「医学の常識」は時代とともに大きく変わる

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歳を取って自分の体の調子が悪くなってきたので、いろいろ考えて「習慣を変えよう」と思っているのですが、調べれば調べるほど「過去の常識とは違う」のに気がつく。

近年、衝撃的だと思ったのは「血圧」ね。

私は昔から150-105ぐらいな感じで「高血圧」だからどうにかしろと医師に言われ続けていました。当然、薬も飲んでいたし、自分は高血圧だという自覚はあった。

ところが~~~~

日本の厚生労働省が「高血圧の基準を変更した」のね。

それまでは「上が130以上は高血圧」とされていたのが「160以上」に変更された。( ̄口 ̄∥)

つまり今までかなり多くの人が「高血圧症」と診断されていたのが「異常なし」となったということ。130と160って半端じゃない違いがあると思う。

ま、この辺のことは今回、多くを書こうとは思いませんが、こういう「基準」とは別に「常識的なもの」も大きく変化している。

「マーガリンは駄目」「不飽和脂肪酸は駄目」「脂分を多く取ってはならない」「炭水化物を減らしてはならない」とか【常識とされるもの】って数限りない。当然、それを主張する専門家は「根拠」を説明する義務があるのだけれど、一般的には医師でさえも「自分で調べたわけじゃない」のであって、「学会」なり「師匠」のいう「常識」に縛られているのだろうと思う。でも調査、研究する学者も常に存在していて、「古い常識はどんどん塗り替えられている」様子。

でもそれが広く認知され、私達のレベルに落ちてくるにはとんでもない時間が掛るし、医師の中にも「それは違う」と頑なに認めない医師もいれば、うちのヨメさんみたいに何十年も前に「女性週刊誌に書いてあったこと」を未だにそのまま信じているような人も多い。ま、年寄はそんなのが普通で、「近年はこう言われている」なんてことを説明しても無駄。そもそも「知ろうとさえしない」のね。

うちのヨメさんって面白いんですよ。

ゴールドコースト時代も「買い物は私の役目」でしたし、あちこちブラブラするのが好きだった私は「買い物は毎日の運動」みたいなもので良く出歩いていました。で、ランチですが、私は今でもそうなんですが「飲茶(点心)」が好きなんですよ。だから「週に3,4回」は食べていたし、「毎日、飲茶」なんて日もあった。

ヨメさんは「ランチは何を食べたの?」と聞きますので「飲茶だよ」と答えると「毎日、中華ばかり食べていると病気になるわよ」という。(笑)

ま、中華は油が多いし、言わんとすることはわかるのですが、「へ~~、つまり中国人は皆、病気ということか?」と聞き返えしても無視。そしてまた数日後、同じことをいうのね。

また私は「卵」が大好きでよく食べるのですが、やっぱり「コレステロールに注意しないと駄目よ」とヨメさんはいう。

これも理解は出来る。日本では長い間「卵を食べすぎるとコレステロール値が上がるので良くない」と言われ続けていたから。でもそれは昔の話で、今はそう言われることはない。

でもそんな「時代によって変わる常識」をヨメさんはいちいちチェックなんかしていないし、それでも「女性週刊誌」を読んでいれば情報も入るのでしょうが、海外住まいで女性週刊誌を読む人は少ないんでしょう。ヨメさんは「ネットサーフィン」もしないし、ユーチューブも「好きなものしか見ない」し、そういう情報のアップデートは全くなされない環境。でもたまに「好きなバラエティー番組」で話題になればそれを知るというレベル。

な~~んて偉そうにいう私は【常に情報をアップデートしているか】と問われれば「それはない」のは同じで、私の頭の中にある情報を調べたら「大部分は大間違い」なのかもね。

でも「医学、医療、健康」に関してはやっぱり新しい情報を得たいと思う。でもそれって「待っていても情報は入ってこない」わけで、こんな情報も面白そうなのがあればブログでも紹介したいと思う。

最近、ちょっと気になっているのは「コロナ」に関すること。

またジワジワと広がり始めている様子。

Yahoo!ニュース

アジア地域における新型コロナウイルス感染症の再拡大について、各国から最新のデータが報告されています。 各国の保健当局は…

感染の強さもさることながら、「感染した場合にどうなるか」が気になります。

世の中では「ワクチンは絶対に打たない」という、私から見ると「宗教に見える」ような人も多いですが、実際にどうあるべきかは私にはわからない。私は「正解はない」と思っていて、「ケースバイケース」だと思うんですよ。

「コロナに罹っても大したことはない」とするなら、「ワクチンも必要ない」となるし、ワクチンに問題があるとすれば「打たないリスクと罹患した場合のリスク」を天秤にかけるしか無いのは「全ての薬や治療でも同じ」だと私は考えます。

誰しも「毒饅頭なんか食べたくない」のは当たり前ですが、選択肢の中でどれをとっても「毒饅頭」だとしたら、「どれかを選ぶしか無い」わけで何も食べずに生きられる人はいない。

具合が悪くて病院に行ったら「自分は死にそうに思っている」のに、「大丈夫です。暖かくして寝ていればOK」と言われて【ハイそうですか】という人はいないし、風邪ぐらいに思っていたら「緊急入院です。すぐに手術をしましょう」なんて言われたら「ちょっと待って」と思うのも同じこと。また自分でも「悪い部分を摘出手術するしかないんだろう」と思っているのに「点滴で終わり」だったら気になるし、かと言って「両手両足を切断するしか無い」と言われても「はい、お願いします」とはならないのと同じ。

コロナも同じで、「放置してよいのか」「危ない薬を飲む必要があるのか」「ワクチンのリスクを取る必要があるのか」も【ケースバイケース】でしかないと私は思う。

前回のコロナ騒動では「ワクチンを打たないのもあり」だとは思ってはいたけれど、あのダイアモンドプリセンス号でバタバタと人が死んだり、中国やヨーロッパで「年寄がどんどん死んでいく」のを自分の目で見て、自分の周りの家族も死んでいくのを体験したら「ワクチン?冗談じゃない」と言えるのかどうか。

ただ私が大事だと思うのは「個人の意志に任せる」ことだと思っていて、「絶対にワクチンを接種しろ」と政治が決めるのが良いかどうかは疑問。

とはいうものの、「広がりを止める努力は個々の人も考えるべき」という考え方も正しくて、「俺はやだよ」というのを認めてよいのかどうか。これに関しては前回のコロナ騒動の初期に「中国から日本人を救い出した」ことがあったけれど、「日本に到着してから隔離を完全実施することは出来なかった」じゃないですか。「ホテルで隔離」するはずなのが「俺は家に帰る」という人達を止めることは出来なかった。

これも大きな問題をはらんでいて、「あのコロナなら必要ない」なんてことは【後になってわかること】でしかなくて、その前に流行しそうなのをどうにか止めた「SARS」みたいな威力がある感染症だったらどれほどの被害が広がったかは簡単に想像できる。

「後になってからなら、誰でも好きなことが言える」わけで、「これから起きること」や「今、始まったばかり」の脅威にどう対処するべきかわかるのは「神様だけ」だと私は思う。

政府や専門家も同じで、「危険があると認識できたらどうにか止める努力をする」のが当たり前で、SARSやペストやコレラ、エボラ出血熱だろうが、スペイン風邪だろうが、そして「未知のウイルス」だとしても、「国民の意志を尊重します。好きにして下さい」という政府でよいのかどうかは疑問。

そもそも「食料の安全」にしても、各国は安全基準を厳格に決めているし、「使用許可、使用制限がある薬品」もあれば、危ない食品が入ってこないように「水際対策」もやるのが常識の時代に「感染症を放置する」なんてことが出来るわけがない。

国の安全保障も同じで、もしも「他国からの攻撃があった」場合、「防空壕に避難する」にしても「危ない防空壕しか無かったらどうするか」というのと同じで、崩れそうな急ごしらえの防空壕に逃げたら「崩落して生き埋めになる」かもしれないし、では「自分の家のお手洗い」に逃げ込めばよいか。どうせ自分の上には落ちないと「何もしない」のか。政府はどうするべきか。

コロナもワクチンも全く同じ問題をはらんでいると私は思うし、「正解なんてない」はずなのね。

私は「ワクチンを打て」というのも「ワクチンは打つな」というのも【同じ紙の裏表】みたいな感じを受けるんですよ。言うことは「正反対」でも、底に流れている「考え方」は同一に思えるわけです。

じゃ、どうすればよいのか。

そんなことは神様にしかわからないことで、私は「ケースバイケース」で考えるしか無いと思っています。

ただ思うことは、「専門家の誠意を疑うことはやめよう」ということだけ。

でもねぇ、日本では「都心」であの恐怖の「エボラ出血熱」の研究とワクチン開発を日本政府は強引に進めていることに関しては、「何かおかしい」「容認するべきではない」と思っています。

エボラ出血熱のワクチン研究をする専門家が「ワクチンが出来たら皆が殺到するはず」なんて嬉しそうな顔をしてカメラの前で喋っているのを見て、こういう専門家が原爆や最終兵器を「人類のため」だと信じて開発するのだろうと思った。

その研究所を都心に作る理由が「厚生労働省などが近い方が良い」なんてバカみたいなことを言うし。

国民には「その研究はしない」「研究所は離島などの比較的安全な場所に作る」なんて選択肢はないのね。

さてさて、今、広がりつつある「次のコロナ」はどうなるんですかね~。

また「ワクチン接種の義務化」だの「行動制限」も始まるのか。

冗談じゃないと思うけれど、「世界の人口が半減するような大惨事」になる可能性も否定できないんじゃない?

な~~んて話になると「これは計画されたものだ」と真顔で言い出す人が出てくるのね。

当然、それを否定することは出来ないけれど、じゃぁどうしろと?

世界に何が起きるかわからないけれど、私としては最後の時が来ても愛する人の手を握り、「今までどうも有難う。素晴らしい人生だった」と言って終わりたいと思う。

それができればオッケイかな。(笑)

 
 
 

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