「犯人探し」「不安を政府にぶつける」をしてもコロナの蔓延は止まらない 今、「貴方は何を待っているのか?」

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日本では「緊急事態宣言」「ロックダウン」宣言を出せと言う声が大きいし、それをしない政府を批判する人が多い。

でも私はそれに賛同はできず、「蔓延を止めるのはXXXの責任」「こうなったのはXXXの責任」みたいな考え方は、恐怖がそれをもたらすだけでなんの解決にもならないと思っています。

「緊急事態宣言」「ロックダウン」をするなら「保証しろ」「援助しろ」も同じ。

「感染する恐怖」「自分や大事な人が死ぬ不安」「仕事がなくなる不安」「収入がなくなる不安」。これらの不安は大きいのは世界中、皆同じですが、ではどうやったらその不安はなくなるのか?

なぜここを冷静に考えない人が多いのか。これは言論人、評論家、メディアも同じで、影響力が大きい人達が「不安を持つ人達」と一緒になって騒いでいるように見えます。

不安を消すには「感染が広がらないようにする」しかないのは明らか。

じゃぁ、どうやったら感染は広がらないのか。答えは決まっていて、一人ひとりが「三密に近寄らない」を含めた「正しく恐れること」しかない。そしていつの日か、ワクチンも出来て「集団免疫を獲得するまで我慢する」しか無い。

「三密に近寄らない」を含めた「正しく恐れること」は誰がやるべきことかと言えば、一人ひとりの市民。

それが出来ていないとすれば、出来るように一人ひとりを啓蒙するしか無い。あるいは法律で縛るか。

だから「緊急事態宣言」「ロックダウン」となるのだろうけれど、日本のそれは強制力がない「要請」止まり。

◯ 保証してくれるなら自粛要請に応じる

◯ 自粛はしない

◯ 倒産覚悟で自粛する

◯ 今のうちに事業から撤退する

◯ 自粛の中で生きる道を探す

と5つに別れるとして、そして保証してくれるとしても、「感染は集団免疫を獲得するまで続く」わけだから、「保証だけで生き延びるのは不可能」じゃないんですかね。

ワクチンや治療法が確立するのに半年1年かかったとして、その期間、全ての国民の生活の保証をすることは政府には出来ない。

だからどうしたっていつか「自粛は解除」して「経済活動を再開」し、「市民の力で【正しく恐れて】感染が広がらないようにする」しかなくなる。

これは絶対に間違いがないのは「武漢」を見ればわかるじゃないですか。中国も3月からは「経済再開」の号令をだして動き出している。経済が止まったままで放置できる国はない。

でもここで問題なのは

「人類はまだ今回のコロナに免疫を獲得しているのかどうかわからない」

いつか「集団免疫を獲得する」しかコロナウィルスに対抗する手立てはないのは明白。コロナウィルスを死滅させることは不可能なんですから。ところが、「一度感染すれば免疫ができるのかどうかもわかっていない」じゃないですか。そして「ウィルスが変異した場合」はその免疫もワクチン、治療法も意味がなくなる

でも免疫ができることを期待してワクチンや治療法を模索しているけれど、それが可能なのかどうかの確証はなく、またそれまでに時間は掛かるのも明白で、結局は「三密に近寄らない」を含めた「正しく恐れること」しかないのがわかる。

そして強制にしろ自粛にしろ、「三密に近寄らない」を含めた「正しく恐れること」を市民が始めても、「政府の援助はいつまでも続かない」こともわかっている。

だから必ず、今とは真逆の「経済活動を再開させてくれ」、「自粛要請は解除してくれ」という声が高まり、これに反対できる政府はないし、それどころか中国のように政府自ら「再開し、再建を急げ」と号令がでるかもしれない。

ここで誰しもが考える。

「三密に近寄らない」を含めた「正しく恐れること」をしながら、どうやって経済を、仕事を動かし、収入を得るのか。

必ず、いつかここに行き着くんじゃないですかね。

そしてその答えを見つけた企業、店舗、個人のみが生き残る。

ってことじゃないかと。

そんなのは無理だと結論づけた企業、店舗、個人は「三密を無視し、正しく恐れることも諦める」しかないんじゃないですかね。特に飲食業の中でも「接待」が中心の風俗、そして「濃密接触どころじゃないあの分野」も同じ。

当然、そこから「感染は広がる」ことになるけれど、「自粛しろ」「止めろ」とは誰も言えない。それは「お前は死ね」というのと同じだから。そのときには政府はもう補助金も使い果たしているだろうし、そういう業種のみに保証をすることも出来ない。

結局ですね、私が何を言いたいかと言うと、「感染の広がりは止められない」ってこと。自粛や強制力のある行動制限令を出して、それが有効のうちは、「そういう市民の行動によって感染は下火になる」にしても、それが解除されれば、また振り出しに戻る

そしてその後は「必死に感染が広がらないように生きるグループ」と「諦めたグループ」「軽く考えているグループ」の「共存が始まる」

今がまさにそれですが、どうしたってまたここに戻ってくるしか無いというのが私の考えです。

その前にワクチンでも治療方法でも確立すれば良いですが、そしてウィルスが変異しなければ良いですが、私は振り出しに戻る可能性が一番大きいと思っています。

こうなった時に、それまでの時間稼ぎを利用して「医療崩壊が起きないような準備を出来た国」は良いにしても、それが出来ないとすれば、まさに一時期の武漢や今のイタリアのようになるしかない。

今は勝ち誇ったように言いたいことを言う中国ですが、これから何が起きるのかわからない。少なくとも新型コロナウィルスを死滅することは不可能で、今の時点では「一度罹ったらもう罹らない(免疫の獲得)」のかもわからず、ワクチンもないのですから、生活パターンを前に戻したら何が起きるのか?

でも経済を止めることはできないとなった場合、「諦めたグループ」「軽く考えているグループ」の中では感染爆発が起きて死ぬ人は死ぬ。そんなのは受け入れられないと思っても「感染が広がらないような生き方をしたら経済的に成り立たない」とすれば、その感染爆発の中でどうにか自分を守りながら生きるしか無い。

そうこうしている内に、「諦めたグループ」「軽く考えているグループ」の中で死ぬ人は死んで「集団免疫」が獲得できる、なんてことになるかもしれない。

結局、「集団免疫を獲得できるまで」「自分でどうにか生き残ることが出来るか否か」が運命の分かれ道ってことじゃないんですかね。

政府は政府でやらないとならないことはたくさんあるけれど、「政府がちゃんとやってくれればどうにかなる話じゃない」ってことかと。敵はコロナウィルスであって、政府はその対抗手段を持っていないんですから。

これはマレーシアに住む我々も同じで、「待っている人に問いたい。貴方は何を待っているのか?」と。

MCO活動制限令によってウィルスの蔓延は下火にはなるんでしょう。でもその状態を維持することは不可能で、いつか「経済活動の再開」を政府も個人も企業も店舗も考えないとならない時が来る。

そしてMCOも解除。経済活動も再開し、モスクも再開。お店も営業を再開するけれど、そうしたら何が起きるのか?

みんな不安に駆られていて、政府も「現状の打開」に一生懸命だけれど、「その次に来るもの」を考えないで良いんですか?と私は問いたい。

間違いがないことは「ウィルスを死滅することは不可能」であり、「ワクチン」や「治療法」も確立し、「集団免疫を獲得」しない限り、「油断すればまた感染は広がる」。

そしてそれまでMCO活動制限令を発令したままということは出来ない。政府の保証、援助も長期間に渡ってそれをすることは不可能。

いつかMCO解除になったとき、その時、我々の目の前にあるのは「前とは全く違う世界」だと私は思う。

多くのマレーシア在住者は言う。「早くMCOが終わって欲しい」と。これって何かおかしくない?終わってほしいのは感染の拡大なはずで、では感染が減ってきたからMCOを解除しましょうとなったにしても、その後、何が起きるんでしょうか?私は、私達が学んだMCO中の行動パターンをもとに戻したら、「飛んで火に入る夏の虫」だとしか思えません。

 

だから我々がしないとならないことは「待つことじゃない」はずで、「今のうちにそういう時代に生き残れるような準備をするしか無い」というのが私の結論。これは企業も店舗も同じかと。

政府に文句を言ったり、ちゃんとやるべきことをやらない人たちに怒りをぶつけても、【何も解決しない】と私は思う。

私達の敵は「コロナウィルス」なわけで、それにどう対処するか個人個人の生き方が明暗をわけるはずで、増大した不安を政府や他人にぶつけても何も変わらない。

今までは「正しく恐れば良い」だけだったけれど、これからは「正しく恐れながら、どう食い扶持を稼ぐか」というステージに入ったんじゃないですかね。

政府に「緊急事態宣言」「ロックダウン」をしろとか、保証はちゃんとやれとそればかり言っていて、ウィルス時代にどう生きるかの準備ができない人、企業、店舗は遠くない将来、淘汰される。

政府がちゃんとやってくれれば、私達は生き延びることが出来るというのは幻想だと思う。でもそう思いたい自分がいるのも間違いがなくて、そういう「不安が増大し、目の前の【受け入れたくない環境】から逃げることばかり考えている自分と対決しないとならないとき」は必ず来る

でも私達はまだラッキーで、考えて準備する期間は少なくとも数週間~数ヶ月はあるんですから。明日すぐに武漢やイタリアのようになるわけじゃない。

ここまで読んだ人がいるかどうかわかりませんが、ダボって大げさだなと思うでしょ?

でも、企業や国に頼ること無く誰も助けてくれない世界で、自分の力だけで生きてきた個人、中小企業って、「いつの時代もこれと全く同じ様な環境で生きてきた」んですよね。雨が降れば売上が落ちるのも当たり前、大きな台風が来れば事業継続も出来ないとか、円高で輸出産業が駄目になり事業を閉めたり(うちのオヤジがそれ)、常にそういう試練ばかりの中で生きるのが普通で、政府に頼ったり、「待てば何かが変わる」なんてことはこの世には存在しないのね。

個人事業主のほぼ100%はそうじゃない?

「政府に保証しろ」なんて声を聞いて、苦笑いしている人は多いはず。俺もそう言いたいのを我慢して今まで生きてきたと。

サバイバル能力が試される時代に入ったんじゃないですかね。

でもドタバタしている間にワクチンも出来て、治療法も確立し、ウィルスの変異もなければ「集団免疫を獲得」出来て、不安も減り、いつか感染の広がりも止まるのでしょう。

そしてまた「嫌なことは忘れて楽しく生きよう」という時代に戻れるのかもしれない。

「年寄りを殺す気か!」という不安、怒りをこのブログのコメントに残していた方がいらっしゃったけれど、年金生活者ほど「三密に近寄らない」を含めた「正しく恐れること」が出来るグループはないはずで、意外に年寄りばかり生き残って、子どもたちと働き盛りの人たちのみが危険にさらされる時代になるのかも。

今は「有事」で「空襲警報発令中」と同じだと思います。そして爆撃が終わり、「防空壕から出た私達の前にはどんな世界が広がっているのか」を考えるべきで、なおかつ、いつまた「敵機来襲で空襲警報」が出るかわからない。あの時代の日本人が何を考えてどう行動したのか。意外にそれが参考になるのかもしれないですね。

ただ、あの当時と一つだけ違うことがある。「私達が無条件降伏をしても、敵の攻撃は終わらない」ってこと。

ああ、もう一つ違うことがある。「三密に近寄らず」「正しく恐れば良い」という点。それで敵の侵攻を防げるのなら、私達はラッキーなのかもしれない。そしてどう生き抜くか考え準備する時間はまだ残っている。そして今、まだ私達は生きている。

これが「ダボ流のプラス思考法」。(笑)

反論、異論はご遠慮無くどうぞ。私も違うストーリー展開が考えられるのならそれを知りたいです。

 

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