最近の日本って上から下まで、右から左まで皆が神経質で、あることないこと騒ぎ立てる感じがします。
「あいつが悪い!」というのもわかるのだけれど、法的にどういう問題があるのかがどこかに行ってしまっている。これって情緒で国家が動いているのと同じで、うまくないと思うんですよ。モリカケ問題も同じ。
あのスケベオヤジの元財務相事務次官福田氏が記者に嫌らしいことを言って、結局は辞任することになったアレですが、私もあのオヤジはアウトだとは思うんですよ。昭和の時代なら笑い話だったけれど今の時代、あれは通用しない。
でもですね、福田氏は法的に何が悪かったのかをどの評論家もメディアも言わないでしょ。
国民が「あいつは駄目だ」と思えば、血祭りにして良いってことなんですかね。
◯ 福田氏と記者は雇用関係にないので、男女雇用機会均等法によるセクハラには該当しない。
◯ 触っていないし強制わいせつにもならない。
◯ 東京都の迷惑防止条例にも抵触しない。
麻生副総理が「セクハラという罪は存在しない」なんて、周りのことも考えずによく言うと思うんだけれど、彼が言ったことは正しい。
ある評論家が「彼に罪があるとすれば【キモいオヤジだという罪】でしかないと。
野党、特に人権派はこういうことが起きると大騒ぎするけれど、本来は情緒で判断するべきじゃなくて法治国家なんだから法律で彼を裁く必要があるんじゃないですかね。
彼を裁ける法律が存在しないのに、彼を辞任に追い込むってのは「彼には人権がない」ことを意味する。
なぜ世の中の人権派はここに注目しないんですかね。インチキじゃないですか。強きをくじくのが正義だ、なんてのなら法律は必要ないし、それってナルシストが自らの主張を正当化するための詭弁だと私は思うんですよ。弱者は何をしても良いというおかしな論理が日本にはある。沖縄問題も同じで、島民と称するわけのわからない人たちが過激なことをやっているけれど、それは全く問題視されない。東京であんなことをやったら大騒ぎになるはずなのに。
大事なのはこうこうことが起きた時の法整備であって、福田氏が辞めて終わる話じゃないでしょう。無法地帯とも言える沖縄を見て見ぬふりっておかしいでしょう。
なぜ野党、人権派はそういう方向に動かない?おかしいじゃないですか。もしそういう法律が出来ると野党内でも起きたセクハラ事件もはっきりと結論を出さないとならないから?でもこれも本当におかしな話で、セクハラだ~~と騒ぐ野党は、自分の党の中で起きたことにはなぜ騒がない?沖縄にしてもまさに彼らが活動の主体でもあるから余計なことは言わない。でも活動家の横暴がまかり通っている。そしてそれに呼応するような沖縄の新聞社2社。
朝日新聞も同じで、朝日新聞社内でセクハラが起きたのが第三者によって暴露されたけれど、朝日新聞も当事者も一切口をつぐんでなにもないことになっている。
こんなインチキあるか?
こういうところをきっちりやらずに、与党や政権ばかり批判する連中の言うことは「ご都合主義」としか言いようがないんじゃないですかね。ダブルスタンダードがミエミエ。
じゃぁ与党や政権に問題が無いのかと言えばそんなことはないわけで、ここでも大事なことは「法律に則って進める」ことでしょう。モリカケ問題も同じで、私は本当に立憲民主党ってアホだと思うのだけれど、党主自らが「総理が言った【関与】」に言及して、【関与】はあったじゃないか。辞めろ」と言う。これって子供の喧嘩としか思えず。それでいて前文科省事務次官だった前川氏が一体職務上で何をして辞任することになったのかは一切忘れて、彼を英雄のように持ち上げるなんてバカバカしいなんてありゃしない。ということはあのセクハラオヤジの福田氏も前川氏みたいにカミングアウトして現政権批判を始めれば英雄扱いされるのか。
日大の問題も、日大そのもの、監督やコーチに問題があるのは間違いがないにしろ、「加害者である選手」が可愛そうだ、彼も被害者だという論調が世の中の大半を占めている。これってある意味正しくて、パワハラがあったとすればそれの被害者なのは間違いがないにしろ、ヤクザの親分の言うことを聞いた子分を救う必要なんか全く無くて、「なぜ君はそれに従ったのか」という点が何よりも大事で、それのみが「パワハラに対抗する手段」じゃないんですかね。上層部を批難し、改善しなくてはならないのは当たり前だけれど、パワハラを受ける側は被害者だという発想は駄目だと思うんですけどねぇ。弱い側には弱い側の対抗手段って存在するわけで、それを考えずに、「弱者は正義」みたいな考え方で世の中が変わるわけがないじゃないですか。
あのセクハラ事件も実は私は書きたいことがやまほどあって、女性記者を私は庇う気持ちにはなれないんですよ。プロの厳しい社会に入って、あんな子供みたいな論理が通用するほうがおかしい。セクハラもパワハラも「やったほうが悪い」のは間違いがないしろ、それからどう逃れるのか、それをどう利用するのか考えるのが大人であって、「こんなことを言われました、されました」なんて涙を流すのは幼稚園みたいじゃないですか。
本当に正義を貫くのであれば、法律やルールを確立するべきだし、それがちゃんと行われているのかの監視委員会も必要で、そういう意味では私は欧米は先進国であって日本は後進国としか言いようがないと思うわけです。
と同時に、世の中は厳しいのが当たり前で、風雨の中でどう生き抜くのかが人間の知恵だと私は思うんですけどねぇ。幼稚園レベルの発想しかできない人は社会に出るべきじゃないと私は思う。でも世の中は「常に弱者の味方をする」っておかしくないか?そりゃ相手が子供ならわかりますよ。でも私は「お前、育てよ」と言いたい。でもあのセクハラ事件でそんなことを言ったら袋叩きになるんでしょう。
こんな子供みたいな情緒で動くのが日本なのかと思うとがっかりですわ。与党も野党も活動家も情緒で国民を動かそうとするのはやめたほうが良いと思うし、これじゃ井戸端会議からの脱却も出来ないんじゃない?
ま、人間てのは「感情」が常に優位で論理さえも感情の動きに左右されるものだとは思うのだけれど、なんだか今の日本って異常だと感じます。前はこんなんじゃなかったと思うんだけどなぁ・・・。
幼稚園レベルの善悪の基準ってのも良いと思うんですよ。それで世の中が動くのであるならば。でも大人にならないとずるい奴らの思う壺。北朝鮮問題も同じ。