何で今頃冬ソナ?って感じですが、私は冬ソナキチガイでたまに思い出しては冬ソナを見ます。もう今まで何回見たかなぁ。20回までは行ってないだろうけれど、かなりの回数見てます。
何で冬ソナ?
実はそれの理由がひょんな切っ掛けでわかったのですが、まぁ、それは置いといて、久しぶりに冬ソナを見ました。
やっぱり良いわぁ~~。
どうも冬ソナ好きなオヤジって少ないようで、それでも今まで若干名あったことはあるのですが、みなさんチェジュのファン。それはそれでわかるのですが、私はヨン様ファン。近年は止めましたが、ヨン様の写真をPCモニターのバックグラウンドにしていたこともあるくらい。
それが切っ掛けで韓ドラを見るようになってかなりの数見ましたが、やっぱりヨン様、冬ソナを越えるものは無し。全く他の韓ドラはお話にならないと思うくらい。
音楽も良いですよね。サントラCDも手に入れましたが、気に入ってる曲はいくつもあります。ただ、冬ソナのサントラで一番好きな曲はサントラCDには入っていません。なんでそんなことが起きたのかと言うと、冬ソナの撮影場所に歌手のRYUが来て、その場面が気に入って急遽作った曲がそれなんですね。だからサントラCDに収録するのは間に合わなかったと聞いています。でももちろんドラマの中には使われている。
それがこれ。私はこの場面も大好きで、胸キュンなんてもんじゃありません。
18話に出てくる場面ですが(20話で終わり)、紆余曲折があってやっと愛する二人がこれから一緒に生きて行こうとなったはずなのに、絶対に結ばれてはならない秘密がわかった。でもそれをジュンサン(ヨン様)はユジン(チェジュ)には言えない。海へ行き嬉しそうなユジンを見ながらジュンサンは別れようと決心する。冬ソナの曲の良いところは、その場面の登場人物の心を歌で表しているということ。これって各々の場面でそういう風に使われているのでそれがまた心を打つのかも。
場面で言うと、私が一番感動というか悲しいと思うのが次の場面です。上の海の場面の続きなのですが、部屋で寝ているユジンを置いてジュンサンは外に出る。そして思い出の品々を海に捨てる。あの大事な大事なポラリスのペンダントも。そしてジュンサンはユジンを置いて去っていく。
まぁ、可愛そうで可愛そうで泣けちゃうなんてもんじゃないです。
でもやっぱり感動と言う意味ではこの場面。最後の最後に二人が再会する場面。冬ソナの撮影が進みながらどうも結末をどうするか決まっていなかったようで、ヨン様は「純愛の物語は最後は死で飾るべき」という考えがあったようですが、それがまた当たり前の韓国なのかもしれませんが死ぬかもしれないという動きを察したファンが、絶対に死なすなと随分製作者側に抗議をしたと聞いています。実際に、もしこれが悲恋のままで終ったら見ていたほうも救われないと思います。
しかしどうしてこれほど冬ソナが受けるのか考えてみると、私は決してイケメンではないヨン様がちょうど程好いと思うし、しかしチェジュは絶世の美女でなんせ泣くのがうまい。そして私が思うのは彼らの演技というか間の取り方が最高だと思うんです。例えばこういう場面。
この場面も好きな場面。サンヒョクの元へ行く為にミニョン(ヨン様)に別れを告げる場面。
ヨン様の声も良いと思うなぁ。
実は日本で冬ソナが放送され大ブームになったわけですが、その時の冬ソナは日本語吹き替え版だったと聞いています。冬ソナファンとしてはそれも見てみようと思って入手しましたが、酷いのなんの。声が全く駄目なんですよ。若くて高い声でヨン様の魅力がまるで出ていない。またしゃべり言葉が友達言葉でなんか変。まるで中学生の学芸会を見ているような感じでした。でもそれで多くのファンを掴んだんですから凄いと思います。
またその日本語吹き替え版ですが、BGMもかなり違っていて、オリジナルでは何度も何度も出てくる主題曲と言っていいはずの「白い恋人達」じゃないんですね。これは拍子抜けなんてもんじゃありませんでした。白い恋人達は確か1960年代後半か1970年代の始めでしたよね。凄く流行りました。
今調べたところ、1968年にフランスのグルノーブルで行われた第10回冬季オリンピックの記録映画でした。これの主題曲が白い恋人達だったんですね。私が高校生の頃で、この曲をギターでよく弾いていました。キリーという格好良いスキーヤーを思い出しますね。
で、この曲は非常にいい曲で冬ソナにあっているのに、これが日本語吹き替え版には使われていなかった。またドラマの最初の方でユジンが放送室でアバのダンシングクィーンを掛けながら踊る場面がありますが、あれも違う曲になっていて変でした。まぁ、どちらにしても冬ソナの日本語吹き替え版は見るに耐えないと思っています。
で、今回冬ソナを見ながら、なんとなく違和感がありました。何か変なんですよ。おかしいなぁと思いつつ見ていて、ある場面で気がつきました。同じ韓国語バージョンなのに、私が今まで何度も見ていたものとBGMが違うんです。今回はDVDで見ていたのですが、今まで見ていたPCに入っているものと比べてみたんです。確かに違う。あちこちで違う曲が使われているのがわかりました。でも場面、登場人物、しゃべりは全く同じ。
どちらが新しいバージョンか私にはわからないのですが、これも著作権がらみだと思いました。多分、日本語吹き替え版も同じ事で、韓国国内版なら韓国内での視聴ということで楽曲の著作権使用料を支払いますが、いつの頃からか海外で放送するようになってきたわけで、そうなるとBGMといえども世界で視聴と言う契約になって使用料も上がるのでしょう。だったら安い曲を使っちゃえなんてことも起きるんじゃないでしょうか。
ま、その辺の事は想像でしかありませんが、BGMが違う韓国語の冬ソナも存在するということ。そして私が良いと思うBGMの方は世界的に売れた有名な曲があちこちで使われていて非常に良いのですが、今回DVDでおかしいなと感じた方はどれもこれも韓国語の曲でした。
これほどまでにBGMで感じが違うのか本当にびっくりです。
例えばこんな感じ。これは振られた同士のチェリンとサンヒョクがバーで飲む場面。使われている曲はエルトンジョンのSorry seems To Be The Hardest Word。歌手はオ・ヒョンラン。
これは同じ場面ですがBGMが違います(この曲も悪くはないですが)。歌っている歌手は同じですが、歌は韓国語。かなり雰囲気が違いますよね。こういうことが多くの場面で起こっています。
ま、いくら好きでもそこまで拘るのは異常かもしれませんが、実は私より上手がいました。やっぱり冬ソナ好きの女性なんですが、なんと全ての場面に使われている全てのBGMを調べ上げた人がいます。第何話、何分何秒からの曲は誰それの何って感じです。実はこの女性がわからないで困ったと書いていた曲があったので、私が教えて差し上げたなんて繋がりもあります。私も凝り性の調べ魔ですが、この人の足元にも及ばないと思いましたっけ。
ま、ドラマの楽しみ方もいろいろあるってことですね。
このBGMの良さってヨン様のホテリアというドラマも同じで、場面場面で名曲が使われています。音楽好きにはたまらないですね。
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ここからは私個人の心の中の話。
実は、スマップの香取慎吾が主役の「バラの無い花屋」という日本ドラマを見ました。これが良くて感動したし、久しぶりに日本のドラマで涙が出ました。
でも、フト、どうして私はこれにこれほど感動するのか考えてみたところ、それに気がつきました。というか見ながら「似ている・・・」と思う部分があって感情移入がたやすかった。それって「子供のころの心の傷」なんです。このドラマの主人公も子供のころに虐待されたのでしょう。その場面は出てこないのですが、彼は(親から逃れて)養護院で育ちました。また彼の親友が出てくるのですが、彼も養護院仲間。誰にも俺達の心を理解できないと信じる二人のつながりは異常なほど強い。
で、主人公の香取君てめちゃくちゃ優しいんです。異常なくらい。みんなが嫌がる仕事でもなんでも引き受ける。自分が悪者になって問題が納まるなら進んで悪者になる。弱い者を助けないではいられないという性格。そして彼の友人は正反対で、人の心は無視してどんどん自分がのし上がるタイプ。この二人ってまるで違うように見えるけれど根っこは同じなんですね。
苛め抜かれて、悲しみ、恐怖の中で育って、それがわかる香取君は人を助けなくてはいられない。逆に親友は、人を誰も信用できず(香取君は別)、愛も優しさも自分には関係ないと信じている。
これって私と似ているって思ったんです。小さいときに感じた恐怖、寂しさ、悲しさ、そして絶望感が強くてそれが大人になっても引きずっているのがわかる。でもそれがゆえに変な強さがあるんですね。まさにドラマの香取君、その親友も同じなんですが、子供のころのあの恐怖や悲しさに比べたら、今の生活に起こる細々としたことなんか全く平気みたいな。だから普通の人が躊躇するようなことでも躊躇しないってのはそういうバックグラウンドがあるから。
またドラマの中で小学生ぐらいの少年がやっぱり親から虐待を受けていて、その彼を助ける場面があるんですが、その少年の描写にも素晴らしいものがあったんです。その少年が万引きをするんですが、捕まって、普通親を呼ぶぞと脅かされればごめんなさいってなるじゃないですか。でもその子は平気な顔をしてるんです。親を呼んでもいいからそのチョコレートをくれと言う。この場面は凄いと思いました。もう親に怒られるのは何とも思ってないんですね。平気になっちゃってる。
また虐待を受けながら、子供はまだ親に愛されたいと思ってるというか、親の言うことを聞くべきだと信じている部分があるんですね。この辺の話もドキッとするところがありました。私は自分にトラウマがあるのははっきり自覚していますが、それを作ったのは父親ではないと信じています。いや、信じようとしているに過ぎないとこのドラマを見て気がついた。この辺のややこしさが虐待がなくならない不思議なところだと思います。これは旦那に虐待される女房という図式の中にも、それでも旦那を愛してついて行くケースが多いと言う非常に不思議な現象と同じだと思います。
ドラマの中で子供が救われる方法は、子供が親を裏切るしかないと言う場面があります。これは親を告発するとか、親の元から逃げるってことなんだけれど、この辺も良くわかってるなぁと思いました。ドラマの中では子供が逃げるんだけれど、現実ではこれが出来ないんですねぇ。理不尽でもその親の言うとおりになるのが正しいと思い込もうと努力するんですね。で、自分を否定しながら育って、いつのまにやら私のように曲がった人格が形成される。(笑)
ま、どちらにしても私は主人公の香取君に自分を重ねて見ていたから、感動したのだろうということ。
そんなときにですね、フト、冬ソナを思いだしました。私の大好きなドラマであるけれど、どうしてここまで異常なほどに冬ソナを好きなのか。それを考えたときに、この香取君のドラマと冬ソナの類似性があるのに気がついたんです。
それを確かめるために久しぶりに冬ソナを見たって事。
で、もしやと思ったことは確信になりました。香取君のドラマと冬ソナは全く同じでした。
冬ソナの最初に出てくるジュンサン(ヨン様)は高校生ですが、非常に暗い。笑うことも無ければ友達と打ち解けようともしない。登校途中にタバコも吸えば、遅刻して先生に怒られても顔色一つ変えない。まぁ、ちょっと変わった高校生なんですが、彼には悩みがあった。それは香取君のような虐待とかそういうことではないのだけれど、自分には父親がおらずあの韓国社会で苦労もしたのでしょう。また誰にでもいる父親が自分にはいないということが大きな傷になっていたのでしょう。どうしても出生の秘密を探りたいと彼は思っていた。彼に取っては他のものは捨ててもそれを知る必要があったんですね。それに対する彼の思いの強さが彼をあのような暗い、笑いもしない青年を作ったという設定でしょう。
私はどうも子供や青年期の暗さとか悲しさに対して異常に反応するのが今回良くわかりました。これって面白くて、そういう女性にはあまり反応しないのね。あくまで男子。つまり、そこに自分を重ねて見ていたってことだと思います。で、冬ソナのジュンサンもそういう暗い影を持った青年だから私にしてみれば簡単に感情移入ができたのだろうということ。
そしてそのジュンサンが10年後にミニョンという別人になって登場する。これがまた根暗のジュンサンとは正反対で、明るくて活発。仕事も出来て大金持ちで格好も良くて女にも持てる。これって根暗人間からするとヒーローと同じなんですね。本来根暗のどうしようもない青年がヒーローとなって復活するんですから、そりゃ見ているほうも気持ちが良いし、どんどん感情移入が進む。
でも実体は、本性はあの根暗な青年に間違いがなくて、いつの日にかミニョンは過去を取り戻し根暗のジュンサンと融合する。ここって見ているほうとしては非常に大事なところで、あの根暗の過去を切り捨てたら駄目なんですね。それじゃ救われない。でも融合することで自分の中にもヒーローの部分があるという実感を得ることが出来る。
こうなったら何が何でも応援するしかなくなっちゃう。(笑)
これが私に取っての冬ソナの正体だと気がつきました。だからあくまでヨン様が好きで、決してチェジュじゃないのもあらためて納得でした。
しかしま、香取君のドラマもそうなんだけれど、優しくて人助けもよくするんだけれど、実はそれって昔の悲しんでいる自分を他人の中に見つけて、その自分を助けているだけなんですよね。私もそうなんだと気がついたときにはちょっと残念な気がしました。これは偽善者の部類かもしれませんから。
他人の痛みや悲しみがわかるって、それの本質ってどこにあるのか、本当にわかるのか、もしかしたらそこに過去の自分を見出しているだけじゃないのか、その辺が良くわからない。それと少なくとも私は地球の裏側で死んでいく子供に涙を流したことは無い。でも目の前でそういう子供がいれば黙って見ていることはない。この違いってなんだ?
しかしまぁ、過保護は別にしても子供には優しさと愛を持って接しないと駄目ですよねぇ。こんなジジーになっても幼少の頃の思いを引きずって生きるんですから。そして傷は未だに癒されない。