私みたいにマレーシアに行くと決めてMM2Hを取って、そのまま6年7年経ってもまだ行かないって人は珍しいかもしれません。そういう人はもう行くのを諦めた、中止した人がほとんどだろうし。
結構長い間マレーシアウォッチングを続けていますし、マレーシアに住んでいないのに「友人」と言える人はそれなりにいますが、ではマレーシアの住人の「ホンネ」を知っているかというとまるでわかっていません。
一般的に言う常識や習慣の違いはわかるのですが、それぞれの「ここが我慢できない」みたいな話は聞いたことがありません。それだけ皆さん幸せなんだよ、なんて脳天気なことは私はまるで考えていなくて、やっぱり口には出せないこと、出さないことがたくさんあるんだろうと思います。
私はゴールドコーストのことを平気でクソミソに書きますが、そんなのは氷山の一角でしか無くて、やっぱり本音はなかなか書けません。当然、マレーシアでもそういう人は見当たりません。
私の友人知人も「なんとなく匂わす」ようなことはあってもはっきり私に言うことはありません。
でもまそれが普通で、私もこちらに住んでいる住人同士だと何でも話しますが、もし「これからゴールドコーストに移住しまーーす♪」みたいな人にはやっぱりオブラートに包んだ言い方しかしませんもの。きっと住人同士の飲み会とかに入れてもらえばいろいろ聞けるのでしょうが、でも新人がいると出席者も口数が減るのが普通ですよね。(笑)
ゴールドコーストでも仲間と飲んでいる時に「俺達、本当にここへ来て良かったのか?このままで大丈夫か?」みたいな話は良くしましたが、マレーシアのそんな話を是非聞いてみたいです。
そういう話は一切入ってきませんが、私の姉、両親はKLに住んで5年。いや6年かな?になりますので、また近親者ですからかなりはっきりいろいろと言います。両親は「想像していたより良い場所だ」と言いますし、「もう日本には帰らない」と決めています。でもそんな気楽なことを言えるのは姉と同居しているからなんですね。なんでもかんでも姉まかせですから。両親は「夢の中で生活している」ようなもんです。
では姉に聞いてみると・・・、その内容はここには絶対に書けません。(笑)
書けることといえば、「一人の時間がほしい」、「好きなところに行きたい」ってこと。この好きなところに行きたいって意味深でしょ?
昨日、自動車の事でメールのやり取りをしましたが、その中に「あるたった一つのことだけはマレーシアの凄い所」と書いてありました。ただそのたった一つのことってここに書けないようなことでもないのですが、それはマレーシアでなければ無いものでもないし、姉のブラックジョークだと思っていますが、つまり、姉にしてみると、「マレーシア~~~♪」状態はもうとっくに終わっているんですね。一般的なロングステイヤーならもうとっくに帰っているってこと。
でも姉は動くに動けない。
私がいろいろとマレーシアのことを聞きたいと思うものの、やっぱり気になるのは「動くに動けない状態になる」こと。
姉みたいに、「俺達はここで死ぬぞ」と決心した両親と一緒にいたり、あるいは子育て真っ最中、あるいは結婚や仕事で動くに動けない状態ってあるはずなんですね。私達もマレーシアに行って、「飽きたら帰ろう」なんて思っても帰るところがないわけで、でもそれは家がないとかそういう意味じゃなくて、帰りたいと言える故郷がないってことなんですね。この感覚ってきっと理解してもらうのは難しいと思いますが、なんだか世界中が全部外国みたいな感覚です。
帰りたいのに帰れないという場合は「いかに我慢するか」「いかに気を紛らわすか」という方向になると思いますが、帰える場所がそもそも存在しないというのはなんだか大海に浮かぶ小舟みたいな感じで、どちらを向いても行き先は遠くてなんとも言えない不安があります。精神的にはまさに「根無し草」「放浪者」「難民」みたいなもんです。
良く日本への一時帰国を「帰る」というのか「戻る」というのかそんな話題が出てきますが、海外に住むようになるとこの辺の感覚がおかしくなってくるんですね。一時帰国も帰る。マレーシア(ゴールドコースト)にも帰るという言い方になってくる。ただ私の場合は、帰るというのならゴールドコーストが頭に浮かびますが、でも日本へは「帰る」というより「行く」という感じです。「戻る」という感覚ともちょっと違う。日本はマレーシアよりもオーストラリアよりも自分にとって遠い国の感じがするのです。
こういう感覚って長年海外で駐在した人には良くあるケースですよね。自分は日本人に間違いはないのだけれど、なんとなく日本が馴染めないとか外国みたいな感じがして、結局、退職してからも海外で住むみたいな人は結構多いんですね。マレーシアにも多いはず。日本には友人も知人もいないし・・・みたいな。
お前はいつも日本に帰りたいって書くじゃないかと思うでしょうが、気持ちはそうであっても、今の日本がどういう状態なのかさっぱりわかりませんし、どこでどうやって住むのかなんて具体的なこともまるでわかりませんし、それこそマレーシアへ行くという方が現実的で、日本に帰るというのは「ハワイに住みたいなぁ」みたいな妄想に近いんです。
そういう意味ではゴールドコーストに帰るというのが一番現実的なわけですが、迫ってくる老後のこと、つまり私が先に逝ったあとのヨメさんを考えるとゴールドコーストは無理。私が日本に帰りたいと考えるのはそれがあるから。
でも日本って・・・もう外国みたいに感じる存在になってしまった。
ですからマレーシアも長居はするつもりがないとか、3年単位で計画を練るとか私は書いていますが、心のなかではマレーシアを最後の地とする事が可能かどうか、そこを実は考えているんです。その実例として私の両親がいるわけで、どうやったらあの心境になれるのかに非常に強い興味があります。逆に、マレーシアで最後をなんて絶対に無理と思う人はなぜそう思うのかも私にはわからないのです。
またこのブログにもちょっと触れることがありますが、マレーシアを最後の地にできるようにと頑張っている人たちがいるんですね。老人ホームも作ろう、でもとりあえずはその前段階みたいな施設、あるいは共同住宅、あるいはシェアハウス、今日本でも流行っているコレハウス構想が進んでいます。
これに関しては私はかなり難しいだろうと思っていて、その理由は簡単で、「海外に出るような人はみんな半端じゃない我儘、頑固者」であるということ。そしてマレーシアは海外であって日本と同じではないわけで、もしハードとしての施設ができてもその中での生活は、日本でさえいろいろあるのに海外で、しかも「変人ばかり」ではかなり難しいと思っています(笑)。そして普通の施設は「運営者」と「利用者」のきっちりした線引きがあるじゃないですか。ところが共同運営みたいな形になればそれはそれは凄いことになるだろうというのは簡単に想像できますし、それをまとめるには中心になるカリスマ的なリーダーの存在が不可欠。
でもそれって、まさに日本人村社会ってことなんですね。言いたいことを言ったら簡単に排斥されます。また運営者がはっきりしていれば文句とはいわないにしても要望はいうじゃないですか。それを「お前は我儘だ」と断定されるのもほぼ間違いがない。こんなのは普通の日本人の集まりの中でも日常茶飯事のごとく起きていることでしょ。そしていつか「必ず」空中分解したり分派に別れる。こんな調子の日本人同士が集まって「ここを最後の場所に」なんて出来るとは思えないんですよ。ましてや歳を取ると益々頑固で我儘になるんですから。
日本でも老人が多いマンションの住民会議がどういう状態かってのはよく聞きますが、それよりもっと凄いことになるはず。いや、大丈夫だろうと思うのはまだ頭も身体もしっかりしている「今」だからそう思うんじゃないでしょうか。
でもそれはそれとしてその構想に私は結構期待しています。またそれを自分の問題として考えるにはまだ早いですが、それを推進しようとしている方々のお手伝いぐらいはしようと考えています。そういう施設、団体はあるにこしたことはありませんから。
ま、そんなこんなでマレーシア行きが現実的なものになっては来たものの、その先にあるものがまるで見えない、計画が立たない。帰りたくなっても帰るところがないという問題を抱えたままです。
ですから頭も多少は動く間に、寝たきりになる前に、日本に帰って最後の準備をする必要が出て来る可能性が大きいです。私自身が独り身ならどこでどう野たれ死んでも良いやぐらいに思っていますが、後に残されるであろうヨメさんはきっと私がいなくなっても20年やそこらは生きるのが統計からわかりますし、ヨメさんの生きる道を私が作っておくのは義務だと思っています。またそれがいつの頃になるのかわかりませんが、その時が来ることを視野に入れながらマレーシアに住むことになると思います。その将来のために必要な物はまさに「金」であって、あてに出来る親族も友人も日本にはいませんし、日本の状況なんかまるでわかりませんから、それなりの金が掛かっても「老人ホームが併設されたシニアマンション」みたいなところにはいるしかないと思っています。
実はですね、もし私が大金持ちで収入がごっそりあるとしたら、まず日本に拠点を作ろうと思います。いわゆるシニアマンションでボケたり動けなくなったらそのまま横滑りで同じ経営のホームに入れるようなところ。こういうところって結構あるわけですが、高いんですよね~。入居金も半端じゃないし、月の支払いもかなり高い。でもそんなところを自分の最期の場所と決めて、そこを確保した上でロングステイじゃ長期旅行じゃと好きなことをしている人も結構いるのね。でもそういう人たちの資産や収入は半端じゃない。
だからやっぱりマレーシアでのほほんと遊んでいるわけにも行かず、そもそも年金だって無いのに等しい状態ですから、頑張らねば。(笑)
マレーシアで「ご褒美人生」と言う言い方が流行っていますが、ダボ家には全く無縁の考え方でしかありません。
これって好きなことばかりやっていたからこうなるわけで、ダボ家にあるのは「贖罪の人生」ですね。(笑)
マレーシアで最後を迎えるのも良いんじゃない?なんて思えるようになったら面白いだろうなぁ・・・
マレーシアに期待しています。今の時点では大事なところがまるでわかっていませんが。