私には今年75歳になるマレーシア在住の姉がいます。住まいは別々。
今日はその姉の「親友」の話。
年齢は同じで、その女性は昔から世界を飛び歩いて大手のコンサルや投資銀行で働いてきたやり手の女性。
彼女が「癌」に罹患したのがわかったのは何年前のことでしょうか。かなり前だったと思う。その治療ですが「スイス」で受けていて、そのスイスの医者しかできない治療法だとのこと。日本でも探したけれど、「出来ない」とのこと。
で、その医療費ですが、「毎月150万円以上掛かる」らしいのね。
彼女は裕福ではあるものの毎年1800万円なんて治療に支払うことは不可能。当然、「物価が恐ろしく高いスイスでの生活費」もあるわけで、負担額は半端じゃない。
どうしているのかというと「治療費は保険でカバーされている」とのこと。
どんな保険かと思うじゃないですか。当然、私達家族が入っているような「日本の保険会社の海外旅行者保険」では無理で、私達の保険は「同じ疾病の治療で保険が下りるの一度のみ。それも180日間」という制約があるから「持病」はもちろん「治療が長く続く場合」は保険が下りない。
では彼女の保険は何かというと、「かつて働いていた会社で加入していた保険」がそのまま継続できているということ。でも保険料は毎年100万円ぐらいらしい。
やっぱり超有名な大企業の仕組みって凄いなと思いましたが、それがなければ彼女は今、生きていない。
姉と話したのですが、「私達だったらもうとっくに死んでいるってことだね」と。(笑)
「日本に帰れば日本の公的保険が使える」わけですが、それも実費の10%~30%負担で、なおかつ「高額医療費の補助」まであるから負担は少ない。
でも日本で治療ができないのであればどうにもならず。
そんな話を家族とも話し合ったのですが、「諦めるしか無いね。アハハ」で話は終わり。
ところが、自分ではなくて子どもや孫がそういう状況になったらどうするかを考えると「アハハ」じゃ終わらない。
ま、次男坊夫婦と孫たちは「オーストラリアの分厚い社会保障」がありますからどうにかなるにしても「スイスじゃなければ治療できない」なんてことになったらどうするか。それは巷でも良くある「移植のために患者である赤ん坊を連れて米国に渡る」のと同じような状況になるということ。いや、もしかしたらそういう「特殊事情」の場合は、海外での治療でもオーストラリアの保険は効くのかもしれない。日本の健康保険もそうですよね。全額下りるわけでは無いにしてもです。
高額な医療費を自費で払うしか無い場合、「無いものは出せない」のは当たり前ですが、では「あったらどうするか」が問題。
たとえ大きな資産があったりそこそこの企業を経営していたとしても「全て売り払って治療費を捻出するべきか」どうか。
ここは思案のしどころで、自分はそれで良いにしてもそれによって「困る人達が出てくる」と話は簡単にはいかない。
でもま、ダボ家の資産がなくなろうと借金を抱えようと困るのは我々だけだから「良いんじゃね?」という話になった。たとえそれをしても「子どもが助かる可能性は低い。後遺症を持つかもしれない」としても「やるべきこと」という考え方で一致。
その代わりって言ってはなんだけれど、「歳を取った我らは必要以上のことをして延命するのはやめようぜ」と。(笑)
でも使える保険があれば、そんな事を考える必要もないわけで・・・・・。
しかし海外在住の場合、保険も難しいですよね。特に「高年齢」の場合だと、「保険に加入できない」「掛け金が恐ろしく高い」わけで、私達も「マレーシアで入れる保険はないか」調べたのですが、結論は「無い」。
ただ若い頃から加入している保険だと高齢になっても継続できるようだけれど、掛け金は簡単に「年間一人100万円を超える」のね。夫婦で入ったら200万円を超える。
それでも「入ったほうが良い」と考えたところで、70過ぎになって「新規加入は出来ない」。
マレーシアには日本人のジジババはまだ多いけれど、皆さんどうしているのかと思う。
前に「その時には日本に帰る」という話を聞いたことがあるけれど、「大きな事故」や「緊急入院、手術も必要」となったら日本に帰ることも出来ないじゃないですか。この時に「十分なお金が無い」とかなり悲惨なことになる。受け入れてくれる病院は「無い」のですから。
ま、海外旅行者保険に入っていれば「事故」ならどうにかなるにしても、「以前に治療を受けたこともある持病の悪化」だったら保険は下りない。
「海外の保険にも良いのがあるよ」なんて人も出てきそうですが、その手の保険も当然調べましたが、私には信用できなかった。口コミを見てもいろいろあるわけで、「大丈夫です」なんて保険会社や取次店の言葉をそのまま信用なんて出来ない。この辺の「感覚の違い」は歳を取って「しっかりして信用のある保険がないと大変なことになる」という緊迫感のあるなしの違いかもしれない。また歳を取って悩むのは「持病、長期の治療」なわけで、「一度しか使えない、長期治療は駄目」では意味がないのはどの保険も同じ。
そんな中途半端な海外旅行者保険でも「入らないより入った方が良い」けれど、近年、「大幅に掛け金が上がった」のね。今、確かな金額は忘れたけれど、我が家3人家族が加入すると毎年240万円ぐらいの支払い。バーさんの姉も同じだから、マレーシアに住むダボ一族では毎年340万円の支払いとなる。( ̄口 ̄∥)
もし4人家族で、両親が30~50代で子どもが二人いても、保険料の合計は年間160万ぐらいか。この保険には生命保険や紛失物の保障、自分のせいで損害を他に与えた場合の保障など組み込まれているから決して高くはないかもしれない。だからそれぐらいは受け入れられるとなっても、歳を取ってくると話は変わってきて保険料は大きく上がるし、大人も子どもも「同じ疾病の治療で保険は降りない」「180日以上の治療費も下りない」のは同じ。でもその年代なら、「マレーシアのちゃんとした積立型の保険に入る」のが良いんでしょうね。でも「マレーシアから他の国へ渡る」ことになると話はややこしくなる。
私の場合、日本の海外旅行者保険の掛け金が半額ぐらいの時、マレーシアでその保険を使って「前立腺の手術」と「心臓の冠動脈にステントを入れる」ことをしたけれど、それに支払われた治療費は聞いてみたら400万円強(ステントは300万ぐらいだったか)。私の出費はほとんどゼロ。細かいことを書くと、「通訳、交通費」まで出るのね。
「保険に入っていて良かった」とは思ったけれど、これからのことを考えるとちょっと待てよ、とも思うわけで、我らが家族3人に姉を入れた4人で考えると、「毎年340万円(値上がった掛け金の額)も医療費で使うか?」と思うわけで・・・・。ましてや「同じ疾病、持病、長期の治療」では保険は下りない。年寄りが心配なのはまさに「同じ疾病、持病、長期の治療」なのに。
母がなくなったときには保険もなくパンタイ病院に1000万円近い支払い、父がなくなったときには同じく450万円ぐらいの支払い。だからやっぱり「保険に入るべき」なんて意見も出てくる。ちなみに母も父も同じで「延命治療」はしていない。「保険は未加入」ね。
でもそれって「一生に一度、人は必ず死ぬ」わけで、70過ぎたら保険料も夫婦で年間200万は掛かるし、私の両親みたいに90数歳まで生きたらその掛け金合計は半端じゃないことになる。だから保険には入らずに「その時」にかかる費用は「かならず出る出費」と考えようじゃないかと。でも「じゃ、一族4人で4000万円は覚悟するということ?」となるわけで、それも納得できないですよねぇ。かといって、「毎年340万掛け金を支払う」のってもっと恐ろしいじゃないかと。
いやいや、事故や治療すれば治る病気もあるわけで・・・・となる。つまりやっぱり「保険に入らない」という選択肢はない。
いや、事故なら保険金は出ても「持病、かつて保険で医者にかかった病気、長期治療」なら保険はおりないんだぜと話は最初に戻る。私も今後「前立腺手術」や「追加の冠動脈ステントを入れる」なんてことになっても保険は下りないし、私の友人で「結果的に俺の心臓には4本のステントが入っている」なんて笑う友人もいて、私もそんなになって2本目以降は保険は下りず「自費」となるとかなり恐ろしいことになる。「高い保険料+自費での高額治療費」となるわけで、何のために高い掛け金を払っているのかもわからなくなる。でも彼は日本在住で、負担は大した金額ではなかったと言う。
心臓関係でどのくらいの治療費がかかるのか調べてみました。私の親族で「ペースメーカー」を入れたのもいて、歳を取ると心臓関係も何が起きるかわからない。
やっぱり「実費」だとかなり高いですね。これは「徳洲会」の病院の例ね。75歳をすぎると「自己負担は1割」(知りませんでした ^^;)。
手術費だけじゃなくて検査や術後の診察・治療もあるわけで、治療費全体として結果的にどのくらいの負担になるのか。
保険が適用される70歳以上の月額負担額の【上限】。赤枠は「一般的な世帯」。
70歳未満。
いやーー、負担の少なさに驚きました。これじゃ近隣国の人が年寄りを連れて日本に住もうと思うのも当たり前だと思いました。と当時に、これは「高齢化社会」になったら国の財政は成り立たないのもわかる。
ロサンジェルスに40年以上住む友人が、「アメリカではちょっとやそっとの病気では病院に行かない」「大きな病気に掛かったら自宅を売るのが普通」「良い保険に入れるのは一部の人達」と言っていたのも理解できる。ましてやアメリカの治療の高さは半端じゃなくて、「盲腸(虫垂炎)でも300万円はかかる」と聞いた。
日本では「健康保険が適用され3割負担の場合、自己負担額は3万円から6万円程度」とChatGPTの答え。
グアムでは40~80万円かぁ。なんで安いんだろうか。昔、50年近く前の話ですが、グアムにいた時、ローカルの友人に「すぐに病院に来てくれ」と言われてタモン湾近くの半島の突端にある大きなグアムメモリアルホスピタルにすっとんで行ったことがあります。するとそこに日本から新婚旅行に来た夫婦がいて、ご主人が盲腸(虫垂炎)らしいと。で、私が通訳。(笑)
大事がなくて良かったですが、ややこしい病気だったらどうなったのかと思う。その夫婦は私より年上だったけれど、もう今では七十後半かな。懐かしいなぁ。元気に過ごしているのだろうか。
そういえば、私がグアムへ行ったり来たりして、会社も興した20~30代ですが、グアムに行くときに「海外旅行者保険」には入ったこともなかったっけ。^^;
結婚して家族を持ってからもどこに住んでいようと「病気で入院したら・・」なんてほとんど考えることもありませんでしたが、年寄りが、しかも海外に住んだら大変なことになるのは間違いがない。私達も25年間のゴールドコースト時代に「高い治療費が掛かるようなことはあったっけ?」みたいな感じで、「そこそこ高い保険料を払うのが馬鹿らしい(私立の最高の治療が受けられる保険)」と思っていましたっけ。オーストラリアでは「公立病院にだけ行く」生活ならプラスアルファの健康保険に入る必要は無かった。そして医療費はほぼ無料。でも私立病院に行くには別途保険加入が必要。あるいは自費。永住権や就労ビザもない長期旅行だと「日本の海外旅行者保険」か自費ってことですかね。
そういえば「日本の旅行者専門の医療機関」(オーストラリア人、普通の定住日本人は行かない)みたいなのも街のど真ん中にあって、結構豪華でスタッフも充実していたのね。多くの患者は(非常に数が多い)ワーキングホリデーを含む旅行者で「海外旅行者保険やクレジットカード付帯の保険」を使うから「高額の請求し放題」だと聞いた。またゴールドコーストでは「日本人女性が堕胎手術をするケース」も非常に多くて、その客というか患者はほとんどが「ワーキングホリデー」で遊び+仕事で来ている若い日本人女性。そんなことを「子どもをオーストラリアに送り出した親は何も知らないのだろう」と思いましたっけ。
私の友人の日本人女性ですが、私より年上ですが「良家のお嬢様(親は日本の政治家)」で「乳がん」に罹り、オーストラリアで超有名な医師に掛かって、費用は2000万円以上支払ったと言っていましたっけ(永住権は持っている)。30年以上前の話だけれど、任意保険は下りなかったのかなぁ。それとも保険適用外の特殊な治療だったのか。「その医師の治療を受けるには関係部署に寄付が必要」なんてこともあるのかもね。
そうかと思えば、私の若い日本人の友人で「同居しているお母さんが大腿骨に人工関節を入れることになった」というのがいて、でも費用が殆どかからない「公立病院」でその手術を受けるしか無く、「半年待っているけれどまだ順番が来ない」と嘆いていたのもいましたっけ。公立病院って「(患者を並べて流れ作業で手術をする)動物病院みたいだ」なんて言う人もいたし、また「新米医師が数をこなして学ぶ場」(公立病院では患者が医師を選ぶことは出来ない)で、その後「実績を積んだ若い医師が私立病院に移るステップみたいな病院」と言われていた(軍の病院も同じで、僻地にある基地で我慢して勤めると新米医師でも3年で家が建つと言われていた)。でも実態を私は知らないし、当地マレーシアでも似たような話を聞いたことがあるけれど、同じくマレーシアの実態はどうなのかも私は知らない。
「マレーシアの物価は安い」と言われていて、それは今でも同じだと思うのですが、「カーキチ」には厳しい国で自動車がとんでもなく高い。だから好きな車に乗ったら「それだけでマレーシアの物価の安さはすっ飛んで帳消しになる」のね。ま、それはしょうがないと好きな車に乗るのは諦めていましたが、時も過ぎ、歳を取り、医療費や保険のことが問題になってくると、意外に自費での治療の場合、「日本での自費のほうが安い(日本で自費で一ヶ月手術入院したからわかる)」のに気がついた。
またマレーシアで「おできの手術」で10数年前、自費で12万円掛かった(私立のSim Derby Medical Centre)(今現在、日本では3割負担で1~2万円)こともあった。当然、マレーシアで保険に入りたいですが、70歳を超えると「マレーシアでは入れる保険がない」のと「どうにか探しても保険の掛け金が恐ろしく高い」のね。こればかりは自動車は諦めるのと同じ様に諦めるわけにはいかないし、「老後はマレーシア~~♬」なんてそもそも無理じゃんと思うようになりました。
「マレーシアを最後の地としよう」という老人は結構いて、それは私の両親も同じだったわけですが、たとえ海外旅行者保険に入っていても持病や治療が180日以上続く怪我や病気になったら保険は下りず自費となって生活できない。癌になったりボケたら完全アウト。家族の内、一人でもそうなればアウトでしょう。「一人で帰れば?」なんて言えないじゃないですか。どんな治療が何年続いても「自費で頑張る」だけの資産があれば良いけれど、内容によっては数百万~数千万円なんてあっという間になくなる。病気らしい病気もなかった母が1ヵ月入院して1000万円。父も同じで2週間の入院で450万円。私の「前立腺、冠動脈ステント」もそれぞれ1泊2日の入院手術で、合計400万円超え(保険で下りた)。重篤な病気があったらそんな額じゃ済まないわけで、想像しただけで目眩がしてきます。
そういう意味では私の両親は病気らしい病気もなくて二人とも90数歳まで生きたわけで、亡くなる時にはそれぞれ1000万、450万と掛かったけれど、保険無し(海外旅行者保険に入っても毎年200万円の掛け金となる)だからもしかしたら「お金がかからなかった部類」と考えることさえできる。
もし持病持ちで家で悪化して倒れても「救急車も呼ばない」なんてことは絶対に出来ないし、でも保険もない、あるいはもう使えない、金銭駅余裕もないとなればどうすれば良い?日本に帰るにしても「動くこともままならない」なんてことも想定しないとですよね。
とんでもなく高額になった「海外旅行者保険の掛け金」ですが、「大きく値引きされた金額」で加入する方法もあるのね。でもその方法を公開していた代理店はそのページを閉じてしまったし、現在、様々な問題が出てきているようで、その割引を得るのも簡単ではなくなってしまった。
だから我が家では「保険会社が公開している定額」を支払うしか無い時は来ると思っていて、それって我が家3人と姉で年間340万円。だからどうしても「年寄りは保険に入らなくても良いか?」という話が続くわけです。
私とヨメさん、そして姉の年寄り3人(掛け金も安い30代の息子はのぞく)で毎年300万円の掛け金なら、そして「保険はもう使えない疾病もある」ことから、我々年寄りは「保険無しで皆で協力しよう」という将来は近いかもしれない。「保険をすでに何度も使った私だけ、加入しない」という手もある。もう「再発しそうな同じ疾病、持病」では保険が下りないのだから。
しかし「海外在住」とか「移住」って「見えないデメリット」が結構ありますね。私達は家族も住むオーストラリアに戻れば手厚い社会保障を受けられる(持病も問題なし)けれど、そして日本人なら「日本に帰れば良い」けれど、マレーシアに住み続け家族も歳を取り【家族の内、一人でも具合が悪くなったらアウト】なわけで、そんな状況で「移住をしました~~~~~♬」なんて有頂天で言えるのは「最初の頃だけ」かもね。
実際にオーストラリアでもマレーシアでも「幸せ~~~~~」と言っていた人たちが「ある時、突然、消えていく」のを多く見てきました。最近の「ブログ村のマレーシア情報」でも張り切っていた人たちがどんどん消えていっている。閲覧数も近年、劇的に減っていて「マレーシアの人気の変化」ってかなり大きい。
家庭の事情はそれぞれだけど、私が見聞きした中で結構多いのが「奥さんがもう我慢できない、限界だ(奥さんには日本在住の友人が多く、日本に住みたがる)」なんてこともあったり、ゴールドコーストでは永住権を持ち、自分で飲食店を経営していた我が家の家族ぐるみの親友家族が「オーストラリア生まれの子ども(オーストラリア国籍もある)」がオーストラリア嫌い、英語嫌いでノイローゼになって、結局家族皆で日本に引き上げたり。
「マレーシア最高~~」と言っていた人が突然、日本に帰り「やっぱりここが最高~~」と言い出したり。(笑)
当然、病気や保険の関係で日本に帰る人も多いだろうし、でも消えていく人たちの殆どは「何が原因か」を多く語ることはなくて「もう十分楽しんだので本帰国することにしました~」何て言うのが普通かもね。私だったら事細かくブログに書いちゃうけれど、そういう馬鹿なことをする人は多くはない。(笑)
意外にちょっとした病気や怪我で入院して100万円以上請求されて、「現実を知って」ビビって日本に帰ることにしたなんて人も多いかもしれない。
マレーシアに移住じゃなんじゃと言う人は多いけれど、実際にはビザも永住権ではないし、自由な就労も認められないし社会保障もゼロなわけで、「好きなだけ住み続け、家族を作り根を張って生きるのはほとんど不可能」なのは明らかで、所詮「長期観光旅行と同じ」だと私は思ってるのは前から書いてきたこと。だから「本当に海外に移住しよう」と思う人は「その国の永住権を取る」のが普通で、当然、【社会保障は日本と同じレベルかそれ以上に厚い国】【医療レベルも高い国】へ渡ろうとする。オーストラリアもそのうちの一つの国で、でも永住権があっても「オーストラリアから出ていかざるを得ないことになる人達」の方が、定住した人たちより圧倒的大多数なのね。我が家の3人もそうで、シドニーに定住している次男坊を除いて今は難民状態。(笑)
「お国替え」ってできそうでなかなか難しい。でもそれも不思議なもんで、「日本に生まれた人のほとんどは日本に住み続けて日本で死んでいく」のになぜ海外に出るとそれと同じ様に出来ない?
いやいや、日本は厳しくてもう駄目だとフィリピンやタイのチャンマイに居を移す老人も多いか。でも彼らは「医療や保険」はどうしているのかと思う。その時はその時でどうにかするってことなのかもしれないけれど、それもまた「先が短い老人」だからそれで良いようなものの、もし家族で海外に出るってそんな場当たり的な考え方で良いとは思えない。
ま、その時その時、やりたいことができるのが一番良いことだとは思うものの、長期計画も意外なことから崩れていくのを見てきましたし、自ら体験もした。
我が家はどうなるのかな~~~~。
「マレーシアをそろそろ出ようか」という話は今の時点で全く出ていませんが、我が家は「浮草」と同じで、もう9年になりますがマレーシアに移住したという感覚は皆無。たまたま「今、マレーシアに住んでいる」というだけ。地方の別荘を拠点にしてリモートワークしている感じに近いと思う。
もし「小さな子供もいたとする」なら、私はマレーシアで定住しようとは思わない。というか来たにしても【子どもの留学に付き合う】みたいな感じで「ある時点で引き上げる」のは予定して来ると思う。保険は日本の海外旅行者保険でOKで、若ければ毎年の支払いも驚くほど高くはない。でもまさか子どもも一緒に「永住権もないマレーシア」で一生を過ごそうなんてことは私なら考えない。でも「仮の住まい」「ある時期をマレーシアで過ごす」のは良いと思うし、オススメもしたいくらい。
どちらにしても「死ぬまで放浪生活みたいな生き方を続けることは不可能」なのは間違いがない。そしてとにかく「永住権もない」「社会保障もない、あってもあてに出来ない」【保険もない】状態で一生をまっとうするのは不可能と言っても良いと私は思う。それは「歳を取れば誰でもわかる時が来る」わけで、その時に慌てても遅いのね。だから「永住権がなくても構わない」と考える【若いときにこそ、社会保障も分厚い国の永住権を狙って取るべき】だと私は思うし、そうじゃないと日本に帰りたくなくても帰るしか無い時は必ず来る(幼い頃から海外育ちの子どもに取っては、その時、日本は外国になってしまっているのを忘れるべきではない)。
世界には「お金で永住権が買える国」もあるけれど、そういう国に本当に住みたいのか?とも思う。それを計画する人たちもネットの中では散見できるけれど、やっぱりそういう人たちはまだ問題らしい問題もない若さで、私には「とりあえず逃げ道を探しているだけ」に見えて、本当にそうしたいようには見えない。つまり、そうしたとしても「続かない」ようにしか思えない。「重篤な病気に罹ったり、ボケたり寝たきりになる自分」を想像してみれば自分の本音はすぐにわかるはず。
でもある時期に「日本に帰る」つもりなら全く問題がない。「永住権がなくて困る」と思えば日本に帰れば良いし。
ところが「幼い頃からそこで育った子どもたち」は違う考えを持つわけで、我が家の二人の息子達はオーストラリアに渡った時は3歳と1歳でしたが、日本の思い出は全く無い。そして「俺達の故郷はゴールドコーストだよ」と当たり前の顔をして言うし、「日本に住みたいとは全く思わない」と。彼らにとっては「日本は外国」でしかないのね。もしそんな状況で、「永住権もないから日本に帰るしかない」となったら「うそ~~~~~、冗談でしょ~~」となる。でも永住権があれば故郷と思うゴールドコースト、オーストラリアで好きなだけ住めるし仕事も自由。手厚い社会保障も受けられるし、家族を構築して安心して生活できる。
海外に住む場合、こういう「子供の立場で考える」事が必要で、「お前たち、海外で教育・生活を経験しているから、日本に帰っても有利だぞ」なんて理屈は彼らの心には響かないんじゃないですかね。では子どもたちが大好きで故郷と思うオーストラリアで住み続けるにはどうするか。やっぱり永住権を取るしか無いし、どこかに勤めて「就労ビザ」を取ったにしろ、住み続けられるのは「そのビザの有効期限だけ」なわけで、安心してその地で家族を持ち、根を張って生きることは不可能。そして孫たちにも宙ぶらりんな生活を強いることになり、社会保障や「住人向けのサービスは一切受けられない」事も起きる。でも「オーストラリアで生まれれば市民権は取れる」わけで、その子どもたちに「親を呼び寄せして貰う形を取る」ことで親の永住権取得は可能で、そういう方法を取る人たちは世界中で非常に多い。まさか「子どもは日本の実家に帰って生みたい」なんて奥さんだと話はややこしくなりますね~。(笑)
どちらにしろ海外育ちでその地を故郷と思う子どもにとって、その国を出なければならないのは「日本人が日本に生まれ育って日本に住み続けたいのに、ある日、海外に追い出される」ようなあり得ない事が起きるのと同じなのね。冗談じゃないと思うのは当たり前。だから「親の責任」って半端じゃなく大きいし、「永住権」の重要性を無視するべきじゃないと思う。
ただ私の場合、永住権はあったけれど「子どもたちがオーストラリア人になってしまう」ことを簡単に受け入れたくなかったし、実際に日本に帰らねばならないことも起きるかもしれなかったから、子どもたちには「いつ日本に帰らないとならないかもしれないから、日本の勉強に遅れ無いようにしろ」と日本語の読み書きも含めて常に発破を掛けたし、事あるごとに「日本は素晴らしい国だ。日本人で良かった」と子どもたちに「刷り込む」ことをずーっとやっていました。そうしたら「日本大好き人間」になってくれたし、日本語補習校(土曜日だけ)も現地校より大好きだったし、大学・大学院をオーストラリアで卒業し大人になってからも「日本人としてのプライドは高く」「海外育ちとは誰にも思われない」ようになり、私の影響もあって「ガチガチの保守思想も持ってくれた」のが私は嬉しい(笑)。実はオーストラリアの彼らの環境は左派思想に染まっているのね。シドニーの次男坊が勤める会社も、会社の方針もそうで、それに同調するような言動をしないとならないという。
彼らは日本男児に育ってくれて私は本当に嬉しいのだけれど、「ゴールドコーストが故郷」「日本に住みたいとは全く思わない」というのは変わらない。(┰_┰)
ま、毎度のことで話は長くなったけれど、そんなこんなで「マレーシアに渡る」のも【ロングステイ】ってことなんでしょうね。昔から「ロングステイ財団」も【移住を勧めるのではない】と公言していた。
でも昔から、「移住もロングステイもごっちゃに考える人が多い」と思う。でも「いつか帰るつもり」の人、家族ならそんなことは全く関係ないし、良いと思う。
さてさて、我が家はどうなりますか。いつか「マレーシアを出るしか無い」ことだけは間違いがないと思う。あと2,3年は頑張ってから決めようと思ってはいるけれど、それとも80歳までこのまま行っちゃうかな?ピンピンコロリの人生なら良いんだけどね~~。(笑)
今回、上に書いたように私が思うのは、私は「自分の人生は自分で決めたい。来年の今日、どこでどう暮らしているのかは自分で決める」という考え方を若い頃からしていたし、子どもたちもそうであって欲しいからかもしれなくて、でももしサラリーマン生活も長く、「自分の意志だけで決められないのが人生だ」という【割り切り】がある人は「臨機応変に生きる。永住権にも拘らない」「それを自分の子供達にも理解させる」ことができるのかもしれない。
かくいう私だって「真の自由なんて存在しない」と思うわけで、オーストラリアに渡った30代の時、「この国には日本にはない自由がある。この国の土となろう」と感動し、そう思ったけれど、【できることはやる。できないことは諦めるしかない】という大原則は所詮、同じなんでしょう。そもそも、今、マレーシアに住んでいるわけで・・。(笑)
下の歌は好きな歌だけれど、昔の歌でしかなくて、「若者」「独りもの」「寿命も短い」「重篤な病気も治療で治る時代じゃない」からこういう歌も歌えたのだろうと思う。
「人間到る処に青山(墓)有り」なんてのは「大病を患っても、金銭的にも家族に大きな迷惑がかかることもない」という前提に思える。それとも大病に罹ったら自ら死を選ぶか?
私だって、「保険もない」「お金もない」としたら「出血が全く止まらなくて手術をした前立腺」「血の流れが滞っていたから入れた冠動脈のステント」などの治療は出来なかったわけで、それで死んでも良いと思うなら、下の歌を歌って自分だけ悦に浸っていれば良いと思う。
時代は「大きく変わった」のを感じますねぇ。自分だけじゃなくて家族がちょっと重篤な病気、事故や怪我にあっただけで、「家族の夢はそこで終わる」なんてなんだか納得できないけれど、それが現実なんだろうと思う。逆に「日本の医療、保険制度」ってとんでもなく素晴らしいのがわかる。平均寿命が高いのは「それが理由」なんだろうか。また「そういう制度がない国が世界では主流」なわけで、彼らはどうやって生活を繋いでいるのか私には想像もできない。まさに「明日をも知らぬ野良犬」と同じに思える。
しかしまぁ、「日本の保険制度、至れり尽くせりの医療レベル」って凄くて、それは「全人類の夢、希望」であるのは間違いがないと思う。しかし、それがいつまで続けられるのかはわからない。消費税が25%とか北欧みたいに「高福祉、高負担」になるのかな?どちらにしろ「まずは高齢者の延命治療はやめる」のは良いことだと思うけれど、どうもそれが「病院の金儲けの手段となっている」なんて声も聞こえるし・・。私としては「自分で食事ができないようになったら終わり」なのは「全生命の決まり事」だと思うのだけれど、そうもいかないんですかね。
この歌、若い頃からすごく好きなんだけれど、【現実的ではない】と今になるとそう思う。
男児立志出郷関
学若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間到処有青山
男児志を立てて郷関を出づ
学もし成る無くんば死すとも還らず
骨を埋むる豈に惟だに墳墓の地のみならんや
人間到る処に青山(墓)有り