このブログのコメント欄で無礼講に関して話が出たのですが、マレーシアに行ったらあえて「無礼講」というのを全面にだした飲み会をやりたいな、なんてフト思いました。
今回の訪馬でうちのヨメさんもびっくりするぐらい飲む人が結構いるのがわかりましたし、私は酒好きではなくて家ではビール一本さえも飲まないのが普通で、しかし飲みに行けば底なしみたいな感じなんですが、やっぱり無礼講の飲み会は大好き。(笑)
考えてみると「無礼講ね」なんて言いながら飲むなんてことは一度も経験がなくて、でもそれぞれの付き合いの中でそれが大丈夫な相手、気をつけないとヤバイ相手(笑)、またそれはシチュエーションによっても違うわけで、あくまでケースバイケース。ま、当たり前といえば当たり前ですが、お互いの腹の探りあいみたいな日々ってそれなりにあって、なかなかヨメさんみたいに最初から盛り上がるってのが私には出来ないんですよ。(だからヨメさんは若者には最高に受けが良いのだけれど、年寄りには敬遠される 笑)
私のノリが悪いなんて嘘だろ?なんて私と飲んだ人は思うかもしれないけれど、やっぱりそういう気遣いって当然要求されるのが日本人社会で、私ももうジジーですからそんなことは若い頃から十分経験していますしわかっています。そのコントロールが上手いか下手かは別ね。
でもまたそういう気遣いから人付き合いが始まるのか・・・なんて考えると、面倒クセぇなぁなんて思うし憂鬱になるのも確か。
じゃぁ、最初から「ここは無礼講だ」というのを決めちゃうってのはどうかと思ったり。
これって若い内やややこしい人間関係がない付き合いの場合は普通だと思うのだけれど、ある程度歳が行くと難しいのが普通で年寄りの場合はなかなか出来ないんですよね。また無礼講みたいな野蛮な雰囲気(笑)が嫌いな人も実際にいるわけだし。だから最初から決めちゃうなんてのも面白いかと思ったり。気取った飲み会とははっきり線を引く。
でも世の中の無礼講ってのは「そう言うだけで」それを信じると大変なことになるのも皆経験があるわけで、やっぱりルールとして決めて飲むってのが良いんじゃないかと思ったり。
◯ 年齢、過去の経験、性別は一切関係無し。それらを元にした話は無視。上下関係は一切無し。
◯ 飲み会での話、出来事は一切口外しない。
◯ 思っていることを口に出さないのは違反とする。
◯ 日頃の鬱憤をぶちまけたいだけというのもアリ。
こんなところかな?
それと私が思うのは、海外に出るような人って変わり者が間違いなく多くて、一家言があるのが普通なのね。雰囲気に流されてヘラヘラするようなヤワはまずいない。だから話も面白いのだけれど、ぶつかることも多いのね。これが後々の問題になることも結構あるわけだけれど、私が無礼講の中で楽しみにしていることがあるんですよ。
それって言いたいことを言うだけじゃなくて、お互いに言いたいことを言った後に「立場を入れ替えてみる」ってことをしたいんですよ。
これって私の仲の良い飲み友達とは結構やることが昔はあったんだけれど、いわゆるディベートの真似事ね。自分が言いたいこと、信じることとは違うことを「自分の立場」として入れ替えてしゃべる。これが本当に面白いんですよ。私で言えば、たとえば「私がシールズの若者、戦争は何が何でも絶対に認めない母親」の立場になって考えてしゃべるとか。(笑)
これも一つの遊びなんですが、飲んでいるから頭は柔らかくなっているし、それだけにメチャクチャになることも多いのだけれど、凝り固まった自分の頭に揺さぶりをかけたり、自分に意味もない拘りがあるのがわかったり、相手のほうがマシかもしれないなんて思うこともあるのね。
そんな飲み会も面白いと思ったり。「無礼講」という名の「研修会」。(笑)
飲めば飲むほど人ってわがままになって自分に拘るし、相手を認めない、説得したいなんて気持ちになるのが普通で、相手の言うことは聞こえなくなる。でもそこに無礼講の良さもあるわけだけれど、それが付き合いの最後になることもあるんですよね。(笑)
だから「あえて」無礼講だという決めを作るのも面白いと思うんです。
私が若いころって、やっぱり年上とか目上の人を意識しながら飲むわけで、常に接待役みたいなもんで当然自分を殺すことは普通でした。で、今自分がジジーになると、相手が私が若いころと同じなのがわかるのね。私に話を合わせているなぁとか、我慢しているというのがすぐわかる。
こんな時に相手の本音を引き出そうと思っても簡単じゃないのね。そんなのに乗って言いたいことを言ったら後で大変なことになると相手は思っているわけだから。
だから最初からルールを作ってしまう。思っていることを言わないのはルール違反だと。そしてその保証として「口外しない」、「あとでぶり返さない」なんてのは当然のお約束。
私もですねぇ、もう気を使いながら飲むのは嫌だし、相手が気を使っているのがわかるのも嫌なんですよ。だから無礼講をルール化できたら面白いと思う。そういうのって自然に出来上がるコンセンサスなのが普通だけれど、面倒だからルールを最初から作っちゃう。
でもそれだけじゃ修羅場の言いたい放題になるから、「知的な遊び」として「立場を入れ替わる」なんていう頭の体操もルール化する。
これは私自身が私に課したいことでもあるんですよ。そうでもしないと世の中の出来事、多様性を理解できなくなって、ましてや歳を取ると凝り固まるのが普通だから、積極的に頭の体操をしたいと思うわけです。
私が子供たちと飲むときには実はいつのまにかこれがルールになっています。だからあいつらもここぞとばかりに言いたいことを言うのね。私も同じ。でもそれじゃ喧嘩になって終わるから、途中で相手の立場にわざと切り替えるんですよ。私が子供になり、子供は親となって考える。
これって相手のいうことに耳を傾けるということより一歩入り込めるんですね。相手の言うことのほうが正しいという前提に立つわけですから。これってディベートの練習そのもので、これはルール化しないと駄目なのね。そうじゃないと相手のいうことを理解したふりをして相手の説得をするようになる。そしてそういうのは年寄りは上手いから、若者は負側になるのが普通で、結局は話し合いは無駄だと思うようになる。年寄りは年寄りでシメシメなんて思うけれど、実は歩み寄りなんてなにもないことには気がつかない。常に勝ち組と負け組が決まる傾向があって、そんな飲み会なら参加したくもないし、まともに話をしようなんて思わなくなるのが普通。
当然、議論が目的の飲み会じゃないから、正体を失ってゲロを吐こうが、道路で寝てしまおうが、お咎め無しとする。そして気持よく歌っている時に議論をふっかけるのも禁止とする。(笑)
「ディベートの練習になる飲み会」。面白いと思うんだけどなぁ・・。駄目?
自然発生的ではなくて、暗黙の了解でもなくて、ちゃんとルールとして確立する。もしそういう飲み会が存在するのなら、私は知らない人たちとでも一緒に飲んでみたいって思いますもの。
相手の顔色を見ながら飲むのはもう止めにしたい。私の顔色をうかがっているのがわかる飲み会ももう終わりにしたい。
こんなジジーと飲んでみたいと思う若者がいたら大歓迎です。誘ってください。
実はですねぇ、KLでのとある飲み会に12歳の少年も同席したんですよ。お母さん曰く、「彼は右翼」だとのこと(笑)。面白いでしょ?次回は彼と是非、一緒に酒を飲んでみたいと思ったり。(爆)