国民はバカで猿と一緒なのか?

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随分過激な表題をつけましたが、ハイ、キャッチコピーです。m(_ _)m

でも私は本当にそう思っているんですよ。もちろん自分も含めての話ですが。

最近の日本、世界、そしてアメリカの大統領予備選を見ていると、民主主義って一体なんだろうかってわけがわからなくなります。

国の行き先を本当に国民が決めて良いのかってところなんです。

私は日本に関しては安倍支持ですが、これは私の立場、価値観、希望、夢、そんなものから安倍氏が良いと思うだけの話で、違う価値観、違う夢を持っている、あるいは今、とんでもない難題に直面しているとすればそれを解決してくれるであろう政治家を推したいのは当たり前で、誰の選択が良いのか悪いのかなんてことは私にはわからない。

子供の時から誰にでも「価値観」なるものはあるわけで、世の中はこうあるべきあああるべきと誰しもが思う。そしてそれに反する言動をする政治家、リーダーは無能だ、バカだと思う。これは会社でも同じで、上司や経営陣を見て、バカだ、間違っているなんて思うのは毎度のこと。

でもねぇ、そういう中で私がいつも思ったことは「俺のほうがもっとバカだ」ってことなんです。特に(短い年数でしたが)会社勤めをしている時にそれを良く感じました。絶対に経営陣の考え方は間違えているなんて思ってもそれに従うしか無いわけで、でもそのうち、「なるほど、こういうことだったのか・・」と経営陣の考え方のほうが正しかったことがわかる。そしていつか自分も経営側に立って思うことは、「なんでみんなこんな大事なことがわからないんだろう」ってこと。

家族の中でも同じで、親にしてもヨメさんにしても「わかってないなぁ」と思いながら、それでも後で「自分が間違えていた」と思うことは日常茶飯事。

そういう意味で、私は今月63才になりますが、やっぱりバカのままで、自分には何もわかっていないと思うんです。

ああじゃこうじゃと世の中を見ているといろいろ思いますが、じゃぁ総理大臣になったらどうするか?なんて考えても何をどうするべきかなんて全くわからない(笑)。ま、当たり前ですが、自分がそういう立場にならないにしても、ではじゃぁ代わりに誰を選ぶか決めろと言われても、私には誰がベストかなんてわからない。ただ自分がどう思うかで選ぶしかなくて、それが本当に国民のためになるのか、日本、世界のためになるのかなんかさっぱりわからない。でも自分にはこの人なら・・と思う人はいる。と同時にこいつじゃどうにもならない・・と思う人もいる。

でも自分の過去を思い出しても、自分のそういう選択は間違えていた事のほうが多いわけで、私には選択眼がないと言っても良いくらい。

こんな私に選挙権を与えるって、本当に世の中はそれで良いのか・・って思うんですよ。

自分に関してもそう思うし、また政治運動をする人達を見てもそう思う。自分が好きな価値観で世界はこう動くべきと騒いでいるだけで、全体がそれで良くなるのかどうかは誰にもわからない。

それが民主主義だと言われても、本当にそれで良いのかって思うわけです。

会社にしても同じで、もし全社員が集まって投票で社長を決めるようなことがあって良いのかどうか。

経営陣は「全社員は家族と同じ。社員の幸せを追求する」みたいなことを言ったとしても、リストラをせねばならない時は必ず来る。「社員のことを考える」というのは経営陣が思うことであって、「社員が俺達のことを考えろ」とは言えない。

国も同じで、必ず足切りをせねばならない時はあるはずで、老若男女、健康な人もそうじゃない人も、皆が満足できる世の中を作れるのかと言えばそれはかなり難しいはずで、その辺は「労働組合」を見ていると良く感じるわけです。「労働者を守れ」と言いながら、それは「正社員の話」であって正社員を守るためなら「派遣社員を無視する」ことを平気でする。自分たちが持っている利権を切り崩しても同じ労働者を助けようとは言わない。

結局、どの立場の人も「差し迫った自分の問題」だけを重視して動くわけで、その考え方で会社、国、世界、どんな組織もまともに動くとは思えないんです。

私が思うベストは「独裁主義」で、その独裁者は全知全能であること。(笑)

結局、「私とは違う考え方を持っているけれど、この人に着いていこう、この人ならちゃんとやるはず」というのが基本にあって、そんな考え方で私は生きてきたし、仕事も同じだし政治も同じだと思う。夫婦関係も同じだと思う。

それぞれが言いたいことを言って、数で白黒を付けるのが本当に素晴らしいことなのか、それが私には全くわからないわけです。

数で決めれば、少数派は自分たちが切り捨てられることを受け入れるか、あるいは強硬手段に打って出るしか無いわけで、今、中東で大問題になっているISISも同じだと思うんですよ。テロを産むのは民主主義だと考えても良い部分が間違いなくある。世界は「大国が発言権を持つ」わけで、その中で多数決が行われ、小国の運命が決める。これって非常におかしな話で、今、アメリカとロシアが停戦に向けて動いていますが、なぜ中東の問題を大国が決めるのか。そもそもあの地域に国境を作ったのも地域住民ではなくて大国が自分の都合で作ったわけで、その問題がずーっと尾を引いている。そしてまた大国が小国の運命を決めようとしている。イラクもリビアもそうだった。アラブの春も大国の価値観によって無理やり作った。

民主主義の政治も同じで、勝った側にしてみれば良いシステムだとなるけれど、切り離された少数意見を持つものにはとんでもないシステムとなる。あるいは(問題があるにしても)微妙なバランスの上にどうにか成り立っていた社会が大国の価値観で簡単にぶち壊されてしまう。

その辺をうまくコントロールするのがリーダーの役目だけれど、どうしたって大切にするグループとおざなりになるグループの差は必ず出てくる。そして切り離さなければならないこともあるわけで、「船が沈没する、しかし救命ボートにはXX人しか乗れない」場合の話とか、「大飢饉が起きて、民衆が食料貯蔵庫に殺到する」場合も同じで、全てを助けることは出来ないケースは必ず起こる。

でもリーダーは「お前は助ける。でも君は駄目」とは言えない。

でも「言わなくても何を考えているのかの想像はつく」わけで、自分が切り捨てられるのが見えた時にはどうすればよいのか。それを助けようという政治家に一票をいれたくなるのは当たり前だけれど、それで全体がうまくいくのかどうかまでは考えない。あるいは自分に都合のようように考えて「全体もこれでうまくいくはずだ」と思う。「俺を助けることも出来ない国家に何の意味がある」と考えてしまう。

私はマザーテレサって凄い人だと思っていて、でも彼女が日本の総理大臣になったり、あるいは世界のリーダーになったらそれで全てがうまくいくとも思えない。

民主主義って一体なんなんだろうって思うわけです。

そんな時にフト思うのは、日本にはかつて民主主義は無かったけれど、でもリーダーとそれに従う民との関係はうまく行っていたように思うんです。ま、歴史のどの部分を見るかでまるで正反対の印象を受けるのだと思うけれど、私は「リーダーにお任せします」という民と「お前たちを必ず守る」というリーダーの関係ってとんでもない長い歴史があって、もしかするとそれは聖徳太子に行き着くのかもしれないけれど、その関係は民主主義よりうまく機能してきたように考えています。

これって「理想社会」と比べては駄目で、「弱肉強食の非情な世界が基本」だとした場合の話で、理想と比べてしまうと、理想社会なんて過去にも現在にもそして未来にもそんな世界は存在しないはずでただの夢物語となる。

でもその日本的なものが「他者依存」を助長して「自己責任」なる考え方は発達しなかったし、「滅私」の考え方が希薄になったリーダー、あるいはその手足となる(今で言えば)公務員にそれが蔓延して、「公務員も一人の人間」みたいな権利を主張するようになると、日本式のやり方は全く機能しなくなる。しかし国を動かす人たちの中には自分たちは選ばれた人間だというとんでもない奢りだけは残っていて、彼らの考える「公僕」と民が考える「公僕」とに大きな隔たりがある。これが今の日本の状態だと私は思うわけです。そうなったのはまさに「民主主義」なるものの弊害だと私は思っていて、本来、それに合わせて国の組織形態も変えるべきなのに、日本はその点は昔と変わらない。

でもま、どちらにしてもそれが世界の流れで、それがベストであると主張する国が、平気で違う考えを持つ国を滅ぼすことまで起きてきていて、まさに世界は「民主主義教」に侵されていると思うわけです。

でも私は共産主義が良いとも思えないわけで、共産主義に独裁はつきもので、それこそ全知全能のリーダーがトップに立つのなら話は別だけれど、そんなことが起きたことは一度もない。全体を助けるためには「必ず異端は抹殺する」動きになる。共産主義こそ「平等を保つために、実際は少数意見を切り落とす」主義だと思っていて、「素晴らしい収穫を得るためには間引きも必要」という農業と同じ。そういう意味では「全ての人に同じ権利がある」という民主主義の方が良いように思えるんですが、実はどちらも「誰かが考えた理想論」であって、アメリカも中国もその理想論の「実験国家」だと私には見えるんです。

頭の良い人達が理屈をこね回すのを聞けば、なるほどなんてアホな私は思うわけですが、でも日本には「理屈も主義もないけれど皆が生きるためのシステムは存在した」と私は考えています。それが源流にあるからこそ「日本人は民度が高い」と言われるし、またそういう「自負」もあるんだろうと。勤勉だというのもそれで、自分がやりたいことをやって権利を主張する世界ではなかったし、今では悪と決めつけられている「談合」もあるいは「長い長い会議(笑)」も、皆がそれぞれ納得し、皆が生きることを重視する文化が背景にあったからだと思うわけです。

最近の若者は、日本のみが2000年以上も国家として存在した世界に唯一の国であるということも知らないようで(ギリシャも中国も地域の歴史が長いだけで国家として長く存在した例は無い)、その長い間に培われてきたものを重視せず、新しい海外の文化や思想が良いものだとする風潮は本当に困ったもんだと思います。この動きは明治維新がキッカケだと思いますが、その考え方って両刃の刃だろうと思っています。

そんなことを考えると、なんとまぁ「規制緩和」だとか「市場主義」だとか、弱肉強食の畜生の世界を良しとするグローバリズムって、チャンスが平等にあるようでも実はそうじゃなくて、交通法規を緩和して、ありとあらゆる仕様のありとあらゆる車が、それぞれの好きなように勝手に走り回る世界が良い訳はないのと同じだと私は思うわけです。動物園のそれぞれの檻や塀も除去して、さぁ自由に生きろなんてそれで世界が成り立つのか。

「自由」という言葉に良さを感じては駄目なはずで、自由であるとういことはそこに【能力に応じた】「平等」「公平、公正」もない、「無法地帯」に近いものがあると思っています。「それぞれの能力にあった生き方」が出来ない世界。ここは私は重要だと思っていて、ローマ法王が「新自由主義と戦え」と世界に号令を出したのは一体どういうことなのか。

かつて日本は規制ばかりでどうしようもないなと思ったことは私だって何度も経験があります。でもそれってルールが決まっているスポーツと同じで、その中で皆が頑張ってやってきたわけで、そのルールを変更しろ、緩和しろなんてのは、「力はあるけれど能力が弱い負け組」の発想だと思うんですよ。スポーツの世界にもそれが当たり前のように起きていて、アメリカのトランプ氏が「日本にはフォードが一台も走っていない。日本は汚い連中だ」みたいな言い方をしましたが、私達日本人は「当たり前だろう。需要に合わせて物づくりをしなければ売れるわけがない」と思いますが、彼らはなぜかそこまで頭が回らない。

こういう人たちが推し進める規制緩和だの市場主義だの、自由競争がベストだのって考え方に今の日本はしっかり乗せられているわけで、それでいて競争に負けた人たちは救済だの社会保障だの騒ぐ。もちろん勝ち組は富を独占するべきではなくて、そこは税制も利用して富の再分配が必要なのに、税金は安くしろというとんでもない圧力をかけて国を動かしてしまう。そしてそうしなければ勝ち組は勝ち組でいられなくなるという現実もあるんでしょう。

やっぱり私はもう世の中に取り残されたジジーになっているとそういう意味でも実感があって、昔のPCもない、FAXもコピー機も無い時代、皆が汗をかきながら一生懸命生きていた時代が懐かしいと思うんです。弱者を助けろなんて誰も言わなくても、弱者を助けるのは自分の生き方の一部でもあったように思うんです。ろくでもない社員ってどの会社にも結構居て、できる奴と出来ない奴の所得差も小さかったけれど、窓際族が生きていられるのも、それが社会だと皆が信じていた。

今は誰しもが勝手なことを考え、好きなことをして、言いたいことを言って、そしてその価値観で政治家も選ぶ。

今の日本の政治、アメリカの選挙、そして中東の問題、中国の台頭、そんなのを見ていると、この世の中って病んでいるとしか思えない。いやこれが動物の本性なんだろうけれど、私としてはその中で負けずに自己主張をして彼らとやり合おうという考え方は全く持っていないんですよ。

私は就職が決まっていた長男にそれを蹴らせて、マレーシアに一緒にいくように説得しました。なんでそんなバカなことをしたのかと多くの人は思うはずですが、私は今の世の中みたいな畜生道の中で生きるために息子にこの世に出てきてもらったわけじゃない。だからといって今の世の中の動きに逆らうことも出来ないのだけれど、こんな地獄の阿修羅の世界とは違う「何か」を構築したいと考えています。

そういう意味では現代の体制に組み込まれたエリートと言われる若者よりも、現状に反発するニートや若くして起業する人たちの方が私は面白いと思っていて、かつてのヒッピーたちが今のアメリカを創りだしたような何か大きなムーブメントが起こって欲しいと考えています。

しかしまぁ、日本の政治もアメリカの選挙も、今後の中東、ロシア、東アジアの出来事は注視して見ていますが、見れば見るほどこの世の中は狂っていると思うばかりなり。

そんな世界の動きに自分や家族が翻弄されるなんて絶対に受け入れられませんので、まずは小さな小さなバクテリアのような「独立国」を自分の家族を中心に創りあげたいと思っています。

その為に絶対に必要なのは「財力」でこれなしに理想論を言っても何も始まらない。自立は絶対に出来ない。そしてどんな世の中になろうと、どんな変動があろうとその財力を付けるノウハウを独立国で生きるすべての人達が身に付けること。これが私の理想。

自分はバカで猿と一緒だけれど、バカがバカでも猿が猿でも誰に依存することなく、もちろん国を、制度をあてにすることなく、家族が、そして友が、皆が笑顔で生きている世界を創りたい。

「平民の逆襲」と私が前から何度か書いているのはこれのこと。(笑)

だからマレーシアに行くことにしました。私が考えるに、私の理想を実現する環境はマレーシアにしかありません。

これってバカな私の夢物語ではなくて、表現方法こそ違うものの似たような考え方を持ってマレーシアに渡った人がちらほらいるのはブログを読んでいてもわかります。

どうなりますかね~~。

夢が実現しなくてもそれに向って進むことが重要なんだ、なんてもう言い訳を考えているし。(笑)

 
 
 

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