海外での子育てに関して、私の考え、経験をまとめておこうと思います。
まず、小さな子供を連れて海外に出るときに、親は何を期待するか。
○ 二ヶ国語以上の言葉を普通に扱えるようになって欲しい。特に英語。
○ 多くの外国人の中で臆することなく生活、仕事が出来るようになって欲しい。
まぁ、言い方はいろいろあるにしろ、こんなところに集約できると思います。また海外とは直接関係ありませんが、海外の環境の中で
○ いじめの無い中で、思いやりのある人間に育って欲しい。
こんなところかな。私の場合はこの3点に集約できたと思います。そして私の場合ですが、海外でどんな教育を受けられるか正直わからなかったわけです。これはどんな学校に入れるのかにもよるし、またいじめにしてもそうだけれど、たった一人二人おかしいのが回りにいるだけで、子供の思いって変わっちゃうのね。だから学校選びはかなり慎重にしないと駄目だろうと考えていました。
実は息子たちの頭の良さもわからないから、果たして授業についていけるのか、成績はどのレベルを維持できるのか、大学は?就職はどこでどんな仕事?と、不安と期待が交錯していました。ただ、上に書いた3つは確保したいと思っていて、それが確保できれば成績が多少悪くても構わないぐらいに考えていました(運よく、その考えは途中で変わった)。ああ、それと健康ね。これも大事。
ゴールドコーストって田舎で自然環境には恵まれていて、またそこに住む人たちはゆったりしていて優しくて、まぁ、選択としては間違えていないと思いました。ただイジメや人種差別、偏見がまるでないかというとそんなことはありませんでした。大人の徹底した差別主義者もいるけれど、普通はどの学校でも平等が貫かれていて、子供達もそういう育ち方をしている子も多いのだけれど、小さい子ってどこで何を聞いてきたのかわからないけれど、差別はどうしても出てくるもの、あって当たり前と考えたほうが良いんじゃないかと今でも思っています。
というか、それが起きた場合の対処法を考えておくというべきでしょうか。私は子供たちの差別は無知から来ていると思っていまして、決して根が深いものじゃないと思っています。まぁそれでも息子たちは、小学生の頃はそれなりにかなり嫌な思いをしたこともあったようです。オーストラリア人が見たこともない日本のお弁当一つで、差別の対象になっちゃう。お握りなんか酷いもんで、お握りだけは勘弁してくれと子供たちに頼まれたとヨメさんが言っていました。
酷いときには弁当を投げ捨てられたなんてこともある。また口で「ヤック!」まずそうとか言われたりなんてのは日常茶飯事だったかな。
しかしそんなのはまさに無知から来る差別、非難で、大きくなると共にオーストラリア人も随分変わってきて、日本人は美味しいものを食べているのに気がついて、「お前のお母さんに俺の分も作ってくれと頼んでくれないか」なんていわれる様になる。また時期的なこともあるんでしょう。学校のカフェテリアで巻き寿司も売るように時代は変わってきました。
あとは、やっぱり有色人種であることによる差別、区別、そして日本の侵略戦争に関しては、いつか何か言われると思うべきですね。
日本の侵略に関しては、学校もはっきりそう教えるし、また場合によってはあの二つの国の子弟が大げさに騒ぐということがあって、これは大学でも彼らがいかに日本は卑劣であるかとうとうとみんなの前で授業中に延々と述べることがあったという話しも聞いたことがあります。
この二国の師弟に関して注意が必要なのは、我々が日本で知っている彼らとは全く違うってこと。いわゆる在日ってのは日本人に近くなっているし、また日本で日本の悪いことを声高らかにして言うなんて事はまずないんですね。ところが海外では日本人がマイノリティの一つでしかありませんから、彼らは言いたい放題言うと覚悟したほうがいいかも。
我が家ではそのうち、その辺の話もしたほうがいいかな、と思っている時に、泣きながら学校から帰ってきて、「パパ、日本人ってそんなに卑怯で最低な民族なの?」と食って掛かられたことがあります。きっと彼らは学校で、「絶対に日本人はそういうことはしない!」と主張してきたことは想像できました。
学校の教育もおかしなところがあって、「日本の農民は近代になるまで竪穴式住居に住んでいた」なんて習ったらしくて、オーストラリア人ってアホだよね~って笑っていたことがありました。
まぁ、この辺をどううまく切り抜けるかってのが結構重要な部分だと思っていて、子供によっては侵略戦争が理由かどうかは別にして、日本人であることでいじめられる子も出てくるわけですよ。その時に、我慢しろなんていったら絶対駄目で、学校に対して、人種差別が公然に行われていると断固抗議するべき。先生に対してもおかしな言動があったら必ず事実関係をはっきりさせること。それに関して、我が家では弁護士に頼んで学長に正式な抗議、改善要求を出したこともありました。
これで何が変わるわけでもないかもしれませんが、こういう親の態度を子供たちはしっかり見ているんですね。で、絶対に差別を許してはいけない、屈服してはいけない、そして親は自分たちの絶対的な味方だというのがわかるようになる。
この辺をちゃんとやらないと、差別に屈服したり、ニヤニヤしたり、こそこそ逃げるような子供になる可能性あり。実はそういうタイプの子もいなくはないんですね。それは子供が悪いんじゃなくて親が悪いと私は思うんですよ。子供たちの心は泣いていることを親は理解すべきだし、それを解決する必要がある。でもそれも口で言うのは簡単で、日本に帰りたい・・・と毎日毎日泣く子供になる可能性もある。それプラス、言葉の壁があったり、授業に追いつけないなんてことになると、こんな国嫌だ~~~~~~~と大騒ぎになる。それで帰ることになった家族って少なくないのね。家族で引き上げるならまだしも、兄弟で全く違うこともあるわけですよ。これはこれで日本と海外と家族がバラバラだなんて悲惨な結果になる家もある。
○ 言語に関して
ここもかなり重要だと思うのですが、やっぱり親としては自分の子供が現地の言葉をうまく習得できるのか、現地の子供たちとちゃんとコミュニケーションを取って楽しく生活できるようになるのか、この辺はヒジョーーーーーーーに気になる部分だと思うんです。
でも、これは取り越し苦労だというのはすぐにわかる。子供の順応力って凄いもんで、遠くから外人たちの中でキャッキャッ笑いながら遊んでる自分の子を見てホッとするなんてのはほぼ全ての親が経験するはず。
大事なのはそこから先。日本で育って日本語が出来ない子がいないのと同じように、海外で育てば現地の言葉を習得するのが当たり前なんですね。だいじょうぶか?と心配するほうがおかしい。日本で育てて、日本語は大丈夫か?なんて心配する親はいないのと同じ。
日本人って外国語に対する劣等感は半端じゃないものがあるのね。だから、わが子を海外で・・・って思う人が多いのだけれど、ここに落とし穴があるわけですよ。親が心配した外国語はいとも簡単に彼らは習得する。でも問題は日本語。
海外での子育てを考える人たち、あるいはそれを薦める人たちって何か勘違いをしているんじゃないかと思うのはそこのところで、海外で育つと「日本+アルファ」の人間になるはずだと信じ込んでいるのね。それを考えるのは日本で育った大人だからまず自分が日本人で日本語が理解できて、日本文化も知っているという前提で話をする。
これって大人になってからの海外ならその通りだと思います。日本人として育って、言葉も理解して、その基盤の上に海外経験がプラスされる。
ところが海外で小さい頃から育つとどうなると思います?日本が外国になるってことなんですね。ここを親はきっちり理解する必要があると思います。
日本で育つ子供に(例えば)英語を覚えさせるって大変ですよね。だから海外に出たという人も多いわけだけれど、今度はそれと同じことが起きるんですね。海外で育つ子供に日本語を教えるのは難しいってこと。
海外に出て小さいお子さんを持っている多くの日本人が、ウチの子供は何ヶ国語しゃべれるとか、「このまえ、子供からバナナって英語でなんて言うか知ってる?と聞かれたんですよ。で、バナナと答えたらそれは違うそうで、バナーナだと言うんだそうです」なんて目を細めて嬉しそうな顔をする親と会ったことがあります。ブログを読んでもこの手の人たちって結構多いのに気がつきませんか?
小さい子供ってそんなもんなんですね。親の心配なんか関係なくどんどん現地の言葉を習得していく。で、こりゃ助かったと、それを放置しておくと、「完全なる現地人」になるってことを忘れちゃうまくない。まぁ、その辺に気がつく人も少なくなくて、家で一生懸命日本語を教えるわけですが、これも子供が小さいうちは全く問題なし。日本のテレビを見せたり「おかあさんと一緒」を見せて「いーとーまきまき、いーとーまきまき」なんてやらせる。学校に行くようになるとドラエモンと一緒に九九の勉強をしましょう、なんて歌を歌わせたり。まぁ、あの手この手で日本語と触れる機会を作って、また日本語補習校や日本語による通信教育、公文をやらせたり。
これも小学生までは大体OK。
ところが中学生ぐらいになると、ウチの子は何ヶ国語を繰りますなんて自慢していた親も段々トーンが低くなってくる時期なんですね。小さな子供が日常生活レベルの言語を、それも会話だけで何ヶ国語が出来ても、じゃぁ、新聞を読んだり、論文を書いたり(中学でそれが始まる)、どんどん難しくなってくる。そんな時に、何ヶ国語・・なんてのは絶対に無理だというのがわかるんですね。それどころか、日本語を教える大変さがわかる時期。
子供もそうで、日本大好き人間だったとしても、日本の勉強、日本語の勉強が難しく、辛くなってくるわけです。「どうしてクラスの子は誰もやらない日本語をこんなに勉強しなくちゃならないの?」とほぼほとんどの子供が言うんじゃないでしょうか。で、成績が悪かったりすると、「お母さんが日本語の勉強を押し付けるからだ」なんて言い出す子も出てくる。
日本でもどこでも子供たちの学校の勉強って大変ですよね。でも日本人師弟はそれプラス、日本語があるんですから、彼らの大変さは半端じゃないってこと。どこかで脱落する子が出てきても全くおかしくないし、それが普通だと思うべきじゃないでしょうか。
こちらでは日本人学校というのはないのですが、日本語補習校があります。週に一度だけですが、日本国から無料配布される日本の教科書を使い、国語だけじゃなくて数学やら社会やら勉強するわけです。もちろん宿題もでるし、テストもある。
日本語補習校の年齢別の構成比を見るといかに子供が苦労しているのかが良くわかります。幼稚園や小学校低学年はごっそり人数がいるんですね。それが上に行くにつれて段々少なくなっていって、中学3年を無事終わらせるのはたったの数人しかいないということが起きるわけです。完全なピラミッドの形。
我が家の息子たちも日本語補習校に入れましたが、段々と友達がやめていくのを経験しました。現地校との両立ってかなり難しいってこと。子供が文句を言い出す、あるいは親もどちらかに集中しないとまずいことに気がつくんですね。
これを放置すると、何のために来たのか・・・・ってことにもなりかねない。
ところがですね、そこで反省して対処法を考える親子なら良いのですが、人間って面白いもので、自分の都合の良いほうにしか考えないのね。子供が小さい頃には、ウチの子は何ヶ国語も・・・なんて言っていた親が、全く違うことを言い出すのがこういう時期だということ。そして、子供言葉で会話が出来るだけだったのに、喜んだ自分はなんだったのかって思う時期。だから、日本語は会話がそこそこ出来れば良いんですよ、なんて言い出す。
会話だけで十分って思うならそれでOK。でも言語が使えるというのは会話はもちろん、新聞はもちろん読めて、仕事をするようになれば会議や報告書を書くのもその言語で出来て始めて、そこそこできるって言えるレベルなんですね。そしてそうなるのは決して簡単じゃなくて唖然とする時期は必ず来ると考えたほうが良いと思います。
我が家はどうだったかといいますと、この日記にも書いていますが、私は海外生活の経験もあったし、親戚に日系アメリカ人も多くいるんです。そういう中で私自身が育ちましたので、海外で育つってどういうことかはそれなりに理解していました。つまり、そこで育てば、そこにいる外人と同じになる、ってこと。
私は息子たちを外人にしたくて連れてきたわけではないですし、私は日本、日本人大好き人間ですから、子供達もそういう風に育てたいと思いました。つまり「日本人+アルファ」を狙っていたということ。ところが現実は上に書いてきたように「外国人+アルファ」の方向へ向かって子供は育っていくということ。
これがわかっていましたので、我が家では英語は使用禁止という絶対揺るがしてはならない規則を作りました。そしてテレビも本も全て日本語。つまり日本にいるのと全く同じ環境で3歳1歳の子供を育てました。
でも幼稚園もそうですし、小学校から高校までは私立の現地校でもちろん英語が主体。日本語なんか話す機会がありませんから、否が応でも英語は覚えちゃうし、覚えないと彼らが生きていけない、遊べない、勉強も出来ないから自然に英語レベルも上がっていきます。この英語に関しては私は一切親として努力はしなかったです。
こういう私とは正反対の育て方をする家も結構ありました。子供たちが早く現地校に慣れるように家で英語を話し、テレビだ本だは英語環境にしてしまう。こういう育ち方をした子供はそれはそれは凄いスピードで英語も覚えるし「現地化」していくんですね。ある時、私の友人に電話をしたときに、子供が出て、お父さんいますか?と聞いたものの、全く話が頓珍漢で結局英語で話した経験があります。その子はもちろん日本のパスポートを持っている。まさかと思うかもしれないけれどこういうことはいとも簡単に起きるようになるんですね。
こういう風に子供が育ってから、さて日本語と言い出してもかなり難しいんじゃないですかね。そして私は言語とは文化そのものだと思っていまして、やっぱり言葉なくして文化を理解することもできないと私は考えています。外人にしては日本語もしゃべれて良く日本を知っているなぁと思う人がいますが、私が子供に望んだのはそういうレベルじゃありません。
だからもし日本語が大事だと思うなら、かなり小さいときからいろいろ作戦を練って、日本から興味がなくなる、ずれることが無いようにやらないと駄目だろうと思います。それでも子供は日本を捨てるかもしれないという覚悟は親は持つべき。海外で育つってそういことだと思うんです。
私の知人で子供が中学生の頃に渡米したにも関わらず、今は全く、一切日本語をしゃべらなくなって困ったという話を聞いたことがあります。親子の会話が英語だそうです。ま、子供はアメリカ人として生きることを選んだのですからそれはそれで全く問題が無いのですが、親の気持ちとしては割り切れないものがあるんじゃないでしょうか。
アメリカの二世社会も面白くて、というか今はもう二世は減っている時代ですが、日本語ぺらぺらで、日本人と違いがわからないような人もいれば、全くしゃべらない、読み書きも出来ない人も多いのね。これが3世になるとほぼ全員アメリカ人になっちゃう。私の従兄弟に日系3世がいっぱいいるんですが、おもしろいですよ。家でご飯を食べるときにはお茶碗とお箸を使うし、和食もしょっちゅう食べるまるで日本人そのものなんですが、家の中に日本語は皆無。一切日本語はわからない。
海外に出るとそうなるのが普通だと考えたほうが良いのだと思います。そしてそうなるのが目的なら全く問題はないのですが、もし「日本人+アルファ」を狙うのであればかなり細かい作戦を周到に練らないと駄目だし、子は簡単に挫折する方向に動くけれど、それに釣られて、子供が言うんだから・・と簡単にそれを受け入れてもうまくない。
我が家が日本大好き人間に子供たちを育てたのはそういう理由があるからです。だから日本語の勉強は彼らがみずからしたし、日本語補習校も現地校は休んでも補習校は絶対に休まないという子達になりました。ですから彼らが日本語をしゃべる姿を見て、海外育ちだとわかる人はいないくらい。でも正直なところ、彼らはかなり英語で苦労したのは間違いがありません。
まぁ、うまく騙して育てたと思っています。(笑)
子供はどんどん現地化していきますから、たまに日本に連れて行くのも大事ですよね。そして日本の公立校だとどこの小中学校でも短期間でも入れますから、それを経験させるのは良いだろうと思います。
そう思うでしょ?
ところがですね、ここにも落とし穴があるんですね。日本の学校生活を経験させたら、やっぱり日本が良いと子供が言い出して、それが切っ掛けで日本に帰ることになった家がありました。また逆に、下手に英語でもしゃべろうもんなら、いじめの対象にもなるんですね。日本人を大嫌いな子供にもなり得る。
本当に子育ては難しいと思います。ただ、環境が子供を育てるという考え方を私は持っていて、うまく環境をコントロールすればどうにかなると思っています。ただ一つ言える事は、放置したらとんでもないことになるってこと。
私の思う理想は、数年日本、数年外国とか行ったりきたりさせること。でも、それって無理なんですね。進学を考えたらそんなことは出来ない。でも進学に関しては適当に・・・という考えがあるのなら、行ったり来たりに勝るものは無いと思うなぁ。
あるいは、日本できっちり教育してから海外に出すという、今まで普通に行われてきた方法。これはかなり苦労するだろうけれど、そもそも子供に苦労させないでうまく言語も他国の文化も覚えさせようなんて考えは、どんな方法を取ろうと思った方向には行かないってことだと思うんです。
子供はどうしたって苦労をするしかないんですね。で、その苦労の先に花畑があるんでしょう。
海外に子供を連れて出る人の多くは、そういう甘さがあるでしょ?海外で小さいときから育てれば何かいいことがあるような気がする。でもそれって海外に出ただけじゃどうにもならないどころか、想像もしなかった結果になるケースが多い。だからしっかり腹をくくって、計画も練って、子供たちが今どういう状態にあるのか、きっちり観察しながら計画を流動的に変更し、場合によっては日本に帰るという選択肢も絶対に捨てないで、理想に向かっていくことが必要だと思います。
とにかく重要なポイントは、子供が小さい頃にうまく行っている、順調に行っていると、そこで安心し、気を抜いたら絶対に駄目だってことじゃないでしょうか。そしてそこから先に本当の試練が待っている。
それと、お子さんを持っている方々って、同じ年代の家庭と付き合おうとするでしょ?同じ問題を抱えているから。でもこれの危険なことがわかりますよね?赤信号、みんなで渡れば怖くない、というのと同じ事をしている可能性もあるってことです。
ですから、オーストラリアでもマレーシアでも、18-20歳までお子さんを育てた方々と是非連絡を取ってお友達になるのが良いと思います。そしてその子供、そして親をじっくり観察してみてください。自分が想像していたのと全く違う世界がそこにあるのがわかるはず。
同じ年代の子供を持つ親たちが集まって、ファンクラブで遊ぶがごとく、来てよかったわよね~~~、という話の中に危険がいくらでも転がっているのがわかると思います。
そして、子供を海外で育て上げた人たちは、どんな風に子供が育っても、それが失敗だったとは絶対に言わないというところも良く観察するべきでしょう。あたかもこうなるように最初から育てたようなことを言いますから面白いです。子育てって失敗したなんてことは絶対に考えないのが親ですし、でも現実は、妥協、妥協の連続かもしれません。
でも子供の心をきっちり抑えておけば、一緒に笑顔で育っていくことが出来ることも忘れちゃいけないと思っています。
最後にイジメに関してですが、イジメの無いところで育てたいと思う親は沢山いると思います。殆んどがそうでしょう。
でも息子達はそうはならなかった。長男が晴れの中学の卒業式イベントの後、死にたい・・と言ったのには本当にびっくりしました。我々夫婦が出席したその式典の中でも彼は陰湿なイジメにあっていたのですが、息子ばかり見ていた我々なのに(笑)それさえも気がつきませんでした。
でも今思うことは、イジメの無い世界で生きるより、イジメがある現実という世界の中で、しっかり自分を持ち、不条理に屈することなく、正義を信じてそれを実践できる人間になって欲しいということ。
息子達は結構不条理な場面に遭遇して泣くことも多かったですが、大きくなってからはイジメや差別は絶対に許さない、反撃もそこまでやるかぁ?と私がびっくりするぐらいになりました。
「当然でしょ」と笑う息子たちが頼もしいと思いました。
日本に居たら差別することはあっても差別はされない。でもオーストラリアではしっかりそれを経験し、弱者の気持ちがきっちりわかる若者に育ったのは期待もしなかった偶然ですが、私はそれも含めてオーストラリアに来てよかったし、適度な(笑)イジメ、差別であったことに感謝しているぐらいです。
イジメに関しては絶対に妥協したら駄目だと思います。どうにかうまくやり過ごそうと思うのも駄目。外国だからとか、英語だからなんて言い訳はするべきではないと思います。それをすると子供の心は間違いなく死にます。これは断言できます。私がそう育ったから。
それとイジメは解決するべきことであって排除すりゃ良いってもんじゃないんですね。ここのところが現代はわかっていない若い親が多いように感じるのですが、いじめっ子が居なくなれば良いと思っても無理。いじめっ子も心の中で泣いていると思うべきだと思うんです。救いが必要なのはもしかしたらいじめっ子の方かも知れず、何が何でも自分の子供が一番と自分の子供しか考えない生き方は間違っていると思います。自分の子供がいじめっ子だとしたらどうする?そういう考え方も持って、イジメそのものを解決することが大事なのだと私は信じています。そして解決は可能だと思ってます。排除しようとする考え方は、イジメや差別から逃げるのと全く同じであると気がつくべきじゃないでしょうか。
最後の最後に息子たちのことを書いた日記を紹介します。
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