最近、フト、何で自分はこんなことに一生懸命なのかと思うことがあります。
債券に関してもそうだし、相場もそう。自立塾にしても恵まれない子供達をバックアップしようと思うのもそう。こうやってブログを書くこともそうだし、そして原発事故、そしてそれに対する政府、企業、マスコミに関して異常なほどに怒りを感じる自分の根本にあるものって何だろうって。
そんなことを考えていたら、頭にある語句が浮かびました。
「平民の逆襲」
私がやりたいのはこれなんだと思いました。
若いときに誰でも経験することがあります。大人には軽くあしらわれ、銀行に行っても相手にしてもらえず、頑張って起業してセールスに行っても「お前、どこの馬の骨?」みたいな扱いを受け、自分が社会の底辺にいてそして常に搾取される側のカモであって、どんなにあがいてもそこから這い上がるのって簡単じゃなくて、この状態に甘んじで生きるしかないのかと心が折れそうになる毎日。
この体験が自分の中にこびりついているのに気が付きました。
今に見てろ・・・・と自分を奮い立たせていたのを思い出します。
でも知らないうちに何十年も経って、知らないうちに家族が出来て、そして子供達も巣立って、気が付いたらもう一線から離れる歳になってしまっていた。
自分の今の立ち居地ってのがどういうところにあるのか良くわからないのだけれど、どちらにしても既存の巨大な、そして強靭な支配層とは無縁だし、それに戦いを挑んで切り崩すことが出来るわけもないのだけれど、野良犬は野良犬の意地があって足のひとつも噛み付いてやりたい。
被害者意識が強すぎると言われるかもしれないけれど、私としては被害者とは言わないにしても、人民とは囲いに押し込まれた羊と同じだという感覚をかなり昔から持ち続けています。適当な衣食住と娯楽を与えておけばそれでニコニコして、世の中とは、人生とはこんなもんだろうと納得して、そして囲いから抜け出て自分の足で立ち、自由に生きることを自らが拒否する。それどころか囲いの外には別の世界があるということさえ見ようともしないし、そんなものがないと信じ込んでいるとさえ思っています。
でも枠の外には別の世界があって、そこに支配層がいてほくそ笑んでいる。
どちらにしてもその支配層を解体なんかできないのだけれど、一矢報いたいという気持ちが非常に強いんです。単なる羊、カモのままで終わりたくない。
その気持ちが根底にあるのだろうと思いました。
「お前みたいな素人に何ができるんだ。」この言葉は何度聞いたか、そして何度自分自身がそれを自分に言ったか。
この悔しさが未だにあるんですね。金持ちには金持ちの世界があって、金持ちはもっと金持ちになるようにできている。これの大元はユダヤ人が作った今のお金というシステムそのものがそういう風になっているわけだけれど、どうにもそれを認めたくないという気持ちが強い。
「平民の逆襲」
是非これをやって行きたいし、それが出来るようになったのはまさにこのインターネットのおかげで情報がいくらでも入るようになったから。
フト思い出すのは、近年の北アフリカの民主化。これも自由な通信があったからといわれているしその通りだと思います。
それと我々も全く同じで、我々には本来アクセスできないとされていたシステム(債券もそう)、客をカモるシステムが出来ているFX業界、そしてうまいこと誘ってなんの下準備もさせずにカモを呼び込む相場の世界。支配層の手先でしかない銀行、証券会社の内情。何も知らない羊達から搾り取る、あるいは羊達には儲けさせないそういうシステムの実態もインターネットのおかげで見えてくるし、それに対抗する手段も当然わかるようになってきたわけですよね。
「平民の逆襲」
良い響きだ・・・・・。
頑張ろう!
私の理想?
それは囲われた羊、カモ状態から抜け出て、奴隷制度のような社会システムから抜け出て枠の外に出るということ。でも枠の外にいる支配層も彼らとてそれ以上の大きなものに縛られているのがわかるわけです。それは思想であり宗教であったり。あるいはイルミナティやフリーメイソンのような掟みたいのがあるのでしょう。私としてはそういう支配層なんかにも興味がないわけで、枠の外で自分の足で立って自由に生きていたいと思うだけ。