私は都知事選挙に脱原発一本で出てくることに違和感を感じたのは前にも書きましたが、でも世の中の雰囲気はもうあの事故のことは忘れたい、そして今もまるで収束していない、放射能の問題は大きくなるばかりなことを忘れているような感じを受けました。これはこれでかなりうまくないんじゃないでしょうか。
私は脱原発派ですが、開けてしまったパンドラの箱を再び封印するのはかなり難しいし、脱原発したとしても使用済み核燃料はどうするのか、また増え続け拡散し続ける放射能はどうなるのか、除染作業はどうなってるのか、その辺の議論もまるで盛り上がらないのが不思議です。
忘れたいけれど忘れられることじゃないし、忘れていいはずもない。
311の直後は、どうも政府も東電もマスコミもおかしいのではないかとこのブログでもずいぶん話題にしましたしが、あの頃と何も変わっていない、それどころか深刻化しているぐらいに私は思っています。だからたまにこのブログでも話題に取り上げたいですし、私自身も興味を失わないようにしたいと考えています。
ただ、あの頃からそうですが、マスコミのいうことは全く信用できませんし、メディアが放送するドキュメントも裏がありそうで信用出来ない。また反対派は反対派で、被害妄想的なものも感じますので、私は海外メディアのニュースやドキュメントを主に見るようにしています。それと武田教授、小出教授の発言だけはチェックしています。
今一度、一体何が起きたのか、改めてこんな動画を見て確認するのも良いと思います。
ドイツ国営テレビ放送ZDF「福島の嘘」(日本語字幕)
フランス・ドイツ共同の国営放送局 ARTE 「フクシマ-最悪事故の陰に潜む真実」(日本語字幕)
ドイツZDFテレビ(フクシマ)最悪事故から2年、除染・甲状腺がん
放射能の問題も深刻で、どうも今の動きを見ていると、規制値は厳しすぎるとか、実際には健康に影響はないとか、そういう前提で話が進んでいるように感じます。でもこの辺は本当に難しいところで、あえて全く関係のない第三者の目で見ても、どこに真実があるのかは良くわからない。ただ、チェルノブイリのその後や、福島事故後の異変を知ると、このままで良いわけがない。でも、単にその地の汚染度とか見ても真実は見えてこないんじゃないかと思うのです。あまりにも多くの要素が重なっているんじゃないかと。
わからないのだから、まだ死者が出ていないのだからこれで良いという論理は絶対におかしくて、10年単位でみたら明らかに犠牲者が出てくる可能性があるのは否定出来ないはず。それこそ実験台になっているようなもんで、危機管理はめちゃくちゃだと思います。日本人は土着性が強いですから、危険ならすぐ移動しましょうってことにはならず、政府が大丈夫というからとそれを信じて居残る人が大多数のはず。でも政府は「危ないかもしれない・・・」ということは絶対に言わない。
私はこの辺はリアルに考えて、政府をあてにすべきじゃないと思っています。自分の判断で動くべき。でもそれができる人なら大した問題はないわけで、本当に難しいと思います。
マレーシアに逃げてきた子連れの方は多いようですし、その決断と勇気はたいしたもんだと思いますが、そういう方々を様々な面からバックアップをする組織があるんでしょうか。そういうのは政府がやるべきだと考えるのは、原発を今まで許していた、そしてあの原子力村を許してきた日本人としてそれで良いのか?と思うわけです。他人ごとで済ませて良いのか?
東北は東北で、東京は東京で、日本は日本で、そしてマレーシアはマレーシアで何かできることがあるはず。
これから先はあえて書きませんが、知らん顔は責任逃れかもしれないと考える必要もあるんじゃないかと思っています。
子供はみんなの宝。将来の夢。