心配だった飯舘村の住民避難が進展しているようで私としては一息つけた感じがしています。
でも、福島市やいわき市の北東部はあいかわらずそのまんま。
しかしこれって突きつめて考えてみると、どこに基準を置くかでまるで考え方が変わってくるわけで、基準値を低く、危険度を大きく取れば非難するべき範囲は広がってくる。どこで線引きをするかは簡単ではないし、実際に東京から避難する人や企業があいついでいるわけだから、ひとそれぞれの考え方で答えはまるで違ってくる。
でも私が言いたかったことは、いや今でも変わらないのだけれど「自分で確かめて自分で考える」ってことでした。でも私みたいな暇人はそれができてもあの地でそれが出来る人たちは決して多くは無いだろうし、それだけに政府やマスコミの責任は重大だと思っていました。でも、それを心配する多くのボランティアや影響力のある代議士達も動いているのは間違いがなく、海外からの意見も取り入れて今回の飯館村の動きが出てきたのでしょう。
でもこの目に見えない放射線の怖さ、それの影響の判断の難しさを今回は痛感しました。またそれはまだ終わっていないし、食料や飲料水、空気や土壌に汚染が広がっていますから、まだ今は第一章が始まったという段階かもしれないって思っています。
今回、私がこれに関して騒いだことを、それは私の「正義感」だと言う人がいました。でも正直なところ、私自身はよくわかりません。ただ私の頭に常にあったのは子供達のことです。こういっちゃ悪いですが、年寄りや頑固オヤジがその土地を動きたくないのはどうでも良いと思っていて、気になるのはこれから生まれる子供、そして乳幼児、これから未来がいっぱいある子供達のこと。
20年前のことを思い出します。自分の子供も予防接種をするわけですが、それの副作用が心配でした。今はよく覚えていませんが三種混合だかポリオだか、予防接種なのにそれを受けることによって重大な副作用がでることが言われていました。それも確率的には何十万分の1だか何百万分の1程度。これって何もないのと同じレベルかもしれませんが、親ってそれさえも気になるんですよね。
巷ではその副作用が嫌で予防接種を選ばない親もいると言われていましたが、我が家では予防接種を受けました。でもあの時の気持ちは忘れません。宝くじより当たる確率より低いくらいの確率ですが、もし自分の子供がそれに当たった場合、親としてどんな償いができるのかそんなことも考えました。万が一の時には子供一人で死なせないぐらいの覚悟もしてその予防接種を受けたのを思い出すのです。
この親の気持ちはきっと全世界共通だと思うのです。そんな目で今回の原発事故を見た場合、子供の命、ましてやまだ生まれぬ子供達のことなど誰も考えていないと私は感じました。またそういう子供を持つ親のことも考えていないと。そしてその親たちは自分の子供がそういう危険に晒されていることさえしらないのではないか、そう思ったわけです。
たとえ10万分の1の確率でさえ自分の子供の命を危険にさらしたくない。自分が死んでも子供は守りたい、そしてそんな気持ちを持つ親たちに親としての義務を果たしてもらいたい。そんな気持ちで一杯でした。
私としては少なくとも飯館市、もちろん福島市やいわき市の東北部はいまだにかなりの危険があると思っていますが、今こうして汚染された食品が出回り、飲料水や空気、そして土壌に放射性物質が散らばり、はっきりとは目に見えない被害が進むことが心配です。
ありもしないデマが飛び交うのは良いことではありませんが、事実さえも「風評」として押さえ込まれる危険は排除しなくてはならないし、風評を排除するためにも確かな基準で確かな検査をし、全てを公表する必要があると思っています。それも決して政府系機関がやるのではなく、また政府が「生産地で管理するように言っている」ようですが、これも論理的に考えれば誰もそれで納得しないのはわかるはずで、どうにか一刻も早い「消費者がコントロールする機関」での検査と公表が必要だろうと思います。
海外にいる私ができることは決して多くは無いですが、これからはその食の安全を確保するために動く人たちの支援をしていきたいと思っています。と、同時に、福島市もいわき市もいまだに危険である状況。これは放射線量は低くはなってきたものの、少なくとも「放射線管理区域」に指定されるべきレベルはとっくに超えていること、そしてその積算値はどんどん増えていること。これに関しては訴え続けて行こうとは思います。ただその行動はこんなブログで私が騒いでも何が起きるわけでもありませんから、ボランティアの方々の後方支援をさせてもらおうと思っています。
子供は私達人類の宝。是非どうにか彼らを守りたいと思います。