3月9日は私の母の誕生日。
マレーシアで家族が集合してからは、毎年、必ず誕生日会をやっていたっけ。
2019年には「厨(くりや)@バンサショッピングセンター」で誕生日会をやったのはブログに書いてある。13日だけどね。
93歳だけど元気だった~~。
私の誕生月は母と同じなので、合同で誕生日会をやることも多いのだけれど、私はハピーバースデイと祝福された覚えはない。歳を取るのは嬉しくないから祝わないでくれと言っていたからか。当然、この時の母のようにバースデーと書かれたものをもらった覚えも皆無。
では逆に、私の誕生日会をやったのはいつだったか思い出しながら調べてみると、それは2017年の3月。皆で潮州料理の「百樂潮州酒家@スターヒルギャラリー」へ行った。母と父の誕生日会は毎年、必ずやるけれど、私とヨメさんはあえて誕生日会という形で一族が集まることはない(孫の誕生日会はやる 笑)。でもこの2017年は私の誕生日会として皆が集まった。
古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください 昨日は私の誕生日でしたので、ダボ一族…
今、読んでみるとマヌケなことばかり書いてある。
ところがその時の帰りだけれど、店を出てから母が私に言ったことが書いてあった。でも私はそれを覚えていない。
「きっとこれが私が参加できる最後のあんたの誕生日会かもね」と。
調べてみたら本当にその通りになっていた。
2019年の母の誕生日会のことが書いてあるブログを読んでみると、いつか【その時】が来るまで母を大事にしようと思いながらこんな曲を聞いていたと書いてある。
【樋口了一/手紙~親愛なる子供たちへ~】
それから数カ月後、元気だった母が突然、入院して一ヶ月で逝ってしまうなんて想像したこともない。そしてその時、私達は次男坊の結婚式で日本に行っていた。訃報を聞いたのは結婚式の晩。まだ披露宴も控えていたし、次男坊にも誰にも母のことは当分、話さずにいようと決め、私とヨメさんと長男、3人だけで肩を寄せ合って泣いていたっけ。
今年も母の誕生日が来た。
でももう母は歳を取らない。
私がこの世の中で一番、尊敬する人であり、我が人生の師。幼い頃からいつも私の心の中にいて、私を助けて導いてくれた人。
それは今も変わらない。