のんびり生きる

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我々みたいなジジババはもう終わりが見えているわけですし、今更頑張って何をやるってわけでもないんですが、子供や孫の時代を考えるとなんだか申し訳ないような気がしてくるんですよ。

正直言って、私は現代、これからの人たちより楽に生きてきたと思ってます。

いや、その時代時代で考えると大変だったけれど、今と比べたらやっぱり楽。

私が仕事を始めたころはファックスもなければコピー機もなくて、輸出業をしていたころは毎日毎日タイプライターで売り込みの手紙を打っていたのを思い出します。今なら半日で当時の一ヶ月分の事が出来ちゃう。コピー機が出てきた時は革命が起きたようだったっけ。でもワープロも無くて、スタッフに原稿を渡すとその子は一生懸命それを何時間も掛けて清書していた。内容に変更箇所が出てくればまた書き直し。(笑)

出張も楽なもんで、北海道は当然泊まり。美味しいものも食べて、取引先と夜に飲みに行くのが楽しみでした。ところがプロペラ機じゃなくてジェットが飛ぶようになると、朝一の飛行機で行けば取引先のオープン時に間に合うようになっちゃった。当然、日帰り出張で慌しくなった。

で、その頃ってどんな会社にも駄目社員ってのがいて、箸にも棒にも掛からないような仕事もろくに出来ないような人がいた。それでも年功序列でそれなりの給料をもらってるのね。クレージーキャッツや植木等なんていう歌手を知っている若者は減っているだろうけれど、彼らの歌った一連の歌そのものの生き方をする人も結構いたと思う。

そんな緩い時代でも私はグアムを知って衝撃を受けたわけです。現地人の中に入り込む機会を得て、彼らを知れば知るほど彼らのようにもっとのんびり自然と共に生きたいと思った。 (笑)

まぁ、それがあってわけのわからん生き方をするようになって、また楽をしようと思えば思うほど、つまりたくさん稼がないと駄目ですから結局忙しくて山あり谷ありの慌しい人生になりました。でもある時、きっぱり全てを断ち切ってオーストラリアに渡ったのは良かったと思っています。というか運が良かった。あのまま日本にいたらバブルの崩壊とそしてその後の期待を裏切る延々と続く不景気で私は潰れて消えていたはず。当時の自営業だった友人たちは100%遠の昔に消えていってしまってどこで何をやっているのかもわからず。100%です(いや一人だけ居ました。倒産から蘇って大成功しているのが一人だけ)。

次男坊が小さなときに言ったことを思い出します。

「パパ、僕は日本人みたいに滅茶苦茶働いてまでお金持ちになろうとは思わない」って。

私はそれを聞いてびっくりしました。日本人はお金持ちになるためじゃなくて、普通に生きるためにあれほど働くんだよと教えましたっけ。

いつの頃からどう世界が日本が変ったのか今思い出してもわけがわからないのだけれど、人類っていつになっても楽にならないんですね。確かに食べるものも水もあるし、住む場所もあれば娯楽も十分あるんだけれど、これが人間らしい生き方かどうかと考えると疑問。

それが近年、年功序列もなければ終身雇用も崩れてきて、バリバリの働き盛りの40代でさえも路頭に迷う人が出てくる時代が来た。なんなんでしょうねぇ。一生懸命勉強して仕事をしてきたのがバカみたいです。

子供達には上を見て希望を持って生きてもらいたいけれど、後ろから凄いスピードで押し寄せる現実の不安から逃れることが優先されるような時代になったと思うんです。働く原動力が恐怖だとしたら最悪ですよね。

これって考え方一つなのかもしれないけれど、こんな時代に上ばかり見て理想を追いかける生き方ってただのバカかもしれなくて、かと言って不安と隣り合わせの生き方をしても人生面白くも何ともないし、こんな時代に子供達を置いていく親としてはなんだか申し訳ないような気がしてきます。

諦めるという生き方もあるでしょう。これってかなり有効で多くを望まず、自分を取り巻く環境に感謝しつつ生きるのも良いかもしれない。でもそれって奴隷は奴隷でも構わないという考え方でもあるわけで、そういう生き方を薦める宗教や美意識を受け入れることも出来ず。

そんなときにフト、グアムを思い出すんですよ。あれだけ通いつめて入れ込んだグアムにももう20年行っていません。みんなどうしているんだろうか。多くはもうあの世に行っているのだろうけれど今のグアムの人たちの生活ってどうなんだろう。

去年の12月にバヌアツ共和国に行って来たけれど、ああいう未開と言ってもいいような場所に生きている人たちに多くのあっけからんとした笑顔を見たのを思い出します。無い物だらけで不便だし、お金も仕事もなくて、貧乏そのものだけれど不幸には見えない。それどころか何にも不自由がない我々より人生を楽しんでいるように思えた。

やっぱりここがキーなんだろうと思うし、私がグアムで見たのもこれと同じものなはずなのだけれど、では我々が彼らのどの部分を我々の生き方に取り入れたら彼らのような幸せが得られるのかがわからない。これって単なる外から見た彼らの印象でしかなく、彼らは我々の方を幸せだと思っているのか?その答えは否。違うという確信に似たものを私は感じるんです。彼らは豊かにはなりたいと願っていても、我々のように生きようとは決して思っていないのがわかる。

で、オーストラリア。この国も不思議な国でみんな好き勝手なことをやって生きているように見えます。仕事が無ければ無いで楽しそうに生きてるし、サラリーマンはイヤだと部長職を捨てて芝刈り業を始めて、それでも優雅に生活していた我が家の芝刈りのおっちゃん。なんなんだろうこの国は。

これってやっぱり社会保障が分厚いからなのでしょうか。資源大国で金持ちに生まれた余裕なのか今の日本人のような不安が見えない。特にゴールドコーストだからそう思うのかも知れない。実際にシドニーやメルボルンのような大都市へ行くと歩く人たちの顔つきが違うし、歩くスピードも違う。険しさを感じます。

これからこのゴールドコーストから出て行く我々だし、次男はシドニーで就職し、長男は日本で就職。

でももしかしたら長男も次男も、こんな生き方をしたくないと言い出すような気がしないでもない。私の子供だから。(笑)

子供達が言うのには、彼らに取ってはゴールドコーストが故郷なのだそうです。それを言われてドキっとするのは結局20年以上ここに住んでいても私に取っては異郷の地としか思わないってこと。結局はなが~~~いロングステイでしかなかったのかもしれない。

意外に10年後はゴールドコーストで兄弟でバックパッカーの若者相手のドメトリーなんか始めていたりして。

ま、そんな生き方も良いかと・・・・・・。出来る限りの応援はしてやりたいなぁ。

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