう大人も少なくないのが気になっています。

その点、マレーシアに住むMM2Hの老人たちの多くは、背伸びすること無く、自分の枠の中で生きて、ゴルフや旅行などで人生を楽しむことに集中している。目の色を変えて「投資だ。金儲けだ」という人は少ないと思う。

そういう人たちの多くはサラリーマンだった人たちみたいだけれど、やっぱり「野良犬の世界の怖さ、汚さ」も自分の長い人生経験の中で知っているはずで、そして「株式投資」なんてのも内情は綺麗に見せているヤクザの世界、ギャンブルの世界と同じなのは長い人生で見てきたはずで、あえてそういう世界からは距離を置こうとしている「非常に賢い人達」だと私は思っています。

それとも彼らは「時代に乗り遅れただけの人たち」なのか?それも私にはわからない。

私は一生野良犬だし、泥沼の世界の住人。大企業に勤めたこともないし、逆にそういう【表通りの輝かしく善人が多い世界】を私は知らない。でも私は自分が生まれ育ったのが新橋という下町で、そういう下町の裏通りで楽しみを見つけながら生きていくようなのが好きだし、性に合っていると思う。

もう歳を取ったジジーでしかない私で、時代遅れの考えを持ったまま生きているけれど、やっぱりいつかは「蓮の花」も咲かせたい夢がある。小さな商店やバクテリヤみたいな極小中小企業でも夢を持って真面目に働く人たちはいくらでもいる。「どこの馬の骨だかわからないやつ」と華やかな表通りを歩くメジャーな人達に言われようと、私には私の商人としての意地やプライドもあれば夢もある。

【泥沼だから咲くこの蓮の花】【泥沼の泥に染まらぬ蓮の花】という言葉が好きです。

オーストラリア時代は家庭菜園や「地下に人工光を使った水耕栽培工場を作る」趣味もあって、家のサイドウェイにあった池では睡蓮を育てていました。

その内のピンクの睡蓮が「これから咲く」というところで家を売却して、その年に睡蓮が咲くところを私は見ていない。

家の受け渡しの直前に家を見に行った時に撮った睡蓮の花の写真。手入れされることもなく放置され汚くなった池の中で逞しく育っていた。

まだ「つぼみのまま」で今の私と同じ。(笑)

今年、私も開花出来るかな?

それとも「万年、咲きそうで咲かないつぼみのまま」で終わるのか。(笑)

今日のエントリーはいつもと同じ「年寄りの戯言」だけれど、そんな時代もあったし、今でも通じることがあると思う。

若い人たちが夢を持ち、「前だけ見ながら生きていく」のは大事だけれど、そこには「過去から学ぶこと、学べること」もあると思うのね。

「同じ過ちは繰り返してほしくない」「同じ罠にハマってほしくない」

そんなことをいつも考えているし、それを原点に息子たちの成長を見守っています。情報収集って半端じゃなく時間がかかるので、過去の経験と同じ様に「息子たちが知るべきことを集めて提供する」のが私のメインの仕事ですね。

そして私自身もまだまだこれからの成長、進化を諦めていません。(^_^)v

 

 

 

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