インフレに関して

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インフレは退職者にとって最大の敵であり恐怖であるわけですが、そのことに関して。

前の日記に「金利」に関して書きましたが、金利とインフレは車の両輪みたいなもので切り離して考えることは不可能だと思います。また、どんなに高利回りの通貨だとしても、我々一般がやるような定期預金で得られる利子はやっとそれでどうにかインフレ分を補うことが出来るという程度でしかないという事実。ましてや税金を取られ、そしてその利子を食って生活するとなるとインフレの影響をモロに受けることになり、長い年月の間にはその金利生活そのものが破綻する可能性が大きいことを書きました。

ただ、私の実感として感じるインフレ率は発表される統計の数字よりはるかに高い。これってなんなんでしょう。こういう風に感じるのは私だけですかね。

でも考えてみるとこの答えは簡単で、経済も発展してくると生活レベルが上がってくるってことなんですね。

インフレを計算するときに何の価格を見ているかによってかなり違いが出てくるはずですが、たとえばパンや米の価格推移を見てもほとんど意味がないと私は思うのです。

たとえば、かつての日本では米が主食で、それこそお新香と味噌汁、おかず一、二品ぐらいが普通でした。ところが経済の発展と共に食生活が変わってきた。外食も普通にするし洋食も食べるようになった。そのうち、あの店がいいとか悪いとか「グルメ」なる言葉も一般化して食べる内容そのものが高級化しましたよね。つまり物価は上がっていないとしても内容がアップすればおのずと使う額は増えてくるってことなのでしょう。

住宅も同じで、かつては「文化住宅」なるものに憧れて新しい団地に入ることを目標にした年代もあった。ところが今その文化住宅を見てみると古さしか感じない。そして今の時代、新築であのような住宅を建てることはあり得ない。

海外も同じで、たとえば中国ですが、私の持っていた中国のイメージはとにかく貧しくて汚くて、町には自転車が溢れ、着ているものも粗末で男は黒いズボンにランニングなんていうのが普通でした。でも今では自家用車、高級車が溢れ、ロールスロイスは中国が一番のお客様。

時代の変化っていうのはこういうことが起きているわけで、この中でパンや米の値段の推移、ましてや自転車の値段を過去と現在と比べても全く意味が無いのがわかります。でも統計で出てくるインフレ率の数字はそういう比較数字ですよね?

オーストラリアはそもそもが慢性的なインフレの国ですが、経済発展のスピードも早く、この20年で随分変わりました。私たちが来たころは、町に走っている車はオンボロばかりで、日本では若者が乗るようなカローラやサニーを良いオヤジさんが大事にしてピカピカに磨いて乗っているような感じがありました。また窓ガラスが割れたままで、そこには黒いゴミ袋を貼り付けていたり、ドアの色が一枚だけ違うとか、バンパーは半分腐って落ちかけているような車が普通に走っていました。ところが今はそういう車はまず走っていません。それどころかかつては良い車にのっていた日本人が今ではオンボロに乗っているような感じさえあります。

レストランもそうで、特にここゴールドコーストは田舎ですから良い店がないということもあったのでしょう。どこへ行っても安かろう悪かろうで、また普通のオーストラリア人は外食はほとんどせず、外食をしても4人家族で100ドルを超えるような食事はしないのが普通でした。またオーストラリアというとバーベキューですが、これがまた質素なのが普通で、焼いているのはジャガイモとソーセージだけなんてことが多かった。オーストラリアではステーキは贅沢品です。意外でしょ?

かつては良いものを食べているのは日本人ばかりみたいな感じの時代もありました。我々もイセエビやアワビ(とにかく安かった)なんて高級食材をレストランで平気で食べたり、家のバーベキューで焼いていたもんです。ところが今ではとんでもない価格になってしまい、イセエビやアワビなんか横目で見て通り過ぎるのが普通。いつのまにやらレストランで凄い食事をしているのは中国人という光景になっています。

子供の学費もそうで、我が家の子供たちは私立に入れたのですが、小学生の頃はなんてことのない学費でした。ところが学年が上がるにつれて高くなるのは当然ですが、それにインフレと内容の充実度が上がってとんでもない学費になってしまった。当時の小学校と今の高校との学費は8倍の開きがあります。下手をすればこの高校の学費一人分が今の日本の初任給ぐらいになってしまった。高い税金を考えると何人かの子供を私立に入れて普通に生活することでも不可能な感じさえしてきます。もしかすると今後は税込み年収20万ドルでもたいした生活はできないかもしれない。これからオーストラリアに渡る若い人がいたら、その辺のことをしっかり調査して覚悟を決めないとかなりヤバイことになると思います。

つまり、私が言いたいのは単にインフレ率だけを見ていては実態はわからないってことなんですね。経済が発展すれば生活の内容そのものが変わるわけですから、単一商品の価格の移り変わりを見ても何もわからないということになります。これは特に都市部に顕著なはずで、全国的なインフレ率を見ても全く意味がない。また本当にその国が発展してくると次に地方がもの凄いスピードで変化してくる。

これはマレーシアでも同じで、コンドミニアムにしても値上がりが凄いとは言うものの、内容がかなり変わってきているように私は感じます。5年はとにかく10年前のコンドはかなり古い感じがします。また床も普通のタイルのところがマーブル(大理石)やグラナイト(御影石)のタイルを使う。洗面所のシンクやバスタブもグレードがまるで違う。これじゃかつてのコンドと価格が違うのは当たり前で、単に不動産の価格が上がったというより、内容のグレードが上がっているからと見るべきかもしれませんね。これが実態かもしれないと思うのは、不動産の値上がりが凄いという割にはまるで値段が上がらないコンドはいくらでもあるから(前に紹介したpropwallというサイトで価格の移り変わりが見れます)。そういう意味でも、単に不動産の値上がりが凄いから今のうちに買え!というのは早とちりの可能性ありですよね。値上がりを見るなら中古物件の値動きを見なければわからないと思います。

世の中の物価って経済の発展で単品の価格がインフレで上がるのと同時に、内容がグレードアップしてくるからますます高くなる。これが統計で出てくるインフレ率より物価が上がっているように感じる理由だと思います。

さて、単にインフレ率だけでも定期預金程度の利率では目減りに対抗する程度の力しかないという現実(マレーシアでは昨年3.5%のインフレ率だと聞きました。確認要)があって、その所得に所得税が掛からないという恩恵はあるにしても、その所得を使っていたらどんどん目減りするだけ。

これって、これから退職してマレーシアに移る我々にしてみると、生活のスタート時点が最高で、あとはどんどん生活内容を落としていかなくてはならないという意味だと思っています。私がオーストラリアで体験し、見てきたものはまさにそれ。自分の生き方に固執して周りがどうなっても俺は俺だと生きていける人は構わないと思いますが、世の中の発展と共に自分もその流れに乗って生きていきたいと思う場合は当然物価の上昇、一般生活レベルの格上げに追いつく収入が無いと置いていかれる。

歳寄りは良いと思います。退職前には世の中で一番の高所得を得、多分歴史的にも最高額の年金をもらい蓄えもある。そういう環境なら蓄えから生まれる金利分を全部食べてしまおうが、その蓄えがどんどん目減りして行こうが、残り少ない余生を考えれば十分逃げ切れる。

ところが最近のトレンドとして若者が早期退職し、また震災の関係でやっぱり普通なら考えられない年代が現地で仕事をするわけでもないのに家族を引き連れて海外に出て行くようになった。こういう方々がどういう試算をしているのか私には想像もつかないのですが、金利に関して書いたように、またこのインフレに関して書いているように、これから先、もっともっとお金が掛かるような年代の方々がどんな理由があろうと簡単に退職という道を選んで良いのかどうか他人事ながら心配になります。

そろそろ退職を控えた予備軍も同じで、一般的には海外での生活に憧れとか現実以上の期待を持っているケースが多いと私は思うのですが、その気持ちが先に立ってしまい、冷静な生活シミュレーションができていないなんてことが無いことを祈っています。オーストラリアには1980年代の終わりごろからごっそり日本からの移住者、退職者が渡ってきましたが10桁あった資産も無くしたり、食えなくなって引き上げた人たちは半端じゃない数です。でも日本に引き上げることが出来る人はラッキーかもですね。

結局、じゃぁどうすりゃいいのとなれば、答えは簡単で誰しもがわかっていること。つまり、仕事をして所得を得るしかないってこと。それも出来ることなら世の中の変化に合わせた所得の維持。

退職者は、そんなの当たり前だけれど退職ってのはそういうことから離れることだと言うでしょう。でも私はそうは思わないんですよ。サラリーマンを長くやっていた人は毎日仕事に出て、毎月お給料をもらうのが普通だと頭から信じている。でも私みたいにサラリーマン経験がほとんどない者に取っては、お金とは自分で稼ぐものなんですね。誰かにもらうものではないわけです。だから退職という言葉さえ、実は私にはピンと来ないんです。毎日仕事に出て給料をもらうのが仕事だとするなら、私は仕事そのものをしたことがないということにもなりかねません。もちろんオフィスも構えスタッフがいましたが、仕事をしたらお金が入るという感覚は皆無で、そもそも働く時間の観念もないわけです。頭の中は24時間365日営業。

だから私にとっての退職は、オフィスやスタッフもいない、毎日会社に行く必要が無いというだけのことであって、自分で自分の金は稼ぐということに関しては全く変わりがありません。つまり、会社を辞めたら稼ぐのは終わりという一般的な退職者の考え方が私には異質に思えるんです。人間って毎日ご飯を必ず食べますが、収入を得ようとする行動もそれと同じで、ある時点でやめてもいいということのほうが私には理解しずらいこと。

ま、こういう考え方の人間も決して少なくなくて、特に商人には多いんじゃないでしょうか。そして自分で自分の金を稼いだことが無くても本来人間の営みってそれが基本ですから誰にでも出来るはずなんですね。だからそれをしない、放棄する、諦めるのはもったいないと思うわけです。

このブログでもお金のことを書き続けるのはどういう理由かといえば、それが理由。世の中の変化に取り残されて生きていくのを拒否し、退職しても世の中の流れに乗って生きる方法を模索したいと思うわけです。

定期預金にお金を入れて、それだけで終わってしまうのは非常にもったいないと思うのです。手を出し足を出し頭を使って動けばどうにかなることってたくさんあるはずです。それもこれから資産形成をしようってわけじゃありませんし、元手も何も無い状況じゃないわけですから。だからといって銀行の、あるいはエセコンサルタントの言うままに銀行で外貨預金をしたり、為替デリバティブを薦められて買ったり、あるいは私にしてみれば詐欺のようなノックイン債に手を出すことなく、しかし利益を得ること=リスクをとることですからリスクを必要以上に怖がらずやっていくしかないと思います。

でも何もしないという選択が一番正しいケースは少なくありませんから、まぁ食えなくなったらその時はその時と今を楽しむのが一番利口なのかもですね。

私としてはどんなヨイヨイのジジーになっても上を狙うことを止めたくないのでこの生き方は変わらないと思ってます。というかそれが生きる楽しみでもあります。

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