テロに遭遇したらどうするべきか&コーランを覚える?

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テロはどこで起きるかわかりませんが、もし巻き込まれたどうするべきか。あらためて確認しておいたほうがよいことが書いてあるサイトがありました。

テロに遭ったら最低限こうしなさい――外務省に聞く

1. 退避ルートを常に確認する習慣をつける
・退避ルートを確認する。
・隠れられる場所を確認する。
・常に周囲の状況に注意を払い,不審者や不審物を見かけたら速やかにその場を離れる。

2. 姿勢を低くして速やかに逃げる
・その場に伏せるなど直ちに低い姿勢をとる。(爆風で首が飛ぶこともある)
・頑丈なものの陰に隠れる。
・周囲を確認し,可能であれば,銃撃音等から離れるよう,速やかに,低い姿勢を保ちつつ安全なところに退避する。

3. 爆破があった方向とは逆に頭を向ける

4. 口をあける→鼓膜が破れないようにするため
耳をふさぎ、口を半開きにした方がいい

5. 携帯電話は電源を切った方がいいかも
もし電話が掛かってきたり「呼び出し音」が鳴ると命取りになる

6. 安否確認をすぐにできるようにしておく
・在留届
3カ月以上海外に滞在する場合は、日本大使館・総領事館に在留届を提出する義務があります。
これを提出すると、安否の確認、緊急連絡、救援活動、留守宅への連絡等が速やかに対応できるとのこと。
・たびレジ
3ヶ月未満の滞在の場合に使う在留届のようなシステム。任意で旅行日程・滞在先・連絡先を登録します。緊急事態発生時の連絡メールなどが届きます。

なるほどなぁと思ったのは「口を半開きにする」ってことと「スマホの電源を切る」ってこと。

また海外に長期滞在しているのに在留届を出すのを面倒がる人がいますが、これはうまくないですね。それと日本人会を毛嫌いする人がいますが、本来、日本人会は「何か起きた時の為」にあると言って良く、私は加入するべきだと思っています。過去にも災害が起きたり、海外に脱出しなくてはならないようなときにも日本人会は活躍したんですね。私はマレーシアのことは知りませんが、ゴールドコーストでも日本人会は「危機管理」に関してはいろいろ考えていますし(理事経験もあるのでその辺はわかる)、もしものときには頼りになる存在だと思っています。私の友人に「日本人会は危機管理だけやっていれば良い」という人がいますが、それが本来のあり方かもしれません。

番外編で「コーランを覚える」なんてのがありますね。私もそれが一瞬、頭のなかで浮かんだのですが、やっぱりそれはできそうもありません。

ヨメさんに聞いてみたんですよ。そうしたら「絶対にしない」と即答。「周りの人が殺されていく中で、自分だけ嘘をついてまで生き延びたいとは思わない。もしそうしてもそれを引きずって生きることは不可能」ですと。

私も同感なんですが、ヨメさんみたいに即答はできません。

ま、どんな死生観を持って生きているのかはそれぞれ違いがありますし、死ぬこと=生きることと我々は考えていますので、(いるのかいないのかわかりませんが)神を欺いてまで生きたいとは思いません。

ただですね、「いまここでイスラム教に改宗すれば助ける」と言われたら・・・・・・。喜んで改宗しちゃうかも。

その辺をちょっとヨメさんに聞いてみたんですよ。

ダボ 「あのさぁ、もしテロリストが、今、イスラム教に入信するなら助けるって言ったらどうする?」

ヨメ 「う~~む、それでも嫌だわ」

ダボ 「じゃぁ、俺が先で、俺がはい、入信しますって言っちゃった後だったら?」

ヨメ 「そういうことなら入信するかもね。悪者に乗るのは嫌いじゃないから(笑)」

ダボ 「俺を悪者にするわけ?」

ヨメ 「そういうこと」(ってニヤニヤ笑ってやんの)

ったくも~~、大した死生観だわ。

我々は無宗教だからこんなことが言えるけれど、キリスト教の熱心な信者だったらどうするのかな・・。私は神道系の考え方を持っているんですが、基本的にどの宗教も内包していると考えていますので、神道との両立は出来ると考えています。仏教も宗教ではなくて哲学だと考える人は多く、私の友人で敬虔なクリスチャンがいるんですが(グアム人)、彼は創価学会に入って「南無妙法蓮華経」を唱える。彼も仏教は哲学だと言う。でも「エホバの証人」なら全く違うことを言うんだろうか。

友人のクリスチャンに聞いてみよう。全世界でこのアンケートを取ったらどんな結果になるんだろうか。

(後記)

この日記を後になって読み返したら、こんな時に茶化すような書き方をするなって思う方がいるだろうと思いました。

私は茶化す気なんか毛頭ありませんし、死ぬこと生きることに関してはいつも真剣に書いているのは御存知の通り。ただ不謹慎であるかもしれないとは思っています。でも私は白状しますと、NYのテロでも阪神大震災、東日本大震災でも涙を流したことはありません。可哀想とはもちろん思いますが、あえて可哀想というのなら残された人たちにそれを強く感じます。実は、私が一番強く感じるのは怒りです。大きな事件や事故、災害でもその裏にある人間のエゴを感じて、それに怒りを感じます。でもそれはテロリストや殺人者に対してではなく、彼らも犠牲者であって、そこまで追い詰めることになった社会に腹が立つのです。またテロリストだけを批判し、では欧米諸国が毎日シリアのあの地域で爆撃して殺しているのは許すという考えも私にはないのです。

これは戦争だという人がいます。ジョージ・ブッシュがその言葉を出してから多くの人がそれを言うようになった。しかし本来の戦争はルールに則った戦いであって、今起きていることはどちらにも正義がない、ただの殺し合いだと思うのです。

でもどうするべきかは私にはわかりません。このようなことは、溝にハマった犬猫を救出したり、浜に打ち上げられたイルカやクジラを助ける事に関しても感じます。確かに助けるのは良いことですが、ではどうしてとんでもない数の殺される牛や豚、鶏には誰も涙を流さないのでしょうか。私も同じですが、そういう自分にも腹が立つのです。自分に関係があるものだけを助け、身近に何かあれば涙を流すけれど、敵対する相手、利用する相手、そして遠くで起こったことに関しては、彼らの死には何も感じない。でもその殺しがあるから今があり、生きていけるのはわかっているのですが、それに何も感じない自分を許せません。

だから哀悼の意を表することもしません。こういう事件、事故に関してはそれを書くのはお約束なのかもしれませんが、日本人が犠牲者になった時だけそれを書くことは私には出来ないのです。毎日死んでいる世界各地の死ななくても良い人達に対して申し訳ないと思うし、自分の中に間違いなくある差別やご都合主義を文字に残したくないのです。でも書きたい人は勝手に書けば良いだけの話。思ったことを書くのが一番。

 
 
 

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