土曜日のアースアワー2010のイベントはどの程度盛り上がったのでしょうか。私は家にいましたので全く世の中の様子はわからず。
電気を消したかって?
消しませんよ~~。
でも改めて地球温暖化とは一体なんなのか。CO2削減が本当に必要なのか、自分は、世界はどうするべきなのか、そんなことを考えていました。
で、やっぱりうさんくさい何かを感じるわけです。どうも世の中はCO2犯人説で固まっていて、それプラス景気の悪さと資源を大切にしようなんて考え方が相まって、ましてや鳩山さんみたいなヨイコになりたい人が世界の前で25%削減なんて気持ちよさそうにしゃべっちゃうし、温暖化とCO2は関係ないかもしれない、なんてそんな疑問を口に出すだけで異端者扱い。
中には、CO2が主犯じゃないかもしれないけれど、何もしないより何かしたほうが良いなんて論理のすり替えを平気でする人も少なくなくて、CO2犯人説は益々広がって定着してしまう。
私としてはここは科学的に事実を知りたいと思うんですよ。
事実はわからないままにして、CO2犯人説を採った方が経済的に潤うとか、予算が出るとか、あるいは情緒や道徳に訴えて、地球を守ろうと手を繋いで酔ってていいのかどうか。
私はやっぱり事実はどうなのかをまず知りたいです。温暖化は本当に起きているのか、起きているとしてもそれは今まで歴史上で起きてきた変化とは違って、本当に我々人類が引き起こしたのか、そうだとすればその原因はなんなのか、本当にCO2なのか。
それとも単なる自然現象なのに、CO2だCO2だと騒ぐことによって利益を得ようとしているグループの動きに乗っているのかどうか。そんなことも考えてみたいと思いました。
で、自分には検証することが出来ませんから、専門家の意見を聞きながら事実はどこにあるのか想像することしかできない。でも、わけがわからないから世間の言うことに取りあえず同調しようとも思わない。
だからといって、CO2が主犯じゃないとしても、では野放しにCO2を放出しても良いとも思わない。
ま、結論を急ぐ必要はないわけで、一体世界では何が起こっているのか、それをまず知りたいです。
まずは、今世間では異端児といわれている東京工業大学の丸山茂徳教授の対談。この学者は紫綬褒章を授かってる人で、そこらのなんちゃって学者とはわけが違う。
地球温暖化CO2犯人説のウソ
また地球温暖化に関してちょっと違う考え方を持っている学者。この人も異端者扱いされてはいるものの、主張してきたことが実際に採用されつつあって、この人の言うことも面白い。
地球温暖化問題の真実
次は上のビデオでも紹介されていたイギリスはBBCの番組。
地球温暖化詐欺
地球温暖化が叫ばれているのは、これは科学ではなくてプロパガンダであるという最初の言葉が印象的です。
地球温暖化詐欺こそが詐偽であるというビデオ
こういうビデオを見ていると、アメリカや中国が、私の住んでいるオーストラリアもそうですがCO2削減を言いながらもいまいち積極的でない理由は、自分の首を絞めることになるからということだけではなくて、何か違う思惑もあるような気がしてきます。
CO2を出しっぱなしが良いとは思えないものの、CO2削減は間違いなく民衆の生活を押さえつけ、格差拡大するであること、これから伸びようとする新興国を押さえつけることになる、そしてCO2削減の音頭を積極的に取る日本のような国は間違いなく多額の金を出すことになる。と同時に、石化燃料を積極的には使わないと宣言したも同じで、世界の石化燃料確保競争から離脱・脱落するということにもなりかねない。
お人好しの日本という感じがするけれど、本当にそれで良いんでしょうか。しかしそうすることによって、CO2削減技術を売ることが出来て、先日報道があったようにビルゲイツと東芝が組んで次世代原発を開発するなんてことも含めて、CO2削減は日本にとってもビジネスチャンスがあるということなのだろうか。
そしてCO2削減に積極的に見えるEUにも、実は数値の計算にインチキと思えるような作為を感じてしまうわけで、どうもこのCO2削減、地球温暖化に関することは茶番で、大元はエネルギー問題で、だれが残り少ない石化燃料を確保するのかということなのかもしれないように見えてきます。
そんな風に考えていくと、アメリカの911テロに始まったテロ対策は冷戦構造の次の儲け口を産業界にもたらすための最高の言い訳になるし、湾岸戦争、イラク進駐の真の目的はなんだったのかも分からず、そしてこのCO2問題。どうも本当に人類のため、地球のためではなくて、この小さな地球でそれぞれがどう生き延びていくか、どう主導権を取るかのせめぎ合いの表れであるようにしか見えてこない。
真実はどこにあるのかわからないけれど、わけのわからん理屈、情緒に訴えるような茶番には乗りたくないです。しかしきっと人間が生きていくと言うこと、企業や国の存続を守るということは、他を出し抜いてでもやるべきことであって、その為に人が死のうと地球が汚染されようと構わないのかもしれませんね。命を守ろう、地球を守ろうなんていうのも、その純粋さは無知、無能と同じ意味であって、利用されるだけなのかもしれない。
では、一人の人間としてどう生きればいいのか。それは私にはわからないけれど、私としては命より守りたい大事なものがあるし、勝ち残れれば良いという考えは全くなし。負け犬になろうと野垂れ死のうと守りたい物は守りたい。
でもま、とりあえず真実を見ようとすることだけは続けたいです。