この時期に必ず見る動画

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もう恒例になりました。8月のこの時期と12月には必ず見る動画がありまして、またその時にはこのブログにそれを紹介するのも毎年やっていること。

この動画が全て真実だとは私は考えていません。ただ日本が世界中からこの戦争によって忌み嫌われているとも思いません。また他国がどう評価するかは別にして、日本人としてこの戦争を考えても功罪が入り乱れていると考えています。でもこの動画が好きだし、いつも涙が溢れてきます。

今までは「日本だけが悪い」と言われ、そういう教育を受けてきましたが、近年、決してそうじゃなかったという「証拠」がたくさんでてきていますし、日清戦争から大東亜戦争に至るまで日本がどういう環境に置かれていたかをアジアの括りの中で見ると「起きて然るべし戦争」と言えると思っています。そういう時代だった。

逆に欧米のアジア進出、ソ連の南下、不安定であてに出来ない朝鮮半島を考えれば、何も起こらない方が不思議で、あるいは左派の好きな「話し合いで解決」出来たとは到底思えません。

でもやり方が悪かったと私は考えています。でもそれが戦争の本質だと私は思っていて、上から下まで冷静で、論理的で、あるいは人道的な戦争なんか存在しない。その犠牲になるのは常に一般市民だけれど、一般市民が人として生きていけるのは国があってこそで、国の浮沈に関わる時には犠牲もしょうがないと私は考えています。相手もこちらの全てを叩きのめすつもりで向かってくるんですから。そして全てを消し去り、歴史も書き換えてしまう。

この動画の中で何度か強調されていますが、「戦争目的を果たしたのは一体どの国か」と言う点に私は注目しています。結果的にアジアは独立した。あるいは独立を早めた。だからそれでよかったのではないかと。大きな歴史の流れを変えれば、それに抵抗したい勢力も必ず存在するわけで、日本一人が悪者にされるのも仕方がないのかもしれない。また、大東亜共栄圏という高邁な思想の裏に、日本の下心があったのも間違いがなく、それに気がついた国は、当初は日の丸を振って日本を迎え入れたものの後に反旗を翻すことも起きた。だから大東亜共栄圏は後付の言い訳でしか無いという論者は多い。

でも自分で世界を見て回る内に気がついたこととして、命をかけて戦うぐらいならたとえ敵の手中に収まっても生き延びたほうが良いという考えの人が決して少なくないこと。国が取られ、親兄弟が殺されても、まだ自分が生きているなら、また子供が生きているなら、生き延びる方法のみを考える人がいるってこと。

この辺の考え方に民族的な差もあるし、もちろん個人の差もあって、どうあるべきかの答えは出ないと思います。でも歴史を見れば、命をかけても守るものって存在するはずで、その戦いを放棄すべきとは私にはどうしても思えないのです。今の時代でも同じようなことは起きていて、命をかけて戦う人たち、国は多く存在するし、もしそれが止まったとしたらメチャクチャな世界になると思います。戦争があるからこそそこに問題点があるのがはっきりするはずで、話し合いではどうにもならない強者の強引な侵略を止め、世界にアピールすることも出来る。

でもどんな結果になろうと自分が生きていれば良いと考える人も間違いなく存在する。自分が生きていける世界に逃げれば良いと私に言った人もいる。(私は朝鮮民族が日本をどうしても許せないのはこれに関係していると思います。強いものには巻かれる彼らの伝統である事大主義(小国はどこでも同じで日本も同じ)を彼ら自身が認めたくないってことだと思っています。なおかつ独立は自分たちの手で取り返したものでもない他力本願であった劣等感がいつまでもつきまとう。)

生きるってなんなんでしょうね。生命が存在していればそれで良いのか。

私にはそういう思いは全くなくて、自分の命より大事にしたいものがたくさんあります。その筆頭が自分の子供ですが(笑)、ではその子どもたちが自分の命に固執してもらいたいとも思わないのです。彼らが自分の命をかけても守りたいものがあるのなら、命をかけろと私は言うし、そういう子どもたちであって欲しいのです。

でも戦争の現場を見ると、そんな理想論は言えない場面ばかりなんですよね。戦争で亡くなった方々に「犬死に」なんて言葉は使いたくないけれど、ただの「物」として扱いを受けたり、無意味な死を強制する場面も多くあった。これじゃ本人も親族もたまったもんじゃありません。これは殺す方も殺される方も同じで、でもそれでも進んで戦場に出て行ったり、送ったりした。ここが悲劇であり美談でもあって、そんなこと自体が無い方が良いに決まっているけれど、戦争とはそういうもので、立ち上がらなくてはならない時は存在する。

そんな風に考えています。

歴史って面白くて、現代はそれこそ1年ずつの変化を見る(四半期ごと? 笑)。近代だと10年毎とか「平成」とか「昭和」「大正」という見方をする。これがもっと古くなると何百年も続いた「江戸時代」が一つの括りになるし、もっと古くなるともっと大きな括りで大きな変化だけを見るようになる。

あの戦争も同じだと思っていて、明治維新から日露戦争、日清戦争、日韓併合、大東亜戦争、終結と一つの糸と言いますかそれぞれが関係しているのがわかりますが、あと500年、あるいは隣国がいうように1000年も経つと、近代史の糸、流れは人の記憶から消え、世界各地での国の勃興、そして進出、そしてアジアにおいてはそれの終焉という大きな大きな流れとして語られるようになるんでしょう。

で、そのきっかけを作ったのは日本。あるいはその切っ掛けがなんだったのかなんてことさえ誰も知らない、大学で「古代史(笑)」を研究する人たちだけが知ることになるのかもしれない。その時には、世界統一国家ができていて、子どもたちはかつて世界には多くの国が存在したことさえ知らないような時代が来るのかもね。

これって冗談でもなんでもなくて、私の祖母は「会津」だ「薩長」だを気にする人だったけれど、今どきそんな人は居ないのと同じで、「関ヶ原の合戦」も「日本がアメリカと戦った」ことさえ知らない若者がいるわけで、1000年もしたらどうなるかは簡単に想像できます。

で、その時、「日本という国があって」「従軍慰安婦がいて」「殺戮、強姦等やりたい放題した」という記念碑だけが世界中に何百と存在しているのかもね。困ったもんだ。でもその頃には、「アーリア人」とか「ゲルマン人」みたいな感じで「日本人」も語られるのかな?でも日本という国はきっと存在しないのでしょう。また純血の日本人も当然いない。

    

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