【GAFAM】や【AI】の台頭で世の中が面白くなくなると思う。「小作人」はどうやって生きていくの?

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今、世界経済を牽引しているのはGAFAMと呼ばれる企業達。そしてAI関連。

GAFAMとは

◯ Google
◯ Amazon
◯ Facebook(現Meta Platforms, Inc)
◯ Apple
◯ Microsoft

そしてIT関連企業。AI関連企業。

アメリカの株価は好調に上がり続けて来ましたが、S&P500というインデックスも大きく伸びている(テスラとエヌビディアを含む)7社(マグニフィセントセブンと呼ばれる)を除いた493社の伸びは横ばい。

こういう大企業が世界の歴史の中で「時々出てくる」のは良いと思うし、そこから富も技術も新たな製品やサービスが世界に広がって行き、私達一般もその恩恵を受ける。

ところがですね、昨今のこういうGAFAMやIT、AI関連の企業がいくら巨大になり時価総額や利益が莫大になっても、私達には直接的な恩恵ってないのね。

いや恩恵はあるのだけれど、それは「利用者、購買者」としての恩恵しかない

過去において出現した「巨大企業、巨大産業」って当然、「そこに働く人達がいた」わけで、多くの雇用を生み出し、納税額も大きく、一般的な国民や政府もそれを歓迎した。

ところが昨今の世界経済を引っ張っている企業群は「少数精鋭主義」だし「節税もうまい」から多くの国民や政府に取って本当に諸手を挙げて受け入れるべき存在とは、私には思えないのね。

例えば、自動車産業が花開いた時には「とんでもない数の雇用を産んだ」し、「売上も納税額も巨額」だから、国も国民もリッチになり国力も上がったじゃないですか。自動車産業の世界は「裾野も広い」からありとあらゆる産業が恩恵を享受出来る。

ところがGAFAMやIT、AI関連もそうですが、「恩恵を受けるのは一部の人達、一部の企業」であり、「政府としても大きなメリットはない」どころか、あの手この手で節税をされて、法人税も巨額になることは無いし、雇用も広がらないから「所得税」も大きく増えることもない。

ただただその企業群の製品やサービスは売れて、彼らのみがどんどん巨大になると言っても言いすぎじゃないはず。

でも若い人たちは「それでいいじゃないか」と考えるのね。ホリエモンもそうで、国に金が入ってもろくな使い方はしないから、儲けた企業にその利益の使い方も任せたほうが世の中は発展するという。そしてそういう関連企業で働けば良いし、彼らの製品やサービスを利用して新たな事業の機会が生まれると考える。

これって「勝ち組の考え方」で、自分はその中で生き残れると信じている。

でも世の中には「既存の産業の中で生きている人達の方が【圧倒的に多い】」じゃないですか。そういう人達はどうするの?どうなるの?

ましてやAIは今までの「自動化」「ロボット化」と同じ様に「広い範囲の仕事を確実に奪う」のは間違いがなくて、ITやAIを自由自在に使える立場でないと生き抜くのが難しくなるのは見えている。

これが時代の変化だと簡単に言えることじゃないと思うんですよ。

多くの人たちの「収入」に繋がるのなら、そういう変化に乗って【移動する、転職する】ことは可能だけれど、「職を失うことが多い」となったら、【弱肉強食】【少数精鋭主義】【競争社会、そして格差に拍車が掛かる】だけで、【好きなことをやって生きる】のがもっと難しくなるんじゃないですかね。

誰もがITやAIが好きだなんてことはなくて、そして今は「やりたいことをやって生きるのは簡単」ということは無いにしても「まだまだ選べる時代」だと思うんですよ。

でもこれからは「少数精鋭主義」の中で、「IT、AIの知識や技術が必須となる」としたら、一般人が【好きな仕事に一生を捧げる】なんてのは夢の夢になるんじゃないですかね。

ITやAIが好きな人は良いんですよ。これからも続く変化にワクワクしているんでしょう。

でもそういう人達って、私には極々少数にしか思えないのね。そして彼らとて「仕事を取られる立場」になるのかもしれない。

でもそういう企業群がどんどん大きくなるとしたら、一般人は【投資家として参加する】という方法しかなくなるし、それは【絶対にしないとならないこと】となるんじゃないですかね。

そしてそれはすでに起こっていて、「取り残された人達」に【貴方も慌てないと大変なことになりますよ】というのが、日本政府も始めた「新NISA」なのかもしれない。

自分の好きな仕事では稼ぐことがどんどん難しくなり、AIにも職を奪われていく中で、【株式投資でそれを補う】なんて世の中は最悪だと思うんですよ。

でもそれに文句を言ってもどうにもならない。

だから新NISAにも飛びつくのだろうけれど、多くの人たちは「投資とはタイミングである」事も知らないし、【とにかく投資をすればどうにかなるかもしれない】という甘い期待を持っているように見える。

こういう人達が結果的にどうなるかは簡単に想像がつくわけだけれど、それでも「始めなければ何も起きない」のは事実で、10%から20%の人達が「投資を始めて良かった」という結果は出るのだろうけれど、私は「50%以上の人達」は【余計なことをしないほうが良かった】となるのが世の中の常だと思うし、今でも株式投資やFXの世界でも「80%の参加者は損をしている」のと同じだと思う。

先日、CFDを扱う証券会社のことを調べていて面白いと思ったことがあります。その会社の説明欄に「今現在何%の参加者は損失を出している」という項目があったのね。で、その欄の数字は67%とかその辺で、やっぱりCFDが良いと思って投資をしてもそれだけの人達が損失をだしているのかと驚いたことがあります。

相場って「上がるか下がるか、動かないか」の3つしかないわけで、利益が出るか損するかは確率的には50%50%なのに、なぜ多くの人が負けるのか。これにははっきりした理由がある(いつもこのブログに書いている)のだけれど、それを自覚できないと勝てない世界。

67%の人はマイナス。ということはプラマイゼロ、大きな損失も利益もないという人がいて、「利益が出ている」人の%ってどのくらいなんですかね。そして「結構利益が出ている」なんてのは10%にも満たないのが現実なんでしょう。

でも私は商人の生まれ、育ちで、自分でも中小企業のオヤジとして生きてきた経験から言うと、「10%の勝ち組」って【確率としては非常に高い】と思っているのね。

それだけ世の中って「生き残りが難しい」のであって、多くの人が「比較的簡単だと思う」飲食業も【5年生存率の低さ】って恐ろしいものがあるのね。「10年も経てばみんな入れ替わる」のが普通で、10年、20年、30年と続く老舗ってどれほど凄いのかって多くの人は気が付かない。

でもま、やってみればすぐわかることだし、「やってみたからこそ長く続く老舗も生まれる」わけで、【どうせ駄目だろう】と思ったらそれこそ何も始まらない。生まれない。

その分かれ道ってなんなのか。「運」でしかないのか。

私は「運」が関係する割合は非常に高いと思うのだけれど、「運を引き寄せる」のも技術、実力の内とも思っていて、では何が重要なのかというのをきっちり書ける才能は残念ながら私にはない。

でもそれは「気づき」に近いものがあって、生まれつき才能があるとか、何年も何十年も突き詰めないとわからないとか、そういうものじゃないと思うんですよ。

それは本当に「気づき」に近くて、それに気がついた人達は「生き残れる可能性がある」のが仕事であり、投資であると私は思っていて、【これだ!】ということは私には書けないのだけれど、私のダラダラ書いている中から何か気づいて欲しいと思って「私の経験」を書き続けています。

これを書くと石が飛んできそうですが、私は「サラリーマンとはかつての小作人と同じ」だと思っているのね。

私は高校生の頃にそう考えるようになって、世の中では当たり前のサラリーマンになることを拒否して生きようと思ったのだけれど、今の時代、「サラリーマン冬の時代」が来ていて、やっぱり「そこからの脱却」を考えるのは重要だと思うんですよ。

かつて日本人の90%は農民で、そして多くは「小作人」だった歴史がありますが、当時と今と「何が違うんだ?」と思うわけです。本当にこの言い方には角があると思うけれど、最近、出てきた「社畜」という言葉から、多くの人たちは気が付き始めていると感じています。

かつての小作人は「単純労働者」でしたが、時代は代わり、農業から工業などへ中心は変化し、単純労働者にも「知識や技術、ノウハウ」が必要な時代がやってきた。それまでは「季節労働者」や「集団就職」で田舎から出てくる中卒の若者たちが【金の卵】と言われた時代があったのは、私と同じ年代の人達はまだ覚えているはず。

今では、現代の小作人でも「大学や大学院を出ているとか専門知識を持っている必要がある」わけで、古い考えの人達は「大学も出たからどうにかなるだろう」なんて思うにしても、現実的には「まだまだそれでは足りない」状態なんだろうと思う。

つまり農業に携わる小作人も「言われた単純作業しか出来ない」のではダメで、当然、農業の知識、生産物の特徴、効率化、生産物の進化、肥料、化学的・科学的なアプローチが出来る小作人は、小作人の中でも重宝されたはずなのね。そして収入も高かったのかもしれない。

でもそれでも小作人である限り、「大きくなることは不可能」だったのは今も同じ。

だから才能がある人達は「自分で田畑を開拓し、小作人から地主になる」ことを目指すわけだけれど、かつてはそれが制度的に出来なかった。でも今では「やろうと思えば出来る」わけだけれど、技術的な知識やノウハウがあっても【経営】がわからなければ失敗する。そしてオールマイティな人は存在しないから「自立するのは想像以上に難しい」のは過去も今も変わらないのだと思う。

だったらまず「裏庭で栽培を始めよう」という考え方があるべきで、そんなことも考えない小作人は死ぬまで搾取されながら働くしかなかった。でもこれもまた「民主化」の動きなんでしょう。【定年退職】という制度が出来た。

本来は定年退職で「収入は止まる」わけだけれど、「退職金」や「年金」制度で救われた。それをトータルすれば「どうにか生き延びることが出来た」時代がある。

だから「サラリーマンになる」ことは【安全】【安定】、【豊かになる】ことだと多くの人たちは信じて「こんな家業は継がずにサラリーマンになってくれ」という親も多かった。そして「サラリーマンでも良い生活が出来るようになった」のが日本の近代の歴史。

そしてそれをきっちり制度化することによって「小作人を小作人のまま搾取し続けることを可能にした」と言っても良くて、これを小作人たちは喜んだけれど、本当は搾取側の「体制維持」の為だと思って間違いがないと思うんですよ。

そして教育もそうで、「小作人大量生産」を目的とした教育がなされている。この発端は「明治維新」だと考えていますが、それは「命令に従う軍人養成所」の需要があったからで、【皆が自立できるようにする教育ではない】し、あえて言えば「一人前の小作人になること」を世の中は【自立】と呼んだのだと思うし、それは今も変わっていない。

今、小作人という言葉を使うとそれは「差別用語」でもあるし、「富とは無関係」で「搾取される存在」という認識があると思うけれど、それは現代だからそうなのであって、昔の時代は【これが普通】だと皆が思っていたはずなのね。右を見ても左を見ても「同じような境遇の人達」ばかりだったんですから、その状態に疑問を持つ人は少なかったはず。

そして今の時代、「サラリーマンであることは普通」だという認識が同じ様にあって、【サラリーマンであることに違和感を感じる】ということはない。でも私は【実態は同じ】だと思うんですよ。この考え方に腹をたてる方が大半だと思うけれど、私は事実は事実だと思っています。そういう自覚がある人も増えてきたから「社畜」という言葉も広がってきたんでしょう。「リストラ」「非正規社員」「使い捨て」は他人事ではなくて、自らそれを経験して、現実を把握するようになった人って多いんじゃなかろうか。FIREを目指す若者が増えたのも同じ理由。

ただし、そのシステムがあるから国全体の経済が動いていたのは間違いがなくて、それは過去の「みんなが小作人だった時代」も同じ。今のサラリーマン社会も同じ。だからそれを否定しようとは思わないんですよ。

小作人なんていうバカにしたような表現を使って非常に申し訳ないのだけれど、要は「労働者」がどうあるべきかってことなのね。

問題は「そのシステムにがっちり組み込まれているままの自分で良いのか」って話。

当然、そのシステムの中で生きる方が良いと考える人もいるわけで、そしてそういう人達がいないと「国そのものが動かない」わけだから良いと思うんです。皆が皆、個人事業主で勝手なことを始めたら国は崩壊するわけですから。

でも「真の自立、独立」は簡単ではないし、天才的な人達は仲間と組んで「新たな事業を始めて大きくなった」にしろ、それは一般的ではなくて「夢を抱いて頑張ったけれど駄目だった」人のほうがとんでもなく多いのが現実。

でも「大きなことは考えずに裏庭で栽培を始める小作人」も多くいたのね。

私はここが何よりも重要な点だと思っていて、「とりあえずやってみた」中から「何か気づきを得た人達」も多くいたと思うんですよ。

そして徐々に生産量も増やし、高値で売れるものを作る、高値で売る方法も気づいて、いつのまにやら「小作人をやるより多くの収入を得られた」人も出てきた。「裏山」には「高値で売れる松茸や山菜がある」ことに気がついた人もいた。

【やれば出来る】【やらねばならぬ】と目覚め、立ち上がった人はいつの時代にもいたはず。

そしてそれが「自立」に繋がり、FIREとなっていたという歴史がある。

FIREなんてのは、近年始まったことじゃなくて、大昔から労働者たちが「夢見たこと」で、それに向かって努力をし続けた人達は少なくない。丁稚奉公をした【職人たち】も同じ。

でも努力をしなかったら「労働者から抜けることは不可能」だし、努力をしたからといって「成功率は低い」のが現実。だから「独立するべき」「自立しよう」なんてのは無責任も甚だしいわけで、これからの時代は【労働者のふりをした独立系の人達】が台頭してくるんじゃないかと思うのね。

世の中には「給料取りだけれど、副業のほうが収入が多い」人も少なくなくて、そういう生き方を狙うのが時代に合っているのかもしれない。だから【アフェリエイトで稼ぐ】という考え方が広がっているんでしょう。

そういう意味での「新NISA」は素晴らしいかもしれなくて、「貴方も裏庭で栽培を始めてみませんか?」という意味だと私は解釈しています。

でもそれを始めれば「なにか良いことが起きる」なんてことはなくて、そして「努力をして初めて成果が出る」わけで、なんとなくやるだけでは成果は出ない。

では「学ぼう」「経験をつもう」と思っても、そもそも巷には「そういう人達から儲けよう」という有象無象がごっそりいて、儲けるチャンスを狙っているのは間違いがないのね。いわゆる【投資を始めてみようか?】なんてのは「飛んで火に入る夏の虫」なわけですから。カモがネギを背負ってウロウロしているのと同じ。

そういう意味では「独学が一番強いかもしれない」と私は思っていて、基礎の勉強はしっかりやるにしても「ノウハウ」に関しては【自分で探す】のが最良かもしれない。

間違っても「高い授業料を出せばどうにかなる」なんてことは忘れるべきで「良い大学を出れば、あるいは博士号まで取ればどうにかなる」なんてこともない。

その辺は「実績のある人からノウハウを盗む」のが職人の世界だけれど、投資も同じだと思う。でもそれとて、人それぞれ性格も好き嫌い、合う合わないがあるから「誰から技術を盗むのか」も簡単じゃないのね。

だから「年月が掛かる」のだと私は思うし、運が良ければ数ヶ月、数年で伸びるだろうし、大事なところに気が付かなければ何十年続けてもうまくならないのはなんでも同じかもしれない。

でもやっぱり始めることが重要で、「今更・・・」なんて考えては駄目で「思い立ったら吉日」だと始めることが重要かと。

でもそう言いながら「他人の財布の中身を狙ってアプローチしてくる人達」も非常に多いから、「結果を急がない」「他人に任せない」「自分で人選をし、学ぶ」事が重要なんでしょう。

授業料、会費も同じで、「お金を出せばどうにかなる」なんてことは全くないし、今の時代「無料」だとしても【アクセスでお金を儲けるビジネスモデル】があることを忘れちゃ駄目だと思います。

インフルエンサーが現代の花形みたいに見えますが、彼らがどうやって利益を出しているのか、利益を出すために何を考えているのかを見極めることも重要だと思います。

このブログで紹介する事が多いインフルエンサーも同じで、最初は「自分のノウハウを惜しげもなく公表している」と思った人達も、「それで儲かるのがわかってくると【多くの人たちに受けることを考え始める】」のね。

そして「会費制」にしたり、有料メルマガも含めて「大事なところは有料で・・」と変わってきて、でもその内容を見てみると【私はXXXはYYYになると読んでいます】的な、「競馬の予想屋と同じじゃないか」と思うことも多々あるのね。

でもその人の実績を見ると、それが事実か虚偽か、あるいは偶然かもわからないまま、「とにかくこの人のいうことを聞いてやってみよう」という【超初心者が集まっている】ところもある。

今日もそんな「暗号通貨の専門家」のサイトを見ていましたが、本人が「自分は凄い」と思っているのがわかるのね。そしてその自信が「初心者を惹きつける」のだろうとも思ったり。

そういう中で「実力をつける」のはかなり難しいわけで、それなのに「実際の投資やトレードに手を出す」人が多いから、80%の人達は損しているなんてのは【当たり前】だと私は思っています。

私が読者の方々の為に何が出来るかは全くわかりませんが、少なくとも私には「息子たちをいっぱしのトレーダー、投資家に育てたい」という思いがあって、これは「そうなったら良いなぁ」ではなくて「絶対にそうしないとならないこと」なわけで、まさに次男坊は大学院も出て公認会計士として有名な監査法人に勤めている高給取りだけれど、彼も【自分は労働者階級でしか無い】ことに気がついているのね。だから私もどうにかして、【違う生き方がある】事を息子たちに示したいわけです。

でもそれは決して「労働者階級からの脱却ではない」わけです。【職をいくつも持つ時代】にすでに突入していると私は思っていて、トレード、投資の専門家としての仕事と労働者として世間との関わりを持ち続けることは可能だと思うし、その流れに乗らない手はない。

今までは「本職一筋」が良いとされていて、「本職と後は遊び、趣味を持つ」人が多かった。でも今は「本職がいくつかあっても良い時代」だし、それが可能だと思うんですよ。

【副業を認める企業が増えた】のを肯定的に見る必要があって、「サラリーマン+芸術家」「公認会計士+陶芸家」の両立も出来る。これはまさにSNS、IT、AIの時代の良さで、チャンスは目の前に広がっている。

そんな時間がない?だとしたらその仕事を辞めることも含めてどうにかするか、諦めるしか無いでしょうね。

私も20代の頃、1年の休みが20日ぐらいで、夜遅くまで働いている頃がありましたが、「時間がない」というのが口癖でした。でも取引先の社長から、「時間を作るのも才能の内。君はダメだね」と言われたのが忘れられません。

私がいつも書いている「デイトレ」なんて「広義のトレードの中の一つ」でしかなくて、「自分にはそんな時間はない」というのは【やらないことの言い訳でしか無い】と思うわけです。自分の環境に合わせたトレードや投資の形態はいくらでもあるんですから。これはサラリーマンの次男坊も同じで、何が何でも「拘束時間が長いデイトレしか道はない」なんてことはありえない。

昔から「半農半漁」で生活する人達は多かった。それは「食えないから仕方がない」という考えではなくて、【積極的に仕事を複数以上持つ】ことが【当たり前の時代になる】と私は思っています。

これからの時代は「十分な退職金もない」「年金もあてに出来ない」けれど、もう政府を頼ってもどうにもならないから「自らの力で這い上がるしかない」のは若者たちは理解しているはず。

退職金と貯金と年金で「老後はマレーシアで悠々自適な生活~~~♫」なんてのは長い歴史の中の一コマでしか無いと思います。だからやっぱり「自分で稼ぐ」ことに注力して「自分で未来を作る」しかないんじゃないですかね。

多くの人が副業を持ち、現代のSNSでもITでもAIでも利用して稼ぐようになる日を私は楽しみにしています。実はデイトレも「インターネットの普及」がなければありえなかったのね。

これは今の日本の「生産性の低さはOECDの中でも最下位グループ」であることからも【日本にはもっと生産性を上げて稼ぐ余力がある】という見方もできるわけで、皆がやる気を出せば、わけのわからない外国人の移民に頼ること無くGDPも1.5倍になるような未来もあるかもしれないし、そうであって欲しいです。

お金を握りしめているだけの年寄連中は、そのうちいなくなるのは時間の問題でしか無いし、若者は「自分達の時代が来る」のを絶対に忘れないで欲しいです。

私が息子たちにどうアプローチして、どう引っ張っていくのか、その進捗はこのブログに書いていくつもりではいたし、若干のことは書いてきた。

でもそれに読者に興味がないのであれば、私も無駄なことはしたくはないですし、適当なところだけにして「あえてややこしいキモは書かない」つもりでいます。

このブログを読んで「トレードで食えるようになった」という人がたった一人でも出てくれば、私は大成功だと思うし、それでも十分だと思っています。あるいは「一皮むけた」だけでも良いし、それが「労働者からの脱却、飛躍」に繋がり、経済的な自由と、想像もできなかった未来に向かって邁進するキッカケになるはずで、そういう意味で皆さんの手助けになれば私は嬉しい。

こういう私もまだまだ夢の途中で、「遥か遠い夢の10分の1にも届いていない」状態。でも資産を食い潰すことなく、その運用から生まれる利益で皆が生きていける程度のことは出来ています。これって大したことでもなくて「昔から農家が田畑を大事にしてやってきた」のと同じこと。

でも私の夢は「一族が一生どうにか食えるようにすること」じゃないんですよ。逆にそんなのは当たり前のことでしか無くて、昔から「農家でもやってきたこと」でしかないのね。やっぱり男一匹この世に生まれ出た限り、やってみたいこと、やらねばならないことがあると思うわけです。

先日、長男と話をしていて「私の金額的な計画」を初めて明かしたんですよ。そうしたら長男は「絶句」していました。でも次男坊にもヨメさんにも、当然、他人にもブログでもそれは明かしません。馬鹿にされるだけだから。(笑)

夢を大きく持つこと。そしてその夢は「現在とはレベルが違う」ことが重要だというのに私もやっと最近、気が付きまして(少年よ、大志を抱け=Boys, be ambitiousという言葉は本当に重要なのが今になってわかった)「とんでもない目標」を持っています。当然、一般的には「不可能だろう」という目標ですが、それを達成する姿を【当たり前のこと】として考えている内に、【それを達成する手順も自ずと見えてくる】のね。その実現のためには「今日、何をするべきか」もわかってくる。

そしてそれは自分が今まで考えていたものの「延長ではない」のであって、全く違う自分に生まれ変わらないとならないし、その新しい自分が「段々とこれからの自分になってくる」のを感じています。

今まで自分が敷いたレールそのものを【乗り換える】ような感覚で、今になると、今までの自分はなぜあんな事をやっていた、考えていたのだろうと思うくらい。

70歳にして「生まれ変わった」みたいな感覚があります。(笑)

ま、歳を取って【妄想が激しくなった】のかもしれないのは自分でも認めますが(笑)、今まで自分が生きてきて、経験したことを冷静に振り返ってみると、「やれば出来るかもしれないのにやらなかった」ことが多いのがはっきりわかるのね。

私達がマレーシアに来たのは「資産倍増計画」があるからだと、最初から書いていますが、まだまだそれには到達しないどころか(円建てで考えるとその直前までは行った)、2023年は人生最大の損失を出してしまいましたし、目標は更に遠くなりました。

そして今、持っている「目先の目標」ですが、「収入倍増」です。これってトレードのロット数を上げるだけだけれど、ビビらないでできるかどうかがキモ。どちらにしてもこれが目先の【2024年】の目標です。

当然、その先にあるものは「資産倍増」ではなくて、もっと遠くを見ています。そしてそれを作るのは私ではなくて、私と息子二人の3人での共同作業。そしていつの日か私がいなくなっても私の夢を追い続けてくれたら嬉しいな、と。でもま、それは息子たちが決めること。

まさに「狂った計画」だとも自分でも思うのですが、だからこそ「やりがいがある」のね。

昨日、私、長男、次男坊の3人でDiscord(Line みたいなもの)でつなぎ、チャートを表示させながら「次男坊が実際に売買した場所。その理由、結果を踏まえて、ああじゃこうじゃと4時間以上、討論会みたいなことをやりました。

それぞれの考え方に大きな違いがあるのに驚きましたが、長男は私以上に(我が家が考える)基本戦略に忠実で、次男坊はエクセルに自分の考え方の変化、試した手法、その結果を入力して、「どういうやり方がベストか」統計を取っているのも感心しました。

実際の売買とその結果以上に「反省会」が何よりも重要で、それなくして進化することは絶対にないのですが、私が何も言わないのに反省会に重きをおいて頑張っているのが嬉しかったです。

実際にデータを見ながらのああじゃこうじゃの内容は、数日、数週間前に次男坊と話していたことから進化しているのもわかって、彼の「俺はまだ理解が浅いけれど、伸びるのは早いから」という(昔からの)自信過剰も満更、悪くないと思いました。

でも「私のサジェスチョンを忠実に聞く次男坊ではない」のは【やっぱり】で、彼は「自分で何でもトライして自分で結論を出すタイプ」なのね。幼稚園の頃に、先生に「この子の自立心は半端じゃない」と言われていたのを思い出します。たとえば、小さな子供って「自分で靴を履くことが出来ない」のが普通ですが、彼は手伝われるのを一切拒否する変な子供で、「自分で靴を履いて、紐を結ぶ」のを一人で学んだような子でした。

トレードに関しても全く同じで「我が道を行く」タイプなのね。これって非常に大事なことなのだけれど、「それはそれでいいけれど、ゼロから始めるとそこそこわかるには10年程度の時間が掛かるのは覚悟しろ」と私の手法に興味を示さない次男坊に嫌味も言っておきました。(笑)

その点、長男は私のサジェスチョンに忠実で、彼が余計なことを始めると「それをやりだすと結局は遠回りで、いつか元の場所に戻ることになる」と私がいうと、その意味を自分で考えることが出来る男で、【私に近いトレーダーになる】のは早い。というか、随分前に教えた事を「忠実に守っている」点は私より真面目で凄いと思ったり。

私は正直なところ「私のコピーになって欲しい」と思っているのですが、やっぱりそれぞれ性格も得手不得手も違う大人が「同じ」ということはありえなくて、でも「私の手法を一番理解している長男」と「独自の手法を構築しようとしている次男坊」と、そして私も進化を続けているわけで、それなりに面白い3人組になれそうです。

私が嬉しいのは、二人共「私を尊敬し信頼している」ことがわかること。そして兄弟二人は、私は「兄弟に上下関係はない」という育て方をしたのだけれど、二人共半端じゃない仲良しで大喧嘩もするけれど、根底に「強い兄弟愛がある」のがわかるのね。だからこそ大喧嘩にもなる。

そんな3人組であることが私は嬉しくて、これからどうなるかは分からないにしても、「お互いに尊敬と信頼、愛がある3人組」で同じ高みを目指して歩けることそのものが嬉しいと思うし、感謝したいです。

これから突っ走ります。(笑)

多分、その進捗はブログには書かないと思います。うまく行けば「コノヤロー」と思われ、うまくいかなければ「ザマァ見ろ」というのが世の中だと思うから。そして「大事なポイント」だとしても、一般的にはどうでも良いことでしか無いから、書いても意味がないかもと思っています。

ただ、何らかのことが読者の「考えるキッカケ」になれば良いと思えば、ある程度のことは書くつもりでいますが、最近は「投資やトレードに関すること」はアクセスはそこそこあるものの「皆さんの興味がどこにあるのか」がわかりませんし、中途半端なことを書いても意味がありませんから、今後は【投資やトレードに関する書き込みは減る】と思っていただいて良いと思います。

というか、もう伝えたいことは十分、書いたつもりなのね。でも「新しい読者」に【過去ログを読んでください】なんてことは言えませんし、逆に「書く内容は初心者向け」になるのも、私としては何年も同じようなことを書き続けてバカみたいだとも思っていますし、難しいところ。

ま、そんなことを2023年の終わりに考えて、書いています。

皆さん、頑張ってくださいね。

私もダボ家も頑張ります。

最後にこの言葉を書いておきます。

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」

「人の行く 裏に道あり 花の山」

 

 

 

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