自分は一体どこに住みたいのか、住むべきなのか・・・

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借りているコンドの引越しに伴い、一ヶ月ちょっとAirbnbで住むことになりましたが、この17日間ぐらい、一切ネットへの接続を断ち、このブログもメールもニュースも一切見ないでいろいろ考えていました。

反省会みたいなものです。自分が若いときから何を考え、何を望み、何をしてきたのかも含めて冷静に、そして第三者的に自分を見つめていました。

こんなキッカケってそうそうないし、冷静に考えてみると「俺ってなんてバカだったんだ」なんてのもよく見えてきて非常に面白かったし有意義でした。

過去へは戻れませんし、いくら悔やんでも無駄ですが、残り少ないとは言え将来があるのは間違いがありませんので、これからどう生きて行くべきか、何を優先するべきかそんなことを考えていました。

今、我々はマレーシアに住んでいますが、将来どうするかは全く決めていません。ただ「今、やらなければならないこと」はハッキリしていて、長男をもマレーシアに連れてきてしまっていますから、やらねばならないことにブレはありません。

でもそれは死ぬまでマレーシアに住み続けて頑張ることではないのはハッキリしていて、でも途中で投げ出しても良いようなものでもなくて、ある程度の結果が出ない限り、ここマレーシアで頑張るつもり。

でも歳は間違いなく取りますし、心身ともにどんどん駄目になっていく実感はありますから、自分の望みとは別にして「マレーシアを出ないとならない時」は来るかもしれないと感じています。

MM2Hでマレーシアに渡ることを決めて10年、実際にマレーシアに渡って1年経った私の気持ちとしては、「マレーシアを最後の地とする」という思いはありません。ただ結果的にそうなってしまうことはあるにしても、「この地で死のう」という気は全く無いということ。

マレーシアを好きではないのか?と聞かれると困るのですが、でも正直な所、好きではないと答えるのが間違いはないはず。でも決して嫌いでもない。私としては「嫌いではない」ということだけでも凄いと思っているくらいで、世界広しと言えどもそう思えるところって意外に少ないんじゃないかと思っています。旅行で行ってみたいとか、旅行で行くには好きな場所や国って結構ありますが、住むってのは旅行とは全く違いますし、同じ基準で考えるわけにはいかない。

で、マレーシアという国は私にとって「何が何でも住みたい国」ではないけれど、この広い世界の中で数少ない「住んでも問題ない国」と思っているってこと。

またもしこの国を好きになったとしても、残念ながらこの国は「弱者には厳しい国」で、年寄りが自立して生きることは不可能だと思っています。まず街の建物や道路もそういうふうには出来ていませんし、移動手段を考えても体の不自由な年寄りが一人で動けるようには出来ていない。

医療に関しても風邪をひいたぐらいならまだしも、深刻な病気を抱えたまま私はマレーシアに居続けることは出来ないと思うし、そもそも永住権もなく、社会保障が全く受けられないただの長期観光ビザみたいなMM2Hで介護が必要な時期を過ごせるわけもないと思っています。誰か面倒を見てくれる家族がいるとか、金銭的なことも含めてなんでもやってくれる代理人でもいればどうにかなるかもしませんが、年寄り一人でどうにかなる国じゃない。そして何かあれば「国外に出るしか無い」のですから。

そういう意味ではオーストラリアは老人天国で、社会のインフラも老人向けに整っていますし、分厚い社会保障(永住権がないと意味がない)もあって、そして市民意識も高くボランティアも充実していて、家族に面倒を見てもらわなければ生きていけない世界ではない。

それを考えますと、オーストラリアへいつか帰ることも選択肢に入れても良いと思うし、二人の息子は中身はオーストラリア人でオーストラリアを故郷と思っているし、将来的にはオーストラリで住み続けるはずで、我々老夫婦としてはオーストラリアへ帰るのが正しい選択のようなきがするのです。

ところが家族が老人の面倒を見る社会ではなくて、自立して生活できるようになってはいるものの、統計的には私の方が早く逝き、その後、ヨメさんは一人で10年以上生きることになるはず。

問題はここなんですね。もうそろそろ海外生活も30年になろうというのに、ヨメさんは英語がまるで駄目。買い物やちょっとした話なら不自由はないものの、彼女一人でシティカウンシルに行くとか、銀行じゃなんじゃと書類に何か書き込んだり、申請を出すとか、裁判所や警察に行くことになったら完全なお手上げ状態。

二人の息子がいたところで、オーストラリアは別々の生活をするのが普通の国で、ましてや男の子ってまるであてに出来ないのね。これが娘でもいれば、おかぁさん、一緒に住む?とか近くに住んで・・なんてこともあるのかもしれませんが、そういう意味での助けは全くない状態で、ヨメさんがオーストラリアで一人で生きることは不可能だと思うんです。

だから日本に帰るしか無い。

それも私がまだ元気な内に、日本の「シニアマンション」みたいなところに入居し、もしヨイヨイになったらそのままその施設の中の「介護施設」に横滑りできるような場所を選ぶ。こういう場所なら、私はヨメさんを残して死ねますが、ここマレーシア、あるいはオーストラリアでヨメさんを一人残して逝くなんてことは絶対に無理。

ま、そんなふうに考えていまして、今の時点では日本には家もありませんし、親戚はほとんどつきあいもなくなり、友人関係もかなり希薄な友人しかいませんが、日本に帰るしか無いと思っています。

それも「もうそろそろ危ない」となって日本に帰るのではなくて、まだ十分自立して生きていける内に帰ろうと思うのです。そしていつくたばってもいいように身辺整理をしてシニアマンションに入り、元気なうちはそこを拠点として好きなことをすればよいかと。

では「そうする時」はいつなのか。これが今の私にはまだわからないのです。今私は64歳でヨメさんは58歳ですが、今の時点でもう日本に帰って「最後の場所」を決めるのも良いとは思っているのですが、その前にやりたいことがあるのは今まで書いてきた通り。

70歳を超えてる頃には具体的に考えないとならないだろうとは思っていますし、いまやろうとしていることも5年もあればそこそこ見えてきますので、10年以内にはどうにかなるかもしれない。

本音としては、もし計画通りにうまく行ったら早く日本に帰りたいと思うんです。来年でも日本に帰りたい。

海外在住者を見ていますと、「海外に住む理由」がよくわからないと思うことが度々あります。若い頃は海外に憧れを持ち、私にだってハワイに行ってきたなんて自慢する時代もありましたし、その延長線上で「海外に住む」なんてことに何とも言えない満足感があるのは理解できますが、今になると「未知なるものへの好奇心」はあるものの「海外へのあこがれ」なんて皆無になりました。

それどころか今の私は、日本に生まれ日本に育ち、日本が大好きなのに「日本を知らない」「日本を満喫できていない」ことの方に違和感を感じるのです。私の憧れの対象は「海外ではなくて日本」になっていて、私の大好きな築地周辺に住み、銀座も近く、行きたい時には温泉だろうが北海道九州だろうが行ける生活をしている日本人が「心底羨ましい」と思うくらい。

何よりの贅沢は「日本に住んで好きに生きること」だと思うようになりました。

私が海外志向だったのは高校生の頃からで、ドイツへ留学したいと親を困らせましたし、20代前半はグアムへ渡って人間らしく生きたいと努力していたし、その後は仕事で勝負するならアメリカ本土しかないと就職の道を探したり。

でもそれも出来ずに、日本でいつか結婚し子供が出来てからは「子育てはオーストラリアが一番だ」と思い、38歳の時に永住権を取り、そしてロングステイではなくて移民としてオーストラリアの土になるつもりで家族4人でオーストラリアに渡りました。

オーストラリアには本当に自由があると感じたし、誰の目を気にすること無く、やりたいことだけをやって生きていました。また私の海外志向の原点に「アメリカで見た裕福さ」があって、大きな家に住み、広い芝生の庭で大型犬と遊び、庭は湖に面していてそこの桟橋にはクルーザーがあって、夏休みにはそのクルーザーに乗って湖から大海に出てメキシコまで行って夏休みを家族と過ごす。当然、自分の家にはプールがあって、そこで遊ぶ家族の姿。ゴルフなんて金持ちのスポーツではなくて、高校生が夏場は学校帰りにショートパンツのまま友人と回る世界。

私が見たアメリカはあまりにも優雅で豊かで、日本とこれほど違うのかなんて想像もできませんでした。

こういうのをアメリカでまざまざと見てきまして、一体日本ってなんなんだ?とあえていえば大きく傷ついたんですよ。ロスの街角では石油が掘られていて、こんな国と日本は戦争したのかと本当に驚きましたっけ。

日本にいたらああいう生活は絶対にできないと思いました。それどころか日本人の豊かさは米国で言う平均以下なのは間違いがなくて、だから日本を出ようと。豊かになるには、人間らしく自分のあるがままを保ったまま普通に暮らすには日本にいたら駄目だと思ったんです。

でも海外に出るって難しくて、観光に行くのは簡単でも現地に住むにはハードルが高くてどうにもならず。

じぐしょーと思いつつ、日本でどうにか頑張るしか無かった私ですが、この日本ってのがまたなんでもかんでもがんじがらめで窮屈で、どこへ行っても出る杭は打たれるし、私にとってはろくでもない国でしかなかったんです。

そんな日本でジタバタあがいて生きていましたが、でも長男が3歳になる頃に、長男の寝顔を見ながら「こいつも俺と同じように他人の目を気にしながら自分を殺して生きていくんだろうな」と思った時に「冗談じゃない」と頭を叩かれるような気がしたんです。もうそろそろ幼稚園の「お受験」を考えないとならず、その次は慶応の幼稚舎か・・なんて考えていた時に、「駄目だ、日本にいては駄目だ、海外に出よう」と決心したわけ。

そしてオーストラリアへ。私が38歳、ヨメさん32歳、長男3歳、次男1歳。知り合いなんて一人もいない、仕事のめどなんか全く無いゴールドコーストへよく渡ったもんだと、今思うと恐ろしいくらい。

でも「これが自由なんだ・・・」って心底感激しました。俺が俺でいられる場所だと。そして子供たちも自分の人生を自分で選んで生きていける世界だと。

でもま、世の中って甘くなくて、でも好きなことをするのは苦労じゃないのね。やりたくもないことをやらないとならなかった日本のほうが私には苦労ばかりだったような気がします。

そして10代の頃にアメリカで見て腰を抜かした「プールがある家」「庭は川に面したウォーターフロント」も手に入れ、これでやっとあの時見たアメリカ人達に近づいたなんて思ったもんです。

でもある時、気がついた。こんなのは真の豊かさとは全く関係ないと。私が持っていたのは「豊かさに憧れた貧乏人のヒガミ」みたいなもんでしかなかった。

でも常に身近にいたヨメさんと、人種差別(時代とともにそれはなくなった)にも負けずにすくすく育ってくれた二人の息子たちとはしっかりした信頼関係が持ていていたし、自分としては意識していなかったけれど、これが豊かさなんだと気がついたわけです。

そもそも「家族が一番大事、子供命」だった私ですがこのころから考え方も変わってきて、目先の経済的な成功より、将来的な、普遍的な、そして私が育ってきた商人が大事にしてきたものに目を向けたいと思うようになって来ました。

ま、それが我々のマレーシアに来ることとどう繋がるのかの話は面倒なので省略しますが、私の個人的な願望を満たしたいという欲求は消えてなくなって、自分自身とは離れた「何か」の為に生きることに人生の目的を感じるようになったわけ。

だから自分は自分でも、日本にいた頃、オーストラリアへ渡ってから、そしてマレーシアに渡ろうと思った自分でまるで違う考え方をもって、違う人生目標を持っているのね。

でもフト、俺が本当に住みたい所ってどこなんだろうって考えると、頭に浮かぶのは日本のみ。(笑)

自分でも面白いと思うんですよ。海外に出る、海外に住むことしか考えたいなかった自分が、ジジーになると日本に住むことばかり夢見ている。

日本って本当に凄い。素晴らしい。

でももしまた日本で仕事をしないとならないとしたら、絶対にイヤ。勘弁して欲しい。

日本って仕事もせずに「引退」して住むとしたら最高の国だと思う。

私としては大好きな魚河岸の近くが良い。築地なら銀座も近いし。そして季節ごとに日本の素晴らしい地方都市を回ってみたい。

きっと日本に帰ることになる前に、マレーシアを拠点として「日本を楽しむ」という時期が来るかもしれないし、そうなったら良いなぁ。

でもそれを続けるのは絶対に不可能で、私が死ぬまえに、私がいなくてもそしてその頃には世界のどこで生活しているのかもわからない息子たちの迷惑にならずに生きていけるようにヨメさんの最期の地を確保してあげないと・・・。

ヨメさんにそれを話すと、「なこと心配しないでもどうにかなるわよ」と言うのだけれど、それでどうにかなるなら苦労する老人は居ないわけで、やっぱり亭主が女房の最後まで考えるってのは亭主の責任ですよねぇ。

息子たちに「お母さんのことはお前たちが責任を持ってくれ」って言えないし、オーストラリア的な個人主義の考え方を当たり前だと思っている息子たちは「俺達に任せてくれ」なんて絶対に言わないし、「先に逝く俺を許してくれ」じゃ済まないのね。(笑)

ま、これが考えて考え抜いて、やっぱりここに行き着いた私の今後のやるべきこと、やりたいこと。

頑張らねば・・・。

でももしも、万が一、ヨメさんのほうが先に逝くことになったら、我が家の将来は大きく変わる。私としてはマレーシアでもオーストラリアでもどこで野たれ死んでもかまわないと思ってるし。

気になるのは東京にある先祖代々の墓がどうなるのかぐらいか。(笑)

 
 
 

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