パンのある生活っていいなぁ~~~

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昨日は美味しいパンを食べまくって血糖値がガ~ンと上がってしまい、ちょっと反省。でもやっぱり美味しいパンって良いですね~。

なんて思っていたら、今日の朝ごはんをヨメさんが作ってくれて、またあのパン。(笑)

昨日は満足するほど食べたし、おまけに血糖値も上がっちゃいましたから、本来ならこの朝ごはんのパンはパスすべきもの。

でもねぇ、目の前に人参がぶら下がったら、一瞬にして食いつくのがダボハゼのダボの真髄ですから、「食べない」なんて選択肢はあり得ません。

再び「美味しいなぁ・・」としばし余韻に浸っていました。(笑)

麻薬も常習し、摂取量が多くなると駄目ですが、適当な量なら良いのかも。(笑)

今日は昨日のスープがまるで違う仕立てになっていました。昨日はクリームシチューでシーフード。今日はトマト味でチーズがたっぷりのソーセージが美味しかった。やっぱりヨメさんの料理はうまい。というか当たり前の作り方をしているんでしょうね。私の場合、「XXXが食べたい」と思うとそれにのめり込みますから集中しすぎるんですね。一般的にはかなり偏ったものになる。でもヨメさんの場合は「XXXが食べたい」というか「XXXを使った【料理】を食べたい」という微妙な違いがあるんだろうと思います。

この差って結果的には大きくて、私の作るものをテレビのドラマだとすれば主演の俳優しか出てこないドラマ。(笑)

でもそれで満足できればそれはそれで良いのですが、私の場合は実験としては面白くても、料理としては全く満足できませんからやっぱり駄目なんですね。

しかし朝から美味しいパンを食べる生活って良いですね~。

私はほとんど朝ごはんは食べませんし、またパンを食べることも少ないし、食べても「このパンは美味しい」って思ったことはほとんどありません。旅行先のホテルで食べたパンが「なんでこれ、こんなに美味しいんだ?」なんて思ったことはあっても、普通は私にとってのパンは、そこにあるから食べるだけの存在。ジュースや紅茶があるからそれを飲む、みたいで特別な思い入れを感じたことがありません。パンが私にとって主役になったことは一度もなく、脇役でもなくて通行人Aって感じ。

でもパンが美味しいだけで、これだけ朝食が楽しくなるなんて62年の人生の中でそうそう経験したことはないかもしれません。

でもこれってご飯(お米)の場合もそうで、どちらかというと「そこにあるから食べる」だけで思い入れはさほどありませんし、期待もしません。

私のベロって性能が悪いとヨメさんに言われるのはそれが原点のようで、美味しいご飯、美味しくないご飯に関して私がほとんど言及したことがないからだと思います。そりゃ全く味がわからないってことじゃないんですが、美味しいお米に対する執着があまりありません。

でも海外で食べるお米に関しては「ちょっとこれ残念だなぁ」と思うことは当然ありますが、それが「怒り」や「悲しみ」になることもなく(笑)、普通に食べちゃいます。

要は拘りがないってことだと思いますが、でも肉や魚に関してはかなりイヤラシく拘るのは何故なのか、それは私にもわからず。(笑)

あ、そうそう。野菜はそもそも好きじゃありませんが、野菜に関してはもっと拘りがありませんし、「このサラダ、美味しいなぁ」と思った時には、それは野菜じゃなくてドレッシングが美味しいという意味。(笑)

人それぞれこだわりのポイントってあるし、それぞれが違うってのが面白いと思います。

私が外食して一番拘るポイントは「安さ」。ってのは冗談ですが、私がいつも気になるのはその店のシェフ、板前の「本気度」ですかね。それは決して素材の新鮮さ、美味しさ、グレードでもなければ、美味しさでもないんです。素材がなければないでそれで真剣に作って、客に「うまい!」と言わしめようとする意気込みが私にとっての一番のごちそうで、どれほど素晴らしい店構えで器も盛り付けも芸術品並で、そしてどんなに料理が美味しくても、そこに「意気込み」を感じない店って「カッコつけてるんじゃねーよ」なんて思う私。(笑)

でもこういうパンみたいに存在感があるものに出会うことって非常に稀で、こういうものに囲まれた食生活って良いなぁと思ったり。

私は全くコーヒーを飲まない、いや飲めない人で、今までコーヒーを飲んで美味しいと思ったことは人生で2度あったかないかという程度。基本的にはなんでこんなに苦くて、口の中に何かが残るような余韻があるものを皆は好きなのか不思議に思っています。でも紅茶は好きですが、でも拘りがあるわけじゃない。ヨメさんに「アールグレイ」を買って来てとか言われると、「なんでも同じだろうが」なんて思うタイプ。ただ若いころフォションの紅茶は「なんでこれ、こんなに美味しいんだ?」なんて思って凝っていたことはありますが。

こういう拘りに偏向があるって面白くて、もし「牛肉を買ってきて。なんでもいいから」なんて言われたら、私は怒り狂うと思います。(笑)

魚も同じで、「今日の晩御飯は魚ね」なんてクソも味噌もひっくるめた言われ方をしたら離婚を考えるかも。(笑)

でもお米は出来れば日本産、なければカリフォルニア米が良いなと思う程度で、コシヒカリがどうじゃ、秋田小町がああじゃとか、そういうこだわりは一切なし。

こだわりを持つと楽しいけれど、思うものが手に入らない場所だとしたら責め苦にあっているようなもんなんでしょうね。

ゴールドコーストに移住してきた夫婦が「ここの食事には耐えられない」と3ヶ月で帰っていった(他へ移動?)のが忘れられません。

クアラルンプールって私に言わせると「天国に一番近い都市」みたいに思っているんですが(笑)、慣れるとまたああじゃこうじゃいうようになるんでしょうかね~~~。

でも日本に帰ればなんでもあるといつも思っていますが、では日本にいるときにそう思っていたかというと全然違うわけで、美味しい魚を探し求めてあちこち行っていたのは誰か?まるで別人のように感じます。

今では私鉄沿線の駅前の名もない寿司屋で感激して涙がチョチョ切れるほどなのに・・・・・

 
 
 

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