覚悟はしていたものの、まさか結婚式の次の日にそれが起きるとは・・・。
披露宴までは1週間あるので、すぐにマレーシアに帰り、また東京に戻ることも考えたのだけれど、日程的に厳しく、マレーシアでも準備ができていないわけで、それは却下。
でも披露宴までの1週間って結構長くて、何もせずにお台場にいる自分たちって馬鹿じゃないかとずーっと思っていました。そして様々な思い、思い出が押し寄せてくるわけで精神的にも辛いものがありました。ヨメさんとはくだらないことで大喧嘩をしてみたり・・。
何よりも辛かったのは、それを誰にも話せないことでした。マレーシアの件は私とヨメさん、長男の3人だけの秘密にしようと決めていて、しかし周りの人たちは結婚式、披露宴で大いに盛り上がっているわけですよ。当然、我々はそれに合わさないとならないわけで、神妙な顔なんかできない。
でもマレーシアからの連絡があり、一つ安心できることがありました。
来る前の我ら一族の決め事では、「何か起きた場合は、【マレーシアですぐにやるべきことをやる】」と決めてありました。つまり、私達、日本に来ている者たちは「最後のお別れはできない」ってこと。
でもマレーシアから連絡があり、私達がマレーシアに帰るまで「待つ」と決めたと。
23日にマレーシアに帰りますが、次の日の24日に、一連の行事を行うことに決定。
これは救いでした。
でも今回結婚した次男坊夫婦がマレーシアに「結婚の報告をしに来るまでは母が亡くなったことは言わない」と決定。
オバーチャン子の次男坊には申し訳ないけれど、私達は「お嫁さんの立場」を考えました。結婚してすぐに親族の葬式に参列するなんてあまりにも酷すぎる。参列どころか何が起きたのかさえも知らせないことが果たして良いのかどうかはわかりませんでしたが、「最後のお別れはしたかった・・」「うん、残念だったね」という風にあえてしようと。
私達の頭の中は混乱し続けていて、結局、披露宴までの一週間はあっという間に過ぎました。今、思い出そうと思っても、毎日何をしていたのかよくわからない。
でも披露宴の当日はかなり落ち着くことはできて、何事もなかったように無事、披露宴を終えることができたのは良かった。