日本の映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら」をアマゾンプライムで見ました。感動した~~~。
Blu-ray&DVD発売中!デジタル配信開始!初めて恋をした人は、特攻隊員でしたー。福原遥×水上恒司ダブル主演!SNS…
時代は昭和20年8月。太平洋戦争真っ只中。というか「現代」とも繋がっていて、現代の女子高校生がタイムスリップ(夢かもしれない)して戦時中の日本に行ってしまう。そしてそこで出会った若者と恋に落ちる。彼は「特攻隊の隊員」で出撃間際・・・。
あらためて「戦争」というか、「戦争で命を賭けて戦う」とはどういう意味なのか考えさせられました。
戦争はあってはならない。悲惨だというのは当たり前のことで、でも戦争が起きてしまったらどうするべきなのか。
理屈で良いの悪いの言うのは簡単だけれど、そんな理屈で割り切れるものとは思えず。
それは「靖国神社の参拝問題」も同じ。
世界中に戦没者を慰霊する施設があるけれど、そこに参拝するべきか否かをその国の歴史を調べ、どんな戦争をしたのか、誰が悪かったのかといちいち調べるのだろうかと思う。アメリカなんか数多い戦争を経験してきたわけで、それぞれの戦争を吟味して戦没者の慰霊の是非を考えるべきなんですかね。中国は?韓国は?北朝鮮は?
どんな戦争でもたとえ強制的な命令に従っただけでも、その命令が間違っていたとしても祖国のために命を賭けた人達がいたという事実は変わらない。
だから靖国神社への参拝に文句を言われる筋合いは無いと思う。参拝するべきではないと思うならそうすればよいだけのことで、参拝したい人たちの足を引っ張る必要はないと思う。
そもそもなんで今回、この映画を見ようと思ったのか。
それは高市早苗氏がこの映画に言及していたから。
そして彼女はいう、「私達が生きている今、それは誰かが命懸けで守ろうとした未来だった」と。そしてそれがその映画のメッセージだったと。
実は私も靖国神社参拝はたまにしたいと思うタイプで、英霊にどうのこうのというまえに、あそこに行くと身が引き締まるし自分が日本人だという原点を強く感じるし、力がもらえるような気がするから。
私の親類縁者に靖国に祀られる人(英霊)はいないけれど、靖国と自分も「一本の糸がつながっている」感覚を持っています。すくなくとも「無視」なんて出来ない。
A級戦犯の合祀問題って本当にくだらないと私は思っているのだけれど、でも靖国神社って変だなと思うところもあって、そもそも「明治維新以降の戦争で政府側の戦没者として選ばれた人々だけが祀られる」。つまり賊軍となった西郷隆盛は祀られていないし、戦後フィリピンのルバング島で長年日本兵として隠れて任務を遂行しながら生き延びていた小野田さんは日本軍人らしいと思うのに、戦争で死んでいないから祀られていない。
私が好きな動画を出しておこうと思う。
この内容は誇張された部分があったり、注釈が必要だと思うのもあるのだけれど、大筋は間違えていないし、私はこの制作者と同じ思いを持っています。
でも「これが正しい」というつもりもないのですよ。ただ「こういう見方もある」ということ。そしてそれは日本人の自画自賛ではなくて、海外の要人たちの発言。
あの戦争に興味がある方は「表示される文言」をしっかり読んでみて頂きたいと思う。
全ての日本人に見てもらいたいと思うくらい。
私は「戦跡」を訪れるのが好きで、当時そこにいて戦った人、亡くなった人、また戦火を逃れる人もいたわけで、そういう人たちをひっくるめて「感情移入」するのが好き。なんでですかねぇ。自分でも良くわからないのだけれど、「切羽詰まった状況に人が置かれた場合、何を考え、どうするのか」に興味があって、それを疑似体験することによって「自分の生き方の参考、指針」みたいなものを感じるからかもしれない。
沖縄を回ったことはないのですが広島長崎は行ったし、東京も未曾有の大空襲があってそれの跡もあるんですよね。広島長崎もそうですが、東京では一夜にして10万人を超える人達が殺された。
広島長崎、東京と、死んだのは多くの民間人ですが、それは当然「当時でも戦争犯罪」で東京空襲なんて「木造家屋を焼き払うのにどうするべきか」とアメリカでは木造家屋を建ててその実験までしたというのだから驚き。そして出来上がったのが「焼夷弾」、後にベトナム戦争で多く使われた「ナパーム弾」も同じ。「焼き殺す」のが目的の爆弾。
また東京大空襲では「まず周囲を爆撃し、民間人を真ん中に集めて、一気に焼き殺す」作戦であったのが当時の記録を見ると見て取れるという。
その大虐殺を指揮した米陸軍航空軍の司令官だったカーチス・ルメイは戦後、日本の航空自衛隊創設に貢献したと「勲一等旭日大綬章」を受勲。
そのカーチス・ルメイも東京大空襲を立案した時に「もしもアメリカが負けたら私達は戦争犯罪人として処罰されるだろう」と言っていたのだそう。
もちろん原爆も大空襲も「戦争犯罪だ」なんて批判はいまだに一切ない。
でも日本では「東京裁判」が行われ、ありとあらゆる罪が日本人に押し付けられた。ただその時の中でただ一人「日本の無罪を主張した」のが上の動画にも出てくる「インドのパール判事」。彼は「諸悪の原因は欧米の植民地主義である」と結論付けた。ただ彼は日本の擁護をしたと考えるのは行き過ぎで、「日本を事後法で裁くことは出来ない」というのが主張の中心だと私は思う。結局、殺された安倍さんが主張したのもそれだと私は思っていて、あの東京裁判は「勝者が敗者を痛めつけるための裁判」「勝者が自分たちを正当化するための裁判」だと言われるのはそれだと思う。
アメリカがイギリスと一緒に「イラクには大量破壊兵器がある」とイラクを攻撃し(2003年のイラク戦争)、これにはオーストラリア、ポーランドも派兵。戦争終結後、結局「大量破壊兵器はなかった」と平気で彼らは報告する。当然、誰も犯罪者とはなっていない。でも当時のブッシュ大統領、イギリスのブレア首相もお咎め無し。ただ未確認ですが、マレーシアでは「不在裁判」が行われて、二人共有罪となったと聞いたことがある。
イラク戦争を日本が容認したときは小泉首相ですが、「ブレア首相から電話があって支持して欲しい」と頼まれた時、「即刻、イエスと返答した」のを当時の副首相だった「福田康夫氏」が回顧録に書いているらしい(要確認)。
私が一番衝撃を受けたのはやっぱり【サイパン】ですかね。
多くの日本の民間人、日本兵がアメリカ軍から逃れるために島を北へ北へと逃げた。そして海側を逃げた人たちは北端の「バンザイクリフ」、島の中央を逃げた人たちは「スーサイドクリフ」という【眼の前は絶壁】という場所に着いた。ここから多くの人たちは投降すること無く「飛び降りた」わけで、その映像や写真も結構あるのね。そして飛び降りる人たちに「飛び降りるな」とマイクで呼びかける米兵の映像とか。
民間人だけで1万人以上もそこで身を投げたようで(要確認)、海岸は真っ赤で多くの亡骸が浮かび、バンザイクリフの崖の下は亡骸が折り重なるようになっていたと聞く。そしてそれらの亡骸、海外に打ち上げられた亡骸を米軍はブルドーザーで集め埋めた。
そんな映像や画像を私は多く見ていたのですが、現場に行くとその当時と何も変わっておらず、朽ちた戦車や砲台も残っておりタイムスリップする感覚がありました。また「最後の司令部跡」も洞窟の上部には大小さまざまな「穴」がたくさん開いていて、それは米軍の艦隊による「艦砲射撃の跡」でどれほど凄まじい砲火があったのかと驚くほど。
北へ北へと逃げて「断崖絶壁」にたどり着いた人たちが「もっと北にある海の向こうの日本」を思い浮かべて何を思ったのか。日本の救助の船も見えないし、その「絶望感」たるや半端じゃなかったと思う。
また私が初めてサイパンに行った当時はまだ「遺骨」も出てくるような時代で、それを集めて祀ってあったり、遺骨収集のボランティアが多くサイパンを訪れていた時代。そんな場所に行ったのは感受性の強い二十歳前後の頃でしたので、私への影響はとてつもなく大きかった。もしかしたら私が保守思想を持つようになった原点はそれかもしれないと思ったり。
またヨメさんともその後、サイパンの遺跡巡りをして、日本人が「逃げたルート」を辿ってみたり。ジャングルの中を歩いて、行き着いた場所は「断崖絶壁」で、そこは「スーサイドクリフ」。感じるものが多すぎるぐらいでした。
でも忘れられないのは「サイパンのガイド(現地人)」が「最近の日本からのツーリストはこの場所に来てピースサインをして笑顔で記念写真を撮る」と嘆いていたこと。
また行きたいなぁ。
それと是非行ってみたいのがパラオの「ペリリュー島」。あそこも激戦地でほぼ全滅。また最後の最後に日本兵と一緒に戦おうとしたパラオ人と日本兵との逸話も涙を誘う。
パラオがどうして世界一の親日国なのかはこういう過去があるからだと思う。そしてパラオが独立する時に作った「国旗」は日本と瓜二つの色違い。
パラオでは今でも「日本の名前」を持っていたり、「日本語が現地語になった言葉」も多く存在する。
またパラオが独立する時に、日本を真似て「非核三原則」を憲法に入れようとしたところ、アメリカからの圧力で簡単に阻止されてしまったと聞く。
また「台湾」も似ていて、私が台湾に良く行っていた20代ですが、当時は「ある種の竹」を探していて結構山奥にも行ったのですが、ほぼ日本人は来ないような寒村では私達が来たことを知り集まってきて、皆さん日本語を話すのに驚いた。また「私は日本人です」という人もいて、え?と理解に苦しんだこともあった。
それは日本とともに戦った台湾人兵も同じで、「私は日本に裏切られた」という人がNHKの番組に出ていた。でも彼のいう「裏切り」とは、「戦争終結時に自分も日本に帰る」と彼は考えていたのに「放置された」ことを恨むのね。またそういうかつての日本兵だった台湾人の集まりの中では「今でも日常会話は日本語」だとか「私は日本人」という人が多かったのも驚いた。
それと思い出すのはグアム。戦後28年間ジャングルに隠れていた横井庄一氏が出てきた直後ですが、グアム島はほぼ全島探索していた私はローカルの友人と共に8人ぐらいでタロフォフォのジャングルに入ったんですよ。途中、道を間違えて迷子状態になり川を渡るのに胸まで浸かったり。横井庄一氏が隠れていた場所はわかりませんでしたが、私達はちょっとした散策程度のつもりで行って「水も食料も持っていかなかった」んですよ。でも5時間もジャングルをウロウロしましたが、食べるものも飲料水も「手に入れるのは比較的簡単」で、それはローカルの友人たちがいたからできたことですが、「ジャングルで生存するのは決して不可能じゃない」のがわかったのは良い経験でした。
戦争なんて絶対にやるもんじゃないのは当たり前ですが、「戦争になったらどうするのか」が私は一番気になるところ。
逃げればよい、すぐ降参すれば良いと考える日本人が非常に多いようで、「万が一の時に、祖国のために戦うか?」という世界中の国を対象にしたアンケートに「戦かう」と答えた日本人の割合は世界中でビリと同じような割合。少なくとも100位以内には入っていない。
ウクライナ戦争を見てもなんだか不思議な感覚があるんですよ。
まず勝てないのは見えているのに、なぜああやってとことん戦うことが出来るのか。戦禍のどまんなかでなぜ逃げもせず、その土地にとどまり続ける住民が多いのか。
兵士が戦うのはわかるにしても、「住民が逃げない」のが私の理解の外。
世界の「国歌」を調べてみると、「戦え、戦え、勝つまでは」みたいな内容が多いのが興味深い。あるいは「祖先が命を賭けて祖国を守ったことを称える内容」だったり。
そういう意味じゃ「君が代」って異質な感じがしています。戦うことを美化していない。
そんな「君が代」が私は大好き。(笑)