第二次世界大戦ですが、私達日本人が考えるあの戦争は【真珠湾攻撃に始まり、8月15日の玉音放送で終わった】と考えがちですが、視点を【日本から外して見る】ことが重要だと思っています。
まさにロシアがそれを常に言っているわけで、ロシア(旧ソ連)が言う終戦は9月2日であると。
これはこれで根拠があるわけで、日本がポツダム宣言受託を決めたのは8月14日。それを玉音放送で我々が知ったのは8月15日。そして【降伏文書に署名】したのは9月2日。
だから8月15日を終戦とするのは【日本人だけ】と言われることがある。
8月15日から9月2日までの空白の約半月間、ソ連軍は千島列島を侵攻し南下、島々を次々と占領して、8月28日に択捉島に上陸を開始。9月5日には北方領土をすべて占領、北方四島を一方的にソ連に編入した。つまり、9月2日から5日までの3日間はソ連の軍事行動は不当となり、その間に奪取されたのは歯舞諸島。
日ソ中立条約をソ連が一方的に破ったのは別にして、北方領土返還がややこしいのはこの「終戦はいつなのか」も大きく影響しているんでしょう。
そしてここからが今日の本題なのですが、あの戦争を【日本は大東亜戦争と呼んだ】んですね。そして【大東亜戦争は昭和12年7月7日勃発の支那事変から始まった】とされている。しかし終戦後、GHQにより「大東亜戦争」という呼び名は禁止され宙ぶらりんになり、日本の歴史の中に「大東亜戦争が終わった日」は存在しない。
これをきっかけに、大東亜戦争に注目してみると、あの戦争が違ったものに見えてくるんですね。始まりは真珠湾攻撃ではなくて昭和12年の支那事変だとすれば、そして大東亜戦争の目的を考えてみると、集結したのは1945年~1949年の「インドネシア独立戦争」が終わったときだとする考え方が成り立つと。
インドネシアの独立戦争は関係ないじゃないかと思われがちですが、日本はアジアの「欧米による植民地支配をつぶす」ことを目的としていたし(日本が次に支配するという考え方があったのかなかったのかは別にして)、日本が戦ったのはアジアの人々ではなくてその支配者である欧米なわけで、日本が支配したあとは欧米のような愚民政策は取らず、【将来的な各国の独立を目指していた】のは間違いがないと思うんです。
それが顕著に見えるのはインドネシアで、日本は人材を育成し(スカルノやハッタ)、権限を移譲し、インドネシア軍を作りその育成に力を入れていた。そして日本の敗戦の後にも日本兵が残り、インドネシア軍と共に「戻ってきたオランダと戦った」のは有名な話。そして勝利し、300年を超える植民地統治は終わりインドネシアは独立。だからこの時に一緒に戦った日本兵はインドネシアでは英雄として考えられ、戦死者は丁寧に祀られている。
でも他のアジア諸国でも「日本はすぐに独立させなかった」という事実があるし、私もそこに「日本は新たな支配者になっただけ」という考え方に【日本の都合もあったのだろう】と感じるわけです。だから侵略と呼ばれても仕方がないのかもしれない。
でも「国家の独立」は「はい、どうぞ」と簡単にできることではなくて、人材、政治体制や軍の育成も重要で、「独立できる時期」というのは間違いなくあるはずなんですね。それなくして「どうぞ独立してください」なんて放り投げると、国内は混乱し、また「元の支配者が戻ってきた」時に対抗できないのは明らか。これは近代の世界を見ているとそういうことが簡単に起きると私は思うわけで、「日本は時期を見ていた」のも間違いはないと思うんですよ。独立するならきっちり準備をして独立しないと意味がないのではないかと。
この様に、ちょっと視点を変えると違うものが見えてくるわけですが、その視点をもうちょっと広げてみると「戦争の原因になるもの」の中でも気になるのが「(共産主義者の)コミンテルン」の世界戦略なんです。
そもそも大東亜戦争の始まりとされた「支那事変」にしても、一体どうしてそれが起きたのか。
またなぜアメリカは執拗に日本を叩こうとしたのか、なぜ日本はABCD包囲網に囲まれたのか。
日本に対しアメリカは最後通告として「ハル・ノートを突きつけた」わけで、それがキッカケで日本は日米開戦やむなしと決めたことになっていますが、ハル・ノートを制作したコーデル・ハル国務長官は後に「コミンテルンの一員だった」ことがわかっている。
一体コミンテルンとはなんなのか、何を考え何を画策していたのか。私はここが重要だと思うんですよ。
そして世界を俯瞰してみれば、世界の戦いは「共産主義と自由主義の戦い」にも見えてくる。米ソの冷戦も同じく。
結局、これが昔から延々続いていて、太平洋戦争もその中の一つの舞台にしか思えない。
そして今、トランプ氏がやっていることは「中国つぶし」ではなくて【中国共産党つぶし】じゃないんですか?
私の私見ですが、「共産主義」と「自由主義」は【世界の二大宗教】みたいに思うわけで、これの戦いが延々続いていると感じます。そしてこの2つの陣営は「根本的な思想、行動パターン」も全く違うもので、私にしてみると「同じ人間同士の戦い」というより、「全く異質のもの同士の戦い」でそこには「お互い相容れるものは無い」ぐらいに感じるのです。
どちらも自分の信条がベストで世界はそれで統一されるべきだと考えているわけで、でもその決着をつけることはできないのは「キリスト教VSイスラム教」の長い歴史を見てもわかるはずで、できることがあるとすれば「棲み分け」でしかないんじゃないですかね。で、米ソの冷戦がまさにそれで、今のアメリカがやろうとしているのは「分断」で、自由主義をクリーンと称し、ダーティーなものとは【関係を持たない】世界を作ろうとしている。サプライチェーンの再構築はもとよりインターネット、海底ケーブルでさえも別々にしようとしている。そして対する中国もそれに呼応するような動きをする。
そんな今の世界を見ていると、大東亜戦争も終わっていないというか、世界は昔から「戦争中」以外の何物でもないと思うわけです。そして常に影に見え隠れするのがコミンテルンであり、共産主義。言葉を変えれば、「人は皆平等で自由と人権は守られるべき」という考え方と「全体主義で個を軽視し、自由と人権は厳しく制限する」考え方のぶつかり合い。
ま、こういう考え方をするのは「右傾している者の特徴」みたいなことを左派は言う。(笑)
世界の国々は「犬猿の仲」だとしても、お互いを認めることは可能だと思いますが、「自分の考え方のみが崇高で、世界はそれで統一されるべき」という考えを持っている限り、「衝突は常に起きる」んじゃないですかね。
では、棲み分けをすれば良いとなるのかもしれませんが、世界で自由も人権も無く、また中国が今でもやっている「生きている人から、移植のために臓器を取り出す」とか、隣国に侵略し「教育という名目」で「言語や宗教さえも消し去る」ような邪悪な行為を、自由な国々に生きる私達が座視して良いのかどうか。そもそも「侵略行為」を平気でする国を放置してよいのかどうか。
ただねぇ、平和で豊かな我々日本人には理解しがたいことが「世界の現実」のような気もするんですよ。それは「貧困」。アメリカでさえも貧困は切実な問題で社会主義的考え方が台頭してくるのは理解できるし、世界には「食えない人、国」が多く存在する。それでも生き残ることを考えれば「切り捨てなくてはならない【善】や【倫理】も存在する」のも理解できる。「理想論や綺麗事では食えない」とするならば、何を始めるか。
中国の拡大戦略も「核心的利益」も、未だに本質的には貧しい中国が豊かになるための方策であるのも理解できなくもない。でもあの中国が、そして彼らの世界秩序を無視したやりかたが世界に広がるのが良いとも思えない。
また今までの自由主義、民主主義も「行き過ぎ」が感じられる部分もあって、変化が迫られているのはアメリカを見てもわかる。
世界は大きな転換期を迎えているんじゃないですかね。アメリカは「覇権主義を放棄した」のは間違いないと思うのだけれど、中国が覇権を握ることを許すことも出来ない。そして自由主義、民主主義を「善」とし、存在の基本とする日本はどうするべきなのか。
この2つの動画は、今、私達が知り、考えなくてはならないことを示唆していると思う。
【あの戦争はいつ始まり、いつ終わったのか】
【米中、そして日本が今どういう状態にあるのか】
この動画は現状をうまくまとめていると思います。でも中国内部のことに関しては触れられていない。