早期退職だとか海外移住、必要な資金とか金融資産の運用でどう収入を得るかなんてことをオーストラリアへ移住する前から調べ、シミュレーションをし、そして情報交換をしてもう30年ぐらいになるのですがこのインフレに関しては私は考えが浅かったと反省しています。また情報交換をしてきた人の数なんてそれこそ100人以上になりますが、どう収入を確保するかの話はイヤというほどしてきたものの、面白いことにインフレに言及する人は一人もいませんでした。
なんでなんでしょうねぇ。
これってとても不思議で、今、定年退職する歳になって定年後の金勘定に関してネットで調べることも良くあるのですが、年金とは別に最低3千万必要だとかいろいろシミュレーションがある中でやっぱりインフレに触れているものって少ないのね。
これって日本の失われた二十年が大いに関係しているのだろうと思うけれど、これってたまたま日本がそうであっただけで世界ではインフレが進んでいるのが当たり前。日本でさえかつては凄いインフレに悩まされた時期があるのに、今はそれを無視している。
これっておかしいと思うんですよねぇ。そしてこれってかなり危ないことだと思うんですよ。
いやいや、俺だってインフレの時代を生きてきたから知ってるよという人は多いでしょう。私だってそうですし、その中でどうにか生きてきたからインフレの怖さぐらいわかるさと言いたい。でも本当はわかっていないんじゃないのか?ってのが私の言いたいことなんです。
ひとつ間違いがないことは、日本がインフレに襲われた時、我々はそのインフレに合わせて収入も上がる立場だったというのがほとんどなんですね。私が覚えている最大のインフレは1970年代のオイルショック、列島改造論の頃です。それはそれは凄かったですが、収入の増え方も半端じゃありませんでした。あとはバブルの頃。ただ、バブルの頃は資産インフレであっていわゆる物価が跳ね上がったというのとはちょっと違うと私は考えています。もちろん物価も上がりましたが、1970年代のインフレとは違う印象です。
当時はインフレだとしてもそれに合わせて収入も上がり、売り上げもガンガン上がっていましたから恐怖感なんて少なくとも私にはなかったし、逆に面白かった時代でもありました。
ここで私達が考えないとならないのは、あの当時に年金や金利で暮らしていた人たちはどうだったのか?ってところだと思うんです。
年金に関してはその推移が私にはわからないものの、あの時代は年金ファンドも好成績を出している時代で不安はなかったと言われているようです。
ただ1960年代を思い出してみますと、100万円が大金でした。1千万なんて貯金を持っている人の話を聞いたこともありません。ましてや億の単位なんて夢のまた夢。つまり当時の金持ちもそんなもので、1千万あれば老後は悠々自適で・・・なんて考える時代だったんじゃないでしょうか。
でもそうはならなかった。
これって私の祖父の時代に当たるわけですが、彼らは古い人達ですから、老後は本当に質素に生きていました。食べるものも質素だったし遊興費なんて無いに等しかったような生活。でもそれが彼らの昔からの生活で「苦労」という感じはありませんでした。
だからあのインフレに耐えられたのかもしれません。でも私達がもしあの立場でああいうインフレが来たらどうなるのか。かなり厳しいことになると思います。
インフレですが、私は3種類あると考えています。
1 政府発表のインフレ率
2 生活者の体感インフレ率
3 年齢とともに上がる生活レベルによるインフレ率
世の中でインフレの話をするときに出てくる率は1番の政府発表のインフレ率ですよね。でも3種類のインフレ率の中ではこれが一番低い数値だと思うんです。そして実勢を表していないとも思います。
で、やっぱり大事なのは体感インフレ率。これって世の中が変わってくれば買うものも変わってくるわけで、昔なら駅前の立ち食いソバ屋で昼食をとるのが普通だったのが世の中の移り変わりと一緒にフレンチのランチを食べたりするようになってきます。また町の中の店も変わってきて高級品が並ぶようになってくる。また学生でもブランド物を持つような時代もありました。
つまり、米やミソの値段は上がっていないにしても世の中が変わってくれば支出も増えて体感インフレ率はかなりあがるってことだと思うんです。
クアラルンプールの物価がドンドン上がっているという人は多いけれど、マレーシアの発展と共に商品が変わってきているということもあるんじゃないでしょうか。これはマレーシアに住んでいない私でもネット内でマレーシアウォッチングをしているだけでそれを感じます。
私はこれが本物のインフレだと思うのですが、その数値はどんな統計を見ても出てこない。そして生活しながらインフレを感じる時って、私が思うに年間3%は楽に越えている時だと思うのです。逆を言えば、年間3%以内のインフレだと意外に気がつかない。数年たってから、あれ?上がったかな?と思う程度だろうと思います。
そんなことから想像するに、クアラルンプールの体感インフレはもしかしたら5%を超えている可能性もあると思ってます。
そしてこれまた重要なのが3番の年齢とともに上がる生活によるインフレ率。これも説明は不要だと思いますが、若い頃なら車はカローラの中古でも構わなかったのが、子供も出来ればもう少し大きいのが欲しい。ヨメサンも一台欲しいと言い出す。その内、4駆のSUVにしようなんて話になるのが普通。歳を取れば取ったでベンツの小さいのでいいから乗りたくなるなんて人も少なくない。
旅行も同じ。昔ならバックパッカーみたいな旅行でよかったのに、歳とともに「たまには・・」なんてことが始まるし、子供達は裏の公園で遊ばせておけば良かったのに、いつのまにかハワイに行きたいなんて言い出す。
家もそう。私達夫婦の始まりは池袋の小さな小さなワンルームマンションでしたが、まさかそこで4人住むわけにはいかない。
そして教育。子供が小さいとお金なんかほとんど掛からないのと同じ。ところが高校大学になるととんでもない金が掛かる。
結局、買う商品が変わって値段が上がっていく体感インフレと、自分の生活が変わっていくことによるインフレとダブルパンチを受けるわけですね。
普通に会社勤めをしていれば(今は違うかもしれないけれど)30代後半から40代、そして50代になるに連れてどんどん収入も増えて若い頃には想像もしなかった年収も手にして、ローンも抱えて楽ではないにしろどうにかやりくりが出来た。
ところが稼ぎ時に稼がないで早期退職しちゃったらどうなるのか?
がっぽり稼いだから辞めるっていうのならOK。稼げる腕があるわけですから海外に行ってもどうにかなるかもしれない。まぁ、国が変わるとそうはうまく行かないってのが現実だと思いますが、若い頃って自信過剰になりますからその辺も簡単に考えちゃう傾向があると思ってます。
危ないのが親の遺産が入ったとか、あるいは年末ジャンボで当たったとか(笑)、あるいは資産のある親を説き伏せて一緒に海外に出ちゃうなんてのは危ないと思うんですよ。海外に出た瞬間、突然、「投資家」になっちゃうわけですから。でも本人は一生懸命勉強したし、セミナーにも出ているし、凄い投資家集団と知り合ったから彼らに着いていればどうにかなるなんて思っちゃう人もいる様子。
まぁ、好きにやればいいのですが、自分は緻密な計算をしていると思っている人でもこのインフレを考慮に入れない、簡単に考える傾向があると思います。まさにそれが私そのものでした。
いや、まるで考えなかったということはないのですが、やっぱり「行きたい病」の方が勝つんですね。どうにかなるだろうと思ってしまう。でもどうにもなりませんでした。
オーストラリアの場合はこのインフレのほかに税金が高いという難点があります。まぁ、税金と社会保障はセットですから仕方がないのですが、この税金の高さには参りました。で、この税金に関しても私は簡単に考えていたのです。
バカでしょ~?
インフレも適当に考え、税金も適当に考え、まぁ、どうにかなるさで来ちゃったんですから。持ち込んだ資金だってウハウハ言うほどあったわけじゃありませんし。
ついでですが、私に限らずあの当時に来た人達のパターンとして、金利がメチャ高かったことがあってみんな大船に乗ったような感じになっちゃったようです。銀行の定期に入れておいても10%付きましたから、物価が安かったこともあってオーストラリアで生きるのは楽勝だと思った人は少なくないんじゃないでしょうか。
で、ウォーターフロントの家を買う。そしてウォーターフロントの家があるのに船がないのは似合わないなんて言い出してクルーザーを買ってしまう。でも結局船なんか1ヶ月に一度も乗らないなんてね。まぁ、多くの人はそれなりに良い思いをしたと思います。
でもその反動がすぐ来るんですね。
まず10%の利息が付いてもオーストラリアには日本のような20%の源泉税というのがなくて総合課税。私が来た当時ですが、もちろん累進課税ですが5万ドルを越えた部分は50%だったんですよ。つまり稼げば稼ぐほど持っていかれて手取りは限りなく半分になってしまう。
これって金利があって、なおかつ仕事をして収入があっても手取りが半分ってのはかなり厳しいです。そりゃ日本も酷いときには70%程度のときもありましたが、額が違うんですね。でもオーストラリアは5万ドルを超えたら50%だったんですよ。日本ならほとんど税金が掛からない額でもこちらではごっそり持っていかれた。
まぁ、今は前に比べると税率のかかる収入帯が上がりましたから楽に見えますが、でもその分物価も上がっているわけでやっぱり重税感があります。
さて、これだけの税金、そして上に書いたインフレ、それを考慮した場合、一体いくら稼がなくてはならないのか。
まぁ、細かい計算は無しにして、私がいつも頭においていたのは
税金:インフレ引き当て金:生活費
これの割合が100:100:100です。
それぞれ3分の1でしかありませんが、上に書いた様に稼げば稼ぐほど税金は50%に近くなりますから200:100:100にしないと駄目なんですね。で、インフレも体感インフレと年齢インフレもかなりのものだとなれば、インフレ引当金も増やさないとならない。となるとその分また税金分も上乗せになるわけで、極論を言えば300:200:100が本来のボーダーラインかもしれない。
この300:200:100の比率ですが、これがどういうことかというと600の税込み収入があって、税金が300、インフレ引当金が200、そして自分が使えるお金はたったの100ということを意味します。キチガイじみてるでしょ?でもそうじゃないと元本を維持できないって話です。
でもま、私は上に書いた様に適当にわかりやすく100:100:100と考えていました。
これの数字を替えてみますと、3:3:3も同じことですよね。で、つまりトータルは9で、金融資産を元にしてそれを利回り9%で回した場合、税金が3で、インフレ引当金が3、そして生活費が3ということになります。段々、現実味が出てきましたよね。でも9%で回すなんて神業だと思うし、もしそれだけ稼いでも使えるのは3%だけなんてバカらしくてやってられませんよね。でも税金を払わなければ脱税以外の何物でもないし、インフレ引当金を使ってしまえば10年単位で考えると恐ろしいことが起きるわけです。つまり20年経って一番最初と同じ金額を持っていたとしてもその価値は6掛けぐらいになっているということです。では子供も育ち、自分も年老いて来たときにはどうなるかというと、最初の3掛けぐらいしか残ってないとかね。
若い頃には結構金を持っていたんだけど・・・なんてジジーになってからグダグダいうしかない。
でも3:3:3を守っていればどうにかなるかもしれない。9%で回して3%だけ使う。(笑)
でも私はそれができませんでした。インフレ引当金を取っておかなかったどころか元金の切り崩しもしました。いや、したくなかったけれどお金が掛かるからしかたがない。^^
なんていうのかなぁ、砂に水がしみ込む様にスーーーっとお金って消えていくのね。これって恐怖を通り越して面白いくらいでした。まぁ、それは私がお調子ものでバカみたいにお金を使ったからですが、最初の7年間でとんでもない額のお金が消えていきました。
でもま、昔から金は天下の回り物と思っていましたし、どうにかできるという(根拠の無い)自信があったんですねぇ。
こちらでは当初の永住ビザ発給時のオーストラリア政府とのお約束である「商用パソコンネットワークの構築事業」はやりませんでしたが(やっていたらインターネットの解放で一瞬で倒産したはず)、中古車の輸入や電話関係の仕事をやっていました。でもわけのわからない海外で全力投球するなんて無茶はせずにチョロチョロとやっていた感じです。だから大きく儲かることはありませんでしたが給料を取ることは出来たので助かりました。
でもそれだけじゃ駄目で延命措置でしかなかったんですね。
転機は来ました。それが相場です。
相場そのものはかなり昔からやっていまして、初めて売買した株はいすゞ自動車だったかな。GMとの提携で買いました。大学生の頃でまだ10代だったような気がします。まぁ、それから離れず着かずで数十年。儲かるとワーーっと使っちゃいますし、損すればそれは持ち出しですから、相場で儲けたという感じはありませんでした。ただコンピュータによる株価分析が出来る時代になり、また日本でも先物が始まって、日経225先物のデイトレに入れ込みました。この期間が結構長く、途中でオプションに手を出したりいろいろやりましたが、これも手数料をせっせと支払うだけみたいたった感じ。(日経225って本当に難しいと今でも思います。値動きが小さく、出撃チャンスも非常に少ないし)
ただ株価分析をするのにアメリカの書籍や月刊誌で勉強していた(やっぱりアメリカの方が進んでいる)のですが、それに出てくる売買対象は当然アメリカ市場の商品なんですね。で、その頃から勝つには超短期売買しかないと思うようになっていて、手数料も安いし対象商品がいくらでもあるアメリカ市場に手を出しました。あのときの興奮は忘れられません。こわごわ始めたのに初日に700ドル、二日目に1200ドルだったかな。簡単に利益が出たんです。
それからは気が狂ったようにのめり込みました。また最初はCMEのS&P500のE-miniだったのですが、いろいろ調べている内に商品によってまるで値動きが違うのに気がつき、また私自身、テクニカル分析でティック足(出来高足みたいなもの)を使っていて、これが普通の分足と違って綺麗に動きが出る銘柄を偶然見つけました。それがドイツ市場のDAXでありBUND。(Bundはドイツ国債ですが動きが緩慢で取引高が多く、ちょっと大きな成り行き注文を入れてもでもビクともしません、そして取引時間も長く出撃チャンスがいくらでもある。DAXは値動きが早いので慣れないと難しいかも。若い人向け(笑))
ま、これで私の人生が変わった。そして千切れそうになってた首が繋がったという話です。(笑)
ただこれはいわゆるデイトレ、スキャルピングと言われる手法で、まぁ、私のやり方は細かい売買を何十回もするという方法で、非常に疲れるんです。酷いときには日本市場(JGB日本国債)、ドイツ市場(BUND)、そしてアメリカ市場(E-mini)と3市場で売買していましたから寝る暇もないんですね。でもま、仕事だと思えばしょうがないし、それでどうにか資産を盛り返して生き返ったわけです。
こんな方法は長く続けるやり方ではないし、何のためのオーストラリア移住かわからなくなりますから、切りの良いところで止めて、また資金は長期の債券で回すという方法に戻りました。
ただ上の話の様に、長期の放置で9%でなんて回せませんし、インフレ引当金もきっちり残すこともできずに税金はせっせと払いつつ資産は段々と目減りを続けるという形に戻っています。これって非常に腹が立つんですが、オーストラリアにいる限りしかたがないんですね。
で、そんなときにフト目に入ったのがマレーシアです。最初はふ~~~んと思っていただけですが、なんと金融商品からの収入は無税だというのがわかり、こりゃ行くしかないと思ったわけです。そして生活費がオーストラリアの半分ぐらいで済みそうというのも大きな魅力でした。
これをどう計算したかというと、上に書いた様に9%で回して3:3:3でどうにか生きられるという計算ですが、マレーシアに行くだけで0:3:1.5になるってことなんですね。税金は無しで、インフレ引当金は3で同じ。生活費は半分ということですから。(でも生活費は全体の1・5%以内に収めなければならない)
つまりこれって4.5%で回せば生活が成り立つってことなんですね。この%で回せる定期は今の時代はありませんが、リンギット建てだとするとREITで十分回りそうです。また為替変動リスクにどう対処するかによりますが、豪ドルなら現在7%で回っているので楽勝。つまり、何もしなくてもマレーシアに渡るだけでインフレ分以上に資産を増やすことさえ出来てしまう。
これが私がマレーシアへ行く理由だということです。
で、無税ならこれまた色気も出てくるわけで、もう一花咲かせようかなんて気も起きてきますし、また相場関係に興味がある方がいらっしゃったら一緒に何か面白いことが出来そうな気もするわけです。そして支払わないで済む税金分はただ自分の利益とするんじゃなくて、やっぱりある程度は世の中に還元するべきだし、それも義務感ではなくて楽しみにしたいなぁ・・・と。
話がいつもと同じで長くなりましたが、私がいつも早期退職だとか投資で食うなんてのは不可能に近いと書いていますが、実はマレーシアならどうにかなるってことなんですね。
だからやっぱりマレーシア。(笑)
人間って悲しいもんで3年5年の計画はどうにか立てられても10年となるとかなり怪しくなってきますよね。ましてや20年となったらどうなるかわかるわけがないと思う。じゃぁ何も考えないで良いというわけにもいかないわけですが、少なくとも5年なら5年、10年なら10年で区切って、その時点で自分の資産がインフレに負けずに増えているか、つまり価値が変わっていなければ(額は増えてる)それでOKという考え方で十分だと思うのです。当然、最初の軍資金はそれなりにないと駄目ですが。
つまり遠い将来の事はわからないにしても、区切り区切りではスタートと同じ状態に持っていくということ。これさえ出来ればそれの繰り返しをするだけで30年40年50年でもOKということになります。
絶対に駄目なのは、元本だけ維持していていればあとは儲けだなんて考えてしまうこと。これは2、30年の内には額は同じだけれど価値は半減なんてことになる可能性大。この元本の額じゃなくて価値の維持ができないどころか元本に手を付けるなんてのは論外。農家が種籾を食べてしまう、商人が商品に手を出すのと同じことだと思います。
それとやっぱり万が一の事も起きるし、その時に稼げる力、ゼロからでも這い上がれる力、意志を持つことが必要だと思います。
というのが私の反省から導き出された結論です。これが出来ないと、あるいは現地でしっかり働いて収入も得て、年金がない分も含めて老後資金をしっかり作らない限り、早期退職、子連れ海外移住マラソンも後半戦ではほぼ間違いなく脱落するってことですね。でも、人生って夢を追い求める事そのものが楽しみでもあるし、最初の10キロを楽しく走れればそれはそれで良い経験なのかも。
でも私は絶対に完走します。そして、このブログはどう完走するか考えるようなブログにしたいと思っています。