日本は「集団免疫の【戦略は取らない】」と菅官房長官 年寄りはどうなるのか

古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

菅官房長官が「日本は集団免疫による抑制戦略は採用しない」と発言していたんですね。気が付かなかった。

 菅義偉官房長官は7日の記者会見で、新型コロナウイルス対策として、国民の多数が感染して体内に抗体を持つ「集団免疫」による抑制戦略を採用しない考えを示した。「(日本は)可能な限り重症者の発生と死亡者数を減らしつつ、治療薬開発や医療体制強化の準備時間を設けることを目的として対策を講じてきている。国民が集団免疫を獲得することを目的としていない」と述べた。

 

これが何を意味するのか私には良くわかりません。

感染を放置して多くの人が感染することによって「集団免疫を獲得する」という方策を取っているのがスウェーデン。

でも「ワクチン」が開発されそれを打つことによって免疫ができて、そういう人たちが増えれば「集団免疫を獲得できる」んじゃないんですかね。

でもま、ワクチンが開発されてそれが一般に浸透するまでには「かなりの年月が必要」なはずで、でもその時、それを「集団免疫」とは呼ばないんですかね。

この辺は自分で集団免疫とはなにかの「定義」をはっきり理解しているわけじゃないので、良くわからず。

ただ日本の場合は「感染者が増えても免疫獲得者を増やす」という方策ではないというのはわかるわけで、ただそれだけのことなのかな?

どちらにしてもワクチンが出来て、それを我々一般も普通に受けられる時代になるまで「自分は生きているのかな?」みたいな気もするわけで(笑)、それをあてにはできないと私は思うんです。

今の時点で、「抗体検査」が増えてくるようで、また抗体を持っている人が意外に多いという結果が海外でも出ていますが、「その抗体があれば【COVID-19には感染しない】」という確証が得られたという記事は私はまだ見つけていません。

それどころか、COVID-19は「変異を続けている」わけで、「抗体が全てに効くのか」という点もはっきりしていない。

そういう意味で、「感染を放置して【完全免疫獲得を目指す】と決めたスウェーデン」って随分、大胆なことを決めたなという印象を持っています。

逆に、「日本は集団免疫による抑制戦略は採用しない」というのは、日本らしい【安全を重視した考え方】の様に思えます。でも菅さんがいう「採用しない理由」は「免疫に対する確証がない」からではなくて、「感染者を増やすことは【容認しない】」という考え方なんでしょう。

もしスウェーデン方式を日本が取れば「数十万人の死亡者」は出るだろうと言われていましたよね。

でも将来のことを考えた時に「今、感染者が多い国は【集団免疫を獲得できる可能性がある】」んじゃないですかね。

アメリカがそうで、もし「日本は集団免疫を獲得していない」「アメリカは集団免疫を獲得した」となった場合、我々は問題なく「二国間を行き来できるのか」って問題がありますよね。スウェーデンも同じ。

ただアメリカではあれだけの感染者が出ていても「集団免疫を獲得するのは難しい」と。

「新型コロナで集団免疫を獲得するのは難しいかもしれません。武漢のように、全人口における感染率が高い地域では、集団免疫が獲得できるかもしれません。しかし、アメリカの場合、入院患者数も死者数も多いものの、全人口における感染率はまだ比較的低いため、免疫を得ている人も少ないのです。集団免疫獲得の難しさは、感染者が多いニューヨークでも言えると思います」

 

私が最近、気になるのは、「日本でもマレーシアでも【感染者が減っても】我々年寄りの危険性っていつまでも続くのではないか」ってこと。

それを感じたのは、「日本の相撲力士がコロナで亡くなったという報道」を見た時。彼(勝負士)は28歳で【20代の死亡は初めて】ですと。

これだけコロナで大騒ぎしているのに「20代で初めて」なのには【大きな意味がある】と思うんですよ。

もしこれがですね、「60代、70代の死亡者はほぼゼロ」だと考えた場合、我々の恐怖、不安てかなり小さくなりませんかね。

つまり若者はそういう風に感じているはずで、我々年寄りの恐怖や不安とはかなり違う。

これがどういうことかというと、「年寄の危険性は高いけれど、ある程度下火になったら世間はコロナを忘れる」かもしれないってこと。

下火になったとしても「感染者はゼロ。死亡者もゼロ」なんてうまい具合にいくわけもなく、たとえ大幅に減っても「集団免疫も無い」「ワクチンもない」となれば、【コロナは年寄がかかる病気】みたいになるような気がします。

これはネットを見ていても「若者には大した問題じゃない」と考えているような書き込みあるわけで(当初は結構多かった)、小池さんがいう「年齢には関係ない」なんてのもリップサービスにしか思えない。

今の時点では「国民全体」が「感染しないようにしよう」という意識を持ち、そういう風に行動をしているけれど、自粛要請もなくなりマレーシアではMCOが完全解除されても、【年寄りには不安が残ったまま】のような気がします。

そもそも自粛にしても「全体」ではなくて、【年寄りだけ】を「厳しく行動制限をする方が良い」という考え方がありましたよね。

これって私は今でも「正しい考え方」ではないかと思っていて、「年寄は自宅監禁、隔離」ぐらいのことをして、他の世代は「軽い自粛」で十分で【感染者は多くなる】けれど【重篤者、死亡者は少ない】、そして「免疫を持つ人は増えて」【集団免疫に一歩近づく】んじゃないかと。

でもそういう考え方をする政府はどこにもないし、また【年寄だけ隔離するのは不可能】ということもあるわけだけれど、「年寄を感染させない方策をどの政府もしていないのは【問題】」じゃないですかね。政府もしていないし、「全体の感染者が減ってくれば【年寄は置き去りにされる】」みたいな気がしないでもない。

とまぁ、極端なことも考えてしまう今日このごろ。(笑)

ただし、何度かブログにも書きましたが、日本では毎年1万人近い人が「インフルエンザで死ぬ」わけで、今年(今季)は、インフルエンザに罹患する人も例年の数分の1で、死者も少ないのは間違いがない。そしてその【インフルエンザでの死亡者とコロナの死亡者を足しても、4000人にも満たない】となっている。当然、コロナの死亡者の方が圧倒的に少ない。

これって「喜ぶべきことだ」という【見方もある】と主張するのが武田邦彦教授で、馬鹿言うな、とは思うけれど、そう思うのは「我々がコロナに対する恐怖心を持っているから」でしかなくて、現実的に数字で見れば、「コロナが来て死者が減った」のは間違いのない事実。

だからもしかすると、上に書いたように「コロナは年寄りが重篤、死亡する病気」という見方が主流になったとしても、「その代わりインフルエンザで死ななくなった」という素晴らしい事が起きる。

でも「コロナが下火になれば、インフルエンザも例年通り増えて、1万人が死ぬ」という【いつものこと】が起きるだけかもしれない。

今、インフルエンザのことを書いていますが、この枠を広げて「肺炎」だとしましょう。

この肺炎ってのは「年寄の死亡原因のトップ3」に入っていて(日本の場合)、なんと数字でいうと毎年10万人以上が死ぬ。

これを円グラフにする。

そしてその「肺炎のキッカケ」は何かというと。

この数字を基本に考えると、「コロナの死者数は大したことはない」とも言えるのかもしれない。

でも【持病を持ってる人が重篤化する】ことからも、「持病がある人はコロナに注意しないとならない」のは間違いがない。

うちのヨメさんもコロナには神経質になっているのはそれが理由で、ヨメさんは「気管支」が弱く、「コロナに罹ったら絶対死ぬ」と信じています。年齢的にも60代だし。

でもコロナに罹らなければ、「そのうち死ぬ」という危険性はないわけで、きっといつかは上の表やグラフにあるように「肺炎が原因で死ぬ確率」は高いものの、目の前に迫った危険はない。

だから守るべきは「持病を持った高齢者」なのは世界のデータからも間違いがなく、また最近、「肥満」も「致死率が高い」というデータが出てきている。そして前から言われているのは「糖尿病」。これの理由もわかってきている様子。「血管」がキーワード。

Dabo's life in KL, Malaysia

古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください コロナで高齢者が危ないというのは最初…

私達は今、「全体の感染者数」ばかり気になるけれど、本来は「年寄で持病を持った人たち」をどうコロナから守るかが重要で、それのためには「全体の感染者を減らす」のが有効なのは間違いがないものの、ゼロにはできないわけだから、「(ワクチンや治療法ができるまでの)なんらかの次なる方策」を考えないとならないはず。

「そのうち、共存できる日が来るだろう」なんて言う人もいるけれど、その時には「持病を持っている高齢者、病弱者は死ぬのもしょうがない」というのと同じ意味。

だからやっぱり「ワクチン」なり「治療法の確立」が無い限り、COVID-19との共存なんてありえないわけで、若者を含む「私は大丈夫だと思う」という人の意見は絶対に取り入れてはならないんじゃないですかね。

そういう意味で、感染を放置して【集団免疫を獲得する】というスウェーデンって恐ろしい国だと思うわけです。

でもあの国では「末期治療(延命治療)はしない」し、国民全体の利益(社会保障)を厚く保つには「弱者切り捨て」も自然の摂理として受け止めているんですかね。オーストラリアもそうで、重篤な患者を最後の最後まで治療するということはしない。

そしてその動きって日本でもあるわけで、「そうしないと社会保障が崩壊する」なんてことも言われていて、トリアージ(選別)は避けて通れないことなのかも。

ま、強制的な姥捨山システムがないだけ良いと思うしかないのかもしれなくて、「健康であること」も自己責任の世界なんでしょうね。

日本は保険システムが充実しているけれど、国民保険みたいなものがない「全て自費」の国も多いけれど、そういう違いも「コロナの対応」に出てくるのだろうし、当然、感染者数、死亡者数にも出てくるんでしょう。

マレーシアに住む我々も同じで、コロナの場合は公費で補ってくれるらしいけれど、「病気になったら自費」という基本は変わらないし、保険に入っていないと大変なことになる。

それもあって「具合が悪くなったら日本に帰ろう」とか考える人は多いけれど、「帰れる人は幸せ」で、もし「帰る家が日本にある」にしろ、「救急で入院する場合」を想定しないわけにはいかない。

これは去年の11月にパンタイ病院に「救急入院した私の母」も同じで、ICUに直行。そしてそのまま一ヶ月の入院。そして死亡。

この間、ICUで人工呼吸器を付けていたし、様々な薬をも使ったわけで、約一ヶ月の入院費と葬儀で1000万円を超えた。

保険があればよかったけれど、ちょっと興味がある人は調べてみて欲しい。まず、年寄が入れるのか。90歳を超えたら保険料がいくらになるか。まず「年齢制限」があるのが普通で、年齢制限が無いものの場合でも毎年、一人200万円を超える保険料となる。(若い頃から長期に掛けている場合は別)

病院も毎週、請求書を出してくるわけで、支払いができなければ「即刻、強制退院」。救急で行くにしてもデポジットが払えなければ門前払い。

こういうことからも、私がしつこく「海外移住を簡単に考えるな」と書くのもわかるはず。ロングステイは好きにやれば良いけれど、「緊急の場合」を想定しないのはアウトでしょう。

クレジットカードの保険をつかってとか、そういう事を考える人は多いけれど、そういうのは所詮「短期滞在の考え方の延長」でしかなくて、「外国に根を張って生きるつもり」の人が考えるべきことじゃない。

ましてや「永住権」もなく、「社会保障も厚い国ではない」場合、ちょっと大きな病気や怪我をしただけで何が起きるのか想像するのは簡単なはず。

若い人はこの辺を真剣に考えないケースが多いと思うのだけれど、必ずいつか歳も取り、病気や怪我をすることもあるし、働けなくなる、収入がなくなる時は「必ず来る」わけで、その時に焦ってもどうにもならない。

 
 
 

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。