パワハラは「それに反抗しないから」助長する

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なんだか世の中おかしなことばかり続きますねぇ。政治でもスポーツでも同じ。

パワハラってのは「忖度」にも繋がっていて、全部が全部悪いわけではないのは当たり前だと思うんですよ。

でもどこかに「線引き」があってしかるべきなんだけれど、どうもそれが上手く出来ていないと感じます。

問題が起きた場合、ここで常に標的になるのは「力を持つ方」なのに私にはちょっと違和感があるんですよ。

「弱きを助ける」という風潮は良いと思うし、私もどちらかというと「反権力志向」があって「判官びいき」でもあると思うのだけれど、「常に弱者側に立って考える」ってのもおかしいと思うわけ。

でも当然、「権力側に立って考える」ってのは駄目なのは当たり前。

これを書くと相当批判もあると思うのだけれど、ブラック企業のような所で働く側にも問題があるんじゃない?ブラックなのは企業だけじゃなくて、スポーツでも友人関係でも、あるいは親子、夫婦関係にもそれがあって、「一方的な押しつけ」はどこにでも存在する。

ここで「上に立つものがそれを真剣に考えるべきだ」ってのもわかるのだけれど、「下のものはどうするべきか」っていうところも大事だと私は思うわけ。

下のものに何が出来る?

それは世界の歴史もそうであるように「反抗」「反乱」「革命」があるじゃないですか。当然、「話し合い」ってのが最初にあるけれど、それは意味を成さないことが多いわけで、じゃぁ、自分が正しいと思ったら次の手を考えるしか無くて、「我慢する」「嫌だけれど従う」ってのはおかしいと私は思うんですよ。

「弱い立場は我慢するしかない」ってのは「強い立場は何でも出来る」という「同じ紙の裏表」だと私は思うわけ。発想の根源は全く同じ。

どうにもならないと思ったら「反抗」「反乱」「革命」でもすれば良いというのが私の考え方で、それも出来ないのなら「その世界から逃げる」という手もある。

でも問題が深刻なのは「反抗」「反乱」「革命」も「逃げる」ことも出来ないってところ。

でもそれは、私には「下のものの【言い訳】」に聞こえるんですよ。

自分は真面目で一生懸命にやっているし、それなのに上(相手)からの要求はどんどん上がるし、それは一方的だし、でも「自分はこの場所が好きで、ここが良くなるならここにいたい」って感情があるんだろうと思うのだけれど、私はそこに問題があるんだろうと思うわけ。

上は上で「このままで本当に良いとは思っていない。でも仕方がない」ってところがあるはずで、それは下のものが「いつか変わってくれれば良い」と思うのと同じじゃないかと。

でも「変わらない」とすれば下のものは「反抗」「反乱」「革命」「逃げる」しかないじゃないですか。

それが出来ないのを「上のせい」「社会のせい」にするのはおかしいんじゃないかと。

「これは絶対におかしい」と思ったら「変えるか」「そこから逃げる」かどちらかしかないんじゃない?

それが出来ないのは「自分が選んだものは【自分にとって良いことであるべき】という変な妄想」があるからじゃないかと思うんですよ。そこも考えないとならない重要なポイントでしょう。その場に固執する自分は悪くないという考え方って変だと私は思う。

この発想って「上から下を見た時も同じ」じゃないんですかね。上も下も「自分が正しい」と思っているフシがあるのを感じるんですよ。

結婚だって親子関係だって、「どうにもならなければ別れる」選択肢を取るしか無いんじゃない?

「自分が我慢をしながら、【相手が悪い】」と言い続けて何か進展があるんだろうか。

世の中は「弱者を助けろ」というけれど、弱者って一体どっちなんですかね。上のもの?下のもの?

私は「実は上の方が弱い」って思うところがあって、ピラミッド型の社会の場合、【構成員がいないと成り立たない】というところが大きなポイント。

だから気を使うのは実は上のほうであって、辞められたら、居なくなったら困るのは上の方。

政治だって同じじゃないですか。安倍一強だのなんだのと言うけれど、本来はそんなことはありえないんじゃない?

あいつは駄目だと本当に国民が思ったら、簡単に辞めさせられるんだから。野党は「退陣しろ。国民の声を聞け」というけれど、安倍さんがトップなのは民意じゃないの?

会社もスポーツの世界も同じで「あんたの下ではやってられない」と言われたらそこでその組織は終わる。

つまり、本当に力を持っているのは下の方であるという考え方も大事だと私は思うんですよ。

「俺たちを本当に怒らせたら、この組織そのものが崩壊する」という何よりも怖い脅しを掛けられる側にいることを忘れちゃならないんじゃないですかね。

そこで必要なのは「勇気」だけじゃないでしょうか。

それを出さずに上からの指示だけを聞いていると、上は助長するだけなのが世の中の常じゃないかと。

それは会社も友人関係も、夫婦も親子も同じだと私は思うわけ。

「変えることが出来たら一番」と誰しも思うけれど、人生で一番長く一緒にいる夫婦だって「相手を変えることなんか出来ない」ってのが真理だと私は思うわけです。

私が若い頃は、仕事でも「常に辞表を用意して働く」なんてことが良く言われていて、私もサラリーマンをやったことがありますが、結構早い時期に辞表を書いて机の中に入れておいたものです。そして、結局、それを出すことになりましたが。(笑)

またヨメさんには「私はこのままじゃダメだと思ったら【いつでも別れるからね】」とずーっと脅迫を受けたまま現在に至る。(笑)

実際に、離婚届を突きつけられたこともあったし、幼子を連れて家出されたこともある。

「弱き者」って実は自分でそういう風に決めてしまっているんじゃないかと私は思うわけ。「自分のほうが上だ」と思えばその様になるのが真理じゃないかと。あの独裁体制を固めつつある中国の習近平だって何よりも怖いのは国民の動きで、とんでもない額の軍事費を使っているけれど、国内の治安維持にはそれ以上のお金を使っているらしいじゃないですか。

「どれだけ相手を、その場所、その仕事が好きでも」、自分がこのままでは駄目だと思ったら「反抗」「反乱」「革命」「逃げる」ことをするべきだと私は思う。

でもそれができないのは「自分はここにしがみつきたい」という「自分の欲望」があるからでしょう。この欲望には目を向けずに、あるいはそれを正しいことと信じて、自分の思う通りにならない相手、権力者を非難しても何も変わらない。

そして自分が反抗しても、内部告発をしても「変わらないんじゃないか」「自分だけ消されるんじゃないか」という不安がある。これって大きくてその不安に勝てないんでしょう。でも自分がきっかけとなり、自分は消されても「変えよう」という意識って大事じゃないんですかね。でも自分は守りたい。でも組織は変えたい、なんてそんなうまい話はないんじゃない?それって相手も同じことを考えているわけで、夫婦と同じでしょう。お互いに「変わって欲しい」とずーっと思い続ける。そうなれば力の強いほうが勝つに決まってる。

でも「我慢」は絶対に解決方法には繋がらなくて、「外から批判させる」ことをしても無駄でしょう。実際に奴隷の様にしているピラミッドの内部の人たちはそれに呼応するどころか、外部からの批判を隠そうとする方向に動くことも多いんですから。批判が一番効くのは、外からじゃなくて内情を知っている内部の人間の批判のはず。

前文科省次官の前川氏も同じで、いうことをいうなら「現職の時」にぶちまけたら社会はもっと動いたろうに、奴隷のように働きつつ(座右の銘は【面従腹背】)自分は法律違反の天下りを守りながら、首になってからあることないことを騒いでも「卑怯な男」としか評価されない。

文書改ざんにしてもそこで本当にかなり上の上層部からの指示があったとしても「法律違反をするのはするほうが悪い」わけで、「指示を出した方が悪い」とそこばかりに焦点を当てていると社会は絶対に浄化することもないんじゃない?

内部告発をすれば「消される」のが普通でも、その勇気が皆にあれば世の中って変わると思うんですよ。

でもその勇気も持たず、我慢し、問題を起こし、結局は自分が悪者される。これって一体誰が悪い?

権力者が悪いと思うなら、それを引きずり下ろせるのは「その権力の基盤を構成している自分だ」という意識が大事だと思うわけです。

「弱者が勇気を持つこと」を権力者は何よりも怖がるはず。それが無い限り、同じことは未来永劫続くんじゃない?

モラルがどうじゃとそんなことを言い続けて世の中が変わるなら、今の世界はもっと素晴らしいものになっているはず。またモラルばかりに焦点を置くと、「競争力」「目標貫徹能力」が削がれるという一面も無視できないわけで、みんなニコニコ、上も下も仲良くお手て繋いで楽しくやりましょう、なんて世の中出来ていない。

またモラルを大事にするのだとすれば、「上からの指示があったから」というのも言い訳にしかならない。

つまり「モラルが無い」と上を批判する声は「そのモラルがない指示をそのまま聞いていた方にもモラルがない」というのと同じ意味になる。これを無視した権力批判は私にはおかしく聞こえるわけです。ヤクザの親分とその命令を実行する子分とどっちが悪い?みたいな。

政治でもスポーツでも、外部の人間がこれを取りざたして、トップのモラルだコンプライアンスだといろいろ言うのを聞いていると、なんだか自慢話を聞いているようにしか思えず、解決には程遠いと思うわけ。モラルだコンプライアンスだという人でもパワハラをするから問題はややこしいのに。これって北朝鮮に「考え方を変えるべき」と正論をぶつけるのと同じで全く意味がない。「俺だったらこうする」「世の中はこうあるべきだ」なんてのは全く関係ない。通用しない。

解決方法は、内部の人間が「おかしなことはしない、させない」という勇気を持つことのみだと思う私。夫婦間の問題、内情は本人にしかわからないのと同じ。一般論って全く通用しない。

 
 
 

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