嬉しいです。読者から頂いたメールですが、【ダボさんが書いていた地球儀を早速買ってみました】とのこと。地球儀のことを書いたのはこのエントリー。
そしてその地球儀をただ見ていただけで、私の「国や通貨、住む場所に囚われない生き方」というのが簡単に理解できたと。
でしょ、でしょ、でしょ~~~~~。 (笑)
地球儀って「視野を広げてくれる魔法の道具」だと思っています。
「海外に住む」「日本円じゃない通貨を持つ」「日本にこだわらない」
なんてのは「ごく普通のアタリマエのこと」として自分の中に入ってくるのね。
「地方から大都市へ移る」とか、「大都市から地方へ移る」」なんてのも簡単なことに見えるはずだし、「横浜から川崎に引っ越しするのに悩む人はいない」と思うし、それは「駅前からバスで10分のところに引っ越す」「3丁目から2丁目に引っ越す」のも、「日本を出てマレーシアに住む」のも、もしかしたら「アラスカの僻地に住む」のも大した違いはないのかもしれない。
地球儀を見て「地理、距離」だけじゃなくて、「歴史も合わせて考えてみる」ともっと面白いと思う。
いつもは地面にへばりついて生きていて、「自分の時間軸でしか世界を見ない」けれど、地球儀を見ているとそういう「縛り」から解放されるのね。この「地球儀を見ていろいろ想像する」のを若い頃から習慣としていると、普通とは違う「発想」を身につけられると思う。
今、マレーシアに住んでいますが、マレーシアの最大の功労者だと思う「マハティール氏」を私は尊敬しています。彼は「ランカウイ島」という島に生まれ育ち、そしていつか政界に出てマレーシアを導いたわけですが、70年も80年も前のランカウイ島って「空と海しか無い」ようなところだったはず。そん中で彼は一体何を考え何を思ったのか。それに非常に興味があるのだけれど、彼ももしかしたら「いつも地球儀を眺めていた」のじゃないかと思う。何も無いと言って良いようなランカウイ島にいながら、彼は常に「世界を見つめていた」のかもしれない。マレーシアは「全方位外交をする」けれど、それも地球儀と関係があるんじゃないかと思ったり。
ジンギスカンはどこからどこまで手中に収めたのかとか。あんな大昔にどうしてそんな事ができたのかとか。それはアレキサンダー大王も同じで、自分がその時代に生きていると想像しながら地球儀を見ていると面白いんですよね。
人類はどこで生まれてどう広がって、どう日本にたどり着いたのかとか。自分の先祖はマンモスを倒して食べていたのだろうとか、地球儀を見ながら耳を澄ますと、マンモスの鳴き声さえ聞こえてくるような気もしてくる。
同時に、未来を想像すると「地球の危うさ」も気になってくるし、どうしてイーロン・マスクは「火星移住」に本気なのかも簡単に理解できてしまう。
人間という存在さえも、地球の歴史書があればそれの1ページもない「数行の歴史」しかないのもわかるし、自分って「バクテリアよりも小さな存在」に思えてくるのも面白い。
そんなことを自由にいろいろ想像しているうちに、「自分のしがらみや悩みが溶けていく」のを感じるんですよね。
そして小さくて本当にゴミよりも小さな人間の一人として、まるで瞬きする一瞬ぐらいの長さしか無いような人生で出会ったあまりにも偶然としか言えない愛する人達との生活。その幸せも一瞬なのがわかるし、だから本当に本当にこの一瞬を大事にしようと思うし、底知れない幸せ感と、そんな一瞬を経験できる有難さ。創造主がいるとしたら感謝したい思いも湧いてくる。
地球儀、面白いですよね。
魔法の道具だと思う。