マレーシアの物価って安くないんじゃないかと思うようになってきた

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やっぱり住んでみないとわからないことばかりで、いろいろ想像しても無駄なのがわかってきました。

マレーシアの物価は3分の1なんていう話はすでに伝説であると思ってはいるのですが、それでも安いと信じ込んでいました。ましてや物価の高いゴールドコーストと比べると3分の1かもしれないと思うことは間違いなくありますし。

ただコンドにしてもそうですが、私がイメージしているコンドはやっぱり高いのがわかってきた。自動車なんかそれの最たるもので自動車の高いオーストラリアでも普通の人が普通に乗っている車がマレーシアでは1千万円以上もする。そして安いと思っていた食費ですが、プラスチックの皿での食事は基本的に好きではない場合、そしてホーカーズには行かないと仮定した場合、それなりのお金が掛かるのもわかってきた。和食もそうで、ゴールドコーストから見るとKLは和食天国なのですが、ジャパレスでもさほどのものじゃなくてもそこそこ高く、安いものはそれなりで、日本食材はゴールドコーストと同じで、結局、ジャパレス同様、KLでは種類が多いというだけなのに段々と気がついてきた。

衣服にしても電化製品、家庭用品などもろもろも同じで安いものは安いなりで、良いものが安く買えるわけではないと思う。

結局、安くあげようと思えばそういう商品なりサービスはいくらでもあるということであって、QOLを重視すると、あるいはゴールドコーストでの生活レベルを維持しようとするとかなり生活費が掛かるのが見えてきた。

旅行で何回か行ったり来たりしている中で、これは安いと思うのは中華料理で、ホテルの中の有名店、あるいは街なかの中華料理店で食べても安いと思う。これはきっと他の国の料理も同じかもしれないけれど、和食と同じで「本当に良い物」を選べば安いなんてこともないのだろうと思ったり。これは香港シンガポールから想像できるわけで、良い物はいくらでもあるけれど高い。KLでアワビ専門店(香港が本店)に行った時にはそれがよくわかった。価格も高く、結局オーストラリア産よりも安いメキシコ産を選んだっけ。

安いと思って喜んでいても、そんな差額は自動車一台買えば簡単にすっ飛んでしまうわけで、マレーシアの安さとは麻布に住むのと巣鴨に住むのの違いがあるようなものかもしれない。

マレーシアに興味のある人たち、マレーシアが好きな人たちの中で話をしているとその辺がよく見えてこないのですが、私の日本のネット友達の多くは全くマレーシアにも海外のロングステイにも興味がない人達ばかりで、そして地方の小さな都市に住んでいる人が多い。そんな人達に「マレーシアって生活費が安いらしいですよ」というと「へーー、それはいいね。どのくらい掛かるの?」と聞かれ、「月25万円もあればどうにか生活できるらしい」というと、多くの人は笑うんですよ。全然安くないじゃんってことなのね。

私は田舎生活ってのを全く知らないのですが、マレーシアが安いと言うのは大都会に住んでいた人だからこそなのかもしれない。もちろん収入も平均的日本人より多い人達。そしてプールやジム、(日本に比べれば)広くて快適な住居とか、日本では出来なかったゴルフ三昧の生活があるからマレーシアに良さを感じるんじゃないかと思ったり。

結局、そういう人たちの感覚に釣られてマレーシアに行くとかなりうまくないことになりそうな気がしないでもありません。「マレーシアで何をしたい」という明確な目的がないと、「あれもない、これもない」「あれもできない、これもできない」と無いものが目立ってくるような気もします。そういう意味では「日本(オーストラリア)にいたら手に入らない満足できる生活がマレーシアには本当にあるのか、逆に失うもの、マレーシアにはないものは何なのか」をじっくり検討する必要があるんでしょうね。

でもそんなのは理屈でしか無くて、やっぱり結婚と同じで、理屈で選んでも幸せはないのかもしれなくて、理屈は抜きにして「好き」という思いが何よりも大事だってことなんでしょうね。でも好きならゴーサインを出すべきってわけでもない。こんな話を子どもたちとすると、「そんなのどうなるかわからないじゃん、駄目なら進路変更するだけだよ」と簡単に言います。

私にしてみるとマレーシアが好きかと聞かれれば答えに窮するわけで、住んでもいないのに好きも嫌いもないんですね。そんなのわかるわけがない。でも好きだとすればそれは芸能人に感じる「憧れ」、あるいは未知の世界に対する「期待」でしかなくて、それは「好き」とは全く違うはず。

ただ絶対に間違いないのは「税金面のアドバンテージ」であって、物価の安い高いをいう場合、これを抜きして考えることは不可能で、もし本当に物価が3分の1でも税金が高い国なら意味が無いし、物価の高いオーストラリアとて税金がゼロなら天国かもしれない。

私としてはやっぱりマレーシアに行くのなら、そういう損得勘定を抜きにして、この国は良いわ~~と思えるようになりたいけれど、こればかりは住んでみないとわからない。

そこで不思議なのは私の両親で、マレーシアに行って7,8年になりますが、アジア旅行もほとんどしたことがないバリバリの江戸っ子の両親ですから、行ってからすぐに「こんな国、住めたもんじゃない」とか言うんじゃないかと思っていたんですよ。それが半端じゃないワガママなのに「もう日本には帰らない」と早い時期に言い出した。ここが私としてはなかなか理解できないところで、彼らがマレーシアの何にゾッコン惚れたのかがわからない。

でも両親がマレーシアで幸せなのは、日本では夫婦だけで寂しく生活していたのがマレーシアに渡った娘と同居できる。そして息子も何よりも大好きな孫も来るというところにあるのかもしれず、それは決してマレーシアである必要はなかったのかもしれない。長い間、娘も息子も孫も他国に住んでいて、自分たちの老後は今まで以上に寂しくなると思っていた時に持ち上がったマレーシア行きの話で、我々がびっくりするようなスピードで自宅も叩き売ってさっさとマレーシアに渡ったというのはそういうことであって、もしも姉も私もマレーシアに行くなんて話がなかったとしたら「俺達だけでマレーシアに行く」なんて話は絶対に出なかったはず。またもしそうだとしても現在は心身ともに弱くなった90近い両親は、彼らだけだったらもう生活を維持できていない。

私も息子がマレーシアに同行することになって俄然やる気も出てきたし、これほどの喜びはないわけで、両親にしても私にしても跡取りがその気になってくれたのは、親→子→孫という線が出来たわけでこれは何よりも嬉しい。我が家には家業と言って良いような仕事があって、それが孫に引き継がれ(まだ子にも引き継がれてないけれど)、これが一族全員の発展に繋がるという夢が出来たのは間違いがなく、それはマレーシアという存在があったからこそ。

マレーシアに行って「良い国だ・・・」と思うことができたら本当に地上の楽園ということになる。

なんで日本がそれじゃないんだ?なんてフト思うのだけれど(笑)、生活費の安さに期待すること無く、また確保したい生活レベルに固執すること無く、親子三代、同じ土地で同じ夢を持って生きていこうと思う。

親孝行らしいことはしたことは無い私だけれど、両親が何よりも好きな孫を連れてマレーシアに行く。これが私の最大の親孝行かもしれないなんて思ったり。私が彼らの立場だったらそれ以上の幸せはないと思うし。

問題はヨメさんで、マレーシア行きには積極的に賛成ではないものの行く気にはなっている。いつの日かマレーシアで時限爆弾が破裂しないことを祈るばかりなり。(笑)

でも最終的にはヨメさんのためにも、今では付き合いのある親族も友人も極端に少なくわけがわからなくなった日本に帰るしか無いと考えているし、我が家って流浪の民、難民と同じだと思ったり。その時は東京じゃなくて九州が良いなぁ・・・。

実はですね、我が家には問題があるんですよ。一族の墓なんですが東京にあります。私のオヤジは長男、私も長男、マレーシアに一緒に行く息子も長男。この先祖代々の墓をどうするのか、後を任せる親族もいないし、こういうのってどうするんですかね。

かなり前にオヤジにちょっと言ったんですよ。「海外に住み続けて海外で子孫を広げるであろう子どもたちに東京の墓を頼むとは言えないし、私の代でなんらかのことを考える必要があると思う」って。そうしたらオヤジの顔色がサッと変わったんですわ。それ以来、墓の将来の話はタブー。(笑)

田舎から都会に出てきた人たちって恐ろしい数だと思うけれど、故郷のお墓の問題をどう解決しているんだろうか。長男じゃなければどうにもでもなるんだろうけれど・・・。長い年月が経つと、アメリカのアフリカ系アメリカ人が「私のルーツはアフリカに在りまして・・」なんていうのと我が家はきっと同じ状態になる。(笑)

ヨメさんの実家は福岡県は浮羽という田舎で13代続いたそこそこの名家だったんですが、小さな娘ばかり残して家長も早く亡くなり結局ヨメさんの世代でストップ。墓の維持をすることもできなくて、縁者に任せてしまった状態。でも歴史を紐解けば、家を守るために養子をもらったり、家長が死んで奥さんが婿養子をもらったり、実際に血がそのまま繋がっているわけでもなくて、昔の家って企業みたいなもんなんだと思ったり。名前と家業が続いただけ。でももうそれも全て消えてしまった。ま、こんなのは時代遅れも甚だしくて我が家がそんなふうになることはあり得ないにしても、先祖代々の墓を蔑ろにするのはやっぱり気が引けます。

しかし人生っていろいろで面白いですね~。自分の考え方ひとつでどうにでも変わっていく物語。

私の今の悩みは、マレーシアでどういう生活をするべきかが見えていないこと。ケチケチしたいとは思わないし、でもガンガン使うのはただのバカだし、どの辺なら自分が満足するのかもやってみないとわからないし、ヨメさんにも満足できる生活は絶対に確保しないとならない。私にはマレーシアでどんな生活をしたいか明確なものもなく、好き勝手に生きてきた私は今更あれをしたいこれもしたいという願望もないと言って良いくらい。自分が何を欲しているのか自分でもよくわからず。ただ頭にあるのは両親に親孝行をしたいということと、息子に伝える技術をしっかり伝えて一人前にしたいってことぐらい。

ま、とりあえずはマレーシアに行った初年度は、コンドにしても毎日の生活にしても我慢をしなかったらどうなるかの実験をしようと思います。でも趣味の自動車に関しては我慢する予定。欲しいと思う自動車をどうするかは落ち着いてから考えようかと。もちろん税込みで買うことになりますが、しょうがないですね。

それで大体の線が見えるようになるでしょうね。

 
 
 

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